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ざわめき工房の愉快な日常  作者: へるりん
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ニャンゴロークエスト

『ニャンゴロークエスト』

それは、ザワメキ・ツナギが初めて完成させたゲームのタイトルである。

バーテンダーとして平和に生きていた茶トラ猫のニャンゴローが、凶悪な犬魔王(大魔王、じゃなくて犬魔王。犬。)の陰謀に巻き込まれてこれを打ち砕く大冒険譚を題材としたRPGゲームなのだ。

プレイヤーはニャンゴローを操作し、縄張りを主張してくる他猫を避けながら街の探索を進めて魔王への足掛かりを探していく。

(乾いた)笑いあり(悔し)涙ありの、(ツナギの中で)大人気を博したレジェンドクソゲーなのである。


「そんなニャンゴロークエストなんだけどさー?そろそろ続編を作りたいなーって思うわけ」

「あそ」

「でも魔王まで倒しちゃってるし、今更どんな冒険させればいいのか分かんないんだよねぇ。……ニャンゴローはどう思う?」

「知るかっ!」

ツナギの言葉を鼻で吹き飛ばすと、ニャンゴローと呼ばれた茶トラ猫は自身への毛繕いを再開する。

彼の名はマサムネ。何故かツナギからはニャンゴローと呼ばれ続けており、前述のニャンゴロークエストの主人公ニャンゴローは、勿論彼をモデルとしたキャラクターなのだ。

「えー辛辣ぅ」

熱心に毛繕いを続ける相方を眺めながらツナギは口を尖らせる。

ザワメキ・ツナギ。発明家であった父の後を継ぎ、様々な便利アイテムを開発、販売して生計を立てている十八歳の女性であり、ニャンゴローことマサムネとは、彼が産まれたての子猫だった六年前から共に暮らしているパートナーだ。

人間と猫。普通であればツナギがマサムネを飼育している、という表現が当てはまるべき間柄なのだが、それに関してはこの二人の関係性は少しばかり変わっている。

「……それにしてもニャンゴロー、今日はえらい念入りに身だしなみ整えてるじゃん?……はっ」

一心不乱なマサムネを不思議そうに見ていたツナギであったが、ハッと何かに気付いて口元に手を当てた。

「まさか、集会?」

「そうだよ。久しぶりにやるの。アイラんところの子猫が大きくなったから、顔見せに来るんだよ。俺が行かないわけにはいかねーからな」

「はー、猫も大変ねぇ」

と、その時、時計の針が十一時を指し、鳩時計ならぬ猫時計の中から猫が飛び出し、ニャ~ンと十一回に渡って鳴き喚いた。

「ん、もうそんな時間か。しょーがないなぁ」

音で時間を理解したマサムネは毛繕いをやめて身を起こすと、ぶるるっと身震いして歩き出した。

「今日のお昼なになに?」

ワクワクした様子で表情を輝かせるツナギに「いつものだよ。時間ないから」と言い放つと、マサムネは台所へと移動し、自慢のジャンプでシンクの上へと飛び乗った。

そうしてそこに用意されていた【なんでもペタリ手袋】を器用に前足に装着すると、マサムネはボウルを用意してその中に卵をこれまた器用に割り入れた。

コンロに火を付け、その上でフライパンを熱すると、そこに切ったベーコンスライスを並べていく。

ジュージューといい音を立ててベーコンに焦げ目がついたらフライ返しを器用に回転させてベーコンを皿へと移し、空いたフライパンに先程割った卵を入れる。

しばらく焼いて卵の白身が固まった後、塩コショウを振ってもう少し底を焦がせば、半熟卵の目玉焼きの出来上がりである。

それを先程のベーコンと合わせれば、

「ほら、ベーコンエッグだぞ」

「ふわー、美味しそー」

マサムネが焼き上げたそれに醤油をちょいちょいと垂らすと、舌鼓を打つツナギ。

そう。先程の奇妙な関係というのはこれである。

この家では猫でありながら、マサムネが一切の家事を取り仕切っているのだ。

「でもホーント、器用にこなすよねぇ料理」

ベーコンエッグを堪能しながらしみじみと口にするツナギに、マサムネはフンッと鼻を鳴らした。

「なんとか馴れただけだっての。鍋も重くて動かないし、コンロも広くて火が付いてると近付くのもキツいし、毎回大変なんだからな!敬えよ!」

「ははー!ありがたき幸せ……」

今でこそそつなく料理をこなしているマサムネだが、当然彼にもやり初めの時期はある。その頃は体も更に小さく、火傷したり鍋に落ち込んだりと大変な目に遭って今の技術を会得するに至ったのである。

そんなやり取りを二人がしていた折、工房の呼び鈴が来客を告げた。

「おろ。珍しい、お客様だよ」

「客が珍しかったら商売としておしまいなんだけどな……」

「はいはーい」と玄関口で出迎えようとしたツナギであったが、外から聞こえてきた声にその足をピタリと止めていた。

「ごめんくださいまし!ツナギさん、いませんの?」

「げっ、シェリル……」

その声、その口調に思い当たる節があったらしく、小さく名前を呟いた後で、

「ニャンゴロー。私は今日はいないって言っておいて」

「なんでだよ!今忙しいって言ってるだろ」

「そこをなんとか~」

「ちょっと!聞こえてますわよ!」

愛猫に助けを求めるツナギの声は、どうやら外から丸聞こえだったらしい。

ややあって、来訪者は無事に出迎えられることとなった。

「まったく、失礼しちゃいますわね!」

腰まで伸ばされた鮮やかな金髪も特徴的ながら、特に目を引くのは左右の髪を巻いて仕上げられた縦ロールであろう。古代の貴族の間で流行ったものらしいが、現代では例え貴族であってもわざわざこのような髪形にはしないであろう代物である。

そんな金髪縦ロール、そして漫画のようなお嬢様口調で喋る彼女こそ、ツナギたちの暮らすキタート町の町長の娘、シェリル・キタートであった。

「え?わざわざうちに来る為に縦ロールセットしてきたの……?引くんだけど……」

「ちっ!違いますわよ!これは朝からこうしてますの!」

現在は正午であり、シェリルの発言に嘘はないのだろうが。

「ええ、誰に見せる訳でもないのに縦ロールを……?うわー……」

「いちいち引かないで頂けます!?」

机に強く手を付いた後、シェリルは気を取り直して姿勢を正す。

「そもそも、こんな言い合いをしにきた訳ではありません。緊急なんですのよ」

「緊急?」

そこまで聞かされてやっと応じるつもりになったらしい。ツナギは隙あらば逃げ出そうとしていた腰を落とした。

「ええ。わたくしのリリアンナちゃんが居なくなったんですの」

シェリルとツナギは、所謂幼馴染みという関係である。父親同士が親友であった、というよしみでの付き合いだったが、幼少期は何かと二人で遊ぶことも多かった。その時培った関係は大人になった今でも続いており、五年前にツナギの父が他界して以降、手続きやツナギが一人で暮らせるよう支援してくれているのはシェリルの父にして町長である、ピエール・キタートなのだ。

そんな縁もあり、ツナギにとってシェリルはかねてから続く友人なのである。


「リリアンナ……って、ああ、リリィ。あの白猫だよね?青い目でふわふわの毛並みの。ペ、ベ、ベンガル猫だっけ」

「ペルシャ猫。ベンガルは絶滅した虎ですわ」

「あ、そうそうペルシャペルシャ。それで、いつから居ないのさ」

「それが……」

シェリルの言うことには、リリアンナは朝にはまだ家にいたらしい。それが、洗面台で縦ロールをセットしている間に消えてしまったという。

「やっぱり縦ロールが悪いんじゃ」

「でも今まで自分から外に出たことなんてなかったんですのよ!?」

だが家中を探しても見付からず、換気の為に開けていた窓から外へと出てしまったのではないか、という話になり、捜索の為にツナギを頼った、ということらしい。


「あのねシェリル」

話を聞き終えた後で、ツナギは小さく鼻を鳴らすと口を開いた。

「大変な状況で焦る気持ちも分かるよ。でもさ、それは探偵とかその道のプロに頼む事柄じゃないの?私に頼られてもなぁー」

猫探しは専門じゃないよ。と苦言を呈するツナギに、シェリルは目をつり上げて憤慨した。

「誰が貴女に探してくれと頼みましたの!わたくしは翻訳機を借りに来たんですのよ!」

「え、あ、翻訳機?」

「そうですわよ。猫の言葉も分かるのでしょう?」

そう口にして目を横へと向けるシェリル。そこには二人のやり取りの間も我関せずと毛繕いを再開していたマサムネの姿がある。

「あーあー、そーゆーことぉ」

早とちりの末に文句を言っていたという事実が発覚し、気恥ずかしさから目を泳がせていたツナギであったが、

「オッケーオッケー、今は一刻を争う状況なんだもんね。いいよ使って」

と二つ返事で了承した。

「ありがとう。助かりますわ」

「さてさて、とーーーー」

シェリルの言う翻訳機とは、ツナギが持っている多言語翻訳機のことである。元は天才発明家と称されたツナギの父親が開発、作製に成功したものであり、人間以外の多種多様な動物とも会話が可能になるという夢のような発明品なのである。

