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八月の終わりを迎えるまで

作者: 雪咲

 君たちはワイングラスだ、と講師は言った。

 大学生活ももうすぐ四年目、就職活動で同級生は誰もが忙しそうに飛び回っている時期が始まった。もちろん例に漏れず、僕も就職活動をしようと思っていた。……思っていたのだが、就職活動なんて何をやればいいのやらさっぱりわからなかったのである。

 漫画や小説ばかり読んでいた僕は現実に疎く、何も考えていなかった。その結果がこれなのだ。

 とりあえず大学で開かれる就活説明会なるものに参加してみたら、そこで話していた中年男性の言葉がずっと脳内を這い回っていた。

「君たちはワイングラスだ。注がれる仕事をどれだけ受け入れ、どれだけ綺麗な形で提供できるか。これを企業に売り込まなければならない」

 そんなもの、企業に都合のいい人間になれと言われているようなものだ。しかし、そうなれないならこの就職難の時代に就職など見込めないこともわかっていた。


 幼い頃、当時流行っていた戦隊ものの特撮を僕も見ていたのだが、僕は戦隊より怪人の方が好きだった。

 地球を破壊する人類を滅ぼすためにやってきた怪人を、ヒーロー達が倒した話があった。僕はその怪人を応援していたのだが、クラスでそれを話すと「普通じゃない」「お前も怪人の仲間か!」などと言われ、しばらくいじめられた。

 それから僕は、何をするにも普通を目指した。

 好きな食べ物はカレー(本当はゴーヤチャンプル)、好きな漫画のジャンルは流行りのファンタジー(本当はマイナーなバイオレンス系)、好きな映画は流行りの恋愛もの(本当はB級ホラー映画)、好きなバンドはかっこいいJ-POPのグループ(本当は生き死にを歌うアマチュアバンド)、好きなスポーツは……。

 他人に答えるときはとにかく「普通」を目指した。普通なんてものが何なのかってよくわかっていないけれど、普通の人のような答えを選んでいくようになったのだった。

 こんな人生を歩んできたから、僕は現実が嫌いで創作物に没頭する毎日だった。漫画や小説を読むことで現実を忘れることが大好きだった。読んでいる間はここと違う世界に入ることができ、僕も僕ではない何かになれることができる。

 僕は僕でありたくなかったのだ。


 綺麗にならなくちゃ。綺麗にならなくちゃ。綺麗にならなくちゃ。綺麗にならなくちゃ。綺麗にならなくちゃ。綺麗にならなくちゃ。綺麗にならなくちゃ。

 強迫観念のように反芻する言葉。それは脳梁を這う百足のようで、僕の精神をひどく怯えさせ、背筋を舐められるような気色悪さを感じさせていた。


 面接なんてバイトのものぐらいしか受けたことがなかった僕は、まともな面接の受け方を知らない。まずは正しい面接の受け方をネットで調べていくことからだった。

 昼ごはんのカップ麺を食べながら、パソコンの画面を眺める。ドアノックの回数、ドアの締め方、お辞儀の角度、椅子に座るタイミング、座り方……。

 あまりにも多すぎるマナーに辟易する。しかしやらなければならないことなので、覚えるしかないのだ。そしてこれはまだ基本中の基本であり、更に自分を売り込むことを考えていかなければならない。

 大学に入りたての、何も考えずに自由に生きていた時代に戻りたくなった。

 今まで僕は普通を目指していた。しかし、面接においては普通の受け答えをしたところで何も意味はない。何か人にはない部分を作らなければ。

 だが、もう十年以上も普通を目指し、実行してきたため、人と違うことをすることに恐怖を感じるようになっていた。僕にとって、違うことは恐怖の対象だ。

 中身を食べ終わって空になった容器を洗い、ゴミ袋に入れる。最近はカップ麺の容器ばかりが目立つ。体に悪いとは思いながらも、作るのが楽なのでつい選んでしまう。さまざまな種類のカップ麺を食べているため量も味もバラバラだが、それゆえ飽きることなく食べられる。

 当たり前のことだが、カップ麺に自我はない。しかし、もし仮に自我があったとしたら彼らは他の商品と違うことを好むのではないか。何か他とは異なる魅力があると、手に取ってもらえる。

 面接だって同じじゃないか。他の人とは異なる魅力をアピールすることで、自分を選んでもらうのだ。

 ――昔から、お前は選ばれたかったんだろう?

 違うことは怖くない。違うことは怖くない。

 自分に言い聞かせるように頭の中で繰り返す。

 人のワイングラスだって当然不揃いだ。だがそれが良いのだ。みんなが同じなら面接なんて必要ない。試験なんて必要ない。個である必要もない。

 僕は僕の根底に眠ってしまった「普通」を目覚めさせて、僕なりの魅力とやらを探して歩けばいいんだ。

 そう考えると、少し楽になった。顔を上げると、部屋の隅で埃にまみれた一匹の百足の死骸が目に入る。

「掃除、しなきゃな」

 立ち上がって掃除機を取りに行く。ミシミシとしなる床の音が今は心地いい。

 この先どうなるかなんてまだわからないけれど、たとえ暗闇の中でも、前を向いて進もう。

 だから――。


 やりたいことをひとつ、見つけたよ。


 ――行こう、御社。


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