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ざわめき工房の愉快な日常  作者: へるりん
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ざわめき工房へようこそ


 「人生はクソ映画みたいなもんだ」

 誰かに問われたら必ずこう返すであろう程には、田辺悠一(たなべゆういち)は己の半生に肯定的ではなかった。

 「それも、面白くも何ともない癖に、視聴をやめることは決して出来ないヤツな。クソクソオブクソだろそんなん」

 目元まで伸びた髪、自信無さげな猫背。痩せた身体で一日中パソコン画面に向かう。二十二歳の誕生日を迎えたばかりの彼は、もう七年間もそうした日常を続けている。

 別段壮絶な虐めを受けていた訳でも、超絶な不運に見舞われた訳でもない。ただなんとなく、彼は子供の頃から本気になる、ということに対して否定的だった。物事に真剣に取り組むなんて馬鹿らしい。と斜に構えて、日々をなんとなく過ごしていたのだ。

 なんとなく学校へ行き、なんとなく進学する。悠一は別段天才児でもなかったので、当然そんな態度では勉強に身も入らず、高校受験に失敗して初めて、彼は適当には流せない壁というものにぶつかることとなる。

 ここで彼が真っ当な人物であったなら、奮起して高校受験に再チャレンジする未来もあったかもしれない。しかしそこでも尚、悠一は本気になるなんてカッコ悪いと思っていた。

 「たかが高校に行かない程度で人生詰むわけないじゃん」

その言葉そのものは事実ではあるのだが、それを言い訳に、彼は家に引きこもる人間へと変わっていったのである。しかしそれは、彼の両親がそれを受け入れてしまったことも大きいだろう。不幸なことに彼の両親もまた、子育てに疲れ果てて無気力になってしまっていたのである。

 故に叱責もされず、両親に迷惑を掛けている自覚もないままに自室を拠点に日々を送る悠一。

 当然、本人はそれで問題ないと考えていたし、なんとなく過ごしていれば、それなりの人生は送れるだろうとたかを括っていた。


 そんな悠一の人生の終わりは、実に呆気ないものだった。

交通事故に遭った訳でも、悩んだ末の自殺でもない。インターネットか何かで腹を立て、怒りながら一気食いしたおにぎりを喉に詰まらせて死んだのだ。

 人と関わるのを嫌い世間から姿を消した雄一は、誰にも看取られることのない虚しい最期を迎えたのである。


 ここまでならば、世の中を舐めた人間が相応の残念な末路を辿っただけだとも言えるだろう。しかし、不可思議なことに。

 彼の人生にはまだ続きがあったのだ。


■■■■


 それは不思議な夢だった。まるで自身の体が何かに強く引っ張られているかのように、視界がぐんぐんと進んでいく。

 その速さはまるで新幹線が如く。見知らぬ街、だろうか? ビルなどの建物の間を縫って突き進むと、いつしか体は浮き上がり、大空へと飛び出していた。眼下の街明かりをちぎり、山を越え、高く高く飛び上がる。やがて臨界点を迎えると、その体は重力に従って墜落を始めた。

 想像を絶する光景だが、不思議と恐怖はない。ただ淡々と、あー。落ちてるなぁ。なんて考えるだけである。

 そして数秒の後にその体は大地へと墜落し、夢はぷっつりと消え去った。


■■■■


 「ん…………」

 朝の陽射しを身体で感じ、悠一は目を覚ました。

 ――あれ、俺なにしてたんだっけ――?

 頭の中が、霞掛かったかのようにぼんやりとしている。いつの間にか眠っていたらしい。

 視界には、広がる一面の空。その当たり前の光景が、しかし彼にとっては異状なことに他ならない。

 「――――は? 外?」

 だから、思わず声が出てしまった。天地がひっくり返ったって己の居城――もとい部屋から出るつもりなどなかったというのに、一体どうして。

 とにかく状況を把握したいと彼は自身の身体を起こす。一瞬、身体が自分のものでないような不可思議な感覚に包まれるも、瞬きした後にはいつも通りに戻っていた。……なんだったんだ?

 頭を起こしてぐるりと周囲を見渡すと、景色の中に山が広がっていた。

 ――――山?

 自宅から出ていない彼であっても、流石に自宅近辺に山がないことくらいは分かる。とすると、ここは一体何処なんだ?

 先程から理解の及ばないことばかり続き、悠一は混乱の最中にいた。本来の彼であれば早々にパニックを起こしていてもおかしくはないのだが、あまりにもあり得ない状況すぎる為か、意外なことにここまで彼はつとめて冷静だった。故に冷静に、自分が置かれている状況を観察する。

 倒れていたのは土の上で、周囲を山に囲まれた、見渡す限り建物も何もない場所。何処なのだろうか。余程の田舎か。それにしてもどうしてそんな場所に倒れていたのか――――。

 悠一が彼にしては珍しく思案しながら視線を前に戻すと。

 「      」

 「      」

 彼の顔を覗き込む、いかつい顔の男と目が合った。

 

 「いぎあぁぁぁぁぁッッッ!!?」

 のどかな風景をつんざくような絶叫がその場に木霊したことは、言うまでもない。

 

 ■■■■

 

 「キィー! キィキィキィー!!」

 けたたましい声を上げながら来訪者が姿を見せたのは、朝の七時半を回った頃だろうか。

 ぼんやりとした視界の中で、小さな影が大きさに見合わない大声を上げて窓を叩いている。どうやら家の中にいる誰かに用事があるらしい。

 「キィー! ギャギィー!」

 

 「…………う~。ちょっとスレインさん、朝からうっさいよ」

 そんな騒ぎが起きること数分。抗議の声とともに、室内にゆっくりとした影が姿を見せた。

 背中まで伸ばした茶髪に、気だるそうに細められたサファイアカラーの瞳。寝起きな為か下着姿のままでそこに現れたのは、一人の女性であった。

 「近所迷惑だっての」

 そう口にしながら、女性はポケットからイヤホンマイクの様な小型機械を取り出すと、慣れた手付きでそれを自身の耳に取り付ける。すると――――。

 「キキキィ……ご近所なんて半径数キロはいないじゃないかい。まったくお前さんはいつだって眠そうだね」

 窓枠越しにキィキィ騒いでいた鳴き声が、意味のある言葉に変化したのである。

 「昨日は特にね。クソゲー作ってたら熱中しちゃって……」

 「クソ、なんだって?」

 「クソゲー。ヒヨコが猫に見つからないようにキャンディを探して食べていくと得点が増えるってやつ。ヒヨコを狙う猫がステージをうろついてるから見つからないようにしながらキャンディを集めていくんだけど……。次のクソゲーグランプリに応募しようと思っててさ」

 「相変わらず言ってることがよく分からないねェ。とにかく寝ぼけてる場合じゃないよツナギ。グレッグの奴が畑で変なものを見つけたんだとさ」

 「はぁ? 変なもの?」

 声の主と会話をしながら、ツナギと呼ばれた女性は眉根を寄せつつ窓を開けた。

 「ああ、とびきりの変なものさ」

 そこにいたのは、小さなトガリネズミだった。ツナギがスレインと呼んだ相手は、キィキィと騒ぐこのトガリネズミのことらしい。

 ちなみにツナギの家には彼女より遥かにしっかりとした同居人が暮らしているのだが、その同居人はこうるさいスレインが誰よりも苦手らしく、「はやくおっぱらえよな!」とだけ言ってさっさと奥に引っ込んでしまっている。

 「ふわ……、グレッグが変なもの見付けるなんていつものことじゃん。どうせ足が生えた大根とかでしょ?」

 「それがさ、違うんだよ」

 ツナギの言葉を受けて、スレインはその小さな両腕を広げて首を傾げると、キキキ、と笑った。普段から怪しい雰囲気を纏った彼ではあるが、より一層怪しく見えるといった所か。

 「違う? じゃあ腕の生えたニンジンとか?」

 「ええい野菜から離れろ。そうじゃなくて、ヒトさ。どうにもグレッグの奴、言葉の分からないニンゲンを拾ったらしいんだよ。もしかしたらツナギが言ってたナガレモノって奴かもしれないねェ」

 「はぁ!? マジ!?」

 「うわわわわッッッ!?」

 今の今まで微塵も興味無さげな態度を取っていたツナギであったが、ナガレモノ、という単語を聞いた途端、その顔色を一変させた。表情を輝かせ身を乗り出して掴み掛からんばかりの彼女に驚き窓枠から足を滑らせ掛けるスレインだったが、何とか踏み止まると振り子のように何度も首を縦に振る。

 「ほ、本当だとも。本当だともさ。グレッグの奴、もうじきここへ来ると思うよ。なんせお前さんは、いろんな奴の言葉が分かるからね。分かったら、ちゃんと身なりを整えておくことだ。流石のお前さんも、そのままグレッグを家に上げたくはないだろ?」

 「あー、まあ、そう、かも?」

 言われて自身の下着姿を再認識したのか、ツナギはなんとも歯切れの悪い声を返した。

 「じゃあまあ、お言葉に甘えて準備させて貰おうかな」

 「それがいい。じゃあ、アタシはこれで。……あ、いつもの奴頼むよ」

 「情報代ってやつ? 勝手に押し掛けてくる癖にあこぎだなー」

 「がめついのはお互い様だろうさ」

 言って、キキキと笑うスレイン。ツナギとしても、彼の発言を本気で咎めるつもりなどないらしく、部屋の奥の戸棚から赤く小さな果物を取り出すと、スレインの元へと持ってきた。

 「ま、今回の情報は良さげだからオッケーとするか。ほい、お代」

 「や、や、ヒメリンゴ! これこれ、これがいいんだこれが!」

 自身の体長と殆ど変わらぬその果実を眼前に、興奮して鼻息を荒くするスレイン。

 「この食欲を誘う色! 艶! ああたまらないね!」

 頼まれてもいないのに品評を始めると、彼は矢も盾もたまらずかぶりついていた。

 「んひぃ~! これ! 舌が味に慣れる前の最初のこの一口! これが最高なんだよ! これが欲しくて情報屋やってんのさ!」

 「あそー。そりゃどーも。しかしまぁなんと言うかそのリアクション、リンゴ農園の前でやったらリンゴバカ売れなんじゃない?」

 実に美味しそうに食べる姿が絵になるんじゃないかと思っての提案であったが、スレインはリンゴから口を外すとため息を吐き出した。

 「馬鹿だねお前さんは。アタシがそんなことしてみなよ。棒切れで叩き潰されるだけだろうが」

 翻訳機でツナギには言葉が分かるが、彼の言う通り、はた目にはトガリネズミが金切り声を上げながら作物を荒らしているようにしか見えないだろう。

 「むむ。それもそうか」

 「だいたい、リンゴが人気になって消えたらどうすんだい。これが食べられなくなったらこの世の終わりだよ?」

 なんて大仰なことを口にするスレインであるが、そんなに好きなら自分で確保したらいいのにと思わないでもない。

 「野暮なことを言うんじゃないよ。一仕事終えた後に貰えるヒメリンゴが最高なのさ」

 ツナギの疑問を鼻で笑うと、スレインは再度果実に夢中になり、これをあっという間に平らげてしまった。中央の硬い芯すら齧り切り、ヘタだけ残して綺麗さっぱりと消えてしまったヒメリンゴの代わりにでっぷりとした腹を満足そうにさすりながら、スレインは幸せそうに息を吐き出した。

 「やあごちそうさん。久しく満足したよ。じゃあ今度こそアタシはこれで。また何か情報を掴んだら来るからね」

 「別にここで食べなくてもいいだろうに……」

 嘆息して見送るツナギをよそに、来たときの機敏な動きはどこへやら、スレインはのそのそよろよろと窓から壁づたいに地面へと降っていく。やっとのことで地上へと降りると、彼はそのまま遠くへと――――、

 ぴたり、とその足が止まり、スレインは窓から身を乗り出すツナギへと振り返るとこう口にした。

 「お前さんがさっき言っていたヒヨコのやつだけどね、アタシはネズミがリンゴを探して食べるやつの方がいいと思うよ。……それじゃ」

 それきり振り返ることもなく、スレインは遠ざかって行くのだった。

 「……うーん……?」

 

 ■■■■

 

 「お~いツナギ、いるか?」

 スレインが去ってから二十分の後、果たしてそこにグレッグは現れた。

 「グレッグ? うわホントに来た」

 「ホントに? そりゃどういう意味だ」

 「言葉の通じない奴を拾ったんでしょ?」

 スレインの助言のお陰でツナギの支度もあと僅か。グレッグを玄関前に待たせたまま、軽いやり取りが続く。

 「んな!? なんでお前それを知って…………? ついさっきの話だぞ!?」

 「ふふん。なんでかねえ? ま、人間、どこで誰が見てるか分かんないから、悪いことは出来ないもんだ……ってね。お待たせ」

 驚くグレッグの前で扉が開かれ、ようやくツナギが彼を出迎えた。

 いかにも寝起きといった朝の様子とは打って変わり、彼女は緑掛かったグレーの服に身を包んでいた。服、といってもそれは上衣と下衣が一体の外衣であり、ボイラー服――彼女の名前と同じつなぎ服である。そして長い髪は後ろで纏められており、髪の上からは上下と同じ緑基調の帽子を被っている。更にその上からはトレードマークのゴーグルが覗いている。

 基本的に怠惰なツナギではあるが、一応人前に出るときは正装する。これが普段のスタイルだと言い張る彼女なのだが、残念なことにその支度を整えたのは同居人だ。

 「マジかよ。そりゃ恐ろしいな。……ってお前、なんで作業着着てるんだ?」

 「べ、別にいいでしょそんなん。これが私の正装だから」

 玄関先には、声の通りグレッグの姿があった。その迫力に気圧されるように、半歩後退さるツナギ。

 グレッグは、顔も体格もいかつい大男である。これで目付きも悪く片頬には深い傷痕まで付いているものだから、相手を威圧するのにこれ程適した人材はそうもいないだろう。比較的慣れているツナギでさえこうなのだから、初見の人間が彼を見たなら、山賊か何かだと勘違いするのもまあ無理ないことだろう。

 「まあいいけどよ。…………あ、そういや俺お前に金貸してたよな?」

 と、ツナギの顔を見ていたグレッグが、突然思い出したように声を上げた。「げっ」とツナギ。

 「先週飲んだろ。マチルダで。確か五千ギル俺が立て替えたんだ。ちゃんと返せよ」

 「…………忘れてると思ったのに……」

 グレッグの口にした内容は事実である。ただ、その日は二人とも大分に酒が入っており、特にグレッグは泥酔していた為記憶はなくなっているだろうとツナギはたかをくくっていたのであった。

 「あ? なんか言ったか?」

 「今度ね! 今度返すから! それよりあんた、用事があって来たんじゃないの?」

 「あ、ああ、そうだそうだ。違いねえ」

 ツナギに言われて来訪の目的を思い出したのだろう。グレッグは手にしたロープをゆり動かしながら、自身の後方へと目を向けた。

 「朝うちの畑に落ちててな。色々と質問してみたんだが、コイツの言葉がさっぱり分からねえ」

 彼の背後には、ロープで縛られて涙目の青年が引き立てられている。そりゃ、言葉の通じないこんな強面の男に縛られて歩かされていたら、怖いなんてものじゃないだろう。とツナギは青年に軽く同情した。

 青年も、ツナギの姿を見て安心したのだろうか。彼女へと真っ直ぐ目を向けると、何事かを早口でまくし立て始める。

 「縺ゅ?√≠縺ョ??シ√%縺薙←縺薙〒縺吶°?滉ソコ豌励′莉倥>縺溘i縺薙s縺ェ縺ィ縺薙m縺ォ縺?※窶ヲ窶ヲ?∵?悶>縺翫▲縺輔s縺ォ邨。縺セ繧後k縺励b縺?ス輔′菴輔□縺句?縺九s縺ェ縺?s縺ァ縺吶h?√♀蟋峨&繧謎ソコ縺ョ險?縺」縺ヲ繧九%縺ィ蛻?°繧翫∪縺吶°?」

 「待って待って怖い怖い、分からない分からない」

 興奮したように、息せき切って言葉を続ける青年であったが、しかしツナギにもその言語が何であるかは分からなかった。

 「どうなんだ? おい、こいつ何て言ってんだ?」

 「っかしいな……。ここら辺で使われてる言語は全部入れてる筈なんだけど……」

 ツナギが身に付けているイヤホンのようなものは他言語翻訳機といい、共通語は言わずもがな、ネズミ達の言語も鳥達の言語も種族ごとに登録されており、翻訳可能言語は軽く千は超えているという優れものなのだ。故に本来ならば、青年の言語を自動判別して瞬時に翻訳がなされる筈である。しかし、今翻訳機から出されている結論は『該当なし』。

 人間の言語は共通語のみの為、違いがあったとしても精々訛りがあるかどうかといった所だろう。だのにそれが該当なしというのは……。

 「壊れてんじゃねーのか?」

 「失礼な! そんなわけないでしょ!」

 グレッグの言葉に思わずツナギは声を荒げる。つい今しがたも翻訳機を使用してスレインと会話をしたばかりなのだ。壊れている理由がない。

 「じゃあなんなんだよ」

 「それは…………」

 壊れていないにも関わらず翻訳機が働かないということは、おのずと答えは限られてくる。神妙な顔つきになり腕を組むと、ツナギはこう口にした。

 「――もしかして彼の言葉、旧言語なのかも」

 「は? 九? なんだって?」

 「旧言語。統一前に使われてた言葉ってやつ」

 「統一前って――――、おいおいそいつは」

 グレッグも、ツナギの発した言葉の意味を理解すると、眉間にシワを寄せた。

 「とにかく、ラボに行かないと詳しいことは分かんないかな」

 「へえ。そうかい。じゃあ、そいつのことは任せたぜ」

 そして同時に、関わると面倒だと判断したのだろう。ツナギの言葉を聞いたグレッグは、これ幸いにと青年を彼女へと押し付け、その場から立ち去ろうとするのだが――、

 「ふうん? つまりそれ、依頼ってことで良いわけね?」

 「んなっ」

 その背に、不敵な目をしたツナギの言葉が突き刺さる。

 「そして勿論、私に依頼するならそれ相応の料金が必要になるわけだ」

 ツナギが言わんとしていることは至ってシンプルである。人にモノを頼むのならば、相応の見返りを用意すべきである。ということだ。彼女の場合その見返りがとどのつまり、

 「金よこせ」

 なのだが。

 

 「……まったく、また金かよ」

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて頭を掻くグレッグ。ツナギは、ふん、と鼻を鳴らした。

 「こちとら慈善事業じゃないんでね。――無償なんてくそ食らえだっての。……で、どーすんの? 払うの? 払わないの?」

 「ち、しゃーねえなあ……お」

 諦めたように嘆息するグレッグであったが、その時また何かを思い出したように目を開いた。

 「そうだ。分かった分かった。そういうことなら先日の飲み代チャラにしてやんぜ」

 「は――――、はぁっ!? 飲み代……って、あれ五千ギルぽっちじゃん! そんな安値で」

 「るせー! チャラになるだけ有難いと思え! …………じゃあ、任せたぜ」

 「あ!こら待てデカブツ!」

 それ以上の追及を避けたのだろう。言いたいことだけ言うと、グレッグはさっさと踵を反して立ち去ってしまった。後にはツナギと、そして涙目の青年が残されるだけである。

 「あー、もー!」

 なまじっか他人から金なぞ借りていたせいで、大事な場面で取りはぐれることになったのである。金輪際金など借りるものかとツナギは固く誓うのであった。

 「はぁ、過ぎたことは仕方ない。それじゃあ君のことだけど――」

 そうしてやっと、彼女の焦点は青年へと移る。しかしその時点で、青年の心はすっかり絶望に染まっていた。

 無理もない話だ。彼がどういう経緯でグレッグの畑にいたのかは分からない。だが、何度も言うが突然言葉の通じない強面の山賊に捕まって連れ回されたら誰だって生きた心地がしないことは間違いない。挙げ句、現れたもう一人が助けてくれるかと思いきや、そちらも言葉が通じないときたら、この世全てに絶望しても仕方なきことであろう。