その後、ツナギが複製を作り上げることに成功し、いざという時用の予備として仕舞われている筈なのだがーーーー

「あれ?ない?えっ?ーーあっ」

在るべき場所にそれがない。一瞬パニックになり掛けたツナギであったが、次の瞬間その理由を思い出して声を挙げていた。

「そうだ。あれ貸しちゃってたんだ!」

「ええ!?」

ツナギの言葉に驚くシェリル。

「ツナギさん、わたくし以外にご友人がいらっしゃったんですの!?」

「ああ!?喧嘩売ってんのかこら」

「だって、あれは命の次に大切なものと仰っていたではありませんの。それを貸したのでしたら、それなりの関係の方なのでしょう?」

「え?あ、そういう?……う~ん。どうなんだろ」

シェリルの口にした内容に、首を捻ってツナギは思案する。

彼女が翻訳機を貸した相手とは、つい先日知り合い、そして二日で別れた雄一のことである。確かにクソゲーをしてくれる貴重な人材ではあるのだが、それなりの相手かと言われると、まったくそんな事はない。何しろ嵐の様に出会い、嵐の様に去ってしまったのだから。翻訳機を貸したのも彼を見かねての事だし、ツナギとて翻訳機の事がなければ忘れていたくらいだ。今頃彼は、アールス老人の元で大変な毎日を送っているのだろうか。

「まあ、その話は長くなるからおいおいね」

「別にそこまで聞きたい訳ではありませんわよ。……それより、翻訳機、ないんですのね」

「私が使ってるやつはあるんだけど……、ごめん、これは生命線だから……」

マサムネとの会話が出来なくなることは、ツナギにとっては日常生活に支障をきたす大事なのだ。

「……分かりましたわ。無理を言ってごめんなさい。それじゃあ……」

無理だと分かった以上、一刻も早く捜索に向かいたいのだろう。急いで帰ろうとするシェリルに、待ったを掛けたのはツナギだった。

「ちょい待ち!」

「なんですの!?わたくしはリリアンナを早く捜しに行かないとーー」

「水臭いじゃん。そういうことなら、依頼として引き受けるよ。猫探し」

いい笑顔でサムズアップする友人の姿を見て、しかし眉根を寄せる。

「いえその、先程と言っていることが違うという点は差し置くとしましても、こういう場面では“友人として引き受ける”のではなくって?いえ別にお金が惜しいとかそういうことではないのですけれど」

「分かってないなぁ」

ちっちっ、と指を振ると口の端をつり上げるツナギ。

「私が無償でやるなんて言っても信用ならないでしょ。金銭絡んだらバッチリ仕事するからさ」

「……それ、言ってて悲しくなりませんの?ーーまあ、それなら御願いさせて頂こうかしら。リリアンナちゃんを見つけて頂いたら、わたくしが払える範囲で言い値でお支払いさせて頂きますわよ」

「任せなさいっ」

どーんと胸を叩くツナギの姿に、信用していいんだか悪いんだか、とシェリルは嘆息した。

「それじゃあ、御願い致しますわ」

そう口にして今度こそお暇しようとしたその背に、しかしまたもやツナギの声がぶつかってきた。

「ちょっと待って!」

「んもう!なんですのよ!?わたくし急いでいるんですけれど!?」

コトは愛猫リリアンナの命に関わる大事なのだ。これ以上油を売っている暇はないと怒るシェリルに、しかしツナギは涼しい顔でこう口にした。

「いや、写真。リリアンナちゃんの。ビラ刷らなきゃでしょ」

「え、あ、すみません……」


■■■■


シェリルが帰った後で、ツナギはマサムネへと目を向けた。

「という訳でニャンゴロー」

「断る」

しかし間髪入れず返ってきたのは拒絶の言葉。これにはツナギも面食らって目を丸くした。

「まだ何も言ってなくない!?」

「どうせ、同じ猫のよしみで協力しろ。とか言うんだろ。俺はやらないからな」

「ぐぬ…………」

マサムネの言葉は全くもってその通りではあったのだが、ツナギには解せなかった。

「なんでそんなに嫌なのさ?見付ければシェリルからがっぽり依頼料貰えるのに」

普段から資金難にあえぐざわめき工房にとってはまたとないチャンス到来なのである。

協力こそすれ、そこまで頑なに嫌がる理由が分からない、とツナギ。マサムネは小さく息を吐き出すと。

「リリアンナの奴が嫌いなんだよ」

と口にした。

「嫌い?前に虐められたとか?」

「いいや。俺はそんな弱かねーよ」

「じゃあ何さ?」

眉根を寄せるツナギの顔を眺めた後で、マサムネはフン、と鼻を鳴らす。

「あいつはお高く止まっているんだよ」

「お高く?」

「そうだよ。町で一番大きな町長の家の二階から、常にこちらを見下ろしていやがるんだ!」

「――――へ?そんだけ?」

もっと因縁があるものと思っていたツナギだけに、マサムネの回答は拍子抜けであった。

「それつまり、お金持ちの家の猫だから嫌いってこと?」

「そうじゃねえよ。猫の世界では金なんてどうでもいいんだ。猫の世界ではさ、一番高いところにいる奴が一番偉いんだよ。リリアンナは町のボスでもないくせに常に高いところにいるから、町の猫たちはみんなアイツが嫌いなんだ」

「へえぇ」

変な理由。と思うツナギであったが、人間の競争が猫に理解出来ないように、猫にとってはそれは看過出来ない問題なのであろう。

「まあいいか。分かった分かった。じゃあそれはこっちで何とかするから、集会いってらっしゃい」

「おう」

そんな短いやり取りの後、マサムネはいそいそと身支度を終えて出掛けて行った。

「どっこいしょ、と」

そして残されたツナギはパソコンに向かうと、ビラのデザイン作成に掛かるのであった。


■■■■


さて、場面は変わって。

さしたるトラブルもなく集会場にやってきたマサムネは、ぐるりと周囲を見渡した。

先に集まっている猫たちは六匹程。皆適度な距離を保って寝そべっている。

「ようニャンゴロー」

「ブチか。ニャンゴローじゃねえって言ってるだろ」

マサムネを見付けて遠巻きに声を掛けてきたのは、黒と白の斑模様をした猫、通称ブチであった。

通称というのは人間たちにそう呼ばれているのに倣って周囲の猫たちからもそう呼ばれている、ということであり、ここらの猫の名前なぞ、大半がそんなものなのである。

「そういえばお前、もう一つ名前があるんだっけか。でもまあ残念だったな。ここにいる誰も、お前の名前はニャンゴローとしか覚えてないよ」

「くそがッ」

これも全て、ニャンゴローニャンゴローとことあるごとに呼びまくるツナギのせいである。やはり気軽に呼ばせるべきではなかったのだ。

等とマサムネが憤慨していると、その背に声が掛けられた。

「ニャンゴロー」

「だぁからッッ!」

憤って振り返るマサムネであったが、声の主を認めると表情を和らげた。

「――――って、アイラか」

「随分と荒れてるみたいね?」

そう口にして自身の手の甲を舐めているのは、マサムネを集会へと誘った張本人であるメス猫、アイラであった。

黒、白、茶色の三色が綺麗に混ざった三毛猫であるアイラは、尻尾にじゃれついている三匹の子猫を順に咥えると、自身の前へと引き出した。

「おー。そいつらがお前の子か」

「そう。アカネ、サアヤ、エレン。ほらお前たち、ご挨拶なさい」

「ニャッ!」

アイラにそう促されても、知らない大人猫の前は恐いのだろう。びょっ!と跳び跳ねるように母親の背に隠れてしまった。

「こ、こら!」

「まあいいじゃねーか。アイラ、集会なんて適当に集まって何するでもなく駄弁る場所なんだから。その内慣れるよ」

自身が子猫だった時のことを思い出し、マサムネはシシシッと笑った。

さて、普段ならばこのままゴロゴロとして集会を終えるところなのだが、魔が差したのだろうか。マサムネは子供たちをあやすアイラへと声を掛けた。

「なあ、アイラ。今日なんだが、リリアンナを見なかったか?」

「リリアンナ?あの町長の所の?」

彼自身が、言ってしまったことを後悔して顔を歪ませるも、口をついてしまったものは仕方ない。言われたアイラは、キョトンとした顔でマサムネを眺めている。

「さぁ、見てないけど……。どうかしたの?」

「町長の家からいなくなったらしくてな。アイツのママが捜してたんだ」

「そうなんだ」

んー、と少々思案したアイラは、

「私じゃ力になれないけど、折角集会に来てるんだし誰か知ってるんじゃないかしら」

と口にした。確かに、とマサムネ。

(くそー、そんなつもりなかったのに。なんで俺がこんなことを……)

心で毒づきながらも、そこは律儀なマサムネである。情報を得るべく他の猫の元に行こうとして――。

「あら、そういえばニャンゴロー、その荷物はなんなの?」

と、アイラがその背に声を掛けてきた。

「荷物――ああ、こいつのことか」

一瞬固まるマサムネであったが、すぐに問われている内容を理解して口を開く。

「アイラは知らなかったんだな。俺はここ最近はいつもこいつを持ち歩いてるんだぜ」

マサムネは、その背に大きな風呂敷包みをくくり付けていた。

「この集会の後で行く所で使う予定なんだよ。ま、便利グッズって所かな」

「ふうん。そうなの」

便利グッズとやらには興味がないのだろう。子供たちとの遊びを再開したアイラを尻目に、マサムネは今度こそ聞き込みに向かうのだが。


「なあ、ちょっといいか」

「あ!?何近付いてんだテメェ!」

「あでっ」

にべもなくバシリと、猫パンチを浴びせられてしまった。

(ちょっと話し掛けただけで殴るとか、情緒不安定かよ!?ミルクが足んねーんじゃねぇの?……ん?話し掛けただけで殴られる?)

