狩りのとき
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
人間の視界って、動物と比べるとだいぶ狭いんだな。
こいつが緑内障とかで、ますます機能が悪くなっていくと考えると、目を大切にしないとと思う。一番情報を受け取る器官らしいからな。
この点、動物は人間と比べて視界の広さ、狭さはまちまちのようだ。
肉食動物は人間より狭く、対する草食動物はほぼ360度を見渡すことができる。魚もだいぶ広い方だが、自分の真後ろはカバーができないみたいだな。
一説によると、獲物として追われる生活を送りがちな動物ほど、この視界が広くなっていくらしい。
つまりは脅威をいち早くキャッチしうる存在というわけで、俺たちは特に注意を払ってやらなくちゃいけないかもしれないのさ。
俺の昔の話だが、聞いてみないか?
学生時代のこと。
いつもよりわずか遅めに登校したところ、校庭に出ていた生徒がどんどん裏庭方向へ、吸い込まれるように走り去っていくのを見た。
ざわつく声がここまで聞こえてきていたし、何事かと俺も現場へ駆けつけてみる。
音の出どころは飼育小屋だ。人だかりの向こうでは、クラスの飼育員と先生の姿も見えたよ。どうもウサギを一羽、抱えているようだった。
先生に抱えられるウサギは、小屋で飼っていた黄土色の毛を持つ一羽。土の上でそうしているように、先生の手のひらの上でうずくまっているが、首元には場違いな赤黒い帯が走っている。
血? とその場に居合わせた、ほとんどの子が感じたと思う。
あとで飼育委員の子に聞いてみたところ、朝のエサやりの時点でああなっていた。すでにウサギは首を切られ、冷たくなっていたらしい。
前日の帰りの時間までは、確かに無事だった。飼育小屋には外と内の二重の戸が設けられて、いずれにも南京錠がかけられている。鍵は終日、先生が職員室に保管していたはずだ。
首の傷は、あまりにもきれいについていた。もしウサギが何かしらの事故で、首をどこかに引っかけ、傷つけるようなことがあれば、もっと汚いものになっていたはず。
誰かが手を下した。そう考えるのが自然な状態だったという。
しかし誰がやったのか。
残っていた先生方が一番あやしまれるだろうが、残っていた先生方は戻ってきた鍵に何も触れていないらしかった。
先生たちがいなくなり、戸締りも済ませた学校に犯人となる奴が入り込んで、犯行を成したかもしれない。
しかし、留守となればセキュリティが働くという、この校舎。へたに侵入すれば、それは警備会社の知るところとなるらしいが、それもなし。飼育小屋の鍵などにも壊されたような跡はなし。
そうして考えを巡らせる間にも、その日の授業は続いていたんだが、最後の理科を迎えたときのことだ。
一番手で理科室に入った俺は、そこで不可解な瞬間を目撃した。
校舎一階にある理科室には、窓際にいくつかの水槽が並べられている。その時期は、水槽のひとつにメダカが飼われていたんだ。
水槽は傾きかけた陽を受けて、いよいよ室内に影を伸ばしていこうというところ。その光の中で、一匹のメダカが不意に動きを止めたのを見たのは俺と、たまたまそちらを振り返った理科の先生だけだっただろう。
動きを止めたメダカ。その首元近くの水が、小さく濁った。
とたん、メダカはそのままひっくり返ったかと思うと、もはや自発的な動きを見せず。水の浮力に任せるまま、ぷかりと水面に姿をあらわしてみせた。
それを見るや、さっと理科の先生は黒板に「しばし自習」の文字を書き、職員室へ。その10分間ほども、子供たちにとってはありがたいリラックスタイムだったが、戻ってきた先生はあらためて授業がなくなる旨を告げてきた。
もろ手をあげて喜ぶ皆に囲まれながら、俺は一抹の不安を抱く。
どう見ても、あのメダカの奇妙な最期を確かめてから、先生は豹変した。事実、授業がなくなるばかりでなく、掃除などもすっとばして帰りのホームルームに入るらしい。
決定の早さが、異常すぎる。だとすれば、これは過去にも同じようなことが起きて、すでにマニュアルなどができているとみていいはずだ。
帰りのホームルームで、俺たちは校舎への一切の居残りを禁じられた。
それどころか、自宅へ帰るまでの間は、できるだけ明るい道を通って帰るようにとの注意さえされる。
まだ午後に入ってさほど時間が経っていないのに、まるで夜半に出歩く子供へ注意するかのような物言い。
この時点で俺以外にも違和感を覚えるやつは何人かいたが、極めつけがこれだ。
「もし、やむなく影の中を通るとき、ふと背中に気配を感じたなら振り向いてはいけない。
感じたときから歩みを緩めず、3を数えていったんかがめ。守らないなら、どうなっても責任は負わない」
脅しの怪談めいた言葉に、怖がりなものはたちまちおびえ切ってしまった。
集団下校が推奨されたこともあり、俺も近くの家に住んでいる子たちと一緒に、校舎を後にする。
明かりはまだついていないが、影の横たわる道を避けていく形になった。
7人ほどいた連れも、家まで数百メートルほどの交差点を過ぎると、もはや俺のほかにはもう一人。もはや影らしい影もなく、俺たちは県道沿いをだべりながら、てくてく歩いていた。
時期はもう夏を過ぎたとはいえ、今日は暑い日だ。
それが車道を通る軽トラックの影が、さっと歩道にいる俺たちを包んだ時、一緒に肌寒さが体中をなでていく。
影はあっという間に過ぎ、かすかな風を残すのみ。暖かさも戻り、顔を見合わせながら、俺たちはいぶかしがる。
「さっき、ものすごく寒かったよな?」と言わんばかりに。
だが、長く時間は置かれない。
大きなエンジン音と共に、次に通りかかったのは大型のタンクローリーだった。
その運転席が横切るや否や、先ほど感じた寒気がすぐ襲い掛かってきたんだ。
背中に立つのは、鳥肌。
寒さばかりじゃない。他人がそばに立つと感じる、毛がかすかに逆立つような感触が、服の下から感じられた。
「――感じたときから歩みを緩めず、3を数えていったんかがめ」
とっさに先生の言葉を思い出し、タンクローリーのタンクが過ぎ去っていく中、俺たちはできる限り先ほどのペースを保ったまま、頭の中で3カウントをする。
だが、俺とあいつではカウントの速さが違ったのかもしれない。
俺が3を数えるかどうかというところで、不意にあいつはかがむ。それもほんの一瞬で、すぐ身を起こして駆け出してしまったんだ。
一刻も早く、この場を離れたかったのかもしれない。だが、きっちり3を数えた俺がかがむとともに、前を走るあいつの首筋から、ぱしゃっと血が飛んだ。
タンクローリーが通り過ぎるとともに、あいつは地面へ倒れ込み、俺は急いで電話を借りて救急車を呼んだ。
一命はとりとめたものの、あいつ自身は痛みを感じなかったといった。ただ体中の力が抜けて、どんどん熱が抜けて冷たくなっていくわが身を感じていたという話だ。
先生たちは、あの時のことは言葉を濁し、語ってくれない。
ただごくまれに、暗い中から万物の首を狙う何者かが、あらわれるときがあるのだろう。