 だが、ツナギには関係のない話である。雀の涙程の額とはいえ、仕事として彼を任された以上は、責任をもって全うしなければならない。

 「――――来て」

 言葉が通じないことは最初から織り込み済み。ツナギは縛られたままの青年に近付くと、ロープを掴み、そのまま彼を引っ張って歩き始めた。慌てる青年だったが、彼女に逆らってもしょうがないと思ったのか、よたよたとよろけながらも歩き出す。

 そうして、彼は引かれるがままに、ツナギの家をその奥へ奥へと進んでいく。

 居室であろう空間を横目に廊下を進むと、突き当たりに広い空間が広がっていた。様々な工具や、機械などが立ち並んでいるそこ――――ではなく、更に突き進んでいく。部屋の奥にあるドアを潜ると、その奥は手前の広間とは打って変わって薄暗い小部屋になっていた。

 「!?」

 「今準備しちゃうから、ちょい待ってて」

 驚いて固まる青年を室内に放置すると、何やら部屋の奥へと移動して座り込むツナギ。

 よく見ればその部屋は、至るところにハイテクな機械が立ち並んでおり、家の周囲ののどかな風景とはまったく釣り合わない近未来感を醸し出している。

 そしてそんな部屋の中でツナギは機械の操作を始めた。声を掛ける訳にもいかず、ここまで来てしまった以上逃げる訳にもいかない青年にとっては、何とも気持ちの悪い時間だけが流れていく。

 

 「やー、久しぶりだから手間取ったわ」

 ややあって、機械の立ち上げを終えたツナギが、青年の元へと戻ってきた。

 「よし、それじゃマイクに向かって大きな声で喋ってくんない?」

 そして、困惑している彼に向けて小型マイクを向ける。しかし急にそんなことをされても、話の理解出来ない彼が突然ペラペラと喋り出す筈もない。

 「縺?d縺昴?縲∽ス戊ィ?縺」縺ヲ繧九°蛻?°繧薙↑縺?@」

 しばらく待ったところでやっと、しどろもどろになって小さく呟くだけであった。当然、これでは高性能な翻訳も働く訳がない。

 「――――う~ん」

 マイクを向けること数分、これではらちが明かないと悟ったのだろう。ツナギはゆっくりと青年へと近付くと、そして――――。

 「うりゃッッ!!」

 その脛を思い切り蹴りつけた。

 

 「縺?▲縺ヲ縺医∴縺医∴??シ?シ溘≠縲√≠繧薙◆縺。繧?▲縺ィ縺?″縺ェ繧翫↑縺ォ縺吶k繧薙せ縺具シ?シ?シ」

 突然そんなことをされれば、誰だって痛いし怒るだろう。どんな相手でもそれは変わらない筈だ。というツナギの目論見通り、青年は脛を押さえてうずくまりながら、何事かを叫んでいる。

 その声をマイクが拾い上げたらしく、明かりが灯されたコンピューターの画面には、何やら解析をしているらしき画像が浮かび上がった。

 ピピピピピピ……

 そしてその解析は、数秒の後に完了し、ある一つの結論へと達する。

 「ニホンゴ……。――やっぱり、旧日本語だ」

 答えを理解したツナギは、機械を操作すると、怒りながら詰め寄る青年へとヘッドギアを被せた。すると――――。

 「縺?″縺ェ繧翫ヲ繝医r雹エ繧九→縺――いくら何でも無茶苦茶だ!」

 青年の言葉が、彼女にも分かるように変換されたのである。

 「分かった分かったってば。いきなり蹴ったのは悪かったよ」

 「いや、謝って貰えるなら別にいいんスけど……………………って、え」

 あまりにもナチュラルに会話をしてしまった後で、その事実に気付いて青年は目を見開いた。掴み掛からんばかりの勢いでツナギの肩を押さえると、

 「お、俺の言ってること分かるんスか!? ……っていうか、日本語喋れたんですか!? っていうかここは何処で」

 とまくし立てた。

 「いっぺんに聞かれても困るって」

 苦笑いしながらそんな青年をいなすと、ツナギは手近な椅子に彼のことを座らせ、自身も対面する形で椅子に腰を降ろした。

 「とりあえず最初の質問に答えると、君と私が話を出来てるのは、今君に被せた機械のお陰。翻訳機なんだよそれ。分かる? 翻訳機」

 「翻訳……、あ、ハイ分かります」

 座ったことで落ち着いたのか、静かに頷く青年。そんな彼の様子を見てツナギも頷く。

 「よろしい。それじゃあ言葉も通じたところで自己紹介させてもらうけど、私はツナギ。ザワメキ・ツナギ。宜しくね」

 「あ、ども……。えっとその……、お、俺は、た、田辺悠一……っス」

 そして落ち着くと同時に、ここ数年誰とも会話をしていなかった現状を思い出したらしい。どもるようにそれだけ絞り出すと彼は俯いた。興味津々といった様子で身を乗り出しているツナギとは対照的と言えよう。

 「なるほど、ユーイチね。それじゃあ色々と聞かれる前に、こちらから質問。――あなた、いったい何処から来たの?」

 「あ、えっと……、何処から……」

言われて、悠一は考え込む。この場合、どう答えるのが正しいのだろうか? 町? 市? 都道府県?――いや。

 言葉が通じなかった事実を思い出し、彼はかぶりを振った。理由は分からないが、恐らくここは他国なのだ。それなら。

 「あー、あの、に、日本です。日本から来ました」

 「ニホン!やっぱり!?」

 悠一がそう答えると、まるでそれを予期していたかのようにツナギはそれに食いついた。

 「ってことは本当に旧時代から来たんだ……!」

 「え? 旧時代……? あの、それでここは何処なんですか?」

 「うーん、説明が難しいんだけど……」

 今自分がどこにいるのか。という当然の疑問を受け、ツナギは腕を組んで唸ると、少し思案した後、こう口にした。

 「ユーイチ、だっけ? 私の仮説が合ってるならここは多分、君がいた世界から、五百年以上後の世界だと思う」

 「――――――――え?」

 そりゃ、突然そんなことを言われて理解が追い付く訳がない。目をしぱしぱとさせて、悠一は目の前のツナギを見ることしか出来なかった。

 「つまり何と言うか……、君の言うニホンって国はさ、五百年前になくなってるんだよ」

 「は、え……? ……日本が、ない……? それは、どういう……?」

 「私も詳しいことは分からないんだけどさ」

 そう頭に付けて、ツナギは説明を始めた。

 「今から五百年程前に、世界中を巻き込むくらい大きな争いがあって、半分以上の人間が死んでしまったんだって。残った人間には、それぞれの国を維持することが出来なかった。それで、彼らは生きる為に国境という垣根を取り払い、言葉も統一して、世界にただ一つの国へと生まれ変わった。それが、君が今いるここ、デラワルドってわけ」

 「デラ……ワルド……。いや、滅んだとか五百年前とか急に言われてもそんな……」

 事情を聞いたところで、悠一の立場でそんな突拍子もない話をいきなり信じるというのは難しいだろう。ツナギの言葉を訝しむ彼であったが、次の瞬間には驚いて身をすくめることとなる。

 「ツナギ、こんな奴に説明してもしょうがないって」

 その背後から、第三者の声が響いたからだ。

 「うえっ!?」

 縮こまった後で、悠一は慌てて振り返る。

 「それよりこいつをどうするつもりさ? ここで飼うなんて反対だよ」

 「――――ね、猫?」

 そう。そこにいたのは一匹の猫であった。明るいオレンジブラウンを基調に、焦げ茶色の縞が入った毛並み。悠一のいた日本では、茶トラ猫、と呼ばれる種類だった筈だ。

 「食いぶち減らせる程の余裕はうちにはないでしょ」

 なんだ猫か。という話ではない。上記の台詞は、明らかにその猫から発せられたものなのだ。

 「え…………あ…………?」

 先程から展開に付いて行けずに呻くしかない悠一へと目を向け、猫はフン、と鼻を鳴らす。

 「いやー、悪い悪い。紹介がまだだったね」

 ツナギは席を立ち上がると、猫の側へと行きその体を持ち上げた。

 「うちは二人暮らしなんだよ。そんでこっちは猫のニャンゴロー」

 「ニャンゴロー言うな!」

 フシャー! と持ち上げられて伸びた姿勢のまま怒る猫。彼曰く、ニャンゴローとはツナギが勝手に呼んでいるあだ名なのだが、別段好きではないとのこと。

 「俺の名前はマサムネ。前から言ってるだろ!」

 「え? そうだったっけ?」

 「そうだよ」

 他愛もないやり取りが進む中、呆気に取られていた悠一はやっと発するべき言葉を思い出した。

 「猫! 猫が喋ってる!!」

 そう。猫が流暢な日本語で喋っているのだ。驚かない方が不思議であろう光景なのだが、ツナギにとってもニャンゴローにとってもそれは当たり前のことらしい。「だからニャンゴロー言うなって」二人は、騒ぐ悠一にきょとんとした顔を向けていた。

 「うん。そだよ? 翻訳機スゴいでしょ?」

 「翻訳……、えっ、あ、そういう!?」

 ツナギの言葉を受けて、悠一は自身に装着されたヘッドギアにそっと触れた。どうやらマサムネと名乗る猫の言葉が理解出来ているのは、この翻訳機のお陰らしい。しかし彼女の言葉を理解出来るだけでなく、動物の言葉まで分かるようになってしまうというのは、ちょっと凄すぎるのではないだろうか?

 「っていうか、ツナギってば話聞いてる? 食いぶちを増やすなって言ってるんだけど」

 「そう言われても、依頼として引き受けちゃったからな~。にゃーすけの一存じゃあ……」

 「マサムネだっての! なんだにゃーすけって! ニャンゴローですらないじゃん!?」

 「まあいいじゃん」

 「よかない!」

 飄々としたツナギに、勢いよく突っ込むマサムネ。言い争いをしている二人だが、これでいて険悪な空気は全く感じないところからして、普段からこんなノリなのだろう。

 と、話を戻すが、改めて二人のやり取りを眺めていて、どうにも楽観視している場合じゃないぞ。ということに悠一は気が付いた。というのも、今、二人の間で取り沙汰されている話題が、彼の処遇についてのものだからである。

 「五千ギルぽっちの為に無責任な依頼なんて引き受けてさ。そんなの全うする意味ないでしょ」

 「えー? そう? うーん、そうかもなあ……」

 しかも、どうにも風向きがよろしくない様子であり、悠一を追い出す方向に話が流れ始めている。今こそ翻訳機の力で会話も可能ではあるのだが、もしもこれでこの家を追い出されるようなことにでもなれば、当然翻訳機は取り上げられて最初の状況に戻ることとなるだろう。そうなれば当然彼のお先は真っ暗だ。

 最悪の状況を想像して、ぶるり、と震える悠一。

 「あ、あの!」

 気付けば彼は、二人の会話に声を挟んでいた。

 「ん?」

 「何さ?」

 「俺、手伝います! 出来ることならやりますから、だからここに置いて下さい!」

 頭を下げる悠一の姿に、ツナギとニャンゴロー……――もといマサムネの二人は顔を見合わせた。

 「う、うーん……?」

 「それじゃあ、家事でもやってもらう……?」

 

 ■■■■

 

 結果から言えば、駄目だった。

 五百年後の世界の家事が進化していたからとか、そんな理由ではない。むしろそれ自体は、本当に遥か未来の世界なのか疑わしくなる程に、悠一が暮らしていた時代と同等のものだった。ならば何が駄目だったのか。それは勿論、何年も引き込もっていた悠一に、まともな家事をするスキルが備わっている訳もないということ以外ないだろう。

 洗濯も掃除も料理も、何一つ満足にこなすことが出来なかった。唯一洗い物は出来たが、要領が悪く猫のマサムネに仕上がりで負けているくらいである。駄目駄目の駄目だと言えよう。

 ……いや、訂正しよう。負けているくらい、じゃない。実のところ、猫のマサムネの家事スキルはこの家の中で一番高いのだ。

 「生きててすいません……」

 はちゃめちゃになった食材を前に、ずーん、と擬音が浮かびそうな程に目に見えて落ち込んでいる悠一。やれやれ、とマサムネは鼻を鳴らした。

 「ほら、邪魔だよ下がった下がった」

 「あ、は、はい」

 そうしてマサムネは悠一をその場から退かすと、高い踏み台を使って調理場に立った。そして、猫の顔にぴったりフィットするマスクで鼻と口元を覆うと、鮮やかな手付きでナイフを動かし、ニンニクや玉ねぎを刻んでいく。

 「えっ? いや、手、手ぇどうなってんスかそれ!?」

 「うるさいな。手袋してるんだよ」

 猫の手でナイフなんて扱えるのかと驚く悠一に、マサムネは自身の手を見せ付けた。手を覆うような丸い手袋に、まるで吸い寄せられるようにナイフの柄が張り付いている。

 「ふふん。私の作ったなんでもペタリ手袋だよ」

 いつの間に現れたのか、横でどや顔をしたツナギが詳しい解説を始めた。

 「掴みたい物に合わせて形状を変えて、包み込んで真空状態にすることで決して離れなくするという優れものなのさ。そしてエプロンと含めて体毛も落とさないという完璧さよ」

 「は、はあ……。っていうか、ツナギさんは何してるんです?」

 「え?……解説? いや、私だって料理は出来るんだけどさ? 出来るんだよ? でもほら、自分の為に作るのとか面倒じゃん?」

 「あ、はい」

 でもこの家二人暮らしなんじゃあ。という意見を悠一は飲み込んだ。そしてその間にも、猫によるクッキングは続いていく。鍋に湯を沸かすと塩を大さじ一杯程落とし、乾麺を入れて泳がせる。その間に隣にフライパンを用意させ、オリーブ油でニンニクを炒め、火が通った段階で切っておいた玉ねぎ、ベーコンを加えて炒め合わせていく。

 「ちなみにフライパンとかの用意は私がしたんだよ。重いからね!」

 「いい加減、俺用の調理セット作ってくれよな。まあ慣れてるけどさ」

 そんな愚痴を溢しながら、マサムネは具材を炒め合わせたフライパン内に牛乳を流し入れ、コンロの火を弱火に変えた。そして更に、小さくちぎったチーズを投入すると、焦がさないようにかき混ぜていく。

 「チーズが柔らかくなったら、茹でてた麺を移し入れる。ツナギ」

 「はいはい」

 呼び掛けを受けて、ツナギがさっと鍋から麺を移すと、マサムネはそこに塩コショウを振り掛ける。

 「さて、後は……」

 ペタリ手袋を器用に使いこなして卵を持ち上げると、それをボールに割り入れ、白身と黄身を混ぜ合わせる。そしてフライパンの火を止めて、麺と具材を合わせたそこに流し込んでいく。仕上げにぐるりとヘラで軽くかき混ぜれば、

 「はい、マサムネ特性カルボナーラ。旧時代から受け継がれてきた、由緒正しい料理だよ」

 完成したのは、悠一にも見覚えのあるパスタであった。聞くところによると、言葉や文字は統一されたが、料理に関しては各国の人間にそれぞれ譲れないものがあったらしく、統一後もそれぞれの地方によって千差万別の料理が受け継がれているのだとか。さて、そのお味は。

 「うまっ!? ちょ、やばいっスねこれ!」

 と、引き込もって以来、食に関して無関心を貫き通してきた悠一が思わず声を上げる程に、それは美味であった。

 「どーよどーよ?」

 「いやなんでツナギが勝ち誇ってるのさ……?」

 ツナギと悠一の二人分用意されたパスタと、マサムネが自分用に用意したキャットフードらしきものがテーブルに並んでいる。紛れもなくそれは食卓と呼ぶに相応しいものであった。

 「いや、本当に美味しいっス……」

 思えば悠一にとって食事なんてものは、ただ死なない為に摂取するべきものでしかなかった。

 当然そこに感謝等という感情は含まれず、当たり前に出されたものを当たり前に食べるのみであった。悠一は覚えていないが、この世界に来る前の彼の死因が食事だったというのも、因果応報な結末なのかもしれない。

 だからこそ、こうして目の前で調理している姿を見て、そしてテーブルを囲むというのは、相手が猫ではあるが悠一にはとても新鮮で、そしてどこか懐かしい光景だったのである。

 「…………どしたの?」

 「あ、いや、なんでもないス」

 目頭を抑えながら、悠一が小さく口にする。食事の美味しさも相まって、彼は目の前に広がる光景をしばらく忘れられそうになかった。

 

 しかし感動している悠一を余所に、ツナギたちは相変わらず彼の処遇について思案していた。

 「どーしたもんかね」

 「だから追い出そうって言ってるじゃん」

 時間は、正午を過ぎて間もなく午後一時になろうかというところ。昼食も済み、流石に何かしらの結論は出さなければならないのだろう。うーん、と思案して、ツナギは一つの結論を出した。

 「彼の時代の事とか、聞きたいことは色々あるから今晩は泊めるけど、明日以降は関与しない。これでいいでしょ?」

 「ま、まあそれくらいならいいけどさ……」

 「ん? ニャンゴローさ、なーんか最初からユーイチに対してツンケンしてない? ……まさかそれ、ヤキモチ?」

 「おまっ! そんな訳あるか! バカっ!」

 ――全部聴こえてるんだよなぁ――

 気分は針のむしろ……いや、まな板の鯉と言うべきか。明日には追い出されることが確定してしまった悠一が己の身の振り方について懸念していたその時、時計の針が一時を示すと同時にツナギの腰にぶら下げていたタイマーが、ピピピピピ……とけたたましい音を立て始めた。

 「おっと」

 「な、何スかその音……?」

 驚いてそちらへ目を向ける悠一に、この音が嫌いなのかパタリと耳を折り畳むマサムネ。そして、ツナギは慣れた手付きで腰を見ずにタイマーをストップさせると、「あ、そうだ!」と口にした。

 「折角だし、手伝って貰おうかな。ちょっと来て」

 そして、言うが早いか悠一の腕を掴んでずんずんと歩いていく。

 「わ、わっ? ちょ、ちょっと……!」

 ツナギの強引さに負けて悠一が連れられた場所は、見覚えのある広い部屋であった。

 「ここ、さっき通った……」

 「そ。ここが私の工房。『ざわめき工房』。あれ、表の看板見てない?」

 ツナギの言葉に、ぶんぶんと首を横に振る悠一。見ていないのも事実ではあるが、そもそもが山賊のような男に縛られて歩かされていた現状で、周囲を伺う余裕などなかったとも言えるだろう。更に言うなら、見ても理解は出来なかったのだろうが。