やるせない状況に頭の中で悪態をついていたマサムネだったが、その時彼はハッと気付いてしまった。

(……ニャンゴロークエストだこれ!?)

ツナギの作った恐るべきゲームの中で、哀れニャンゴローは話し掛けただけで他猫に殴られて死んでしまうのである。他にはネズミに噛まれたりカラスに襲われたり、びっくりする程に弱いのだ。その癖明らかに体格差のある犬魔王(犬の魔王)は倒したりするのだから訳が分からない。まあツナギの作ったクソゲーに訳を求めるのがナンセンスなのかもしれないが。

(にしても一回殴られただけで死ぬかっての!)

そんな嫌な気付きにもめげず、マサムネは他の猫にもリリアンナの情報を聞いて回っていた。大半は知らないか殴られるかだったのだが、

「リリアンナ?ああ、見たぜ」

ついに彼女の情報を知る猫が現れたのである。

「ってブチ。お前かい」

「なんだよ。俺が見てちゃおかしいってのか?」

「いやそんなことはないけど」

「まったく」

失敬だな。とぷんすこした後で、ブチは彼が知ることを話し始めた。

「ついさっきの話だぜ。ここに来る前、見慣れないメスが裏街近くをうろうろしるのを見たのさ。真っ白い毛の奴。ありゃあ間違いなくリリアンナだったぜ。俺はアイツのこと苦手だから声は掛けなかったけど、そういやアイツが外にいるのって珍しいよな」

「裏街だと?」

「裏街だって!?」

ブチとマサムネの二人の会話に、突如としてもう一匹の猫が紛れ込んできた。アメリカンショートヘアの若いオス、チビスケである。

「なんだチビスケ。さっきは知らないって言ってたくせに」

「リリアンナさんについては知らないよ。けど裏街は今危険なんだ。ほら、例のアイツがいるから」

「ああ、そういやそうだな」

チビスケの言葉に、ブチも納得して頷く。しかしマサムネだけは二匹が何の話をしているのかサッパリ分からなかった。

「おい、なんだアイツって」

「あ、ニャンゴローさんは知らないんですね。アイツってのは」

「マサムネ!」

「あわわ!ニャン、マサムネさんは知らないんですね。あ、アイツってのは近頃裏街を騒がせてる犬のことです。僕たちは犬魔王って呼んでますけど」

「か~~~!」

チビスケの言葉を受けてその場に突っ伏するマサムネ。「どうしたんですか?」とチビスケは慌てていたが、彼にはその理由は絶対に分からないだろう。何故って、

(犬魔王まで来たか~~~!)

なのである。

現実がニャンゴロークエストに侵食され始めたことを怯えるマサムネであったが、それはそれとして猫たちを脅かす犬魔王については気になるところだ。

「犬魔王ってどんな奴だよ?」

「はい。それはもう恐ろしい奴でして、毛の少ない大きな身体、犬にしては潰れた顔で、どんな相手にも襲い掛かる狂暴な奴なんです。噂じゃ人間すら奴には敵わずもう何人もやられてるとか」

「それが本当ならやべぇな」

流石に多少なりとも話は盛られているのだろうが、それにしても危険な存在であることは間違いないのだろう。ブチも頷いた。

「奴にかかりゃ俺たち猫なんて一飲みだぜ。おっかねえおっかねえ」

言って、自分の言葉に臆したのかブチはブルリと身を震わせた。

それについてはチビスケも同感らしく、

「近付かない方が身のためです」

と自身の身を縮めながらそう口にした。やれやれ、とマサムネ。

「何やら大変そうなことは分かったけど、俺は行くぞ」

「おいニャンゴロー、正気か!?」

「さっきの話聞いてました!?ヤバイんですって!」

「マサムネだっつうの。別にお前らに来いとは言わねーよ」

フンと鼻を鳴らした後で、マサムネはこう続ける。

「リリアンナを助けたら、アイツのママが何でも好きなものをくれるんだとさ」

「は?何でも?」

そんなマサムネの言葉に驚き、目を丸くするブチ。

「そ、それってまさか、柔らかいやつでもいいのか?」

「ああ、いくらでも食べ放題だ」

「!?」

ブチの言う柔らかいやつ、とは、人間がたまに与えてくれる、魚の煮付けをほぐした食べ物のことである。それを好きなだけ食べる想像をしたのか、ブチは恍惚とした表情を浮かべると、涎を垂らして喉を鳴らした。

「ああ、そりゃたまらんなぁ……」

「僕は断然チュールですね!あの匂いを想像するだけで、もうたまりません~」

そんなブチにチビスケも続き、二匹はゴロゴロと喉を鳴らしていた。マサムネはやれやれと嘆息する。

「なんだお前ら。で、なに。来んの?」

その言葉で現実に引き戻されたのだろう。真顔になった後、二匹はうんうんと葛藤する。そして、

「すまん。どんな魅力的な食いもんがあったとしても、犬魔王だけは駄目だ。アイツは恐すぎる」

「命あっての物種ですからね……。すみませんマサムネさん」

「いや、それが普通だろ」

生物としての最優先は、己の命の安全を守り、子孫を繋ぐことだ。間違っても勝ち目のない犬魔王に挑むことではない。そういった点で、正しいのはチビスケとブチの二匹の方なのだ。

マサムネとてただの猫だったなら、決して犬魔王のいる場所に近付こうなどという命知らずな行動は取らなかっただろう。

「じゃあチビ、ブチも、後でな。終わったら戻ってくるからよ」

それだけ口にすると、マサムネは二匹に背を向けて走り出した。

「あ、おいニャンゴロー!」

「ニャンゴローさん!」

(マサムネだっちゅうの!……しかし、我ながら損な性分だよ。まったく)

走りながら、マサムネはそんなことを考える。

このままリリアンナを放っておけば、恐らく彼女は助からないだろう。そうなれば、シェリルはずっと後悔し続けるだろうし、依頼を引き受けたツナギも気に病むだろう。そんなアイツを見るのは御免だ。ならば保護者として、自分が一肌脱がねばなるまい。

「しょうがねーなぁ、まったく」

そうしてマサムネは、裏街を目指して走るのだった。


裏街は、田舎町と言われるキタート町においても特に異質なスポットである。住宅街を抜けてしばらく進むと、築三十年以上は経過していそうな古い建物がまばらに点在する寂れた景色が広がってくるのだが、それこそが裏街である。ここでは外を歩く人間もずっと少なく、人間以外の生き物にとっては住みやすい環境であるとも言えるだろう。犬魔王とやらが幅を利かせているのも、そういった事情がある筈だ。

そんな裏街に、マサムネは到着した。

「……いやがるな」

裏街といっても規模は広く、リリアンナの捜索は難航するかもしれない。そう考えていたマサムネであったが、どうやらそれは杞憂だったらしい

裏街に近付くに連れ、犬の吠え声がハッキリと聴こえるようになってきた。それが犬魔王とやらのものかは分からないが、犬がいるというのは間違いないと見ていいのだろう。

(あっちか)

声の方向へと走るマサムネ。そうして彼が辿り着いたのは、手入れも届かずに荒れ果てた路地裏であった。果たしてそこには、

(おいおいおい、三匹いやがるじゃねーか!)

路地の行き止まりに向かって吠え立てる犬たちは、姿や大きさの違う三匹であった。一匹は、マサムネより一回りは大きいだろうか。猫のようにピンとした耳をした、茶色い犬であった。

そしてその犬と対になって吠え立てているのが、垂れたふわふわな耳をした、手足の短い茶色い犬。

そしてそんな二匹の後方に控えて猛々しい声を上げているのが、恐らく犬魔王と呼ばれる犬であろう。潰れた顔で、マサムネの三倍以上の体躯をした黒い犬であった。

そんな三匹が視線を送る先に、塀の上で動けずにいる白い猫の姿があった。間違いない。リリアンナ本人だ。

「あっちいって!」

シャー!と犬たちを威嚇するリリアンナであったが、興奮した三匹には効果がないようだ。

塀の奥に逃げないのかとも思ったが、どうやら塀は壁に隣接するように作られており、猫が入れるスペースもないらしい。そして塀の両端はそれぞれ行き止まりとなっており、一度降りなければ何処かへ移動することは出来ない。犬たちに追い立てられて咄嗟に塀の上に逃げ込んだリリアンナだったが、袋小路に追い込まれてしまった、ということなのだろう。あるいはそれが犬たちの狩りの作戦なのかもしれないが。

ゥルルルルル……

ウォンウォン!

