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 水を二杯飲んで正気を取り戻したジリーは「本気で離縁するのか」と問うてきた。


 嘘だろ?と言いたげなジリーにカチンときた藍音は、食い気味に「そうだ」と答えた。


 すぐさまジリーは悲壮な顔つきになって同じ質問をした。藍音は今回もまた真顔で同じ答えを返す。でも納得できないジリーは同じ質問をする。藍音も同じ答えを返す……と、果てしないやり取りが始まってしまった。


 一体、いつまでこのやり取りをしなければいけないのか。


 立ち話に疲れた藍音は、内心うんざりしながらジリーの隣に腰を落とす。座った途端に、今度は違う質問をされた。


「私がこのようなことを尋ねるのは大変失礼だと承知してますが、ご主人様にはお気持ちをお伝えになられたのでしょうか」

「ええ。ついさっき伝えたわ」

「それで……ご、ご、ご主人様のお返事は」

「好きにすればいいって」

「ひぃっ」


 実際には、これまで放棄してきた女主人の責務について全うしてもしなくても好きにすればいいと言われたが、大体は合っている。


 面倒臭さも加わり藍音が軽い嘘を吐けば、ジリーはこの世の終わりのような声を上げた後、押し黙った。


 それから数分後。さほど長くはない沈黙の後、ジリーは表情を改め藍音の手を取り、それを額に押し当てながら深々と頭を下げた。


「奥様のお気持ちはわかりました。慈悲を与えられたこのジリー、今日より気持ちを新たに誠心誠意、奥様にお仕えさせていただきます」

「ありがとう。貴女が味方になってくれてとても嬉しいわ」


 嬉しい返事をもらえて、藍音は自然に笑みがこぼれる。対してジリーは何故かここで泣き出した。


「……うっうう……っうう…………もうしわけ……ありません……」

「い、いえ……いいんだけど」


 なぜこのタイミングで泣くのだろう。それだけが謎だ。


 そんなことを考えながら藍音はそっとジリーから手を引き抜き、彼女が泣き止むのを待つ。


 このジリーの涙はアイネの為のもの。邪魔するわけにはいかない。


 とはいえ泣き顔を見られるのは恥ずかしいだろう。藍音は少し悩んで、壁時計に目を向ける。知らない記号のはずなのに、ちゃんと数字として認識できるのが不思議だ。


「――失礼……しました」


 長い方の時計の針が幾つか過ぎた頃、ジリーはずびっと鼻水をすすりながら顔を覆っていた両手を離した。


「ううん、いいの。気にしないで。あと、これ使って」


 手持ち無沙汰でチェストからハンカチを取りに行っていた藍音は、笑ってジリーに差し出す。短い礼の言葉が聞こえたと同時に、手にあったハンカチが消えた。 


「……ジリーも泣き虫なのねぇ」


 現世と黄泉の国の狭間でこちらが引くほど泣いていたアイネを思い出して、つい苦笑したら、すぐにこんな言葉が返って来た。


「いえ、奥様ほどではございません」


 確かに。


 空気を読まず正論を言えるジリーとは仲良しになれそうだと、藍音は思った。





 ライオットに宣戦布告をして、ちょっと迷子になったけれど心強い味方を得て、幸先の良いスタートを切ることができた。

 

 しかしここで問題が生じた。


 執事グロイが藍音に帳簿を渡すことを拒否したのだ。





「――恐れながら、旦那様より帳簿を渡すなと命を受けております故、どうかお引き取りを。奥様」

「ですから、わたくしはその旦那様から帳簿の管理の許可を得てるのです。四の五の言わないで、さっさとこちらに渡しなさい」

「申し訳ございません。主の命には逆らえません」


 もう。本気で怒るよ。


 さっきからずっとこの調子の白髪交じりの執事グロイに、そこにある椅子の一つでも蹴倒してやろうかと本気で思う。


 場所は変わってここは執事グロイの執務室。


 屋敷全般を取り仕切る彼は常に神出鬼没で、しかも一か所に留まらない。屋敷の地図すら把握していない藍音は、彼を探し出すだけで一苦労した。


 そうしてやっと彼を捕獲したと思ったら、これである。


 アイネの記憶ではジリーとグロイは親子のように仲が良かった。こんなことなら、目が腫れた彼女を労わって部屋に置いてくるんじゃなかったと激しく後悔してしまう。


 とはいえ、もう一度部屋に戻れば、再びグロイを捕獲するのに手間がかかる。時間が惜しい藍音は、本日二度目の伝家の宝刀を抜くことに決めた。


「ねぇ、グロイ。わたくしの名前をご存じ?」

「もちろんでございます」

「そう。なら言ってみて」

「?……お、奥様のお名前を……でございますか?」

「そうよ。早く仰って」

「奥様のお名前はアイネ・レブロン様でございます」

「あーらぁ良く覚えていたわね。偉い偉い。褒めてあげるわ」


 娘より年下の娘に褒められたグロイは、さすがに面白くない顔をする。言っておくが、こっちだって面白くはない。


「お名前をちゃんと覚えているお利口さんのグロイなら、わたくしが誰かわかりますわよね?あと、言いたいことも」

「もちろん存じ上げております」

「なら――」

「レブロン家の御当主はライオット様でございます。ですので、ライオット様がお認めにならない限り、このグロイ、奥様のお願いを聞き入れることはできませぬ」

「……そう」


 錆びた伝家の宝刀は、全く使い物にならなかった。


 悔しさに顔を歪める藍音に、グロイは「なにか?」と言わんばかりの態度だ。


 ロボット並みに融通が利かないグロイに青筋が立つけれど、一番怒りを覚えているのは嘘つきライオットに、だ。そうまでして妻を蔑ろにしたいのか。


 姑息すぎる彼に藍音は歯ぎしりしながら、この窮地を脱するために策をめぐらせた。

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