 「……あ、そっか。君文字読めないのか。じゃあ駄目だわ。とにかく、やってもらいたいのはこれなんだよね」

 そう口にしたツナギが示唆する先には、何やらカマボコのような形をした大小様々な白い塊が並んでいた。

 「あの、これは?」

 「うん。ちょっと見てて」

 そして、言うが早いか彼女は工房の一角にある大型の機械の側へと移動して操作を始めた。

 機械にはモニターと、そして二メートルはあろうかという大きな黒いテーブルとに分かれており、更にテーブルには白いロボットアームの様なものが取り付けられている。

 ツナギはテーブルの上のくぼみに先程の白い塊をピタリと嵌め込むと、振り返って悠一に何かを投げ渡した。

 「え?」

 それは、彼女が頭に付けているものと同型のゴーグルてある。呆気に取られている悠一に向かって、ツナギが言う。

 「光が強いからちょっとそれ付けてて!」

 「あ、は、はいっス」

 正直なところ彼女の言葉の意味は分からなかったが、言われたことには従うべきだろうと悠一は受け取ったそれを装着した。

 それを見届けたツナギもゴーグルを付けると、大型機械のスイッチを入れる。するとテーブル上のロボットアームが動き出し、白い塊に指先を向けて、強い光を放ち始めたのである。

 ――あれ、これって――

 その光景は悠一にも見覚えのあるものだった。確か彼のいた世界ではそれを、レーザー加工と呼んでいた筈だ。成る程それなら、ゴーグルをするよう言われたことも頷ける。確かレーザー光は直接目で見てはいけないと、テレビか何かで聞いたことがあるからだ。

 ジイィィィィ――――!と音を立てながらアームが動き、レーザー光が白い塊を焼き切っていく。一周ぐるりとアームが移動したところで、白い塊の下半分が焼き切られてテーブルの上へと落下した。

 残った上部分を取り外すと、丸い箱を逆さまにしたような立体形状をしたそれを、ツナギは悠一の元へと持参する。

 「それ、レーザーっスか? なんか車の製品作ってるの、昔見たことあります」

 「そ。レーザー。焼き切ってるから、縁がザラザラしてるでしょ? 君にはこいつを削って欲しいってわけ」

 白い塊の他に、彼女は黒くザラザラした紙も持っていた。紙ヤスリである。

 それならば悠一であっても、少なくとも家事よりは出来るであろう。というわけで悠一はツナギの指示に従って席につくと、これまた指示通り白いパーツの縁をざりざりと磨き始めた。

 「これ一周ぐるりとやる感じでいいんスかね」

 「そそ。縁だけね。じゃあどんどんやっちゃうから、ゴーグルしててもこっちは極力見ないように」

 どうやらツナギは、置いてある白いパーツを次々にレーザー加工していくつもりらしい。彼女の言葉通り、一つ削り終わる頃には削り待ちの製品が四つは出来上がっており、しばらくは会話もなく静かな時間が続いていく。

 「やー。終わった終わった」

 ややあって、全てのパーツを加工し終えると、ツナギも削り作業に加わった。隣に座られた悠一は若干どぎまぎとするも、ツナギの方は平常そのものらしい。

 「あの、そう言えば聞きたかったんですけど、これは何なんスか? 何か大きなパーツやら小さなパーツやら沢山ありますけど」

 「それは出来るまでのお楽しみ……って言いたいところだけど、君には関係ないか。えっとね、こいつは外側になるんだよ。――あれのね」

 そう言ってツナギが指差した窓際へと悠一が目を向けると、そこには四足歩行の動物の様な形をしたロボットが鎮座していた。

 「うわ!? なんだありゃ!」

 「なんだとは失礼だなぁ。ロボットくらい君の時代にもあったでしょ?」

 「う……、それは、まあ……」

 突然のことに驚いてしまったが、確かにロボットは悠一の時代にも存在した。その事を告げると、ツナギはニッと笑みを浮かべる。

 「やっぱりあるんだ!? いやー、これはさぁ、依頼人のお爺さんに頼まれたやつなんだよね」

 「お爺さん? お爺さんがロボット欲しがったんスか?」

 「いやー、そうではないんだけどね。奥さんに先立たれちゃって寂しいから、話し相手が欲しいんだって」

 「え。それで犬のロボって」

 何か根本的な所が間違っているのではないかと思った悠一だったが、特に指摘しようとは思わなかった。この世界に来たばかりの自分には量れない意味合いもあるのかもしれないからだ。

 そんな事を考えている悠一に、笑顔のツナギが顔を寄せてきた。

 「それでさ。折角だから君の話を聞かせてよ」

 「えあっ……、あ、は、はい、えっと……」

 悠一からすれば、ツナギは同年代くらいに見える女性だ。こんな気さくに距離感を詰められるのは、女性慣れしていない彼にとっては刺激が強すぎるのだろう。一瞬のうちに悠一は耳まで真っ赤になってしまった。

 「その、面白くはないと思うんスけど……」

 しかし、求められた以上は応えなければならないだろう。ツナギの言葉を受けて、彼はポツリと話し始める。自身が生きてきた世界のことを。

 

 ■■■■

 

 「なるほどね」

 話が一段落すると、ツナギは納得したといった様子で深く頷いた。

 「VR技術に、スマートフォン、IH、電気自動車。真っ当な科学時代、って感じだったんだね。君達の時代は」

 「えと……、ここは違うんですか?」

 「うーん……」

 悠一の言葉にツナギは腕を組むと、目を閉じて思案した後でこう口にした。

 「場所によってまちまちなんだよね。例えばこの国の中央に位置する大都市、【ニューテート】なんかは正しく科学が発展した都市でね。その技術も最先端を行ってる。――車が空を飛ぶような街、って言えば分かりやすいかな?」

 「車が、空を?」

 「まあ車に関してはまだ開発途中だから、実用化はもっと先だろうけどね」

 そう口にして苦笑いするツナギであったが、それでも凄いことだと悠一は思った。車が空を飛ぶと聞けば、それは未来都市の光景だと想像する人間は多いだろう。それが実現に近付いているということは、ここが紛れもない未来世界だという証明に他ならない。

 「でも、どこもそんな科学都市な訳じゃない。例えばここからずっと南にある、島に囲まれた町【ガクイランカ】は、極力科学に頼らず、自然な生き方を大事にしてるんだ。街の一つ一つが、それぞれ独自のルールや信念を持ってる。と言った方が良いのかもしれないね」

 「……そっスか……なるほど」

 ツナギの言葉に、悠一も深く頷いた。彼女の言葉はよく分かる。何せ五百年前、悠一の時代だって国ごとに大きく文明や技術の差異があったのだ。その国が街に変わったというだけで、人間の本質は変わっていないということなのだろう。

 「ええと、それで君が今いるここなんだけど」

 「あ、そう! そっス! ここ! どこなんスかここは!?」

 「こらこらこら近い近い」

 と、ここにきてようやく、悠一の現在地についての言及がなされた。前のめりに聞き入る悠一を押さえて苦笑すると、ツナギは言葉を続ける。

 「ここはね。ニューテートの北西部。山を越えた場所に位置する田舎町、キタート町だよ」

 「キタート町……」

 「そ。キタート。名産はしいたけ。ニューテートの目まぐるしい暮らしに疲れた人々が、最先端の科学から遠ざかった自然の中でのんびり暮らしたいって数多く集まって出来た町なんだ。そんでもって、ここは更にその町外れの郊外ってところかな。未来の世界には全然見えなかったでしょ?」

 「それは……まあ……」

 確かに、最初彼が倒れていた田園風景やグレッグは五百年後の存在にはとてもではないが見えなかった。――しかし。

 「でも今俺がツナギさんや、ニャン……えっと、マサムネさんと話せているこの翻訳機は、とても俺の頃の技術じゃないっスよ。ここだけは、未来を感じました」

 「あー、まあね。なんてったって私、天才だから」

 悠一の言葉を受けてははは、と高らかに笑った後で、しかしツナギの笑いは乾いたものへと変化していた。

 「……違うんだ。本当はそれ、父さんの遺したものなんだよ」

 「そ、そうなんスか」

 「天才はね、父さんだったんだ。ニューテートにしかない技術を独力で再現して、しかもそれを上回っちゃったんだから」

 「ええ!? そうなんスか!?」

 あの翻訳機を一人で作り上げたと聞いて驚く悠一であったが、何かに気がついて、「えっと」と声を出した。

 「じゃあツナギさんの所に置いてある、あの凄そうなパソコンは?」

 「そう。だからさ、あのコンピューターも、父さんの遺産なんだ。持ち出しが禁止なら、一から作っちまえってね。本当に凄いヒトだったよ」

 言いにくそうに顔を反らしてそう口にするツナギに、悠一は慌てて頭を下げた。

 「あ、す……すんませんっス! 悪いこと聞いて……」

 「いいのいいの、昔の話だからさ。それに、私だって負けるつもりはないんだよ。……あのロボットは私作だし」

 「そ、そっスか」

 「それにまぁ、のどかと不便は紙一重な所もあるじゃない? お陰でこちとらの発明品にも一応の需要はあるしさ。悪いことばかりでもないのよこれが」

 言って、朗らかな笑顔を見せるツナギと、それに釣られて照れたように笑う悠一の二人。そんな話をしながら二人で手を動かしていると、それから一時間ほどで削り作業は完了した。

 

 「よーし、これでオッケー。ありがとね。じゃあちょっと組んでみようか」

 ツナギはそう言うと、ロボットを持ってきてその周りに今まで削っていた白いパーツを被せていく。パーツを合わせ、くりくりとネジ止めし、待つこと十分。果たしてそこに、白い犬の姿が完成した。

 「おお!」

 突き出した鼻面、垂れた耳。目には黒いガラス玉が嵌め込まれている。毛はなく硬質なプラスチックの体だが、小型のビーグル犬のようなフォルムをしたそれは、動かずとも愛らしさが伝わってくる出来映えであった。

 「子犬だ! すご! 可愛いっスね! ああ、このパーツ脚だったのか」

 自身が削っていたパーツが使われて出来上がったそれを見て、悠一も何やら誇らしい気分になってくる。

 「塗装はこれからだけどね。じゃあ試運転いこっか。スイッチオン!」

 ツナギの言葉と共にロボット犬が動き出す。ブルブルと身を震わせると、伸びー、と身体を伸ばし、トコトコと拙い足取りで悠一の側に近付いてきたかと思ったら、その側にちょこんとお座りして『ワン!』と鳴いた。

 「ちょっ、完璧じゃないスか」

 「完璧だねこりゃ」

 その一挙手一投足が、二人を暖かい空気へと包み込む。悠一はロボット子犬を抱き上げた。

 『キュウーン』

 柔らかさこそないが、愛らしさは百点満点といったところか。

 「――あれ?」

 と、子犬を持ち上げた悠一は何かに気が付いて声を上げた。

 「この時計なんスか?お腹についてても見れないような……」

 そう。子犬の腹部にはアナログの時計盤が取り付けられていた。しかし彼の言うように、子犬は常に四足で歩行するために普段は見ることが出来ないのである。ならば何の為の時計なのか。

 その意味を尋ねられ、ツナギは「んっふっふ」と不敵な笑みを浮かべる。

 「ちょっとその子貸して貰える?」

 「あ、ハイ」

 悠一から子犬を受け取ると、彼女は子犬の腹の時計――その近辺にいくつか並んだつまみを捻り、操作を始めた。

 「これはね、新機能の為に付いてるんだな。……じゃあ時間とメモリを合わせて、と」

 「へ? 新機能?」

 「よし、いってみよー!」

 ツナギはそう口にすると子犬の両耳の付け根を押さえ、そして子犬を床に放った。

 「お、――おお……?」

 しかし子犬はその場から動こうとせず、ウウウウウウ……と低い唸りにも似た音を立てている。

 「あの? 別に何も――――」

 その不可解な挙動に悠一が首を捻ったその瞬間。

 『ワヒンワヒンワヒンワヒン!!』

 子犬が突然けたたましい大声で鳴き始めたではないか。

 「うわ!?」

 しかもそれだけではなく、首をスクリューのように360度ぐるぐると回転させながら、悠一に向かってホバー移動で突っ込んで来たのである。

 『ワヒンワヒンワヒンワヒン!!』

 「ぎゃあああぁぁぁぁッッ!?」

 そんな状況で驚かない人間はまずいないだろう。悠一も飛び上がる程仰天して、絶叫とともに部屋の隅へと逃げ出した。

 「ちょ、ツナギさんッッ!?」

 この状況の原因たるツナギに何とかしてもらいたいと声を出す悠一であったが――。

 「わ!? こっち来た! ひぃ!」

 そこには最早妖怪と化した子犬から逃げ回っているツナギの姿があった。

 『ワヒンワヒンワヒンワヒン!!』

 「嘘だろオイ!? ぎゃあ!」

 「こらぁ! うるさいぞ!!」

 騒ぎを聞きつけたのだろう。ワーギャーと喧しい工房内にマサムネも顔を覗かせた。…………のだが。

 「二人とも何を大騒ぎして……にゃあぁぁぁぁぁぁッッ!?」

 当然の如く首を回転させて襲い来る子犬の餌食となり、こうして室内は阿鼻叫喚の渦に叩き込まれるのであった。

 

 ■■■■

 

 「はい、反省してます」

 しばらく経った室内にて。正座させられているツナギの姿がそこにあった。

 「なんでこんな機能作ったの」

 怒りの眼差しを向けるマサムネに、いやぁ、とツナギは頭を掻く。

 「目覚ましになるかなーと思って」

 「ショック死するわこんなん!」

 「ショック死するっスよ」

 「うぐぅ」

 二人に責められて返す言葉もない。ペコペコと謝罪した後で、ツナギは息を吐き出した。

 「はぁぁ、いけると思ったんだけどなぁ」

 「全然反省してない!」

 「ひぃ!?」

 ツナギがマサムネに詰められている横で、悠一は子犬へと目を向けた。電源が切られたそれは“伏せ”の姿勢でちょこんと充電マットに鎮座しており、先程の挙動を無かったことにすれば実に可愛いらしい。

 「……で、どうするんスか?さっきの目覚まし機能以外はとてもいいので、あれが無くせりゃ大丈夫だとは思いますけど」

 「あ、それなら問題ないかな」

 悠一の言葉を受けて、ツナギが口を開く。

 「目覚ましのスイッチは両耳の付け根にあって、これを同時押ししないと作動しないんだわ。普通に使ってればまずそんなこと起きないから大丈夫でしょ」

 「なんというフラグ発言……」

 「は? フラグ?」

 「あ、いや、こっちの話っス」

 とにもかくにも、後々大変なことを起こす予感が満々な子犬を眺めて、悠一は嘆息するのであった。

 

 ■■■■

 

 夕食後、悠一はツナギに呼び出されてコンピュータールームにいた。

 ちなみに夕食の内容は、焼き魚にだし巻き卵、ほうれん草のごま和えに味噌汁である。悠一が旧日本人ということで、マサムネが気を利かせて和食にしてくれたらしい。なんやかんや口うるさく言ってはいるが、内心は凄くお人好し……お猫好しなのかもしれない。と悠一は舌鼓を打ちながら思ったものである。

 さて、場面を戻そう。

 「お願いしたいことがあるんだけど」

 散々にマサムネに絞られた後で、げっそりとしたツナギが悠一をその薄暗い部屋へと連れ出した。どぎまぎとしている悠一を尻目に何やらコンピューターを操作すると、彼女は次いでこう口にする。

 「クソゲー、やってくんない?」

 「――――へ?」

 「クソゲー。趣味でね、作ってんの。こう、ね。折角だから他人にプレイしてもらいたいじゃない?」

 「は、はあ。クソゲー、っスか」

 言われるがままにパソコン前へと座らされる悠一。ツナギは横の回転椅子に座って悠一の様子を眺めている。

 パソコンのモニターには『ニャンゴロークエスト』とのゲームのタイトル画面らしきものが表示されていた。

 「…………」

 何やら気になって、パソコンを操作する悠一。時代を経ても、マウスでの操作感やキーボード等は変わらないらしい。画面をクリックすると、ジャジャーン! というファンファーレと共にゲームがスタートした。

 『さあ頑張ろう』という表示と共に、猫であろうキャラクターが画面に映し出される。クオリティとしては、悠一の時代で言うなら三十年前のレベルだろうか。

 「え、えーと?」

 さあ頑張ろうと言われても、何をどうすれば良いのか。とりあえずキーボードで操作出来るらしいな、と、悠一がオロオロしていると、画面のニャンゴローに他の猫が近付いてきた。

 「お? 友達?」

 そしてその猫がニャンゴローに隣接すると。

 『残念! ニャンゴローは死んでしまった!』

 ゲームオーバーになった。

 「なんでだよ!?」

 「あちゃー、ダメだよ逃げないと。猫の世界はシビアだから。基本的に他の猫の縄張りへの侵入は許されないし」

 「そんなリアル事情いる?」

 そして画面には、『死因・縄張り争いに負けて噛み殺される』との文字が表示されている。

 「そんで死に方えっぐいな!」

 「はいはい、もう一回もう一回」

 「っス……」

 ツナギに促され、再度ゲームに挑む悠一。今度は他の猫に当たらないように逃げながら移動する。

 「……けどこれ、どこ行けばいいんスか? 目的も何も全然分からないというか……」

 「ふふ。それを探すのも醍醐味なのだよ」

 「そうかなあ?」

 と、適当にぶらついていると、画面に猫とは違うグラフィックのキャラクターが登場した。小さくてチョロチョロと動くそれは――。

 「あ、ネズミだねそれは」

 「やっぱり。それなら――」

 そう言って画面のニャンゴローをネズミにぶつける悠一。

 「あ、ダメ!」

 「へ?」

 『残念! ニャンゴローは死んでしまった!』

 なんとまたしてもゲームオーバーに。

 「なんで!?」

 「ニャンゴローネズミ嫌いだから……」

 知るかと叫びたい悠一であったが、最早突っ込む気力もない。その間に、画面には『死因・ネズミに内臓を食い破られる』との表示が。

 「いやさっきからなんなんスかこの生々しい死因は!」

 「臨場感を出そうかと」

 「いらんわ!」

 突っ込む気力もないと言ったばかりの悠一だが、流石に突っ込まずには居られなかったらしい。ツナギが若干怯えた目を彼へと向ける。

 「ゆ、ユーイチ、なんかさっきまでとキャラ違わない?」

 「ゲームに関しては妥協しねーんスよ! 次行きますね!」

 「あ、う、うん」

 そうして三度目のトライ。今度は他の猫もネズミもその他怪しげな動くものは軒並み回避しながらフィールドを探索する悠一。理不尽な死も襲っては来ず、順調に行っているように見えた冒険だが、しかし。

 「いやなんもねー」

 二十分程ブラブラしても、ゲームには何の進展もなかったのである。

 「手持ちのアイテムはないし、出来ることもないし敵には当たれないし、どうするんスかこれ?」

 「ほら、行ってない所に行ってみるとか」

 「行ってない所って、後はこの排水溝みたいな所っスけど、ここはこの敵猫がガッチリガードしてて進めないっスよ?」

 「え? そう?」

 「そうそう。――――むう」

 言って再び考え込む悠一であったが、どう考えてもそこ以外に行けそうな場所はない。ぐだぐだ考えていても仕方ないと、覚悟を決めて通路を守る敵猫にぶつかることにした。

 「ええい、仕方ねぇ! うらっ!」

 万が一にも倒せるかもしれない。ここで負けるようならお手上げだと勢い込んで体当たりを敢行する悠一ことニャンゴローであったが、次の瞬間。

 『やあニャンゴロー、今日はどうしたんだい?』

 その猫が気さくに話し掛けて来たのである。

 「いや駄目だろ!」

 矢も盾もたまらず大声を上げる悠一に、身をすくめるツナギ。

 「普通に考えて! 会話できるイベントキャラと即死攻撃してくる敵キャラが同じグラフィックじゃ駄目でしょ!?」

 「ほら、人は見掛けによらないって言うし……」

 「そんなリアルいらんわ!! クソゲーか! クソゲーだわ! あーくそ!」

 クソゲー製作者としては、こうした反応こそが求めているものなのである。嬉しそうな様子でチラチラ悠一へと目を向けるツナギを尻目に、悠一ことニャンゴローは会話を続けていく。