二匹の犬が唸ったり吠え立てている中、後方の犬魔王が動いた。

バウッ

と強く吠えたかと思いきや、勢いよく塀に突進してその勢いのまま塀の上に前足を掛けて身を乗り出したのである。

頭を突っ込みリリアンナに噛み付かんとする犬魔王であったが、

「しにゃッッ!」

リリアンナの猫パンチに鼻っ柱を叩かれてずるずると後退することとなった。

ヴォン!ヴォン!

一旦地に降り立った後も、リリアンナを狙って吠える犬魔王。一方のリリアンナは、撃退したとは言え、一歩間違えば命を取られるような状況に晒され続けている為か、かなり疲弊した様子であった。

このままの状況が続けば、遅かれ早かれ彼女は犬たちの餌食になるだろう。最早時間はない。

(ったく、しょうがねーなぁ)

犬たちはマサムネには未だ気付いてはいない。その隙にと背中の袋を漁っていくつかの道具を取り出すマサムネ。

彼が手にしたのは、

【なんでもペタリ手袋】

【どこでもチャッカーマン】

【ヘアスプレー】

の三点であった。ごそごそと準備を終えた後、そしてついにマサムネは犬たちの後方へと飛び出した。

「おら!犬ども!こっち見な!」

どこでもチャッカーマンとは、ディスカウントショップなどで売られている、スイッチを押せばトーチの先端に火が起こせるという便利アイテムである。そしてヘアスプレーは、ツナギが自身の髪染めに使用しているものを拝借してきたものだ。

ごそごそと準備を終えた後、そしてついにマサムネは犬たちの後方へと飛び出した。

「おら!犬ども!こっち見な!」

「!?」

声に振り返った犬たちは大層驚いた。高いところに逃げた獲物を根気よく追い詰めようとしていたら、背後に別の獲物がノコノコと現れたのだから。

グゥルルルルル……!

マサムネをリリアンナよりも与し易い相手と判断したのだろう。三匹の犬はそれぞれ低く唸り声を上げると、標的をマサムネへと変えてじりじりとにじり寄って来た。

「……よーし、いいぞ」

通常ならばパニックになってもおかしくない状況の中で、しかしマサムネは努めて冷静だった。それは勿論、彼には勝のアイデアがあるからだ。

「掛かったなワンコロども。こいつを受けてみろ!」

右手に【どこでもチャッカーマン】、左手に【ヘアスプレー】を持つマサムネ。猫の手でこんな器用なことが出来るのも、その手にはめた【なんでもペタリ手袋】のお陰である。

そうして言うが早いか、マサムネはどこでもチャッカーマンのスイッチを押す。

トーチの先端に小さな火が灯されると、彼はそこに勢いよくヘアスプレーを噴き付けた。

それによって何が起きるのか。一番驚いたのは犬たちであろう。マサムネの手から、大きな炎が噴き上がったのである。それは正に、火炎放射と呼ぶべきものであった。

ギャイン!?

ヘインヘインヘイン!

突然炎を浴びせられて平気な相手などいない。それは犬たちも同様であり、矢も盾も堪らず、彼らは一目散に逃げ出していた。

真っ先に犬魔王が逃げ出し、次いで部下たちが走り去る。

「どんなもんだ」

思い知ったか!と勝ち誇るマサムネであったが、そこに油断と慢心があったのかもしれない。次の瞬間横から強い衝撃を受けて、マサムネは弾き飛ばされたのだ。

「ぎニャッッ!?」

何か大きな塊がぶつかってきたのだろうか?勢いに圧されてゴロゴロとマサムネは転がった。

ツナギが見ていたら、これがホントのニャンゴロー!と言ったかどうかはさて置き、いてて、と身を震わせるマサムネ。一体何が──、と彼が顔を上げると、その目の前には鼻の潰れた犬の顔があった。

「アッオゥ……」

犬魔王。血走った眼、剥き出しの牙。歯茎から涎を撒き散らすその姿は、聞きしに勝る凶悪さであった。

しかし、ただ恐い顔というだけじゃない。火に怯えて逃げ出したと見せ掛け、マサムネの死角に回り込んで体当たりを仕掛けたのだ。流石犬たちのボスというだけはある。

等と、冷静な分析をしている暇は実のところ今のマサムネにはなかった。何故って彼には、一秒後の命すら保証されていないのだから。

(やば────)

ツナギが以前、ホウセキグマに襲われた際に走馬灯を見たと話していた。曰く、命の危機に瀕した時に過去の思い出から打開策を見付け出そうとする人間の機能だとか何とか。いずれにせよ猫には何ら関係のない話だ。

故にマサムネは走馬灯を見ない。犬魔王が迫り絶体絶命の危機に陥った時、彼が見たものは────。

「フシャアァァァァァ!!」

犬魔王に飛び掛かる二匹の猫の姿であった。

「うるあッッ!」

一匹が犬魔王の鼻っ柱にパンチを叩き込むと、もう一匹がその背に飛び乗って首に噛み付く。これにはたまらず、振り落とさんとその場で暴れ回る犬魔王。その時になってようやく我に返り、マサムネは声を上げた。

「チビ!ブチ!どうしてここに!?」

「へへ!やっぱり柔らかいやつがどうしても食べたくてよう」

「あわわわわ!ニャンゴローさん!今のうちに早く!もうもちません~!」

振り落とされそうになって必死に犬魔王にしがみつくチビスケと、足元を駆け抜けて尻尾に噛み付くブチ。

二匹の登場により、犬魔王の注意は完全にマサムネから外れていた。確かに今こそが千載一遇の好機と言っても過言ではないだろう。

「恩に着るぜ~!お前ら!」

そう口にするが早いか、マサムネは急いでチャッカーマンとヘアスプレー缶を拾うと、犬魔王へと構え直した。

「今度こそ終わりだ。犬魔王!」

そして次の瞬間、再度放たれた炎が犬魔王を襲うこととなる。

「ギャイン!」

「えっ、ちょ、やめ……ぅあっつ!!」

同時にブチも焼かれてしまったようだが、兎にも角にもこの二度目の不意打ちには犬魔王も耐えられなかったらしい。

「ヘヒッ!ヘインヘイィン!」

尻の毛を焼かれた犬魔王は、情けない鳴き声を上げながら脱兎の如くその場を離れていった。猫たちの大勝利である。

「ニャンゴロー、お前……」

犬魔王よろしく尻を燃やされたブチが怒り心頭と言った様子でマサムネへと詰め寄る。悪い悪い。とマサムネ。

「良かったな。ブチ、柔らかいやつ食べ放題だぞ」

「そ、そうか!ああ、柔らかいやつ……」

マサムネの言葉を受けて、途端にブチは表情を輝かせた。そこに、「ニャンゴローさーん!」とチビスケも合流する。

「さてと」と塀の上へと目を向けるマサムネ。

「リリアンナ、もういいぞ。降りて来いよ」

「マサムネさん……」

周囲を確認して、本当に犬たちが姿を消したことを理解すると、リリアンナは恐る恐る塀の上から飛び降りた。

「きゃあっ」

着地タイミングで転びそうになるリリアンナに、マサムネは嘆息する。塀から地上まではおよそ二メートル。猫には朝飯前の高さなのだが、彼女が普段どれだけ動かずに生活しているかが分かるというものだ。

よろよろと体勢を立て直したリリアンナは、三匹の前へとやって来ると身を低くした。

「マサムネさん、みなさんも、本当にありがとうございました。私、もう駄目かと……」

余程恐ろしかったのだろう。その声は脅威が去った今尚震えている。

「私なんかの為に、皆さんを危険に巻き込んでしまって……」

そう口にして項垂れるリリアンナ。ブチはイメージと違う彼女の態度に面食らいつつ、いやいや、と鼻を鳴らした。

「へっへっ、気にするこたぁねえよう。柔らかいやつの為ならこのくらい……」

「柔らかいやつ?」

「んもうブチさんはこれだから。大丈夫ですよリリアンナさん。あの犬は犬魔王と呼ばれる、ここいらの猫たちにとってはとても迷惑な奴だったんです。今回のことで追い払えて、寧ろ喜ばしいくらいなんですよ」

口下手なブチの言葉をフォローする形で、チビスケがそう続けた。

「本当に、ありがとうございました」

「なあ、リリアンナ」

何度もそう口にするリリアンナに、最後に声を掛けたのはマサムネである。

「そもそもお前、どうしてこんなところにいるんだよ。お前んとこのママが探してたぞ?」

「……それは……」

思い詰めたように俯いた後で、リリアンナは静かに語り始めた。

「今朝のことですけど、ママがいつものように毛繕いをしていまして……。ママは毛が長いから毛繕いに時間が掛かるんです」

「……それで?」

縦ロールの事だろうな。と思いつつ、マサムネはリリアンナに先を促した。

「ええ。その間はいつも、私は寝ているのですけれど、今日は何やら冷たい風に吹かれて起きたのです。家の中で風などない筈なのに、気になって顔を上げてみると、どうやら今朝は窓が開いていたみたいなんです」

