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 とはいえ聞き込み調査の前に、まずは腹ごしらえ。と思いつつ、藍音は本棚に目を向ける。


 そこには昇順に並べられた帳簿がズラリ。そのどれもに不正と思わしき項目に栞を挟んであるので、やり切った感が倍増だ。


「ありがとう、ジリー。あなたのお陰で、雪道を歩かなくて済みそうだわ」


 本棚から目を離した藍音は壁を背にして立っている相棒にキラキラした視線を送る。


「お力になれて、なによりでございます」


 小躍りしそうなほどご機嫌な藍音と違い、ジリーは至って平常だ。


 しかし、いつもなら女主人の前に立つ時は微動だにしない彼女は、今日に限って自分の後れ毛を気にしている。一本の乱れもないくせに。


 ひと月以上も共に過ごせば、ジリーのこの仕草が嬉しい時にするものだとわかっている藍音は更に笑みを深くする。


 でもこのまま、一仕事終えた充実感に身を任せているわけにはいかない。


「それじゃあジリー。チャチャッと聞き込みも終わらせたいから、ここで一緒に昼食を取って出掛けましょう」

「っ!?……え、私がお食事を共にしても、よろしいのでしょうか?」

「当たり前じゃない」


 ぎょっとするジリーに、藍音は反論は許さないぞと眼力を強くする。


 こんな時に女主人の権力を行使するのは気が引けるが、妙なところでジリーは一線を引くのだから仕方がない。


「ほらジリー、早く昼食にしましょう。もたもたしていたら暗くなっちゃうわ。ね?」


 くるりと瞳を向けて自主的にソファの前のテーブルを片付け始めれば、ジリーは恐縮しながらもすぐに厨房に足を向けてくれた。


 ――それからしばらくして。


 疲れた身体に優しく染みるような魚料理を美味しくいただいた藍音は、それじゃあ街に繰り出そうかとソファから立ち上がって、髪を一つに括っていたリボンを解く。


 心得たとばかりにジリーがいそいそとクローゼットを開けて、藍音の為に外出着を選び出す。


「あ、着替えはいいわ。上着だけちょうだい」


 手櫛で桜色の髪を整えていた藍音がそう言うと、ジリーは余ほど驚いたのか手に持っていたアイネの豪華なドレスを滑り落とした。


「し、失礼いたしました!ところで奥様、この恰好で外出されるのですか!?」

「あら駄目かしら?」

「駄目ではありませんが……その……えっと……」


 落ちたドレスを拾いながら、ジリーは藍音と己の手にあるドレスを交互に見つめる。


「恐れながら、まだ袖を通されていないドレスがクローゼットに溢れかえっておりますので、この機会に袖を通されてはいかがでしょうか」

「えー、でもこれって……」


 ライオットがアイネにと買い与えたもののはず。アイネ曰く、体裁を整える為に必要だっただけのもの。それらに意気揚々と袖を通すのには少々抵抗がある。


 しかし事情を知らないジリーは、嫌な顔をする程度では折れてはくれない。


「奥様、これから極秘に聞き込み調査に向かうのです。その際に目立つ格好はお控えになったほうが賢明です」

「だったらこんな派手なドレスじゃなくって、地味な方が良いと思うわ」

「いいえ。それは間違いでございます。レブロン家の若奥様らしい服装でなければ、あらぬ噂が立ちますし、それがご主人様の耳に入れば厄介なことになってしまうでしょう」

「……なるほど」


 身分相応な恰好こそが一番目立たない。


 ということを失念していた藍音は色んな気持ちを押し込めて、ジリーの言われるがままレブロン家の若奥様らしい服装に着替えて馬車に乗り込んだ。

 

 一般的な貴族の男女は、どこに行くにも馬車で移動するのが当たり前。当然、侯爵夫人のアイネも歩いて移動することはなかった。


 だから慣れない馬車の揺れで眩暈を起こしそうになっても、嫌々な態度を取る御者にも苛立つことはない。


 でも、締め付けの少ない部屋着で昼食を食べた後のコルセットは死ぬほど辛いことだけは、誰かに強く訴えたかった。




 馬車を降りてホッと一息ついたら、吐く息が白かった。もうすぐそこまで冬が近づいている。けれど王都の街は大変な賑わいを見せている。


「人が思ったより多いのね。ジリーはぐれない様に、わたくしをしっかり捕まえておいてくださいな」

「かしこまりました」


 ピタリと影のように張り付いてくれるジリーが心強くて、藍音は安心して辺りを見渡す。


 これまでずっとアイネの代わりに侯爵夫人を演じてきた手前、藍音として怒り狂うことはあっても楽しむことは皆無だった。大事な用事があるとはいえ、小説の世界で街ブラができるのが新鮮で、つい心が浮きたってしまう。


 ただ観光は後回しにして気を引き締めないといけない。今から向かう場所はハイクラスのお店で、一度目の生では足を踏み入れたことがない聖域だ。生粋の貴族令嬢アイネの記憶があるとはいえ、ちょっとだけ不安はある。


 しかし並んで歩くジリーはとても頼りがいがある侍女だ。


 きっと欲しい情報が手に入るだろう。そう思ってチラリとジリーを見つめたら彼女は信じられないくらい緊張した面持ちだった。先行き不安である。


「……奥様、こちらがヒルイン工房でございます」

「そう、教えてくれてありがとう。ところでジリー、何だか顔が強張っているように見えるわ……わたくしの勘違いだったら嬉しいけれど」

「申し訳ございません、奥様。勘違いではなく、とても緊張しております」

「まぁ、貴女も緊張とかするのね。驚いたわ」

「……一応、私も人ですから」


 ちょっと拗ねた顔になったジリーは、プイッと横を向く。20代前半のクールビューティがそんな仕草をすれば、ただただ可愛い。


 でもできることなら、もう少し後か先に見たかったなと思いつつ二人は店の前に立った。


 ヒルイン工房――ここは王都きっての高級宝石店。不思議なことにアイネの手元には一つもここの宝石は無いのに、毎月必ず帳簿に記載されている怪しい場所だったりする。

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