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扉を粉砕するような勢いで登場したライオットは、乱暴な足取りでヒューイの前に立つと、眼光を更に鋭くした。
「全部聞かせて貰ったぞ」
その言葉だけでヒューイは弁明の余地はないことを察したようで、崩れるように跪いた。
「お、お許しください」
「黙れ」
にべもなく斬り捨てられたヒューイはそれでも諦めない。
「これは全て、僕を貶めようとする奥様が仕組んだこと。僕は被害者です!奥様は僕が嫌いだから、嘘八百を並べ立てて僕を虐めているのです!」
必死に言い募るヒューイに向けるライオットの視線はどこまでも冷たい。しかしヒューイの言葉を遮ることはしない。
耳を塞ぎたくなるようなヒューイの一方的な主張が部屋中に響く。我慢の限界を超えたジリーが、合いの手のように舌打ちをし始める。
対して藍音は、ギリギリと歯ぎしりせんばかりの勢いで睨みつけている。ヒューイにではなく、ライオットに向けて。
――ちょっと!なに勝手に出てきちゃってるのよ!!この馬鹿!大馬鹿者!!
寝室にライオットを忍ばせておいたのは藍音の発案だ。壁越しとはいえ、レブロン家の当主が聞き証人となれば、ヒューイに最上の罰を与えることができると思ったから。
しかし藍音は「絶対に出てくるな。お前はここで黙って話を聞いていろ」とライオットに厳命した。
なのにそれを無視して乱入する始末。あとちょっとでイレリアーナが不正に関わっている証言が得られたかもしれないのに。
とことんこちらの足を引っ張ってくれるライオットに、藍音はヒューイの言い訳なんて耳に入ってこない。
怒りに任せて寝室に繋がる扉に目を向ける。そこにはもう一人、保険をかけて呼んでおいたグロイが申し訳なさそうな顔をして佇んでいる。
「なんで止めてくれなかったのよ」
声にこそ出していないが、不満を全力で目で伝えればグロイは「だってぇー」と子供のような顔をしてそっぽを向く。
そんな中、長い長い言い訳を語り終えたヒューイは、ライオットに縋るような眼差しを向けた。
しかし望む言葉を与えられることはなかった。
「だから何なんだ?」
「っ……!?」
まさかそんな返答が来るとは思ってなかったヒューイは、何かを言いかけて、でもライオットの鬼の形相に慌てて口を閉ざす。
「私の妻がお前を虐めた?それがどうかしたのか?何が悪いのだ?」
「え、だ、だって」
「黙れ。私の妻がそうしたかったのならそれでいい」
道理も倫理も無視した絶対的な信頼感を見せつけられたヒューイは、もう何を言っても助かる道がないことを悟った。
「ヒューイ、お前は私の父上であり前当主から幼少の頃から面識があり、こうして執事見習いとしてレブロン家で従事することができた。しかし今、お前は私の妻を愚弄した」
ついさっきまで触るものみな傷つけそうな勢いだったライオットの口調は、今は酷く落ち着いている。それが逆に怖い。
「私は妻がどれだけ浪費しようとも、ろくに帳簿を付けることができなかろうとも、託したお前がもっと酷い帳簿を付けていようとも、妻が容認していることなら一向に構わないと思っていた。しかしそうではないなら話は違う」
低く深く。それでいて滑らかな声音で言ったライオットは、ここで視線をグロイに向けた。
「追って沙汰を下す。連れていけ」
「はっ」
短く返事をしたグロイは、ヒューイの首根っこを掴んで部屋から引きずり出す。
判決を言い渡した裁判官のような顔をするライオットと、己の思惑通りにいかず行き場のない苛立ちを抱える藍音。
部屋には得も言われぬ微妙な空気が漂う中、侍女のジリーは無言でお茶の準備を始めた。茶器は一人分だった。
「――奥様、どうぞ」
「ん、ありがとう。ジリー」
コトリとティーカップが執務机に置かれたと思ったら、続いて一口大の焼き菓子も添えられる。よく見れば、少し形が歪んでいる。
「ふふっ、美味しそう。もしかしてこれはジリーの手作りかしら?」
「はい。お口に合うかどうかはわかりませんが……」
「そんなこと言わないで。絶対に美味しいと思うわ」
「……でしたら、どうぞお早めにお召し上がりください」
「そうね。では、いただきます」
お茶を一口飲んでから、菓子を頬張る。
しっとりとした触感と、鼻に抜ける柑橘系の香り。濃厚なのにすっきりとしたこの覚えのある味に、藍音がパッと笑顔になった。
「もしかしてこれ、あの時のものを再現してくださったの?」
「はい。見よう見まねで作ったので、完璧とは言い難いですが……」
「そうね。同じじゃないわ。だって今日、いただいた方が何倍も美味しいもの」
「恐れ入ります。あの……その……嬉しいです」
「わたくしも、とっても嬉しいわ」
ウッフ、キャハハと藍音とジリーは楽し気に会話をする。
しかしこの部屋にはまだ一人、先ほどの抜き打ち監査の立会人が残っている。そうライオットが。
藍音とて、もちろんわかっている。物言いたげな目をしてこちらをじっと見つめるライオットをガッツリ視界に入れている。
そんな彼を敢えて無視しているのは、乱入されたことに対して怒りが収まらないから。
ただライオットは、頑として部屋を出て行こうとしない。悔しいが折れたのは藍音の方だった。
「あら、旦那様。まだいらっしゃったのですか?」
まあまあと口元に手を当てわざとらしく驚いた藍音に、ライオットは静かに「ああ」と頷く。次いで歩を進めると、藍音が着席する執務机の前に立つ。
「少し話がある。ジリー、君は席を外してくれ」
有無を言わせぬ口調に、ジリーは躊躇いながらも礼を執り部屋を出て行ってしまった。