「それで脱走を?」

「いえ……、私、何の気なしにベランダに出てみまして、そうしたら見付けてしまったのです。ママが外に出る際に着けている、長くてヒラヒラしたアレ(リボン)を!──私、もう夢中で遊んでしまって、そうしたらはずみでヒラヒラが風に飛ばされてしまったのです……」

「……それは仕方ないな。ヒラヒラは手を出さずにゃいられねーもんよ」

話を聞きながら、うんうんと頷くブチ。リリアンナは更に続けていく。

「ママの大切なものを無くしてしまったら大変!そう思って慌てて掴もうとして、気付いた時には私自身が空に飛び出していたんです……。なんとか着地は出来ましたけど、どうやって家に戻れば良いのか分からず、周囲をうろうろとしていたら、突然大きな鳴き声の大きな塊に追い掛けられて……」

車だろうな、と思うマサムネ。人間たちが乗り回す機械であり、慣れた野良猫たちでさえ、油断すれば命を落とす脅威なのだ。初めてそれを目の当たりにしたリリアンナの驚愕は相当のものだったろう。

「怖くて逃げていたら、帰り道が分からなくなってしまって……、でも他の猫は何処にも見当たらないし、それであちこち歩いていたら、犬に吠えられて……」

「そんで犬魔王に追い掛けられて、ここに来た、と。まあ、大変だったな」

「今日は集会の日だったので、猫たちはみんな中央公園に集まっているんですよ」

ふんふんと鼻を鳴らしながら、チビスケが解説すると、そうだったんですか。とリリアンナは嘆息した。

「皆さんはどうしてここに?」

「ああ、そりゃ俺が君のことを見掛けてだな──」

「どうでもいいだろ。それより、これで外の世界ってやつを味わったわけだ。リリアンナ、どうだった?」

ブチの言葉を遮る形で、マサムネがリリアンナへと詰め寄った。元より気に食わない相手だということもあって、その言葉はトゲのある辛辣なものであった。

「はい。十分に思い知らされました。外の世界は恐いだけ。私のいるべきところじゃないんです。もう、二度と外には──」

「あ゛?」

リリアンナの回答は、マサムネの期待した通りのものだった筈だ。嫌いな相手が家に引きこもると言っているんだから、願ったり叶ったりの筈なのに、マサムネは彼女の言葉に無性に怒りを覚えていた。

……なんだ?なんで俺は怒ってんだ?

一瞬そんな疑問が浮かぶも、それは次いで出た自身の言葉で霧散することとなる。

「外が恐いだけだ……?――――お前、やっぱり何も分かってねえよ」

マサムネ自身、自らの感情の変化に驚いているが、どうやら外の世界に楽しい事が何もないかのような発言が癇に障ったらしい。

「え?あ、あの……?」

突然の激昂に、訳が分からないといった様子のリリアンナ。そんな彼女に面と向かうと、マサムネはこう口にした。

「リリアンナ。一緒に来い。行くぞお前ら」

「え?い、行くって、どちらに?」

「決まってるだろ」

不安そうなリリアンナに対してふん、と鼻を鳴らすと、マサムネは次の目的地を口にする。

「集会だよ」


■■■■


彼らの登場に、集会場がどよめいたのは当然のことであろう。

出ていったマサムネたちの帰還、ということもあるが、特に皆をざわつかせたのは初めてのゲストとなる、リリアンナの存在であった。

「……リリアンナだ」

「リリアンナ……」

瞳孔を開いてざわざわと呟く猫たちの様子に、俯くリリアンナ。自身が歓迎されていない空気を感じ取ったのだろう。

事実、猫たちは彼女に対して良い印象は抱いていなかった。マサムネと同様に、常に皆を見下ろす立場であるリリアンナを嫌ってさえいたのである。

「……あの……、やっぱり私──」

帰ります。そう彼女が口にしようとしたその時、言葉を挟んだのはマサムネであった。

「聞け!お前ら!ここにいるリリアンナは今しがた、裏街で犬魔王に襲われた!」

裏街。犬魔王。そんな単語がマサムネの口から発せられ、猫たちの間により一層のどよめきが起きる。マサムネは知らなかったのだが、犬魔王の存在は今この地域を生きる猫にとっては一番頭を悩ませている問題だったのだ。

「犬魔王がまた……」

「犬魔王恐い……」

「だが聞け!」

ざわめきが収まる気配がないことを察して、マサムネが再度声を張り上げる。そちらを注目する猫たち。

「相手は犬魔王とその手下の犬二匹。三匹に追い詰められ、絶体絶命、今正に食われんとするその時、リリアンナは犬魔王の鼻っ柱にパンチを叩き込んだ!」

話の流れが変わったことに驚き、互いに顔を見合わせる猫たち。そういえば犬魔王に襲われたらしいリリアンナが生きてるぞ?と疑問に思い出した彼らに、マサムネは畳み掛ける。

「まさか猫にやられるなんて思ってもいなかったんだろう。怯んだ犬魔王はその後俺とチビとブチの三匹による攻撃を受けて、クソなっさけない声を上げて逃げて行った!暫くはここには寄り付かないだろうさ!」

その言葉を受けて、猫たちの間でワッと歓声が上がった。

「やったぜ万歳!」

「犬魔王めざまあみろ!」

「すげぇ~!」

それがどれ程の喜び様か、今更説明するまでもないだろう。ソーシャルディスタンスを保っていた彼らが、今や一所に集まって喜びを称え合っている程である。

「ま、マサムネさん!なんであんなことを……」

「なんでって、別に嘘は言ってないだろ?」

困惑するリリアンナに、しかしマサムネは涼しい顔で切り返す。

「お前のパンチ、中々のもんだったぜ?」

「~~~~~!」

気恥ずかしさのあまり、威嚇にも似た表情を浮かべるリリアンナであったが、マサムネはどこ吹く風である。

「ちょっとマサムネさん──」

「リリアンナ!すげーじゃねーか!」

ついにリリアンナが直接文句を言おうとした時、二人の間に違う猫が割り込んできた。

「え、ええ?」

「あの犬魔王に一撃くれるなんて、出来ることじゃねーよ!俺なんて遠くから見ただけでブルっちまって、一歩も動けなかったもんよ~」

そう口にしてリリアンナを囃し立てているのは、黒猫のオイラであった。

「あ、ありがとうございます。ですけどあれは……」

「なあなあ!犬魔王はどうだった?」

自身の手柄ではないと伝えようとするリリアンナであったが、そこに次の猫が声を掛けてきた。オイラだけじゃない。見れば、集会中の猫たちが彼女の周りに集まっていたのである。

「え、あ、ええと、やっぱり恐ろしかったですよ。犬魔王と呼ばれるだけあって、顔は地獄の様に恐ろしく、他の犬より断然賢くて……」

「ひえぇ」

「いや、すげえんだなリリアンナ。俺お前のこと誤解してたぜ」

「ありがとうございます。私も、皆さんと知り合えて良かったです」

ひっきりなしに話し掛けられて忙しそうなリリアンナであったが、その顔は何処か楽し気であった。

それを横目で眺めて、ふ、と微笑むマサムネ。そして彼は集まった猫たちをぐるりと見渡すと、声を張り上げた。

「よし、じゃあアレやるぞ!誰か魚持ってきたか!?」

「よ!待ってました!」

「突然いなくなるから今日はないのかと焦ったぜ」

マサムネのその言葉は、この場の猫たちが待ち望んでいたものだったらしい。彼の声を受けて、再びわっと歓声が上がった。

「で、どうなんだ。なきゃ話になんねーぞ!?」

「勿論、持ってきたよぅ」

そう口にしたのは、魚屋を根城にしている野良猫、マルである。愛想を振り撒くことが上手いため、魚屋にも気に入られ、日々雑魚等を分けてもらっていたりする。今日も、集会に行くからと魚屋に立ち寄って魚を貰って来たらしい。