 『こっちも元気にやってるよ。ところで最近魔王が復活したらしくてね。愚かな人間たちは滅ぼされてしまったんだ。で、魔王を倒すための聖なる剣がドラゴンの谷に封印されているからドラゴンの谷に行くための許可証を手に入れて欲しいんだ。許可証は二つの山を越えた先の洞窟にある――』

 「待て待て待てなんか一気に情報詰め込んで来る!」

 セリフの表示には限界があるので、いきなり大量の情報を渡されても確認する術がないのだ。しかも大した話だとは思ってもいなかったので全然情報が頭に入って来ない。

 「なんか雑談っぽい話し出しだったじゃないっスか!…………ん?」

 画面を見ると、ニャンゴローの返答だろうか?選択肢が二つ表示されている。

 『よし分かった』 『そんなことよりネコ缶を渡せ』

 

 「…………まあ、これは下でしょ」

 明らかなネタ選択肢を見たら、とりあえず踏んでみたくなるというものである。ニャンゴローがネコ缶を要求すると、相手の猫の画像が赤く変わった。

 『なんだと! 貴様だけは許さない! 地獄に落ちろ!』

 『残念! ニャンゴローは死んでしまった!』

 『死因・食べ物の恨み』

 

 「――――フゥー……」

 ゲームオーバー後、タイトル画面に戻ったことを確認して悠一は深く息を吐き出した。

 ツナギと悠一、二人の間にしばしの沈黙が流れる。

 ややあって、悠一は口を開いた。

 「他の奴、あります?」

 「――え? 他……、ああ、他のやつね! あるある! じゃあこれなんてどう? 去年クソゲーグランプリ第二位だったやつなんだけど」

 「クソゲーグランプリて」

 そう言ってツナギがパソコン画面に映し出したものは、また違うゲームであった。

 【ザ・ビーンズ】

 と文字が表示されたタイトル画面には、可愛い女の子キャラクターの上半身が映っている。

 「…………」

 ニャンゴロークエストがあれだけツッコミ所の塊だったのだ。これも油断は出来ないと構えて挑む悠一であったが、出だしは特に普通であった。

 ポワリコ『今日もいい天気!さあ、お仕事に出発よ!』

 自宅で目覚めた少女ポワリコは、仕事に行くと家を出る。先のニャンゴロークエストはここでプレイヤーに丸投げだったのだが、

 ポワリコ『まずは冒険者ギルドに行かなくちゃね。冒険者ギルドは“街の南西”よ?』

 「ちゃんと指示がある! 優しい!」

 とまあ、妙な所で感心してしまう悠一なのであった。

 

 それから冒険者ギルドに行って魔物討伐の依頼を引き受けると、近くの草原で低級の魔物を狩ることに。

 『ミギャー!』

 なんとか命からがらに三体の一角ウサギを仕留めると、ポワリコはギルドでお金を受け取った。

 「……なんか、あまりにちゃんとしてまスね……」

 余程ニャンゴロークエストが衝撃だったのだろう。まあこっちはちゃんとしてそうだし、いつまでも引きずってもしょうがないと操作を続ける悠一。

 ポワリコ『よし、お金も入ったし一旦帰りましょう』

 ポワリコからそう指定があったので一旦自宅に戻ることになったのだが、果たして自宅で何をするのだろう? 武器屋とか防具屋で装備を買うんじゃないのだろうか? そんな悠一の疑問に対して、しかしすぐにポワリコが答えを出してくれた。

 ポワリコ『さあ、頑張って豆の品種改良をしていくわよ!』

 「ちょちょちょっ!ちょっと一旦ストップ!」

 「なにさー。これからが本番なのに」

 ぶーぶーと口を尖らせるツナギを制すると、恐る恐る尋ねる悠一。

 「いやあの、これはひょっとして、豆の品種改良をするゲームっスか?」

 「え? そうだけど」

 「くあー!」

 慟哭が口をつく。やはりまともなゲームなどではなかったのだ。

 「モンスターを倒して、得た資金で豆の品種改良をひたすら行っていくのが基本かな」

 「ポワリコちゃんはどうして豆の為に命懸けの戦いを……」

 「この国の豆は凄いからねぇ」

 「はあ……」

 とりあえず、豆の品種改良がメインということで悠一は先に進むことに。

 「ええと、強さ、味わい、魅力、この三点にお金を投資するんスか」

 「そそ。資金は一項目につき999ギルまで投資出来て、多ければ多い程品種改良の成功率がアップするんだよ」

 「へえ。じゃあ試しに……」

 悠一は、強さの項目に100ギルを投入し、残り二つの項目には最低値である30ギルを投入した。そうして、品種改良!と表示されたボタンを押すと、ポワリコが研究に悪戦苦闘しているポップなイラストが流れ、そして――――。

 『アサルトライフルが完成しました』

 「なんで!?」

 いよいよ突っ込まずにはいられなかった。なんで豆の改良で全自動射撃能力を持つ自動小銃が完成しちゃってるのか。

 「この国の豆は凄いからねぇ」

 「ああ、はい」

 突っ込んではいけないということなのだろう。言葉の意味は分からないがとにかく凄い自信を感じさせるその発言に、悠一もそれ以上の言葉を引っ込めた。そんな彼の様子を知ってか知らずか、パソコンの画面に視線を戻すとツナギは「いやーしかし驚いたわ」と感嘆の声を上げた。

 「っていうか、初手アサルトとかめちゃめちゃ強運だからね?」

 「え?そうなんスか?」

 「いやマジマジ。今の資金投入で引き当てるの、二%くらいの確率よ?」

 「は、はぁ……、なるほど」

 凄いと言われても実際に引いてしまったものは引いてしまったので、実感が湧かないというのが正直な感想だろうか。

 「まあ、そう言われると悪い気はしないっスね」

 「でしょ?」

 最初こそ設定のぶっとび具合にたじろいだ悠一であったが、改めて考えれば、豆の品種改良が主目的というこのゲームは、別にそんなにおかしいものでもないのかもしれない、と思い直した。設定の要である“豆”を錬金術か何かだと考えれば何の違和感もない。むしろこの手のぶっ飛んだ内容は悠一の時代のソーシャルゲームなどでもあった気もする。

 「とにかく、これは武器ってことで良いんスよね? ――うわ攻撃力たっか!?」

 そう考えた悠一の順応は早かった。手に入れたアサルトライフルを詳しく調べると、早速ポワリコへと装備させる。豆の品種改良を生業とする研究者が何故重火器を扱えるのかは分からないが、今まで素手でウサギと戦っていた彼女の戦力はそれによって大幅にアップすることに。

 「これでウサギ狩りも楽勝っしょ」

 事実、あれだけ命からがらに倒していた一角ウサギが一網打尽になったのだから、その威力は押して知るべしと言ったところか。ダメージを受けることなく十五匹程ウサギを狩ると、あっという間に手持ちの資金も300ギル程になっていた。

 「スゲー!」

 そこで悠一、もといポワリコは一旦ラボに戻って豆の品種改良を行うことに。また新たなアイテムを得ようという目論見であったが――。

 「……おりょ? この“アイテム品種改良”ってのは何スか?」

 いつの間にか、選べる項目に見慣れぬ新規のものが追加されていたのである。

 「見ての通り、アイテムに対する品種改良だよ。今の場合はアサルトライフルが対象ね」

 「え。じゃあこの銃が更に強いものになるってことっスか?」

 「上手く行けばね。けど――」

 「よっしゃ、善は急げっス!」

 「あっ」

 そうと聞けばやらない手はない。一も二もなく悠一はアイテム品種改良の項目を選択すると、アサルトライフルを指定する。

 「あの」

 「ここはやっぱり、強さに300ギル全振りっスね」

 そして品種改良開始、とボタンを押すと、ポワリコが薄暗い研究室で何やら溶接しているような画像が映し出される。――品種改良とは?

 一瞬疑問に思わないでもないが、数秒程掛けてバタバタとした画像とBGMが通り抜け、そして――――。

 

 ポワリコ『ごめんなさい、失敗しちゃった……』

 『アサルトライフルはグリーンピースになりました』

 「――――っえ!?」

 流石にこの事態は想定していなかったのか、すっとんきょうな声を上げる悠一。それを横で見ながら、ツナギは「あ~あ」と口にした。

 「まだ話途中だったのに慌てるからー」

 「えっ? なんで?」

 「レア度の高いアイテム程、品種改良の成功率が低くなるんだよ。アサルトライフルなら、資金を三項目ともフルで投入したとしても成功率は五割ってところかな」

 「グリーンピース……」

 「成功率については、その逆の失敗危険度って数値で画面に表示されてるから、しっかり見ながら品種改良するといいよ」

 「くそ、やり直しかぁ……」

 だいたい一段落したと思ったのだろう。そこまで言うとツナギは立ち上がり、部屋の後方へと移動した。

 「ツナギさん?」

 「いやホラ、そろそろ塗装に行かないとさ。ベッドはここの使っていいからね」

 暗くて分かり辛かったが、部屋に入ってすぐの右の壁際にはベッドがあったらしい。くしゃくしゃの布団に思うところでもあったのか、ツナギは言いながらベッドメイキングを始めた。

 「ありがとうございます。とりあえずはまた、ちまちまウサギ狩りに行かないとなぁ。ああ勿体ないことした……」

 「んふ」

 何が楽しかったのか小さな笑い声を溢した後で、おもむろにツナギは自分で整えている最中のベッドに倒れ込んだ。気持ち良さそうな布団の魅力に負けてしまったものと思われる。そして布団に横になったまま、ツナギは悠一に向けて口を開いた。

 「クソゲーってさ」

 「――――え?」

 「私はね、クソゲーってのは、決して人を楽しませるゲームじゃないと思ってるんだ。むしろその逆。プレイヤーに苦痛を与えるものだとさえ思う」

 「苦痛を?」

 「うん」

 もぞもぞと布団に潜り込みながら頷くツナギ。

 「面倒で、馬鹿みたいな難易度で、クリアの為の労力が半端なくて、こんなもの二度とやるかって怒りが沸く程のものなのに、気付いたらまたやっている。それがクソゲーの魅力だと私は思ってるんだよね」

 「…………成程」

 時間を忘れる程ゲームに熱中してしまうというのは、悠一にも理解の及ぶ所である。確かに何度投げ出そうと思っても、それでも頑張って続けてしまうゲームというものは過去にもあった。そしてそれをクリア出来た時の達成感ときたら……。

 「……言ってることは分かりますけど、別に苦痛は与えなくても良いのでは? 楽しくて熱中出来たら最高じゃないっスか」

 「楽しくて、熱中?」

 悠一の言葉にピクリと反応するツナギ。

 「楽しくて面白くて爽快感があるなら、それはもうクソゲーじゃないんだよ。普通の良ゲーだよ。去年だって……!」

 「去年? 何かあったんスか?」

 突然熱の入った弁舌を繰り広げる彼女であったが、その言葉の中の去年という単語が気に掛かり、悠一が質問する。ツナギは口を尖らせた。

 「今やってもらってるそれ。豆の品種改良ゲームね、去年のクソゲーグランプリの準優勝なんだわ」

 「準優勝!? 凄いじゃないっスか」

 「……本当は優勝だと思ってるけどね」

 「へ? どゆこと?」

 苦々しく吐き捨てるように、ツナギはそう口にする。どこかトゲを感じるその物言いが気になって、悠一はゲーム画面から目を離した。暗い室内にて、ベッドに寝転ぶツナギは不貞腐れたように口を尖らせ続けている。

 「優勝したやつはさ、3Dアクションゲームだったんだよ。プレイヤーは首をゴムみたいに伸ばせるキリンでさ。動物園から逃げ出して、街中を爆走しながら人間とか撥ね飛ばしていくの」

 「何それ滅茶苦茶面白そう」

 「面白かったよ実際」

 ツナギは悔しそうにそう口にすると、ごろんと転がり天井へと目を向ける。

 「アクションは爽快だし、ストーリーも単純明快。混雑に突っ込んで人間を撥ね飛ばすっていうのも、こう背徳的な魅力があったよね」

 「じゃあ一位になるのも納得っスね」

 「でもクソゲーじゃないじゃん」

 天井を見つめたまま、ツナギはそう力強く言い切った。

 「爽快、面白い、楽しい。それじゃ普通に良ゲーなんだよ。審査では、コンセプトが馬鹿っぽいからって評価されたみたいだけど、それはバカゲーであってクソゲーじゃない。審査員はクソゲーのなんたるかを分かってないよ」

 「な、なるほど」

 「まあその件は、大会運営委員会に抗議メールを送りまくったからもう良いんだけどさ」

 言いたいことを言い切って、ふー、とツナギは息を吐き出した。悠一も話が一段落したことを確認してゲーム画面へと視線を戻す。もう一度アサルトライフルを狙うべく、資金を投入している最中だったのだ。

 

 「ユーイチ」

 そんな背中に声がぶつかってきた。驚いて振り返る悠一。いつの間にか、再度横を向いていたツナギと目が合った。

 「な、なんスか?」

 「いや、ごめんね?あと、ありがとね。知らない世界に来て大変だろうに、いきなりこんなことしてもらっちゃって。無理にはいいからね」

 それは、感謝の言葉だった。ツナギとしても、自作のクソゲーをプレイしてもらえることに喜びもあったが、罪悪感もあったのだろう。

 「あ、いや……」

 面と向かい合って話すことは気恥ずかしかったのか、悠一はツナギから視線を外しながら小さく口を開く。もごもごと言い淀み、結局しっかりと話せるようになったのはパソコン画面に向きを戻した後のことだった。

 「大丈夫っス……。俺、ゲームとか好きだし、その、夜通しやるのとか得意だから……」

 「――――そっか」

 

 そのまましばらく、二人の間に無言の時間が流れる。ややあって、口を開いたのは悠一だった。

 「あの、俺の方こそ、ありがとうございました」

 緊張しているのだろう。パソコン画面に目を向けたまま、深呼吸して彼は言葉を紡いでいく。

 「俺、家ではニート……引きこもりだったんス。何もしないで、部屋でゲームばっかりしてましたから。だから人とのコミュニケーションなんて出来ないと思ってた。けど、突然こんな世界に放り出されて、ツナギさん達に良くしてもらって、ちゃんと会話出来てる自分に驚いたんス。俺」

 状況も味方したことは事実だろう。誰とも言葉が通じないという絶望的状況の中で、ツナギ達は唯一会話出来る相手だったのだ。けれど悠一は、それをこう結論付けた。

 「それで、分かったっていうか……。俺、サボってたんス。逃げてたんスよ。コミュニケーションから。一人の方が楽だからなんて言い訳して。それを今日、思い知らされました」

 ツナギは答えない。それでも尚、悠一はその想いを口にした。

 「ツナギさん。マサムネさんも、本当にありがとうございました。俺、今日のこと忘れません」

 それが、彼の心からの言葉だった。言って顔を赤くする悠一。しかし、一向に背後からの反応がない。

 「…………ツナギさん?」

 いい加減気になって悠一が振り返ると、なんということだろう。そこには寝息を立てるツナギの姿があった。

 ――寝てる――!

 「ちょ! 俺が折角勇気出して良いこと言ったってのに!」

 そもそもこの人、塗装するからベッド好きに使ってとか言ってなかったか?

 「ツナギさん? 塗装するんじゃないんスか? ツナギさんってば」

 面と向かって呼び掛けても全く反応がない。余程深く寝入ってしまったのだろうか。こうなったら力尽くで起こすしかない。重い腰を上げると、悠一はゆっくりベッドへと近付いていく。そして。

 「ツナギさん、寝てる場合じゃ――」

 そう口にしながら布団を剥ぎ取ろうとして、悠一はその場に固まった。

 「ん、ん……」

 むにゃむにゃと寝言を漏らすツナギは、黒いタンクトップ一枚を上半身に纏っているような状態であった。故に揺り動かそうものなら色々と見えてしまい兼ねない。

 「っ!」

 悠一は、彼の今日までの生活から見ても女性に対する免疫は特にないのだ。ツナギは彼を異性として意識していない様子であるが、悠一は耳まで真っ赤になって、慌てて布団から手を離す。

 「げ、ゲームしよ!」

 自分自身に言い聞かせるように早口でそう告げると回れ右して、悠一はあっという間にパソコン前へと戻っていた。

 「さて、アサルトライフルちゃんは出来たかな……と」

 今の間に資金を投入した豆の品種改良は終わったらしい。二匹目のドジョウを狙って画面をチェックする悠一はそして。

 「超特盛りグリーンピースってなんだよッ!」

 と、画面いっぱいに広がった豆の山に向かって盛大にツッコミを入れるのであった。

 

 ■■■■

 

 東の空から太陽が昇るという道理は、五百年後の世界でも変わらない。地球の自転が逆になることはないので、恐らく今後どれだけ歴史を重ねようとも変わることはないだろう。

 ゆっくりと色をグラデーションさせていくかのよう徐々に空が白み始め、どこからか鳥が集まってきて口々に朝の到来を告げている。

 

 時間は、午前六時を回った頃であろうか。

 ツナギの家でもマサムネが一番に目覚め、家事などの活動を始める頃合いである。彼は猫でありながら、人間同様に夜明けと共に起きて夜寝る生活をしている。

 「昼寝もしっかりしてるけどね」

 普段なら朝食の支度を初めてからツナギを起こしに掛かるマサムネであったが、今日に限ってはそうはいかない。特別な懸念事項があるからだ。

 「ちょっとユーイチにクソゲーやらせてくる」

 そう言ってコンピュータールームに男を連れ立って消えていったツナギが、結局朝になっても戻って来ないのである。猫の身ではクソゲーをプレイ出来ない故に、他者にプレイして貰えると楽しそうなツナギに水を差す訳にもいかないので本当に仕方なく許可したのだが、しかしそれが朝まで帰って来ていないというのは大問題なのだ。

 「くッ! あいつ!」

 ツナギにはクソゲーをやらせるという以上の他意はないのだろう。それは長年の付き合いで分かっている。問題は、ユーイチとかいう相手の男だ。ツナギに誘われたことを良いことに、彼女に手を出しているかもしれない。素性も分からない人間のオスなどをツナギ一人に任せるべきじゃなかったのだ。手遅れになってからじゃ遅いというのに。

 急いでコンピュータールームの前に来ると、マサムネは両手両足を近付けてフルフルと間合いを測る。――――そして。

 「ニッ! ニャッ!」

 一息に飛び上がると、ドアノブに腕を引っ掛けて手前へと引いた。一瞬の早業だが、それによってドアが小さくではあるが開かれ、その細い隙間からマサムネは室内へと飛び込んだ。

 「こらぁ! 何してる!!」

 悠一への威嚇のつもりで大きな声を上げた彼であったが、そこで初めて室内の様子を目の当たりにして、「えっ」と声を漏らしていた。

 

 カーテンの遮光性能の為朝になっても相変わらず薄暗い室内にて、悠一がパソコン前に座ってカチャカチャと操作をしていた。どうやら席に着いているのは彼一人らしい。じゃあツナギは?そう思ってぐるりと周囲を見渡すと、ベッドの上ですやすや寝ている彼女の姿が目に飛び込んできた。

