「ええじゃないか」の前奏としての「うっせえな」
Youtobeでadoの歌う「うっせえな」が一億再生を越えたってことで。
なんで受けてるのか考えてみた。
というのは嘘でなんで受けてるのかなんて考えるまでもない。
コロナがもたらす理不尽に対して会社の人間関係に仮託してうっせえなと歌っているから受けているのだ。
まさかあの歌詞を文字通りにとらえるアホもいないだろうけど。
念のため。
そうしてそういう視点に立つとなんとなく日本史の謎であるええじゃないかに対する感覚的な理解ができてくる。
ええじゃないか、とは慶応三年に空からお札が降ってくるとして、民衆がええじゃないかええじゃないかと各地で躍り狂った事件だ。
原因不明、扇動者がいたかも不明。目的も不明。
不明だからのええじゃないかだ。
躍り狂う時の歌にもさまざまあり、ひどいのになるとおめこに紙貼れ、取れたらまた貼れええじゃないか、ええじゃないか、だ。
ええっ? である。
であるが、コロナ下になってみると、なんとなく今と同じような感じだったんだろうなと思える。
なので「うっせえな」は「ええじゃないか」の前奏なのである。
うっせえなと毒づいている間はまだ健康なのよ。
理性がある。
カルト宗教の洗脳の手段なのだが、過度なストレスをかけ続けると人は自己防衛のために全肯定を始める。
認めないと壊れてしまうから、とりあえず全て認めて自分を守る訳だ。
そう「うっせえな」が「ええじゃないか」に進化するのだ。
まだ今はうっせえなで済んでいるが、もうちょいストレスかければ皆ええじゃないかと踊り出すようになる。
まず時短だなんだといじめられている飲食関係がええじゃないかと躍り出すだろう。
慶応三年のええじゃないかのように令和三年のええじゃないかが始まるのだ。
またおめこに紙貼る時代がやってるくるのだ。
うっせえなはその予兆である。
なのでAmazonはおめこに貼る紙を売り出さなければならない。
これは緊急の課題である。