「んしょ、んしょ」

木の影から、ずるずると白いビニール袋を引きずってくるマル。中には、中々の大きさをしたニジマスが三匹程

詰められていた。

「おお、こりゃ大物だな。でもなんでびしょびしょなんだ?」

「元々は氷に包まれてたんだけど、氷は溶けて、袋をの下から漏れて流れ落ちちゃった」

「成る程。まあいいか。準備始めるぞ!」

「おー!」

マサムネの声に、猫たちも応じて走り出した。一部の猫は小枝や枯れ草を集めて一ヵ所にまとめ、別の猫がその草を細かく砕いていく。

マサムネは、荷物の中から割り箸を二本取り出すと、ニジマスの口の中へ両側のエラを通すようにそれぞれ突っ込んだ。

「一匹は魚を押さえろ。オイラはいつものやつ、頼むぜ」

「よしきた」

マサムネの指示で、オイラは箸を二本まとめて咥えると、ぐるぐると捻るように頭を動かした。他の猫より力持ちなオイラならではの技である。

「穴の準備は!?」

「もう出来てますよー!」

自身が掘ったのであろう穴の前で、満足気に髭を揺らすチビスケ。

「よし、オイラ、頼むぜ」

「ふらぁ!」

そして割り箸を咥えたまま、力尽くでオイラはそれを引き抜いた。すると割り箸に巻き込まれ、ずるずると魚の内蔵が引きずり出される。

「よいしょ、と」

それをオイラが穴の上に運ぶと、チビスケが手や口を使って器用に穴の中へと落としていく。

「勿体ねーな……」

余程腹を空かしているのだろう。それを眺めて涎を垂らすブチであったが、マサムネがたしなめた。

「悪いことは言わねえからやめとけ。クソにげーから」

「そうかぁ」

「よし、次の魚いくぞ~!」

ワイワイと盛り上がっている猫たちの様子を眺めて、首を傾げているのはリリアンナであった。

「いったい、何を……?」

「あんたは、初めてみたいだからね」

「!」

急に声を掛けられて驚くリリアンナ。振り返ると、そこにいたのはアイラであった。

「これが、うちらの集会の醍醐味なのさ。みんなこの為に集まってると言っても過言じゃないね」

「これは、何をなさってるんです?」

「ん?ふふ」

魚を前にワイワイと盛り上がる様が、リリアンナには不思議だったのだろう。子猫たちをあやしながら、アイラは鼻を鳴らすと口を開く。

「これは、“料理”をしてるのさ。マサムネが始めたことだけどね。今じゃ誰もが楽しみにしてる。まあ、今はじっくりと眺めてるんだね」

「…………は、はぁ」

アイラの言葉に曖昧な返事をして、リリアンナはその光景を眺めていた。

アイラとリリアンナがそんな話をしている折、マサムネは荷袋の中から白い粉の入った小瓶を取り出すと、魚に向けてパッパッと振り始めた。

「おいニャンゴロー、そりゃなんだ?」

得体の知れない粉を訝しむブチに、「まあ見てろ」とマサムネ。

「こいつで魚が更に美味くなるって寸法よ」

「へえ?そんな粉でねえ?」

そうして魚の両面に粉を振り掛けた頃、枯れ葉の準備をしていた猫たち──チビスケから報告が入った。

「カマド班、準備出来ましたよ!」

「よし、いいタイミングだ」

呼ばれてマサムネが出向くと、枯れ草や小枝を集めた上に、少し大きめの枝が傘状にぐるりと並べられていた。これは、以前マサムネが彼らに教えたものである。こうすれば火が長持ちすることを、猫ながらにマサムネは熟知していたのだ。

「下がってろよ?」

他の猫を制すると、マサムネは【どこでもチャッカーマン】を手に取り、薪に火を着けていく。最初は枯れ草、そして小枝へと燃え移った火は、時間を掛けて大きな火へと成長していた。

「おおー!」

オレンジに揺らめく炎を前に、猫たちから歓声が上がる。火を称える野良猫とは随分と奇妙な光景ではあるのだが、火は美味しいものの前触れ、と学習した猫たちにとってはそれは最早畏怖の対象ではないのだろう。

「こっちも準備出来たぜ~」

と、魚の側にいたブチから声が掛かる。見ると、六匹いる魚全ての口に長い木の枝が押し込まれていた。

「よし、慎重に頼む」

「あいよ」

マサムネの言葉を受けて猫たちは魚の元へ集うと、ゆっくりそれを運び始める。魚一匹に対して猫二匹で、尻尾を咥える者と口から突き出た枝を咥える者とで分担しながら、マサムネの元へと魚を運んでいく。

「美味そうだなぁ……」

「馬鹿、まだかじるなよ?」

焼くことで食感が良くなることを経験している猫たちだけに、食欲に負けることなくそれを無事に運び仰せたようだ。マサムネは「ふふん」と鼻を鳴らすと、魚ごと木の枝を焚き火の周囲へと突き刺していく。

パチパチと火の粉を上げる炎に炙られ、魚の皮が黄色味掛かり、そして黒ずんでいく。

「……………………」

その光景を、固唾をのんで見守る猫たち。様子を見ながら何度か魚をひっくり返していたマサムネであったが、ややあって、

「よし、もういいな。出来たぞ!」

と口にした。

『うお~!』

猫たちの間に、本日何度目かという歓声が起きる。それから時間を掛けて一匹ずつ魚が火の側から離されていく。

「土や砂は付けるなよ!不味くなるからな!」

とのマサムネの言葉通り、魚は綺麗に掃除された石畳の上へと並べられた。

口から枝を抜き取られ、いよいよ猫たちのディナーが完成したのである。

「よし、食っていいぞ!」


マサムネの鶴の一声に、ソワソワしていた猫たちが一斉に魚へと飛び付いた。

「ぎゃあうめえ!」

「うめうめ、うめうめ」

「何これ最高なんだが!?」

貪るように噛り付きながら、あまりの美味しさに絶叫する猫たち。端から見れば中々のヤバイ光景である。

チビスケも、ブチも、アイラやその子供たちも夢中で魚へと向かっており、そんな彼らの姿を眺めて、マサムネはうんうん、と満足そうに鼻を鳴らしていた。

「……あの、マサムネさん」

と、そんなマサムネの背後から声が掛けられた。

「……リリアンナ、どうした」

振り向きもせず、その声に応えるマサムネ。この集会に集った猫たちにおいて、彼を【マサムネ】と呼ぶのはリリアンナだけなのだ。

「皆さん凄い勢いですが、先程魚に振っていた白い粉のせいですか?あれは、なんなのです?」

リリアンナの声には、警戒の色が含まれている。フン、と鼻を鳴らすマサムネ。

「あれか。……あれはな」

「あれは……?」

若干の間を空けると、そしてマサムネは言う。

「グルタミン酸の粉だ」

「ぐる────え?なんです?」

「だからグルタミン酸の粉だよ」

だからと言われても分からないものは分からない。頭に疑問符を貼り付けるリリアンナに気付いてか、マサムネはやれやれ。と嘆息した。

「昆布や魚なんかに含まれてるうま味成分を抽出した粉で──まあ分かんないか。とにかく猫が好きな味ってこった。猫にゃ塩も砂糖も分かんないからな」

「は、はぁ。そうなんですか」

「……それより」

マサムネは、今一つ分かっていない様子のリリアンナへとようやく目を向けると、その目を細めながら口を開く。

「お前は食わねーの?その分だと朝から何も食ってねーんだろ?」

「わ、私は別に……、家以外のご飯を食べたらママに怒られちゃいますし……」

「あそ」

心底興味なさそうにマサムネは吐き捨てた。

「別にお前んとこの家庭事情に首突っ込む気なんざさらさらねーけどさ」

ふい、とリリアンナから顔を外すと、最後に彼はこう口にした。

「つまんねー女だな」

「んまっ!」

あからさまな煽りを受けて、リリアンナは顔をしかめた。

「な、なんですか魚くらい!私だって食べれます!」

カーッとした勢いで口走ってしまった手前やっぱり無理と言うわけにもいかず、仕方なく魚の前にやってきたリリアンナ。彼女の姿を認めると、無心に魚を貪っていたブチが慌てて立ち上がった。

「わわわっ!リリアンナ、ここ良いぜ。穴場よ。是非味わってくんな」

「別にそんな気を使わないでいいんですけど……」

場所まで譲られてしまうと、残念ながらもう食べずにはいられない流れだろう。焼けたグロテスクな魚を前に、リリアンナは再度表情を歪ませる。

リリアンナは、シェリルの飼い猫であった同じく白猫のサアヤの娘として産まれた家猫である。勿論食事は決められたキャットフードであり、丸ごとの魚なぞ、見たことがなかったのである。

(ううう~……。ええい、ままよ!)