 「んー? あ、おはようございまーす」

 マサムネの騒ぎに気が付いたのか、悠一が椅子を回転させてぐるりと振り返る。その目は真っ赤に血走り、目の下には真っ黒な隈が出来上がっていた。

 「うわ!? お、お前寝てないのか!? ――おい、ツナギ!! 起きろ!!」

 これは一大事だと判断して、マサムネはツナギが寝ているベッドに飛び込むと、滅茶苦茶に騒ぎ立てた。

 「んん……、なぁにニャンゴロー、まだ夜だよぉ」

 「いつものノリしてる場合じゃないんだよ! 起きろ!!」

 ジャンプして前足で踏みつける必殺技ニャンゴロースタンプが炸裂すると、流石に狸寝入りを決め込むことも難しくなったのだろう。目を擦りながらツナギがゆっくりと身体を起こした。

 「もー、なにー?」

 いつもの調子で半身を起こして周囲を確認し、それで状況の半分程は気付いたのだろうか。「アレ?」と口にしてツナギは口を押さえた。

 「うわわわわ!私寝てた!!?」

 「寝てたよ朝までぐっすりと」

 「あちゃ――――!! 塗装の予定あったのに!」

 しまったなー。なんて口にして周囲に目を向けて、そこで初めて悠一の存在を思い出したのだろう。「あっ!」とツナギは再度大きな声を上げていた。

 「ご、ごめん!!! 寝るとこ取っちゃってた! ちゃんと寝れた??」

 そんなツナギの声を受けると、フフフと悠一は死にそうな顔で、精一杯不適な笑みを浮かべる。そして、

 「七体のレインボーゴリラは集めましたよ」

 とドヤ顔で口にした。

 「はぁ?」

 当然マサムネには何のことだか分からない。寝不足で頭がおかしくなったのかとさえ思ったが、そんなマサムネの隣でベッドに腰掛けるツナギは、信じられないといった表情で口元を押さえていた。

 「れ、レインボーゴリラ!? 出来たの!? しょ、正気!? だってあれゴリラの最終改良形態だよ?」

 「いや、まさか神を品種改良してゴリラが誕生した時は目を疑いましたけどね。ゾーンデス山脈の奥で老人からレインボーゴリラの話を聞いてたんで、頑張ってチャレンジしましたよ」

 「まさか集める人が出るなんて……」

 「いやちょっと待てお前ら」

 訳の分からない話で盛り上がる二人に着いて行けず、マサムネが抗議の声を上げた。

 「なにゴリラの最終形態って。普通に生きてたら絶対出てこないぞそんな言葉」

 「そりゃ勿論、類人猿ゴリラの行き着く先の姿っスよ。低確率で発生する豆の木イベントで手に入れたハーブを品種改良してパイプオルガンを作ったら、豆の品種改良中にそれで演奏をするんス。うまく行けば豆天使が生まれるので、そいつを頑張って品種改良すると豆の神になるんスよ。そんでその神を品種改良すると、低確率でゴリラになるっス。それを更に――」

 「いやいやいやいや」

 そんな訳の分からない内容を事細かに解説されても困る。しかしツナギは、そんな辟易とした様子のマサムネを押し退けて、悠一の言葉に食い付いていた。

 「レインボーゴリラまでは分かるよ。ホントに運だけど、頑張れば出来るかもしれない。でもそれを七体集めるのは無理でしょ? 時間足りないし」

 「ああ、それはっスね……」

 「ええいうるさ――い!! 朝食にするから手伝え!!」

 二人で盛り上がっているのが癇に障ったらしい。マサムネは激怒すると、ツナギを引っ立てて部屋を出ることに。

 「ええ? まだ話が……」

 「いいの! そこのオマエも顔くらい洗って来いよな!」

 「あ、はぁ」

 マサムネの剣幕に圧されて、悠一も頭を掻きながら頷いた。一方のツナギは、無理矢理の退出が面白くないのだろう。

 「なにさ、このヤキモチキャット!」

 と、前方を歩く同居人に対して悪態をつくのであった。

 

■■■■

 

 食卓にて、二人が揃うそこに悠一は遅れて姿を見せた。テーブルの上には既にシリアルとフルーツが並べられている。

 塗装予定でうっかりと眠ってしまったツナギは、作業服のままであった。

 「ふあぁ……、朝から豪勢っすね……」

 席に着くなり大きな欠伸をする悠一を一瞥した後で、マサムネはフンと鼻を鳴らしてツナギへと目を向けた。

 「で、今日はどうするつもりなのさ?」

 「んんん……今日?」

 「アールスじいさんの家に行くんだろ?」

 しっかりと眠った癖にまだ眠気が残っているのか、欠伸を噛み殺しながら身体を伸ばしているツナギ。アールスじいさん、という名を受けて尚、「あー」と気だるげな様子である。

 「夜にやろうと思ってた塗装が出来なかったからさ、今日やって明日届けるわ。今日中には乾かないだろうし」

 そう口にしてツナギは、ポンポンとテーブルの上に乗せた白い子犬ロボの頭を優しく叩く。マサムネは溜め息を吐き出すと、そんなツナギへと冷ややかな眼差しを送っていた。

 「へえ。そりゃ結構なことで」

 そんな二人のやり取りの最中、悠一はと言えば、シリアルを口に運びながら、ぼんやりとした頭でその光景を眺めているだけである。

 「言っておくけどねツナギ。コイツをもう一日泊めようとか駄目だからね?」

 「え?ダメ?」

 「駄目に決まってるだろ!」

 「でもこんなにクソゲーやり込んでくれた人他にいないしさぁ。みんな、それはちょっととか言ってやんわりと拒否するんだもん」

 「それはそうかもしれないけども」

 ツナギの口にしたことは否定せず、しかしマサムネは違う切り口で彼女に問い掛けた。

 「うちに三人養える金がないのは分かってるよな?」

 「そりゃ、分かってるってば」

 と、口を尖らせるツナギ。

 「だからこうして仕事してんじゃん。アールスさんお金持ちだし、依頼料もたっぷりって寸法だよ」

 「そのアールスじいさんの依頼なんだけど」

 もさもさとシリアルを食べている悠一を尻目に、マサムネは嘆息すると口を開いた。

 「残念なことに依頼の締め切りは明日の午前中なんだよ。今日出ないと間に合わないと思うけど」

 「――――え」

 「まさか忘れてた訳じゃないよな?」

 「あ、あああ、明日ァ!?あわ、あわわ」

 驚きのあまり、開いた口が塞がらないと言った様子のツナギ。やっぱりか、とマサムネは息を吐き出した。

 「悠長にしてるからおかしいと思ったよ。……で、どうすんの?あのじいさん、時間には厳しいから、明日の昼過ぎたら依頼はパァだと思うけど」

 「あわわわ」

 マサムネの危惧通り、ツナギは本当に覚えていなかったらしい。テーブル上の子犬を持ち上げながら慌てふためいている。ちなみに悠一は向かれたリンゴへと手を伸ばした所である。

 「考えろ、考えろ私。考えろ……」

 焦りの極地か、ツナギはついにそんなことを口にし出した。ちなみにこれは、彼女が焦った時の口癖である。まず心を落ち着かせて冷静に対処法を思案するための合い言葉とでも言うべきか。

 ――手持ちの速乾性塗料を使えば……いや、それでも一日は乾燥定着時間が必要だ――

 ――ならばクオリティの為に期日を伸ばす?……駄目。アールスさんは認めてくれないと思うし、そもそも電話もないから家に出向かないと話も出来ない――

 ――持ち歩いてる間に乾かして、道中組み直す?……それも駄目。安定してパーツを置けるような台座なんてないし、万一持ち運び中にパーツ同士が接触して塗装が擦れたり剥げたりするようなことがあれば、仕事人失格だ――

 ――じゃあ…………――

 

 「ううう……でも、塗るとどうしても時間が……」

 ややあって、色々と検討したのだろうが、そのどれもが納得のいく答えではなかったらしく、ツナギは腕を組んだまま唸っていた。

 「職人たるもの、いや、でも……」

 「で、どーすんのさ?」

 「い、今考えてるから!」

 しかし、いくら考えを巡らせてようと、こんな風に煮詰まってしまった場合は良いアイディアなど生まれない。

 他者の意見を積極的に取り入れるべきなのだ。と、ツナギは過去に父から言われた言葉を思い出した。

 「他者の、意見……」

 呟きながら悠一へと目を向けると、呆けた様子でリンゴをかじっている彼と目があった。

 「あのさ、ユーイチはどう思う?」

 「うえっ!?」

 急に話を振られる等とは思ってもいなかったのだろう。仰天した悠一はリンゴを喉に詰まらせ掛けてむせ込んだ。

 「ゴホゴホっ、え?俺、ですか……?」

 驚きのあまりキョロキョロとしながら珍妙な答えを返すも、この家に他にユーイチがいない以上、自分に対しての質問であることは間違いないだろう。ツナギの抱える白い子犬へと目を向けると、悠一は頭を掻きながら口を開いた。

 「ええと、そっスね。俺はその子犬、可愛いと思いまスけど」

 ガクッとずっこけるツナギ。

 「あのさ、そういうこと聞いてる訳じゃないんだけど」

 「話聞いてた?」

 二人にやんやと言われる悠一であったが、いやいや、と手を振るとたどたどしく説明を始めた。

 「いやあの、つまり、白い犬でいいじゃないっスか。俺は好きっスよ。昔テレビのコマーシャルか何かで見たことあるし」

 「――――ッッ!」

 その瞬間、ツナギは雷に打たれたような衝撃を受けた。

 彼女の手の中の子犬はその全てが純白という訳ではない。目や鼻や口の中、そして肉球など、別の素材で作られたパーツにはちゃんと色が付いているのだ。悠一の言うように白い犬として見れば、確かに現在の姿で完成していると言えるだろう。

 更に言うならば、アールス氏から色の指定があった訳ではない。犬に色がなければならないと考えたのは、ひとえにツナギの自己満足なのであって、時間がないという現状でそこにこだわる必要はなかったのである。

 「な、あ、あ…………」

 声にならない声を出した後で、ツナギは子犬へと視線を落とす。――――ややあって。

 

 「――――決まった。この子は白い犬だったことにする!」

 ツナギは子犬ロボを天高く掲げると、そう力強く宣言した。それに呼応するかのように子犬ロボも、「わん!」と力強く鳴き声をあげる。

 「ま、それが妥当だな」

 フン、と鼻を鳴らしながらマサムネもそれに同意して、この話題は一応の解決を見せた。言い出しっぺの悠一だけは、「え? なに? なにがどーなったんスか?」と理解の外にいたのだが。

 

 「という訳で、これから直ぐに出発します」

 朝食終了と同時に、ツナギがそう宣言した。

 「出発……ってのは、さっき言ってたアールスさんって人の所に行くって話でいいんスかね?」

 「そう。今回の依頼人であらせられる、アールス・イボークさんの所に行くのです。御歳七十八歳の御老体ながら、まだまだ元気なパワフルおじいちゃんね。頑固者なのが珠に傷なんだけども」

 「なるほど」

 「アールスさんの家は隣の山を越えた先にあるんだよ」

 「なるほど。それではお気をつけて」

 「――――は?」

 「――――え?」

 妙な間とともに、互いの視線が交差する。蚊帳の外にいるつもりであった悠一だが、熱心に話し掛けてくるツナギの姿に嫌な予感を覚えて口の端を引き攣らせた。

 「あ、あの~、ひょっとして……」

 「ユーイチも行くんだよ。当たり前でしょ」

 「やっぱりィ!?」

 引き籠り歴十年近い人間に、いきなりの登山はハードルが高すぎる。すがるような目をマサムネへと向ける悠一であったが、返ってきたものは冷ややかな眼差しだけであった。

 「そう。お前も一緒に行くんだよ。なんでお前と二人で過ごさなきゃならないんだ」

 「あう。…………え、ええと。と、いうことはマサムネさんは行かないんスか?」

 「ネコは山越えなんてしないの! あとこの家の掃除は俺がやってるんだからな。散らかし魔のツナギがいない内がチャンスなんだ」

 「あ、は、はぁ」

 有無を言わさぬ迫力に気圧される悠一の襟首が掴まれ、後方に引かれる。思わず「ぐえ」と声が漏れる悠一であったが、いつの間にかツナギに背後を取られていたらしい。

 「ほら、時間がないんだからちゃっちゃと出発するよ! 荷造りは済んでるから!」

 そう口にする彼女は確かに、登山家のような大きなリュックサックを背負っている。着替え等は特にせず、作業服のまま山を目指すらしい。

 「え、でも俺は――――」

 ちなみに悠一は、この世界に来た時点で何も荷物を所持していなかった為、持ち物は一つもなく、普段着のパーカーにジーンズ、シューズというラフな出で立ちのみであった。とても山に登ろうという人間の姿には見えない。

 このテラワルドに来る以前の悠一は、外出という外出の記憶は殆どないのだが、それでも極々稀にコンビニに行くためにシューズだけは新調していたのである。彼がこちらの世界に来る前は室内にいた故に素足であったが、どうにも世界移動の際に靴だけは追加で履かせてもらえたらしい。でなければ裸足で登山をする羽目に陥っていたかもしれない。

 「そういえば、荷物なんてありませんでした……」

 否応なしに異世界移動の事実を突き付けられ、意気消沈する悠一。そんな彼の眼前に、黒いリュックサックが突き付けられた。

 「それなら、これ持ってってくんない?」

 「え?いや、いいスけど、これは?」

 「ロボットの子犬クン。ユーイチに任せるわ」

 「えええッッ!? 超大事な奴じゃないっスか!?」

 それどころか、今回の外出の目的そのものと言っても過言ではない代物である。悠一が持つにはあまりにプレッシャーが大きい。そんな大事なものをどうして自分に! と騒ぐ彼に、ツナギはこう口にした。

 「だって荷物なさそうだったから。これ他の物と一緒に詰めるの嫌だったからさ。いいじゃん」

 まあ、そう言われてしまうと返す言葉もない。「わ、分かりましたよ」と内心焦りながらも悠一はリュックサックを受け取ると、渋々とそれを背負うのだった。

 

 ■■■■

 

 さて、いよいよ二人の旅が始まった。……と、いってもこの世界に来た当初に見た通り、この近辺は山間にあるらしく、歩けば十分と経たずに山の麓へと辿り着いてしまうのだが。

 形はどうあれ、登山なんて悠一にとっては小学生以来、実に十五年ぶりのことである。

 「あ、あの、熊とか出ませんよね?」

 と恐る恐る尋ねる悠一にツナギは、

 「クマ? ああ、出るよ」

 と朗らかな様子で言葉を返した。しかし明るく言えばいいというものでもない。

 「ででで出るんスか!?」

 熊と言えば日本における最大級の猛獣であり、人間が襲われて命を落とした話だってよく聞く獰猛な生き物だと悠一は認識している。

 すっかり怯えてしまった様子の彼にしかしツナギは笑顔を崩すことなく、

 「大丈夫だって」

 と手をヒラヒラと振りながらそう告げた。

 「山に出るクマって、アレでしょ? ホウセキグマ。それなら夜行性だから、日中に襲ってくることは絶対にないよ」

 「あ、そ、そうなんスか……? じゃあアールスさんの所って、割とすぐ着いちゃう感じなんスかね」

 ツナギがそう口にするということは、夜までは掛からないということなのだろう。安堵する悠一にしかしツナギは、

 「え? いや、明日の朝まで掛かるから、普通にキャンプするけど? でなきゃこんな大荷物持ってこないって」

 「いや! じゃあクマっ! 熊に襲われるじゃないっスか!? さっきの話はなんだったんだ!?」

 焦りと憤りで悠一が騒ぎ立てるのも無理はないだろう。未来の世界と思しき場所に突然飛ばされたことすら理外なのに、そこで熊に襲われて死ぬなんて冗談じゃない。しかしそんな慌てた悠一とは対照的に、ツナギはどこまでも余裕寂々な様子であった。

 「ホウセキグマはね、暗闇に紛れて狩りをするんだよ。深夜の闇に紛れて息を殺して、射程内に入った獲物の音を頼りに襲って来る。その時の目が、闇の中浮かんだ二つの宝石のように見えるからホウセキグマって名前がついてる訳」

 「い、いやそんなクマの解説されましても。だから何なんスか」

 「逆に言えば、ホウセキグマは光に弱いんだよ。何らかの明かりがある場所では決して狩りは行わない。だから――――」

 言いながら自身のリュックを探ると、ツナギは何かを取り出した。

 「これの出番って訳。じゃ~ん! 名付けて【真昼ライト】!」

 見たところ電球のような形をしたそれは、その通りに照明器具らしい。ツナギが根本のツマミを弄ると、電球の球部分に明かりが灯された。

 「これは生体電気をエネルギー源としていて、こうして人の肌と触れている限りは半永久的に使用出来るっていう優れものなのだ。……まあ、逆に言えば触れてないと使えないんだけど」

 「は、はあ。……成る程」

 ツナギが開発したらしいそれを受け取ると、しげしげと眺める悠一。何となく、彼女が言わんとしていることは理解した。したのだが。

 「けどなんつーか、触ってないと明かりが点かないってのは、ちょっと不便っスね」

 「まあ、やっぱりそこが課題かな。生体電気じゃ微弱すぎて、エネルギーを数秒も蓄えられないんだよね。やっぱりここはソーラーシステムと平行すべきかな。それとも……」

 その懸念は、ツナギとしても理解しているものだったらしい。腕を組んで頷きながら小さく呟き始めた彼女に、話が長くなりそうな気配を感じて悠一は声を掛けた。

 「あ、あの、つまりえっと、今夜使用する分には問題ないって事っスよね?」

 「ん? あー、そうそう。そゆこと。夜の間はどちらかがこのライトを点けてればホウセキグマも手出し出来ないって寸法よ。大丈夫大丈夫。今までも間近まで接近されたことはあったけど、このライトのお陰で無事だったから」

 「そっスか。それなら、まあ」

 不安が完全に消えた訳ではないが、少しは安心しても良いのかもしれない。

 やっと周囲に目を向ける余裕が生まれ、悠一はそこで初めて、自身が既に山に入っていることに気が付いた。

 しゃわしゃわと囁くような、虫の声、鳥の声、そして草木のざわめきが重なり、大自然の喧騒を作り出している。静かではないが、耳に心地好いその音を聞きながら見渡す限りの自然の中を歩いていると、日々の愁いが洗われていくかのような爽やかさを感じて悠一は空を仰いだ。

 「はー、確かに、山はいいっスね……」

 「どした? 突然」

 「いや、こっちの話っス」

 こんな気分の中ならば、何処までも歩いていけるような気がする。そんなことを思いながら、悠一は足取り軽くツナギの後を追うのであった。

 

 ■■■■ 三十分後

 

