3
まるでショートケーキのような真っ白な建物の前には、紺色の襟詰め姿のドアマンが二人立っている。
藍音達がドアマンに目を向けると、彼らは爽やかな笑顔を浮かべ、奇麗な所作で腰を折った。
「ようこそお越しくださいました。どうぞお入りください」
姿勢を正した二人の手により、ヒルイン工房の扉が開く。中は高級ホテルのラウンジのような空間が広がっていた。
「いらっしゃいませ、レディ。今日は何をお探しでしょう」
かなり離れた場所からニコニコと近付いて来たのは、従業員と思わしき品の良いスーツを身に着けた黒髪青年だった。すぐにジリーが舌打ちする。
「……ジリー、あの人とお知り合い?」
「……はい。ですがお気になさらず」
「……でも気にはなる……というか、もしかしてジリー、この人がいるから緊張してたの?」
「……さようです」
「……なにか因縁でもおあり?」
「……はい」
「……できれば会いたくない系?」
「……はい、ですが」
「しっ、わかったわ。とりあえず顔を伏せて」
青年従業員がもう手を伸ばせば届く距離まで近付いて来たので、藍音は強引に俯いたジリーの肩を抱き身体を反転させる。
次いでドアマンに「さっさと開けろ」と命じて扉を開けさせたと同時に、ジリーを外に追い出した。
「後はわたくしに任せて」
ヒーロー張りのカッコイイ捨て台詞を吐いたと同時に、藍音は再び身体を反転した。すぐに青年と目が合うが、彼は営業用のスマイルを忘れキョトンとしていた。
「あはっ……えっと、こんにちは!」
誤魔化すようにキャピっと弾んだ声を上げれば、青年は爽やかな笑顔を取り戻す。二十代半ばだろうか。中肉中背でそこそこのイケメンだ。
「こんにちはレディ。ようこそお越しくださいました。本日は何をお探しで?」
今日の藍音のドレスは、ジリーのゴリ押しで選ばれたウール素材のブラウンピンク色のコートに中はモカ色のシックなドレス。
若奥様としては少々メルヘンチックな格好で、しかもコートには薔薇を象ったボタンと不必要にレースが付いているせいで、彼が未婚女性と間違えるのも無理はない。
しかし間違いは訂正しておかなければ。
「あら、わたくしレディではないですわ。もう人妻なの。ふふっ」
口元に手を当て微笑んだのは、薬指に光る指輪を見せつける為。どうでも良いけれど、この世界でも結婚指輪という概念があるのが驚きだ。
青年も意味は違うが同じように驚いている。
「それはそれは……大変失礼いたしました。わたくし、ここでご婦人方への宝石をご紹介させていただいておりますロッドと申します。差し支えなければお名前を伺っても?マダム」
笑みを湛えながらも探るような視線を向ける青年従業員に、藍音はゆっくりと唇を動かした。
「ええ、もちろんよ。わたくしアイネ・レブロンですわ」
以後お見知りおきを、と気取った仕草で膝を少し折れば、ロッドの深緑色の瞳がギラリと光った。
「――いやぁー、レブロン家の御当主は奥様があまりに美しい為に屋敷から一歩も外に出さないようにしているという噂がありましてね、同じ男として思うところはございましたが……実際に奥様を目にして、御当主様のお気持ちが痛いほどわかりました」
聞き込み調査じゃなければ、このあり得ない噂を鵜呑みにして媚びを売りまくるロッドに蹴りの一つでも入れたい。
しかし藍音は出されたお茶に目を向け、優雅にティーカップを持ち上げる。
「あら、そんな。ロッド卿はお上手なのね……ふふっ」
一口飲んで、どうとでも取れる笑みを浮かべればロッドは都合よく解釈してくれたようで、さっそく営業用の顔つきになった。
場所は変わってここはヒルイン工房の特別室。所謂、お得意様専用フロアで、高級ホテルのラウンジから、一代で財を築き上げた成金オヤジの居間に通された感じである。
――……居心地が悪いなぁ。
レブロン邸はもちろん大貴族の邸宅だ。しかし長い歴史と不動の財があるのでギラつき感は皆無。品の良さと、そこに住まう人々の居心地の良さに重きを置かれている。
アイネをさんざん虐げてきたあの屋敷を褒めるのは気に食わないけれど、やはり良いものは良いのだと藍音は一人結論を下した。
「ところで奥様、本日はヒューイ殿はご一緒ではないのでしょうか?」
つらつらと他の事を考えていたら、ロッドは不思議そうな顔で尋ねてくる。藍音は事前に考えていた答えを口にした。
「ええ。彼に任せるのにもちょっと飽きてしまって。ここは素敵な商品ばかりを扱うから、わたくしも一度自分で選んでみたいと思いまして」
「さようでございますか。さすがレブロン家の奥様。わが社の宝石は身に着ける方に直接選んでいただくのが一番でございます」
うんうんとロッドは、したり顔で頷く。
「ロッド卿にそう仰ってもらって、わたくしはとても嬉しいわ。ヒューイは少し過保護な面があって、ここに足を向けることに良い顔をしてくれないのよ」
「確かにこんなお奇麗な奥様が外出なさるとなると、仕えるものは気が気でないでしょう」
「まぁ、ロッド卿ったら本当にお上手ね」
「いえ。私は宝石を扱う人間です。嘘は吐きません」
「ふふっ、素敵な言葉ね」
なぁーにを言ってるんだ、この馬鹿。と藍音は心の中でロッドに悪態を吐く。
この男、あっさりヒューイの名を出したけれど、アイネの記憶ではアイネは一度もヒューイに使いを頼んだ事は無い。つまりヒューイがここで無断で宝石を購入していることが判明した。
とりあえず予想は当たった。無駄足にならなくて良かった藍音はホッとする。あとはしっかり証拠を固めるのみ。
「じゃあ、お茶もいただいたことだし、そろそろ見せていただこうかしら?」
「はい。では、少々お待ちを」
待ってましたと言わんばかりに、部屋を飛び出して行こうとするロッドを藍音は「待って」と呼び止める。
「実はね、わたくし物覚えがあまり良く無くて……似たようなものを選んでしまいそうだから、これまで注文したリストも一緒に持ってきていただけるかしら?」
「承知いたしました。奥様」
二つ返事で引き受けてくれたロッドは、今度こそ部屋を出て行った。