確かに見た目もグロテスクで怖い。怖いが、しかし犬魔王に追われていた時程ではない。そう考え、リリアンナは意を決して魚にかぶり付いた。

────すると。

「えっ?美味し……」

そのあまりの美味しさに、自然と彼女の口から感嘆の声が漏れ出ていた。

近くのブチも、「だろー?」と満足そうに鼻を鳴らしている。

「なんですかこれ。魚ってこんなに美味しいの?」

なんと言うかこれは、やみつきになりそうな味である。気付けばリリアンナは夢中で魚を食べていた。


猫の味覚は、人間のそれとは異なっている。猫には甘い、やしょっぱい、といった味は分からず、肉や魚が持つ酸味、そしてグルタミン酸を含むうま味、を強く感じる傾向にあるのである。

「ま、たまのご馳走ってこった。どうだお前ら!」

マサムネの言葉に、猫たちからは何も返って来なかった。皆一心不乱に魚を食べているのだ。

そんな光景を眺めて、マサムネは満足そうに頷くのであった。


■■■■


さて、それからしばらくして。ざわめき工房内の印刷機の前で、ツナギは体を伸ばしていた。

「ん~~~!やーっと出来たぁ」

刷り上がった書類には『迷い猫、捜しています』との文章が踊り、リリアンナの写真が大きく掲載されている。実に目を引く分かりやすい内容となっていた。

マサムネが出掛けてからこっち、ツナギはリリアンナの迷子書類デザインをひたすら作成していたのである。

「……とりま百部もあれば足りるっしょ」

書類の束を纏めて袋に詰めると、両面テープ等の工具と一緒にカバンに入れていく。時間は夜の九時を過ぎていたが、これから街中に貼りに行こうというのだろう。

と、ツナギが外出の準備を整えていた時、玄関からガランガランと音が聞こえていた。

「お、ニャンゴロー。ナイスタイミング」

玄関ドアが開いた音──正しくは、玄関ドアに備え付けられた猫用出入り口が開いた音を聞いて、同居人の帰宅を予想したツナギ。結論から言ってしまえば、マサムネが帰宅したことは間違ってはいなかったのだが──。

「誰かリリアンナの話してなかった?私これから張り紙してきちゃうから、留守番しててもらえたらってリリアンナぁ!?」

思わず卒倒しそうな勢いで仰天するツナギ。マサムネが目当てのリリアンナを連れて帰ってきたのだから無理もないのだが。

「ちょ!?ニャンゴロー!?どゆこと!?」

「うるっさいなぁ。バッタリ会ったんだから仕方ないだろ」

「あ、どうもツナギさん」

首を動かしてツナギに挨拶するリリアンナ。彼女たちはシェリルの家にツナギが遊びに来た際によく顔を合わせており、マサムネとリリアンナよりは遥かに顔見知りなのである。

「たまげたわぁ……。──ま、とにかく任務完了じゃん。お手柄だね!ニャンゴロー」

そう口にするなり、ツナギはおもむろに電話を掛け始める。相手は勿論シェリルだ。

「あ、もしもしシェリル。リリアンナ見付かったよ!」

そうツナギが告げた瞬間、まるで機関銃のように言葉の嵐が撃ち込まれた。

「うっわウルサッ!?いや、大丈夫大丈夫。怪我とかもなさそうだし。大丈夫だよね?リリィ?」

「あ、はい。問題ないです」

「リリアンナも大丈夫だって」

そんなことを言われても、リリアンナの言葉を理解出来ているのは翻訳機を着けたツナギだけなのだが。

しかしシェリルにはその言葉だけで充分だったらしく、受話器越しにほっと安堵する様子が聞き取れた。

「え?今から来る!?いやいや、もう遅いから明日にしなって。今晩はリリィこっちに泊めるから。え?大丈夫だって。だから明日の朝来てよ。────あ!いや昼!朝は起きられないから昼来て昼!」

電話口からは呆れたような声が聴こえたが、ともかくそれで納得してくれたようだ。電話を終えると、「明日の昼にシェリルが来るからね」とツナギはリリアンナへ微笑んだ。

「────ツナギ、夕飯食ったのか?」

と、そんなタイミングで台所に行ったマサムネがツナギに呼び掛けてきた。

「やー、時間も惜しんでやってたから、まだなんだよね~」とツナギが返すと、フン、と鼻を鳴らすマサムネ。

「……ほっといたらお前食べないだろ。じゃあ俺の分も含めて夕飯作るから待ってろ」

「あれ?リリアンナは?」

「あ、えっと私は」

「そいつは食った。集会で魚焼いたからな」

「ですです」

マサムネの言葉を受けて頷くリリアンナ。集会でもご飯担当してるのかぁ。と思いを馳せて感心するツナギであったが、同時に疑問も浮かんで首を傾げた。

「ニャンゴローは食べなかったわけ?」

「別にいいだろ。家で食いたかったんだよ」

そうぶっきらぼうに口にするマサムネの声を聞き、「そうなの~?」とニヤニヤするツナギを横目に、リリアンナはマサムネとの会話を思い出していた。

「マサムネさんは食べないんですか?こんなに美味しいのに」

「……ま、俺はいいんだよ。あいつらが喜びゃあそれで」

「え?でも……」

「いいんだっつうの」

押しに弱そうに見えて、意外と引き下がらないリリアンナに業を煮やしたのだろうか。はー、と息を吐き出すと、マサムネは改めて口を開く。

「しょうがねーな。ここだけの話だぞ。……俺の味覚は、なんでかは分からないけど猫より人間に近いらしいんだよ。だからちょいと味気なくてな」

「……そうなんですか」

事情は分からないが、家で料理をすることはマサムネにとって苦ではないらしい。いや、むしろ。

「時間掛かるのは無理だから、有り合わせで作るかんな。文句言うなよ」

「言うわけないじゃ~ん」

むしろ集会で猫たちと居る時よりも、その姿は楽しそうに見えるのだった。


■■■■


「いや~。まさかあの発言の後にサンマの梅酒煮が出てくるなんて思いもしなかったわー」

夕飯を終えて、満足そうにツナギは声を出した。梅酒に漬け込まれた梅と、砂糖、醤油、みりんを煮詰めた甘ダレがサンマの身に絡み合う梅酒煮は、疲れた夜に格別の美味しさだった。マサムネは、たまたま材料があったからな。と溢す。

「んで、リリィのお礼の件は本当にいいの?」

「ああ、頑張ったチビとブチにくれてやってくれ。ちゅーると、あと柔らかい猫飯を沢山な」

それだけ口にすると、じゃあ寝るから。とマサムネは食卓を後にする。しかしその移動の途中で、彼は何かを思い出したようにはた、と足を止めると振り返った。

「あ、そうだ。ツナギ」

「ん?なに?」

「ニャンゴロークエストの新しいやつがどうたら言ってたけど、あれ、魔界とか行かんでも、近所でだって大冒険出来るぞ」

それだけ口にすると、さっさと自室に行ってしまうマサムネ。一方のツナギはと言えば、口許を押さえて驚愕していた。

「ま、まさかニャンゴローがクソゲーのアドバイスしてくれるなんて……!」

苦節五年。頑張ってきた甲斐があった。と込み上げる想いに胸を熱くするツナギ。

「忘れないうちにメモしておかなきゃ……」


「あの、ニャンゴロークエストって?」

と、ツナギの後ろで休んでいたリリアンナが、小首を傾げながらそう尋ねた。「気になる?」と、途端にニヤリとした笑みを浮かべるツナギ。

「ニャンゴロークエストはねぇ、仲間の危機に立ち上がった勇者ニャンゴローが、犬魔王をやっつけて世界に平和をもたらす名作ゲームなんだよ!もし良かったらリリィも──」

リリィもプレイする?そうツナギが言い終える前に、リリアンナは目を輝かせてこう口にした。

「あら!今日あったことを物語にしたのね!流石はツナギさんだわ」

「────なんですと?」

それはツナギにとって、聞き捨てならない発言であった。

「ちょっとリリィ、その話詳しく」

「え?え?話って」

「今日あったこと、詳しく聞かせて」

「あ、は、はい」

詰め寄られて驚くリリアンナであったが、居住まいを正すとこれまでの話を始めるのであった。


■■■■


「ニャンゴロークエストじゃん……!」

話を聞き終えたツナギは、開口一番にそう口にした。

「犬魔王までホントに出てくるとかどうなってんの!?マジでアレじゃん。事実は小説より奇なりってヤツ」

「ですから今日のことをツナギさんが知っていて私びっくりしたのですけれど、え?違うのですか?」

「これ作ったの三年前だからね」

「へええ!?」

その言葉に、今度はリリアンナが驚く番であった。きゃあきゃあと盛り上がる一人と一匹。マサムネが火を放った話や、猫たちに料理を振る舞った話などを楽しく口にしていたリリアンナだったが、ふと、表情を曇らせた。

「マサムネさんはああ言っていましたけど、私を助けにきてくれたのは彼なんです。本当は彼にも、お礼を受け取ってほしいのに……」

「ニャンゴローってば恥ずかしがり屋だからねぇ」

うーん、と腕を組んで思案した後で、「それじゃあさ」とツナギは口を開く。

「こっちで勝手に選んじゃおっか。ニャンゴローへのお礼」

「え?あ、いいですね!選びましょう!」

「リリアンナは何か思い付くものある?」

「ええ?そんな私なんて」

話はまとまったものの、いきなりそう言われても長年共に暮らしているツナギより良いアイデアなど、思い付く筈がない。だが、ツナギがそれを望むなら、とリリアンナは頭を捻らせてアイデアを絞り出した。

「……それでしたら、お料理にまつわる何かはどうでしょう?集会でも先程も、お料理をしているマサムネさんはとても楽しそうでしたので──」

料理をしている間、終始マサムネは上機嫌であった。なるほど、と納得してツナギも頷く。

「ただその“何か”が私には分かりませんので、ツナギさんに考えて頂きたいのですが……」

「ふむ。これは難問ねぇ」

料理に使用する調理器具などは、実のところ一通り揃ってしまっている。ならば何だろう?とツナギも頭を捻らせた。……そういえば今朝、ニャンゴローが何か言っていたような……。