 「はぁ……、ちょ、ちょい、待って、待ってくだ、さいっス…………、はぁ……」

 そこには、牛歩の如くノロノロと歩きながら息も絶え絶えになった悠一の姿があった。

 「はひ……、そ、そもそも……、アールスさんはなんで、その、そんな辺鄙な場所に、住んでるんスか、もう、ハァ……」

 先程までの爽快な様子は何処へやら。息も絶え絶えな悠一の疑問に、「まったく」と頭を掻くとツナギは、

 「さあてね。そういうことは本人に聞いてみたら?」

 と苦笑した。

 「――というか、まだ歩き出して三十分くらいなんですけど? どんだけ体力ないの君」

 「ぜ、ひ……ヒキニートの体力の無さ、舐めないで、欲しいっス……」

 「よく分からないけど、威張れることじゃないからね?」

 やれやれ仕方ない、とツナギは息を吐き出すと、二人は付近で休息を取ることとなった。

 「まあユーイチは徹夜もしてるしね。それに関しては悪かったと思ってるけど……、んっ」

 湧き水が流れる小道の隣に腰を降ろすと、身体をほぐすように伸ばすツナギ。

 「ほら、ユーイチもやってやって」

 と促されて、悠一も同様に身体を伸ばした。成る程、これは確かに気持ちがいい。

 「んあ……あ~……、ほぐれる~……」

 「なに爺むさいこと言ってるんだか」

 何だかんだと、緊張に体が強張っていたらしい。身体を伸ばす、という、だそれだけの事だが今の悠一には絶大な効果があったようだ。リラックスして体を休める二人はいつしか、熱心に会話をし始めていた。話題は勿論、クソゲーについてである。

 「そう。そう言えば、ヒヨコのゲームもあったからやりましたよ。あれは第一作とかなんスか?」

 「ああアレ? ……いやその、あれは最新作なんだけども……」

 「マジすか!?」

 「ど、どう、だった?」

 「ん~~~……」

 ツナギに感想を問われ、悠一は腕を組んで天を仰いだ。思案した後で、意を決したようにツナギへと目を向けると彼はこう口にする。

 「いや、アレは駄目っスね」

 「だ、駄目?」

 あまりにも直接的な表現に驚くツナギに、悠一が二の句を告げる。

 「ニャンゴロークエストも豆も、色んな面白いことがやりたいってアイデアを詰め込んで詰め込んで、詰め込みすぎて結果的にクソゲーになってると思うんスよね。けどあのヒヨコの奴は、最初からクソゲーを作ろう。って意図で作られてるのが透けて見えるんスよ。だから面白くないし、興味も惹かれないというか」

 「うぐ、ぐ、ぐぬぬ…………」

 思った以上にまともな指摘を受けて、ツナギは反論もなく唸ることしか出来なかった。言われてみれば前作の豆がグランプリ優勝を逃した一件での焦りから、悠一の言うようにクソゲーを作る、という固定観念に囚われて躍起になっていたのかもしれない。断言は出来ないが、前作、前々作の時のような楽しい気持ちで開発していない事は確かだろう。

 「……く、言われてみれば、そう、かも……」

 その事実を突き付けられ、ショックからツナギはガクリと前のめりに崩れ落ちた。

 「根本的に駄目だったかぁ……。じゃあ違うの考えなきゃかな……」

 ただ、動機は不純だったかもしれないが、熱意を持って開発をしていたこともまた動かぬ事実なのだ。それを完全に否定されてしまうということは、悲しくて当然であろう。見る間にしょげ込んだツナギに、しかし悠一は首を横に振る。

 「いえ、もっと突き詰めればちゃんと面白くなると思いまスよ」

 「…………ホント?た、例えば?」

 「そっスね。例えばお邪魔キャラである猫。ゲームだとレベルが上がると猫の数が増えるってだけでしたけど、この猫のバリエーションを増やすと良さそうっス」

 「猫のバリエーション?」

 「そ。常識に囚われない猫がバンバン出て来るんスよ。例えば飛び道具を使う殺し屋キャット。魔法を使うマジカルキャット、ミサイルやレーザー攻撃も出来るメカキャットなどなど、こういう理不尽な敵が出てきた方が攻略する側は燃えるっス」

 「はー、な、成る程……?」

 普通に参考になるアドバイスを受けて、ツナギは目を丸くした。これはクソゲーのアドバイザーとして彼を雇うのもアリなのでは……? 等と一瞬考えるも、ガチギレしているマサムネの顔が次に浮かんでその案は諦めた。

 「そ、それでそれで? 他には何かある?」

 「えーと、他には……、あ、そろそろ大丈夫なんで、歩きながら話しましょうか」

 「そうだね! そうしよっか」

 そうして休憩を終えて、また二人は元気に歩き始めた。道中何度か休憩を挟みながら山道を進み、その脚を止めたのは夕方のことであった。

 「うん。今日はこの辺でキャンプにしようか」

 「え?まだ明るいっスよ?」

 陽が暮れる前にそう口にしたツナギに疑問を呈する悠一。しかしツナギは、馬鹿だなー、とそんな彼に苦笑した。

 「暗くなってからじゃ手遅れでしょ。ホウセキグマが活動し出すんだから」

 「あっ、そっか」

 そういえば、夜行性のクマがいると言われていたのだった。確かにそんな状況下では、早めに寝所を確保することが何より大切と言えるだろう。

 「そゆこと。じゃあちょっと待っててね」

 と言うが早いか、ツナギは自身のリュックサックからテントを取り出し、慣れた手付きで組み立てを始めた。

 テントのフレーム四本を外側に広げると、伸ばしたフレームの関節部分を押し込み、ロックする。次にテント上部のジョイント部分にあるロープ二本を、上に引っ張りながらテントを立ち上げると、地面にペグと呼ばれる杭を打ち込み、トップシートを取り付ける。

 驚いたことにものの一分程で、何もなかった筈の空間に小型のテントが出来上がっていた。

 「は――――」

 開いた口が塞がらないといった様子で、悠一は呼吸さえ忘れていたらしい。一瞬の間をおいて、彼は声を張り上げた。

 「はやっ!?」

 「んっふっふ。今時はこーいう便利なものがあるんだよ」

 「はー! 未来ってスゲー!」

 未来世界の技術躍進を見たと興奮する悠一であったが、残念ながらそれは彼がただ無知なだけであり、悠一の時代からワンタッチテントは存在していたりする。

 「じゃあ今日はここで休息を取る感じですかね?」

 「そうだね。軽くご飯食べちゃおっか」

 テントは、人二人なら余裕で入れる程度には広さを持っている。早速二人で中に入ると、ツナギはリュックサックから二つの弁当箱を取り出した。

 「えっと、ひょっとしてそれ、マサムネさんが?」

 「そうそう。夕御飯用にって渡してくれたんだよ」

 どれだけ甲斐甲斐しいんだと眉根を寄せずにはいられない悠一だったが、何にしても有り難いことは間違いない。お弁当を受け取ると、中を確認して彼は感嘆の声を上げた。

 「ひゃー! うまそう!」

 ゴボウの肉巻きに卵焼き、ほうれん草のおひたしに白ご飯。更にはきゅうりのつけものまで添えられている。いくらペタリグローブがあるからといって、猫の手でよくもまあこんな凝った料理が出来るものである。

 帰ったらマサムネによくお礼を言っておかなくちゃな。とぼんやり考えている悠一はツナギが「もうここには連れ戻さないように」とそのマサムネから言遣っている事実を知らないのだが。

 「いただきまーす」

 「いや美味いっス! マジで」

 「でしょー」

 そんなこんなで二人はテントの中、マサムネの料理に舌鼓を打つのであった。

 

 ■■■■

 

 「……ええと、この後のことなんだけど」

 「あ、はい」

 夕食の後で、居住まいを正すとツナギは悠一へと声を掛けた。

 「とりあえず、交代で見張りが出来ればいいと思うんだ。片方がテントで寝て、もう片方が真昼ライトを点けて周囲を警戒する。それで何か異常があってもすぐ伝えられるでしょ?」

 「あー、えっと……、そ、そうっスね……」

 分かってはいた事だが、二人でテントでグッスリという訳にはいかないらしい。そういうことなら、と悠一は小さく手を上げた。

 「それなら、自分が先に見張りまスよ。ツナギさんには先に休んでもらって」

 我ながらナイスな提案だと自画自賛する悠一であったが、「ほほー?」とツナギは目を細めていた。

 「深夜に見張りするのが怖いんでしょ~」

 「うぐっ!?」

 図星であった。いや、それは……、等としどろもどろに言い訳しようとする彼を制すると、ツナギは苦笑した。

 「いいよ別に。じゃあ先お願いね」

 「あ、う……、うっス」

 何だか気恥ずかしさを感じて、悠一はライトを預かるとテントの表へと逃げるように飛び出した。

 食事の間に夕日も沈んだらしく、途端に闇に包まれている周囲が何ともおどろおどろしい。見えない、ということはそれだけで根源的な恐怖を人にもたらすらしい。ぶるりと身震いすると、悠一はライトを強く握り、スイッチを入れた。

 「おお……」

 途端に、周囲が光に照らされて色を付ける。明るい、ということにこれだけ安堵したのは初めてのことかもしれない。とにかくその場に腰を降ろそうとして、悠一はその時初めて自身の背中の違和感に気が付いた。

 ――あれ、俺リュックしょったままじゃん――

 そう。彼はツナギの家を出発したその時から今まで、一度もリュックサックを降ろしていなかったのだ。つまり、休憩を取っていた時も夕食を食べていた時も、ずっと荷物を背負ったままだった、ということである。一言くらい言ってくれればいいのに、と考えた悠一であったが、いや、とすぐに思い直した。

 ――降ろしていたら忘れてなくしていたかもしれないぞ――

 何せ、今の今まで忘れて気付かなかったくらいなのだ。十分に有り得る話だろう。大事な荷物を手離さなくて良かったのだと、悠一はポジティブに考えることにした。

 「よいしょっと」

 荷物は相変わらず背負ったまま、悠一はいよいよその場に腰を降ろした。

 ライトの灯りを眺めながら、さて、と頭を巡らせる。一人になった今こそ、自身の状況を見つめ直す丁度良い機会だろう。

 まずは己の現状についてだが、

 ――しかし、山の中で見張りとか、ここは本当に未来世界なのか――?

 これである。思い起こせば、ここが未来なのか疑わしいことばかりなのだ。

 そもそもが最初に彼が訪れた場所が山間の田舎という、未来の欠片も感じさせない場所であることも問題なのだが、その後現れた山賊のような大男に、クソゲー作りに熱中する女。甲斐甲斐しい猫。

 強いて言うならツナギの発明品などは未来っぽくはあるのだが、それも別に有り得ない超科学、という感じではない。何というか、未来というよりも、何かがズレた異世界に来てしまったような感覚。と表現した方が正しいのかもしれない。

 ――まあ、いずれにせよ俺の方針は変わらないけどな――

 元の世界に帰る方法を探すこと。現状がどうあれ、悠一の今の目的はこれだけである。方法さえ分かれば、悪い夢から覚めるみたいに直ぐに元の世界に、家に帰れる筈だと悠一は自身に言い聞かせているのだ。

 そう思えばこそ、こんな危険な山の中での野宿だって我慢出来るし、クソゲーだって夜通しプレイ出来るというものである。……いや、クソゲーは楽しかったから、耐えたとかそういうのとは違うかもしれないが。

 ――これから、どうするんだっけ?――

 ――レインボーゴリラを七匹集めて、それから途中のクエストでジャミー婆さんから貰った幻の金水晶を使うんだったっけな――?

 ぼんやりと、悠一の頭の中に猫達が現れては消えていく。

 ――残念!ニャンゴローは死んでしまった!――

 ――残念!ニャンゴローは死んでしまった?――

 ――恐怖!ニャンゴロー対レインボーゴリラ!――

 「   チ……?」

 頭の中で狂ったように躍り狂うマサムネとゴリラの群れが、いつしか混ざり合って溶け、一つの塊に――――

 「ユーイチッッッ!」

 「――っうぇッッ!?」

 外部からの声が突き刺さり、脳内の塊は一瞬のうちに消滅していた。一瞬の間を置いて、悠一は自身が意識を失っていたことを理解する。

 ――す、すみません。いつの間にか寝ちゃってたんスね。俺――

 もし何事もなかったのならば、そう言ってちょっと怒られるかもしれないが、笑い話になるだけのことだった。

 ――――そう。何事も、なかったのならば。

 ゴルルルル…………

 暗闇の中に、明らかに悠一ともツナギとも違う第三者の息遣いが聴こえていた。

 「――――え、あ」

 惚けた頭でも、それが良くない事だと分かる。これまた一瞬遅れて、昼頃ツナギが言っていた言葉が悠一の脳裏を駆け巡る。

 ――猛獣――

 ――えっと、確かホウセキグマとかいう――

 そこにきて漸く、悠一は現状を理解し始めていた。ツナギの言っていた熊が、自身の側まで接近しているのである。

 ――なんで? だってホウセキグマは灯りを点けてれば近付いて来ないって――

 咄嗟にそう考えて、悠一は更に状況を理解することとなる。

 何故って、灯りなどまったくなく。彼の周囲は完全に闇に閉ざされていたからだ。

 「ユーイチ、ライトは!?」

 「ぁ、ぁそ、そぇっ、それが……」

 後方のテントからのツナギの声に、半ばパニック状態の悠一が声を絞り出す。

 「な、ないっ、ないっス、ど、どこにも…………!」

 いつしか眠ってしまっていたらしい悠一なので、その際にライトも手からこぼれ落ちてしまったのだろう。

 慌てて周囲を見渡しても見付からず、一体どこに――、

 「ブォォッッ!」

 「ひぃッ」

 暗闇の中から聴こえる獣の唸り声に、悠一の思考はそこで強制的に断ち切られてしまう。暗闇から猛獣に狙われているという現状が彼の中の根源的な恐怖を呼び覚ましたのだろう。逃げなければならない筈のこの場面で、悠一の身体はその場からまったく動けずにいた。

 獣の息遣いが近付く。勢いを付けて一気に襲い掛からんと、静寂の中に重い足音が響く。

 「ぅ、ぅゎッッ」

 この土壇場でも、悠一は悲鳴を出すことすら満足に出来なかった。結局自分は新しい場所に来たところで、こうして何も為せずに死んでいくのだと。そんな諦めにも似た想いが脳裏を駆け抜けていく。

 事実、そのままの状況であったなら、数分と待たずして彼は熊の餌になっていただろう。しかしそうはならなかった。

 「ユーイチッッッ!!」

 「っっ!?」

 横からの衝撃に撥ね飛ばされて、悠一は吹き飛ばされるように倒れ込んだ。

 何が起きたのか理解出来ない。熊にやられてしまったのか。――――否。そうではないらしい。

 「ブォッッ!!」

 「うぐッッ!!」

 近くで、熊の鳴き声とツナギであろう呻き声が聞こえた。一瞬遅れて状況を理解すると同時に、闇に慣れ始めた悠一の視界が、その光景を捉えた。

 「ぁっ!」

 ツナギが、大きな黒い塊に押し倒されている。闇の中で真っ黒いそれは、見えていなければ巨大な塊としか表現することが出来なかっただろう。体長二メートルは超えていそうな巨躯を持つそれこそが、まごうことなきホウセキグマであった。

 「ユーイチ! に、逃げてッッ!!」

 「っ」

 ツナギの言葉に、悠一は飛び起きるようにその身を起こした。彼女の言葉通り、今の自分には逃げる以外に出来ることはないだろう。少なくとも、あんな巨大な生物を相手に戦うような選択肢は存在していないことは確かだ。

 脚が震える。兎に角今は、この場から少しでも遠くへ移動しなければ。

 ――――そしてその後はどうする?

 

 不意に、そんな疑問が脳裏を過った。

 ツナギを犠牲に逃げて生き延びたとして、その後で自分は何処に行くんだ?

 行く宛もなく、誰一人として知り合いのいないこの世界で、どうやって生きていくと言うのか。

 ――――――――。

 

 ――それは、打算だ。彼女を救いたいという偽善でも、見殺しにする自分が許せないという義憤でもない。

 ただただ、彼女に死なれたら困る、という打算が悠一を突き動かしていた。

 だが、それで良い。打算でも何でも、動けないより遥かに良い。

 そうしてこの土壇場において悠一は覚悟を決めた。熊へと目を向け、状況を改めて確認する。

 ――――あ、あれは……!

 と、その瞬間、彼の目が熊とツナギの奥に見える小さな物を捉えていた。球状の形をしたそれは、間違いない。

 ――真昼ライトだ!

 あんなところまで転がっていたのか。と悠一は息を飲む。もしライトを取り戻すことが出来れば、灯りを点けて熊を撃退出来るかもしれない。

 「ブォォオッッ!!」

 「は、やくッッ!」

 「……ぐっ!」

 だが、悠一の脚は動こうとはしなかった。それを取りに走ることが得策ではないと理解していたからだ。

 ――――くそッ!

 どうしてもライトを回収するならば熊の側に寄らねばならず、標的がこちらに移ればその瞬間に終わりだからだ。それに今の彼は、恐怖で脚がうまく動かないのだ。土台無理な話だったろう。

 だから現状、ライトに頼ることは出来ない。言い換えるなら、それ以外の方法で熊をツナギから引き離す必要があるということだ。

 ――――だけど、そんな方法あるのか!?

 熊も興奮している様子で、もう時間もないだろう。だが、だからこそ、つとめて冷静に状況を打開する方法を考えねばならない、と悠一は自身に言い聞かせる。

 「――――」

 不思議と彼は冷製だった。あまりにも特異な状況故にそう為らざるを得なかったもしれないが、兎に角悠一の思考は今、かつてない程に冴え渡っていたと言えよう。

 考える。テントに戻る時間もない以上、今現在使用出来るのは彼自身の手持ちの品だけなのだ。しかし必需品のライトを失っている今、手持ちと呼べる品は衣服や靴、そして背負ったままのリュックサックのみである。

 そのリュックサックだって、武器になりそうなものなど入っている訳ではなく、あるのは――――、

 「――――っ!」

 そこで、悠一の頭に、まるで電気が流されたかのような衝撃が走った。……そうだ。あれならこの状況を変えられるかもしれない……!

 ツナギが倒されてからこの間僅か数秒のことであり、残念ながら検討している時間はない。悠一は背のリュックを降ろすと、中から“それ”を取り出した。

 白い子犬ロボット。アールス老人に届ける為に悠一がツナギから託されていたものだ。

 有無を言わさずにそれをひっくり返すと、腹に付けられている時計を確認する。

 ――よし、動いてる――

 震える手で目安針を動かす悠一。今更ながらに恐怖が身体にきたのだろうか。それでも何とかそれを短針に合わせる。彼の計算ならば、それで子犬が動き出す筈なのだが――――、

 ――いや、駄目だ――!

 悠一の行動如何に関わらず、子犬は微塵も動く気配がない。昨日は確か、子犬が動き出す予兆のようなものがあった筈なのだ。

 ――そうだ。昨日のことを思い出せ……!

 昨日子犬を動かした時、ツナギは何をしていた?何と言っていた?――思い出せ……!

 ――これはね、新機能の為に付いてるんだな――

 そう。確かツナギはそんなことを口にした。そしてその後――

 ――じゃあ時間とメモリを合わせて、と。よし、いってみよー!――

 ――そうだ。ツナギはそう口にして、子犬の両耳の付け根を――。

 「それだ!!」

 悠一は子犬を逆さまにしたまま その耳の付け根を探る。すると、そこには確かに小さいスイッチのような突起があった。それを同時に押し込むと、今度こそ子犬が低い唸り声を上げ始めた。正しく昨日の再現である。

 ――よし!

 そしてそれを地面に降ろすと、子犬はブルブルと震え出し、そして――――。

 

 熊とツナギに関して言えば、状況はかなりギリギりであった。獲物を組み伏せ興奮した猛獣がとどめを刺そうとするのは自明の理であろう。ホウセキグマが今まさにその牙を突き立てようとしたその時、それは起きた。

 『ワヒンワヒンワヒンワヒン!!』

 突然けたたましい大声で叫ぶ何かが、自身に向かって突っ込んできたのである。

 「ヴェエエッッ!?」

 驚いて逃げるように飛び退くホウセキグマ。人間だって逃げ回る程なのだ。基本的に憶病な熊には効果抜群であった。

 『ワヒンワヒンワヒンワヒン!!』

 子犬ロボットは大声で鳴きながら熊の後方を駆け抜けていく。熊も興奮した様子で、一目散にその鳴き声を追い掛け始めた。

 「っほッ、げほッ!」

 圧迫から解放されて、ツナギが激しく咳き込んでその場に転がった。悠一としてはすぐに彼女を助けるべきなのだろうが、先ほどまでの行動で彼の勇気は限界だったらしい。脚がすくんでしまっており、その場から一歩も歩けそうになかった。酷とは分かっているが、今の隙を逃してはならないこともまた事実である。悠一は危険を承知で声を張り上げた。

 「ツナギさんっ 右っ! 右にライトッ!!」

 「――――ッ、……ハァ、く、おっけぇッ!」

 その一言でツナギも状況を理解したのだろう。すぐさま自身の右側を探ると、そこに手を伸ばした。果たしてそこに、悠一が手放してしまった真昼ライトが転がっている。ライトを手にすると、持ち手をしっかと握ってメモリを回すツナギ。

 「うりゃあ! くらえッッ!」

 ツナギの声とともに、周囲一帯を眩い光が照らし出す。その名の通りに真昼になったかのような輝きを受けて、

 「ブォォォオ~!!」

 とホウセキグマはくぐもったような悲鳴を上げ矢も盾もたまらずに逃げ出した。

 それは正に一目散といった様相。熊は巨躯を揺らしながら、次の瞬間にはその場から姿を消していた。圧倒的に有利な状況にあろうとも、理解の及ばぬ出来事に体面して即座に逃げに回れるのは、成る程流石野生に生きる動物といった所だろうか。少なくとも、逃げろと言われたのに脚がすくんで一歩も動けなかった悠一には到底及ばぬ判断力であろう。

 「――――はぁ、なんとか……なった、かな」

 騒ぎから一転して、周囲は静寂に包まれた。一先ずの所、熊の驚異は去ったと判断しても良いのだろう。ツナギは脱力してその場にへたり込んだ。そんな彼女に対して、土下座せん勢いで頭を下げたのは悠一である。

 「すいませんっした!!」

 「ちょぉ! 声! 声大きいって馬鹿!」

 「あ、す、すいません……」

 「どしたの急に」

 「いやだって、俺のせいでこんなことに……」

 そもそも彼が寝惚けてライトを落としたりしなければこんな事態は招いていなかったのだ。責任を感じるのは当然のことだろう。しかし、それを聞いたツナギもまた、申し訳なさそうな様子で眉を下げた。

 「いや、謝るのはこっちだよ。こっちに来たばっかりで山に慣れてない悠一に、いきなりこんな大変なことさせちゃったから……。私のミスだ」

 「で、でも、俺がやるって言い出したことだから、やっぱり――」

 「はいはいもうここまで。これ以上互いに謝っててもしょうがないし。この話はおしまいね」

 互いに罪悪感がある二人、そのままなら謝罪合戦になってしまいそうな所をツナギが強引に話を切り上げた。

 「それより悠一さ」

 「……えと、何スか?」

 「いや、助かったよ。ありがと、勇気あるじゃん。目覚まし機能で熊を退かすなんて、考えたね!」

 「あ、いやそれは……」

 今のツナギの関心は反省よりも、悠一の機転の方に向いているらしい。自分も想定していないアイデアで窮地を切り抜けた彼に素直に称賛の意を示しているのである。

 「熊は音に敏感って話聞いて、昨日うるさかったこいつのこと、思い出したんス」

 「大したもんだわ。まあ自分でも何とか出来ないこともなかったんだけど」

 「んな。じゃあやっぱり俺は余計なことを……?」

 「いやいや、最悪片腕使えなくなってたかもだから、無傷で助けてもらえて良かったよ」

 「ええ…………」

 何でもないような調子でツナギはとんでもないことを口にする。言葉を失う悠一であったが、彼女は今の今までピンチだった現状を本当に微塵も気にしていないらしい。

 危機感がないという訳ではない。ならば彼女は相当に肝が座っているのだろう。

 「しっかし、まさか自分の作ったロボットに助けられるなんてね。こりゃしっかり労ってあげなきゃだ」

 「それは、そうかもっスね」

 二人はそんなやり取りをしながら、子犬ロボットが走っていった藪の中を恐る恐る覗き込んだ。……そして、“それ”を見付けてしまった。

 「ありゃあ」

 ツナギが目を丸くして声を上げる。

 そこには、無惨にもぐしゃぐしゃに叩き潰された子犬ロボットが転がっていた。

 「こりゃヒドイ」

 「す、すいませんっス! 俺のせいでッッ!!」

 「声がでかいっての! いいよもう、お陰で助かったんだから」

 そう口にするツナギであったが、悠一の行動で納品途中の商品を台無しにしてしまったという事実には変わりない。

 「で、でも」

 「しっ、静かに……!」

 尚も謝罪せんとする悠一を制したのは、他ならぬツナギ本人であった。

 「え? ま、まさかまた熊が……!?」

 何事かを思案しているのか、顎に握った拳を当てて黙り込むツナギ。ややあって彼女は、「よし、いける!」と口にした。

 「え?え?」

 事態が飲み込めず困惑している悠一へ向かってニヤリとした笑みを浮かべると、

 「いい方法が思い付いたってこと。――ちょっと耳貸して」

 と悠一の返事を待たずして彼を引っ張り寄せると、何事かを耳打ちした。

 「――――はぇ? ……え、ええええ~ッッ!?」

 それに対して悠一は、心底驚愕した大声を上げることとなり。

 「だぁから! うるさいっつってんでしょうが!」

 「あいたッ!」

 そして殴られるのだった。

 

 ■■■■

 

 アールス・イボークはその日も、いつもと変わらぬ朝を迎えていた。

 窓から見える大自然、新緑の木々が生い茂る庭も、その遠くの山々も、普段と何ら変わることは無い。

 アールスは陽が昇るよりも早く起きて、庭の手入れをし、一段落したら朝食を作る。普段はシリアルのみだが、週に一度はベーコンエッグを食べるという習慣を彼は設けている。そしてその日は、ちょうどベーコンエッグの日であった。

 いつもと変わらぬ日常の一時。いつもと変わらぬ時間。しかし、正午を迎える前であろうか。そんな彼の当たり前の時間に、変化が訪れようとしていた。

 「…………ん」

 何かに気付いて、椅子に腰掛けていたアールスはむくりと身を起こした。

 山の麓に人目を阻むようにぽつんと建てられたその家は、老人が一人で住むにはどうにも広すぎるらしい。アールスは暖炉のある居間からゆっくりと移動すると、窓辺へと近付いていく。

 「熊じゃあ、ねえだろうな?」

 ホウセキグマは明るい場所には出てこないと分かっていても、一瞬不安が過る。しかしどうにも違うらしい。表から聞こえてくる音は、人間の喋り声であった。

 「…………むう」

 この周囲には他に目的地になりそうな場所などなく、ニューテートに行くためにここに来るなんていう人間もいないであろう土地だ。つまりここに来たということは、アールスの家を目指して来た、ということに他ならない。他人が彼の家に来ることなど実に半年ぶりのことであり、正に大事件だと言えよう。

 身構えるアールスであったが、壁に掛けられたカレンダーへと目を向けてその内容を把握し、嘆息した。

 ――そうか。今日だったか、期限は――

 三ヶ月前にツナギに依頼したロボットが完成し届くのが、正にこの日だったらしい。彼自身すっかりと忘れて日常を送っていたこともあってか、思いがけず心が沸き立った。

 程なくしてチャイムが鳴らされると、アールスは玄関口へと立ち、戸を開いた。

 「ったくよ、時間ギリギリじゃねえか」

 そうぼやきながら顔を覗かせた彼の前にはツナギと、

 『…………』

 無言で佇む青年の姿があった。

 「――――あ? 誰だこいつは」

 当然、アールスにとっては初対面の相手である。面食らってそう口にする彼に、ツナギはフフンと得意そうに鼻を鳴らした。

 「何ってアールスさん、ご依頼の品に決まってるじゃないですか。人型会話用ロボット、Uー1です」

 『オハヨウゴザイマス』

 ツナギの言葉に呼応するように、紹介されたロボットは片言の挨拶を口にする。

 「ほう。こいつがか。成る程な」

 訝しむような視線を向けた後で、アールスはロボットへと近付くと。おもむろにその脛を蹴りつけた。

 「あいで――ッッ!?」

 「嘘つけお前」

 ツナギの良い考えとやらは結局のところ秒で破られたと、ここに報告しておこう。

 

 ■■■■

 

 「成る程な。熊の奴にやられたか」

 場所は変わって、イボーク家の食卓にて。アールス、ツナギ、そしてUー1こと悠一は同じテーブルを囲む形で座っていた。

 「いって~! なんでみんな脛を蹴るんスかぁ」

 涙目で抗議の声を上げる悠一に、「すまんすまん」とアールス。

 「手っ取り早く判別するにゃ一番だと思ってよ。しかし悪いのはこんな子供騙しで俺を欺けると思ったコイツだぞ」

 「すいませんでした」

 指で直接示唆されて、頭を下げるツナギ。本人曰く、絶対の自信があった。まさかバレるとは。とのことらしいのだが。

 「しかし、これも運命なのかもしれねぇな」

 フー、と深く息を吐き出しながら、アールスはそう、呟くように口にした。

 「……運命?」

 「息子は小さい頃に病気で死んだ。妻も数年前に死んじまった。みんな俺の前からいなくなっちまったよ。挙げ句、寂しさを紛らわそうなんて柄にもなく頼んだロボットは、来る前に壊れちまったときたもんだ」

 「ごめんなさい。必ず直して届けますから……!」

 職人として、自身の仕事が半端に終わることが許せないのだろう。至極真面目なトーンで頭を下げるツナギに、しかしアールスは首を横に振る。

 「いや、いらねえよ。もし直ったとしても、そいつはお前さんの所に置いておきな」

 「そ、そんな……」

 「勘違いすんな。お前さんの仕事振りにケチつけようってんじゃねえんだ。ただな、縁ってもんがあるだろ?」

 「縁……ですか?」

 「ああ」

 そう口にすると、腕を組み、どこか遠くを見つめるようにアールスは顔を上げる。

 「こいつはキナリ……妻が常々言っていたことなんだがな。この世全ての生き物もそうじゃないものにも、縁ってものはあって、そいつが強ければ強い程、互いにとって大切な存在となるんだとよ。だから一期一会の出会いでも、大事にしていけ。とな」

 「…………」

 「ブッ壊れるのも覚悟の上で、そのチビはお前さんを熊から救ったのさ。その犬は自身を愛情込めて造り上げたお前さんを好いているってこった。つまりその犬の縁は、俺ではなくツナギ、お前さんと結ばれてるんだよ。……少なくとも俺は、そう思う」

 「それは――――、えっと……」

 アールスの言葉を受けて、ツナギは返す言葉を失った。縁だのと、そんなこと、これまで考えたこともなかった。ただ、愛情込めて、と言われると、塗装を妥協した手前何とも心苦しいものはあるのだが。

 そんなツナギとは対照的に、アールスの言葉にいたく感動した様子を見せるのは悠一である。

 「どした、兄ちゃん」

 胸を押さえて感動している悠一の様子を不審に思ったか、アールスが声を掛ける。

 「いえその、縁っていうの、自分は気にしたこともなかったんですけど、なんかアールスさんのその考え方、凄く良いなって……。」

 うまく言葉に出来ないもどかしさから、最後はどもり気味に悠一はそう口にした。自身も縁に恵まれなければ、こうして知らない世界で他人と会話することすら出来てはいなかっただろう。そう考えると、アールスの言葉は悠一にとって、とても腑に落ちるものだったのだ。しかしそんな彼の称賛を受けて、アールスはふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 「言っただろう。今のは妻の言葉だ。俺のじゃない。俺はな、むしろ今までずっと、アイツのそういった信条を馬鹿にしてきたんだ。縁だのと下らないってな」

 「――――え?」

 「だがな。俺は妻が繋いでいた縁に助けられていたことに、アイツが死んでから初めて気が付いたんだ。……いや、気が付いた訳じゃねえな。気付かされたんだ。否応なしに」

 ため息と共にまた遠い目を天井へと向けながら、アールスはそう呟いた。

 「アイツが死んでから、街からこの家に遊びに来ていた人間が誰一人来なくなったんだ。当たり前だよな。今まで一度だって客人をもてなしたことも、愛想を振り撒いたことだってなかったんだからよ。そんな男が一人暮らしている家に、誰が遊びに行くもんか。俺だって御免だ。だがよ、そうなっちまって初めて分かるんだな。一人は寂しい、ってよ。

 ――だからこいつは、今まで自分以外を蔑ろにしてきた俺に対する罰なんだよ」

 「……そう、ですね」

 話を聞いて、悠一にもツナギにも、返す言葉が思い付かなかった。何を言っても、この老人の望む言葉ではないような、そんな気さえする。

 「でも、残念だな」

 と、ツナギが漏らすように呟いた。

 「結局、依頼は無かったことになっちゃうんだと、ちょっと寂しいなって」

 「あ、いや、わざわざ作ってくれたのに、無下にしちまうようですまねえ。そんなつもりじゃねえんだが、いやその」

 「いえいえいえ!こちらこそ別にそんな気にしないで――」

 何やら謝り合っている二人。若いツナギに対しても真摯に接するアールスの姿から、過去はどうあれ、今は人と人の縁を大切にしようとしているんだな、と強く感じられる。彼の奥さん――キナリさんの意志は、ちゃんと残っているんだな。と悠一ははにかんだ。

 「……兎に角、依頼はこんな結果になっちまったが、熊公のいる危険な山を越えてまでこんな偏屈ジジイの家に来てくれたんだ。それなりの礼はさせてもらうつもりだ。小遣いくらいはな」

 「そんな、いいんですか?」

 小遣い、と聞いてツナギが目を輝かせた。ああ、と頷くアールス。

 「勿論だ。……それより俺も聞きたいことがあるんだが」

 「なんです?」

 「そこの兄ちゃんは結局のところ何者なんだ?見たことねえんだが……」

 その言葉と共に、鋭い視線が飛んできた。ドキリとして身を強張らせる悠一であったが、ツナギはにこやかに口を開いた。

 「あー、なんか記憶喪失で帰る家も忘れちゃったんですって。依頼されて私が面倒見てるんですよ」

 実際のところ面倒を見てくれたのはマサムネなのだが、それを言ったところで話がややこしくなるだけだと悠一は口をつぐんだ。話を聞いて、ほう、とアールスは鼻を鳴らす。

 「そうだったのか。俺ぁてっきり、お前も身を固めるつもりになったのかと思ったぜ」

 「そーいうんじゃないんで」

 「分かった分かった。兄ちゃん、そいつは災難だったな。こんな老いぼれが助けになれるとは思わねえが、何か力になれることがあったら言ってくれ」

 悠一へと目を向け、照れ臭さそうにアールスはそう口にする。遅れて悠一も頭を下げた。

 「あ、ありがとうございます!」

 「構わねえよ。それで兄ちゃん、……何も、覚えてねえのか?」

 「ええ、と……」

 過去の世界だなんだという話をアールスにしても混乱を招くだけだろう。質問に対して慎重に言葉を選びながら、悠一はこう口にした。

 「昔のことは、なんとなくですが覚えています。俺も酷い人間でした。ずっと両親に助けられていながら、その有り難みを全く理解出来ていなかった。認識すらしていなかった。世界は自分を中心に回っていると、そう思っていたんだと思います……」

 「……そうかい。――俺もさ兄ちゃん。ずっと誰かに助けられていながら、自分のことしか考えていない人生を送ってきた。だから今はこうして孤独なんだ。俺がそれに気付いたのは、取り返しがつかなくなってからだった。だが兄ちゃん、アンタはまだ若え。若い時分で気付けたんだ。だから大丈夫だよ」

 そう口にして、アールスは居間の暖炉へと目を送る。暖炉の上には大きな写真立てが飾られており、そこには若い男女が並んで写っている。にこやかな笑顔の女性の隣に立つ、威圧的な仏頂面の男。それは、若かりし頃のアールスとキナリ、夫婦二人で撮った写真だった。

 アールスが写真なぞ嫌いだと拒絶したために、アールスは勿論、キナリも、彼女が写っている写真はその一枚のみであった。妻がいなくなってからアールスはその姿が残っていないことを後悔したが、その時にはもう、あまりにも手遅れだった。

 「こうなっちまってからじゃ、遅いのさ」

 深く息を吐き出しながら、もう手の届かない誰かをずっと待っているような、そんな悲哀を帯びた目をアールスは写真立てへと向けていた。

 「今からでも、遅くないですよ。だってアールスさん、とっても優しいじゃないですか。奥様だって、アールスさんと居られて幸せだったと思いますよ」

 そうフォローするツナギに、しかしアールスは首を横に振る。

 「ありがたいことにな。キナリの奴もそう言ってくれていたよ。こんな俺に。……だけどな。俺が優しく人当たり良く出来ていたなら、アイツは“もっと幸せ”だったんだ。ああ、俺はよ。大切なものを喪うまで、それが大切なものだとさえ気付けなかったんだよ。今兄ちゃんが気付いたことを、俺はこの歳まで無理解に生きちまった。今の俺には、後悔しか残ってねえんだ。兄ちゃんは、こんな風にはなっちゃいけねえ」

 アールスの言葉を受けて、悠一は自身の内に込み上げる何かを感じていた。

 彼は、自分だ。老人の後悔は、気付けなかった自分が辿る未来だ。こんな未知の世界に飛ばされてたった一日で音を上げるような軟弱な自分だが、だからこそ、平穏な元の世界の有り難みが分かったのだ。あのまま家に居たのなら、それこそ老人になるまで勘違いしたままクソみたいな人生を送っていただろう。

 だから今、全てを失ってしまったのだと哀しく笑うアールスを見て、悠一は自身の胸が締め付けられるかのような思いをしていた。どうにかして彼の力になりたいと、気付けばテーブルに強く手を付いて悠一はその場に立ち上がっていた。

 「あ、あ、あのっっ!」

 「んあ?ど、どうした? 兄ちゃん」

 「ユーイチ?」

 面食らった様子の二人を他所に、悠一は意を決して声を上げる。

 「アールスさん、お、俺をこの家に置いては貰えませんか!? 俺、な、何でも手伝いますから……!」

 「な、ぁ――――!?」

 突然の宣言に、アールスが言葉を無くすのも無理はないだろう。「へえ」と面白そうに目を光らせるツナギの横で、我に返ったアールスが悠一を睨み付けると声を上げる。

 「なんだ? この老いぼれに同情でもしたか?兄ちゃんよ、確かに力になるとは言ったが、ここに住むってのは別問題だぜ? ……お前さん、何が出来るんだ」

 「…………っ」

 何が出来るかと問われれば、残念ながら悠一には返す言葉がない。これまで何も家族の助けになる事などせずに生きてきたのだ。家事など出来る訳もなく、これといった特技もない。しかし、ここで引き下がることもまた、今の悠一には出来なかった。

 「……出来ません」

 「――なんだと?」

 「ずっと楽をして生きてきたんです。今の俺には、殆ど出来ることはありません」

 「……そうかい。だったら悪いが――」

 「ただ、一つだけ」

 「…………あん?」

 悠一は決意を胸に、アールスへと居住まいを正す。そして彼は、こう口にした。

 「約束出来ます。――決してあなたより先には死にません。わ、若いし元気だし! あなたより長生きしてみせます!」

 「     」

 突拍子もない発言に、まるで時間が止まってしまったかのようにその場は固まった。

 やらかした……。と内心絶望色に染まる悠一と、そんな彼を面白そうに眺めるツナギ。そして黙ったままのアールスと、その場に気まずい時間が流れていく。

 「……ぁ、あの……」

 「――――くっ」

 悠一が静寂に耐えきれず何か言おうとしたその時、沈黙を破ったのは他ならぬアールスであった。

 「ふぁーっはっはっは! 俺より先に死なないときたか! そりゃ確かに一番大事だわな!」

 「アールスさん?」

 「ツナギよ。俺ぁコイツが気に入ったぜ。何も出来ないって? 上等じゃねえか。教え甲斐があるってもんだ」

 ひとしきり笑った後でアールスは、度肝を抜かれた様子で固まる悠一へと居住まいを正した。

 「いや悪いな。驚かすつもりはなかったんだ。何しろビビってるのは俺の方でな?