「あ!それならこういうのにしてみようかな!?」

一人で思案すること数分。何かを思い立ったらしいツナギが声を上げた。

「どんなのですか?」

「んー……、ちょっと耳いい?……こしょこしょこしょ……」

「わぁ!いいですね!──それなら、更にこういう感じは……」

「きゃー!いいじゃんそれー!」

内容を聞かされたリリアンナも賛同し、ああでもないこうでもないと騒ぎながら夜は更けていくのであった。


■■■■


さて迎えた翌日昼過ぎ。予定通り、シェリルがリリアンナを迎えにやって来た。

「リリアンナ~!!」

泣き付くシェリルを、半目で迎えるリリアンナ。

「ナーン……(あらママ……。どうも……)」

「なんか貴女眠そうですわね……?」

これにはシェリルも困惑する。寝ぼけ眼のリリアンナもさることながら、それを連れているツナギもまた、目を半開きにさせていた。

「やぁシェリル」

「それでなんで貴女まで眠そうにしてるんですのよ!?もう昼なんですけど?」

「それが、昨晩からずっとリリアンナと騒いじゃって……」

「馬鹿じゃないんですの」

はぁ、と嘆息するシェリルであったが、気を取り直すとリリアンナを抱きかかえて頬を擦り寄せた。

「リリアンナ。聞きましてよ。リボンの為に外に落ちたって。まったくおバカさん。リボンなんてどうでも良かったのよ。貴女が居なくなる方が、どれだけ辛いか……」

そう口にするシェリルの言葉は、リリアンナには分からない。けれどその愛情はしっかりと伝わっているのだろう。リリアンナは「ナァーン」と鳴いてシェリルの鼻をちろりと舐めた。

「──とにかく、本当にありがとうございました。ええと、それで幾らほどお支払いすれば良いのかしら?」

一件落着したと判断して、昨日の約束の件を口にするシェリル。“幾らほど”という言葉に反応して、今まで眠そうにしていたのが嘘のように目を見開くツナギであったが、

「あー。実はさ、私は今回何もしてないんだよ。リリィはニャンゴローが保護して連れてきてくれたの」

と、ばつが悪そうに目を逸らしながら口にした。

「あらそうでしたの。まったく正直なこと。いいですわよ別に。彼も貴女の工房の一員でしょう?貴女に依頼してリリアンナが帰ってきてくれたことは事実なんですから、キッチリ払いますわ。まあそれと別に、ニャンゴローさんへのお礼も考えませんと」

「…………それ、なんだけどさ。私の分もニャンゴローに回して貰うことって出来ないかな?」

「え?」

言葉の意味が分からず首を捻るシェリルに、ツナギが続ける。

「実は昨晩、そのニャンゴローへのお礼の件でリリアンナと盛り上がっちゃって、こういうの、出来ないかなって」

「──?どれどれ?」

言いながらツナギが差し出したものは、折り畳まれた方眼紙であった。シェリルはそれを丁寧に開くと、目を走らせる。……そして。

「────なるほど、面白そうですわね」

と、顎に指を当てて頷いた。

「でも、今すぐは無理でしてよ?一月程は頂きませんと」

「そりゃ勿論。やってもらえるだけ有り難いよ」

「ではこの件はお父様に話しておきますわね。それじゃ」

「あ、待って」

踵を反して去ろうとするシェリルを、しかしツナギが呼び止めた。

「なんですの?」

「リリアンナからの伝言!『ママに伝えて下さい。私、またツナギさんの家に行きたいです』だって」

「…………本当に?リリアンナ」

普通ならば、動物にかこつけたただの冗談なのだろうが、ツナギの持つ翻訳機の性能はシェリルも知るところである。腕の中に大人しく抱かれるリリアンナに目を向けると、彼女は目を細めて、「ニーン」と鳴いた。

「……はぁ、仕方ありませんわね。ただし、一人は駄目よ。私と一緒の時だけね」

そう口にすると、いよいよ帰ろうとするシェリルであったが、何かを思い出してはた、とその足を止めた。

「そうでしたわ。私もこれは伝えませんと」

「え?」

きょとんとするツナギとは対照的に、振り返ったシェリルの顔は赤かった。

しばらく俯いてもごもごと言い淀んでいたシェリルであったが、意を決して顔を上げると、

「ツナちゃん。──本当にありがとう。貴女を頼って良かったわ」

と口にした。その真っ直ぐな物言いに、逆に気恥ずかしくなって目を逸らすツナギ。

「私ホントに何もしてないんだけどなぁ……。あと、ツナちゃんとか久しぶりに言われたんですけど……」

「そう、ですわね……」

「……また、何かあったら頼ってよね」

「ええ」

幼馴染みである二人の間には、小さい頃から他の相手にはない不思議な絆があった。それは大人になった今でも、こうして消えずに残っている。


「では、また」

そうしてシェリルはリリアンナを連れて帰って行った。ツナギもまた、あくびをしながら体を伸ばすと、

「じゃあニャンゴロークエストの続きでも作るかなぁ」

と、部屋に戻り、こうしてリリアンナ行方不明事件は終わりを迎えるのであった。


■■■■


後日談をしよう。


まず、チビとブチはそれぞれ望みのものを貰うことが出来た。

沢山のご飯が入ったパックを貰った二匹は大層喜び転げ回ったという。

小分けの真空パック故に腐る心配もないが、猫の手ではそれを開けられず、食べたい時にはマサムネを呼びに来て開けて貰う必要があった。最終的には何度も呼び出されたマサムネがいい加減怒って、なんでもペタリ手袋の予備を貸してしまうこととなったのだが。


それからリリアンナは、本人の希望通りシェリルと一緒にざわめき工房に遊びに来るようになった。

しかしマサムネとしては落ち着かないらしく、リリアンナが来るとどこかに姿をくらませてしまう。リリアンナはそれが面白くない様子であった。


行方不明事件から半月程経ったある日、ざわめき工房に工事業者が入ることとなった。

それも、工事対象は台所近辺であり、数日間台所が使用禁止になることにぷりぷりと怒るマサムネであったが、数日後、そこに出来たものに彼は驚愕することとなる。

「じゃ~ん!猫用キッチンだよ~!」

ツナギの言う通り、通常の台所に併設する形で作られたものは、マサムネのサイズに合わせた猫用のキッチンであった。

シンクから、ガスコンロから、全てがミニサイズ。ご丁寧に猫用フライパンに猫用鍋、猫用調理器具まで揃っているという徹底ぶりだ。勿論これらはシェリルが金物屋や業者にわざわざ作らせた特注品である。

「いつも、大きくて使いづらいって言ってたじゃない?これはシェリルからのお礼だってさ。アイデアを出したのは私とリリィだけど」

開いた口が塞がらないといった様子で呆けているマサムネであったが、ツナギの言葉を受けると意識を取り戻し、フン、と鼻を鳴らした。

「あのなあ。この小ささじゃお前の飯に足りないだろ。俺が料理してるのは、お前に食わせる為だぞ?」

「えっ、で、でも……」

「折角用意してもらって悪いけど、コイツの出番はないよ。……多分」

小さな鍋で作れる料理のサイズには限界がある。

善意によって誕生したものだが、需要がなければ意味がないのだ。

「そんなぁ……」

サプライズが失敗に終わって、あからさまに意気消沈するツナギを見かねたのだろう。

「分かった。一回だけ、一回だけ使うから」

とマサムネは慌てて口にした。


結論から言うと。マサムネはこの調理場を大変気に入った。

一度使ったら、そのあまりのしっくり具合に驚いたらしい。

それでも日々の食事は通常の調理場を使用しているのだが、何気無い一人の時間に、小さな台所で個人用の料理をして満足そうにしているマサムネの姿が、ざわめき工房で見られるようになったとのことである。

「ま、悪くはねーな。悪くは」




終わり



□□□□


さて、例によってここからはクソゲーの話になる。

ツナギが予てより暖めていたニャンゴロークエストの続編は、マサムネの全面協力によって【NEWニャンゴロークエスト】として完成することとなった。

『あのニャンゴロークエストが、超絶スケールダウンして帰ってきた!』

というキャッチコピーをつけられた本作は、ライフ制が導入されたことにより、主人公であるニャンゴローが他の猫に話し掛けたり、ネズミに当たっただけで即死、ということはなくなった。(ダメージを受けることは受けるが、三回までは耐えられる)

内容については、ヒロインであるリリアンナを助けるために、裏街を根城にする犬魔王と戦うストーリーの他、集会で魚を調理するミニイベントや、よそ者猫軍団の討伐をしたりと、地元ならではのストーリーが満載の、こじんまりとしたゲームとなっている。

テストプレイしたY・T氏曰く、「旧ニャンゴロークエストの五千倍面白かったっス」とのことであったが、普通に面白く完成度の高いゲームとなってしまった為に、当然のことながらクソゲーグランプリには箸にも棒にも掛からず、あえなく落選となるのであった。

「なぁんでえぇぇぇぇ!!」



全巻の終わり


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