 ……兄ちゃん、今一度聞くが、本当にいいのか?興味本意っていうならやめた方がいい。他にも家は沢山あるんだ。わざわざこんな退屈な所に好き好んでいるもんじゃねえぞ」

 「……っ、お、俺がそうしたいから言ってるんです! 今更後戻りするつもりなんて、あ、ありません!」

 若干声が震えていたが、悠一の決意は確かなものであった。それを確認して、アールスはニヤリと口の端を釣り上げた。

 「おーし、なら決まりだ。お前は今日からうちの人間だからな! 色々こき使ってやるから覚悟しておけよ」

 「は、はい!」

 良い返事を受けて、ますます気分を良くしたのか、アールスは座席から立ち上がった。ちなみにツナギは、先程からの展開の早さに目を白黒させている様子である。

 「それじゃあお前さん……、ユーイチと言ったか?歓迎祝いも兼ねて、夕飯はパーティーにするぞ! 色々作るから手伝ってくれ!」

 「あ、はい! 頑張ります!」

 「ツナギ、お前さんも食っていけよ。どうせ部屋は沢山あるんだ。今日は泊まって行けばいいさな」

 まるで生き甲斐を見付けたかのように生き生きとし出したアールスは、ツナギにそう言うと悠一を伴って台所へと姿を消した。

 テーブルに一人残されたツナギは、頬杖をつくと嘆息する。

 「あーあ。私何もしてないのに、方々が勝手に丸く収まっちゃったよ」

 その言葉通り、依頼の品こそ壊れてしまったものの、アールスは小遣いをくれると言い、更には悠一の居住問題まで解決してしまった。話が出来すぎのような気もするが、まあ、時にはこんなこともあるのだろう。それにこれは、悠一が頑張った結果なのだから、素直に称賛すべき事なのだろうとは思う。思うのだが――。

 「ちぇ、ここじゃあ気軽にうちに来られないじゃん」

 なるべく近所に住まわせてクソゲーをやらせまくろうと企んでいたツナギとしては、多少不本意な結末なのであった。

 

 ■■■■

 

 ディナーパーティーは、パーティーと呼ぶにはささやかなものであったが、とても楽しい時間であった。

 テーブルにはベーコンとじゃがいも、ウィンナーをバターとマスタードで炒め併せた料理や、野菜たっぷりのスープなどが並び、賑やかさと色を添えている。極めつけは、焼き立てのパン。

 長年使っていなかった石釜の手入れから始まり、一時間程薪をくべた後、練った生地を投入して十分程まんべんなく焼くと、外はカリッと、そして中はふわふわのパンが焼き上がったのである。

 「まるで店のやつみたいっス!」

 これには悠一もいたく感動しており、本当に美味しかったのか、スープと合わせて二人前以上をペロリと平らげてしまった。アールスも満足そうに頷き、「今度焼き方を教えてやるよ」と笑うのであった。

 

 夜になって、ツナギは一人、客室を貸してもらえることとなった。

 こちらはしっかりと掃除が行き届いており、シーツもピチっと掛けられている。いつ誰が来ても良い様にと、アールスが日々手入れを欠かさなかったのだろう。

 悠一はアールスと同部屋に連れて行かれた。ウキウキなアールスの様子からして、なかなか寝かせては貰えないだろうことが予想出来る。

 「…………」

 ベッドに横になって天井を見上げると、ツナギは深く息を吐き出した。

 ――はぁ、情けない――

 今の彼女は、自身の不甲斐なさに打ちひしがれていた。結局のところアールスがここまで元気を取り戻したのは、ひとえに悠一の行動によるものだ。本来ならばツナギの製品がそれをしなければならなかったのに、役に立つことが出来なかった。

 「……悔しい」

 ぽつりと言葉が漏れる。熊に襲われたこと、子犬ロボットが壊れたこと、そのどちらも、悠一のせいだと言うことは可能だろう。けれどそれは、結局のところツナギ自身の責任なのだ。あの時悠一に言った通り、山に慣れていない彼に見張りを押し付けて安心してしまったのは無責任の極致だった。それに子犬ロボットが囮にならなければ、無傷での解放は難しかっただろう。そう考えると、全て彼女のミスが招いたことであり、悠一相手に嫉妬などと、みっともないことこの上ない。

 ――夜にやろうと思ってた塗装が出来なかったからさ、今日やって明日届けるわ。今日中には乾かないだろうし――

 ――決まった。この子は白い犬だったことにする!――

 そもそもが、仕事の期日についても内容についても今回の自分は怠惰で不誠実だった。そんな姿勢が結果につながっているのだろう。そんなことは分かっている。分かっているのだが。

 「悔しいなぁ。ホント悔しい」

 抑えても、後悔は止めどなく溢れてくる。次は頑張ろう。自分に恥じぬ仕事をしよう。そう固く心に誓って、ツナギは眠りにつくのだった。

 

 ■■■■

 

 「アールスさん、色々とありがとうございました」

 「おい、待ちな」

 翌日になって、帰り支度を始めているツナギの元に、アールスが声を掛けてきた。

 「え?」

 「忘れてるものがあるだろ?」

 「……お小遣いくれるって話ですよね?しっかり覚えてますとも」

 言われてツナギは、ふふんと鼻を鳴らす。無論忘れてなどいない。アールスがいつ言い出すかとやきもきしながら待っていたくらいなのだ。――しかし。

 「小遣い? そんなんじゃねえよ」

 アールスからの返答は無慈悲なものだった。流石に驚いて顔をしかめるツナギ。

 「え!? で、でも昨日は確かに――」

 「そんなもん知らねえな」

 アールスはそんな彼女の狼狽える様子を悪戯っぽく見つめた後、

 「小遣いなんかじゃなく、こいつは依頼料だ。受け取ってくんな」

 そう言って、封筒を手渡した。

 「ちっとばかし色を付けといたぜ」

 「え? え? いや、依頼料ってそんな。製品は壊れちゃってるのにそんなの受け取れません。……私は、何もしてないし……」

 渡された封筒は何とも分厚い。昨夜の後悔が脳裏を過り、ツナギはその場に俯いた。そんな彼女の様子を眺めて、アールスは、ふ、と鼻を鳴らした。

 「おいおい、俺の依頼は『話し相手が欲しい』だぜ? お前さんは見事それを達成したじゃねえか。立派な話し相手を連れてきてくれた。依頼料を払うのは当然の義務だと思うがね?」

 「……それは……」

 確かにそういう話ならば、悠一が居候すると決まった時点で無事に依頼は完了したということになる。

 「いいんですか? 本当に」

 「ああ。勿論だとも」

 「――ありがとう、ございます……!」

 ならばこれは正当な対価だ。それを無下にすることは、相手に対する失礼な行為に他ならない。頭を下げるとツナギは封筒を受け取った。

 「――――あの……ツナギさん」

 そんな彼女の背に、台所から声が掛かる。朝食後の洗い物を任されている悠一である。

 「あ、ユーイチ。昨日はお疲れ様!」

 「もう、行っちゃうんスか?」

 荷物を纏めている彼女の様子を見て、帰る所だと悟ったのだろう。露骨に残念そうな声に、ツナギはあはは、と笑った。

 「そりゃ帰るでしょ。私は居候じゃないし、何日も留守にするとニャンゴローが寂しがるからね」

 「分かりました。――――あ、あの」

 言いにくそうにモジモジとしていた悠一だったが、意を決して口を開く。

 「ツナギさん、あの、本当にお世話になりました。――ニャン……、マサムネさんにも宜しくお伝え下さい。俺、皆さんのお陰で自分の生きるべき道を見付けられましたから」

 「……そっか。私は特に何もしたつもりはないけどね。その結果はさ、悠一が頑張ったからなんだよ」

 「いや、頑張るのは多分、これからっス。……それで、あの……その……」

 決意に満ちた言葉であったがどうにも歯切れが悪い。耳を触りながら言いよどむ悠一の姿を見てツナギも、ああ、と理解した。

 「翻訳機ね」

 「そ、そうなんス」

 翻訳機は悠一にあげたものではなく、あくまでもツナギが会話する為に貸し与えていたものである。ツナギが帰る以上、当然それは回収されるのが常道であろう。しかしそうなった場合、悠一はいきなりアールスと会話が出来なくなるので、それは困るといった所か。

 ツナギはニッと笑うと、悠一へと親指を突き立てた。

 「いいよ。もう少し貸しといてあげる」

 「え!? 良いんスか? 大切なものなんじゃ」

 そりゃ勿論。父さんの形見みたいなもんだし。と頷くツナギ。彼女は次いでこう口にする。

 「だけど今はユーイチにとってこれが一番必要だと思うから。」だから貸しておくね」

 「あ、ありが――」

 「たーだーし!」

 礼を口にしようとする悠一に、びっと人差し指を突き付けるツナギ。

 「あくまでも“貸してるだけ”だからね? いつかは返してもらうってこと。それに、万が一壊れちゃったらどのみち分からなくなっちゃうんだからね? だからユーイチは、借りてるうちにちゃんと言葉の勉強をするんだよ! いい?」

 その言葉を聞いて一瞬固まった後で、悠一は目を輝かせた。

 「はい!」

 「あ、それと」

 「はい!」

 と、指を引っ込めながら、ツナギが更に悠一へと言葉を掛けた。

 「クソゲーやりたくなったら、いつでも来ていいからね!」

 「ア、ハイ」

 悠一が微妙な顔になったのは言うまでもない。

 

 かくして田辺悠一はツナギと別れ、新しい人生を歩み始めることとなった。

 だが、決して彼の目的を見失った訳ではない。これから先の日々、悠一は元の家に帰る方法を探しながら、アールスと二人での暮らしを続けていくのである。

 その先に何が待つのか。果てに何があるのか。興味は尽きないが、ひとまず彼の話はここまでである。そして、その先の話が語られることは、恐らくないだろう。

 「えっ? なんで」

 何故って、当然の話だ。だって田辺悠一は、この作品の主人公じゃないのだから。

 「え!? 主人公じゃなかったの!? 俺!」

 

 ■■■■

 

 場面は変わって、ざわめき工房にて。

 「と、いうわけで、無事に依頼料をゲットしてきたというわけ。分かった? これでも頑張ったんだから」

 「へえ」

 ツナギから話を聞いたニャンゴローことマサムネは、じとっとした目を彼女へと向けて短く返した。ツナギが出て行ってからまるまる四日経過しており、家はさっぱりと片付いているものの、流石に退屈だったらしく、拗ねたようなオーラを発している。

 「で、まだ中身見てないんだろ? どうすんのさ。ただの紙屑がこんもりと入ってたら」

 マサムネは壁に取り付けられた爪とぎ用の木板にバリバリと爪を立てた後、壁にごしごしと身体を擦り付けながらツナギへと悪態をついている。流石にそれはないでしょ。とツナギ。

 「アールスさんは人情とか、そういうのを大切にしてる人なんだよ。わざわざ封筒に隠して渡してくれたものをその場で改めたら、もう仕事頼んでくれないかもしれないじゃん」

 「それなら、家を出て帰り道に確かめればよかったのに」

 「うーん」

 マサムネの尤もな言葉を受けて腕を組むと、ツナギはしばし思案した後でこう口にした。

 「ま、こういうのはニャンゴローと一緒に見たいからね! 良くも悪くも!」

 「――フウン。あそ、俺はどーでもいいけどな」

 フンフンと鼻を鳴らしながらマサムネはそれだけ口にすると、そっぽを向いてしまう。しかし実に残念なことだが、彼のそういった頑なな態度や言葉が照れ隠しであることは、同居人のツナギには筒抜けなのである。知られていないと思っているのは本人ばかりなのだが、ツナギ曰く、それがいい。とのこと。

 「よっしゃ! じゃあ開けるよ!」

 言うが早いか封筒を開封し始めるツナギ。封筒の中には、やはり中々に重い紙束が入っているようだ。「ちょっ! 一緒に見るんじゃないのかよ!?」と大慌てで駆け寄ってきて彼女の肩へと飛び乗るマサムネと共に、果たしてツナギはそれを取り出し、見ることとなる。

 「うっそ」

 「マジか」

 封筒の中身は、三十枚ほどの一万ギル冊だったのだ。

 

 「――――ええ」

 「いやいや」

 「こんな、ありえな……っほ! げほっ」

 

 しばらく言葉を失っていた二人だったが、我に返るとそのあまりの額に仰天して、ツナギはむせ込み、マサムネは爪とぎを始めた。しばらく混乱は続いていたが、時間とともにそれも落ち着いたようだ。

 「さんじゅうまんぎる! 三十万ギルだよ!? 信じられる!? 社会人の一月の給料だよ!? ロボ壊れたのに!!」

 「ま、あのじいさんには、それだけ嬉しかったんだろ。ユーイチを連れてきてくれたことがさ。……まさかツナギ、分不相応だから受け取れないとか言うんじゃないだろーな?」

 「まさか! 個人的な反省会なんてとっくに済ませたから。いつまでもくよくよしてらんないでしょ?」

 興奮冷めやらぬといった様子で、封筒片手に小躍りしているツナギ。とても受け取れないだの、内気なことを考えているようには見えない。

 「よっしゃー! 久々の特大収入だーーーー!! グレッグの奴もたまにはいいことするじゃん。五千ギルって言われた時はボッコボコにしてやろーかとも思ったけどさ、巡り巡って三十万ギルだもん! これは許しちゃうわー」

 「それは知らないケド。ま、これでしばらくは貧乏生活ともおさらばかな」

 なんだかんだと言いながら、あまりの大金入手に浮かれた二人は、テキパキと祝賀会の準備を始めている。

 ややあって、ツナギが町内から大急ぎで買ってきた高級ミルク(ヤギの初乳)と、彼女が秘蔵していたワイン瓶が並べられ、つまみには、クラッカーの上にクリームチーズと干したイチジクを乗せてメープルシロップを垂らした、マサムネ得意のチーズクラッカーが添えられている。アールスの家に負けず劣らず、ささやかだが楽し気なパーティーの用意がそこに出来ていた。

 「ま、色々と言いたいことはあるけど、とにかくお疲れ様」

 「ニャンゴロウも留守番ありがとね」

 「マサムネ!」

 いつものやり取りをした後で、二人は顔を見合わせて笑う。そしてツナギはグラスを手に取り、マサムネは皿に爪を乗せ、

 「「かんぱーーーーい!!」」

 と声高に口にした。

 依頼をこなし、多く報酬が出るようなことがあれば、ちょっとだけ美味しいものを食べる。これが、ザワメキ・ツナギと、その同居人マサムネの、日常のささやかな楽しみなのである。

 

 さて宴会は進み、つなぎもほろ酔い気分になった頃、突然家の呼び鈴が鳴らされた。

 「お客さんかな?」

 「どーすんのツナギ。今日はもう店じまいにする?」

 仕事気分でもないだろう。と相方を慮ってのマサムネの言葉だったが、ツナギは首を横に振ってマサムネへと笑い掛けた。

 「わざわざうちまで来てくれたんだから、どんな依頼だって受けちゃうよ」

 「やれやれ。何でも屋じゃないんだってのに」

 そうしてマサムネの嘆息をよそに、ツナギは玄関のドアを開け、客人を迎え入れるのだった。

 

 「ざわめき工房へようこそ!」

 

 

 

 終わり

 

 

 □□□□

 

 さて、ここからはクソゲーの話になる。

 ツナギが最新作にと考案、開発を進めていた2Dアクションゲーム、【DEAD OR ALIVE】は、【DEAD OR APPLE】と名を変えてクソゲーグランプリに投稿されることとなった。

 その内容は、リンゴを求めるトガリネズミが、迷路のようなステージ内を動き回りながらリンゴを集めるという大変シンプルなものである。しかしその主人公に癖があり、リンゴを食べるといちいち凝ったリアクションを取るのである。例えば最高ランクのリンゴを食べるとポイントが沢山手に入るのだが、あまりの旨さに3秒程その場で感動に咽び泣いたりする。この間主人公はまったくの無防備であり、後述するお邪魔キャラクターの猫などが近くにいるとあっという間にやられてしまうのである。故にプレイヤーは、猫が近くにいないことを判断してからリンゴを食べねばならないのだ。

 さて、前述したお邪魔キャラクターの猫についてだが、こちらも当初から改良を重ねられており、最初の頃のステージに登場するノーマルタイプの猫に始まり、翼が生えて迷路の壁を気にせず狙ってくる羽キャットや、壁に隠れてこちらを待ち襲い掛かるニンジャキャット、後半ステージで猛威を振るう広域殲滅型メカキャットなどの様々な強敵が登場することとなった。

 ステージはそれぞれ一定数のポイントを集めることによってクリアとなるが、後半になる程に条件が厳しくなっていくというものであり、数は全部で百ステージを誇る。

 ツナギはテストプレイでクリアするのに一週間を費やした挙句、クリア後は三日程寝込んでマサムネにどやされたらしい。

 さて、そんな全身全霊を掛けた大作だが、グランプリではあえなく落選となった。何故かというと、

 『じわじわくる』

 『普通に面白い』

 『ネズミの挙動も猫もやばい。全部やばい。製作者あたまおかしい』

 『普通にまっとうなやり込みゲー』

 『全クリ目前にメカキャット二匹に挟まれてやられて寝込みました』

 『面白いわこれ』

 と、審査員からは物凄い高評価だったのだが、

 『ただし、前回の大会後、まっとうな良ゲーはクソゲーではないとの批判があり、大会運営もこれを重く受け止めたため、今回より審査員に満場一致でまっとうな良ゲーと判断されたゲームにつきましては、審査対象外とさせて頂きます。誠に申し訳ありません。ですが貴方は素晴らしいゲームを作りました。誇るべきことです』

 と、いうわけなのである。

 

 「そ、そ、そんなあああぁぁぁッッッ!!」

 

 その通知を見たツナギは、その場でひっくり返ってまる一日寝込み、マサムネを更にキレさせたという。

 因果応報。残念無念。

 

 

 全巻の終わり

どうも、へるりんと申します。

今回は読み切り兼、パイロット版の第一話ということで書かせて頂きました。

今後も時間を見つけて、ちょこちょこ書いていこうと思いますので、よろしくお願い致します。

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