第4話 幽霊
焦った。本当に焦った。
彼女はセンサーに引っ掛かっているにも関わらず、尋常じゃない速度で走った。
そして、俺を片手に持ちながら、博物館の外に出ていく。
「ははっ。なんか怪盗になったみたいで楽しー!」
――いや……みたいじゃなくて、ほぼ怪盗だろ――
しかし、驚くのはここからだった。
「へい。透明化」
彼女はそう言うと、俺含めて姿が消えた。
――なんだ、これ! 魔法か何かか!?――
そして、警備員の横を軽快に通り抜けていく。
「さて……よっと」
外に出た途端、彼女は軽くジャンプをする。しかし、その高さは軽くというにはあまりにも高すぎるものだった。
――ええ! なに、この子! 身体能力高すぎだろ!――
「にゃっはー!」
そして、家の屋根に乗り、さらにその上を疾走する。
家から家に飛び移り、もう博物館ははるか遠くだった。
――この子は忍者か何かなのだろうか――
そして、とあるアパートの一室にやってくる。
「さーて、着いた着いた」
彼女は透明化を解除し、扉の鍵を開け、中に入る。
そして、鍵を閉め、彼女は俺を窓の側に立て掛ける。
「いやあ。疲れた疲れた」
――ぐほっ!――
その時……彼女は制服を脱ごうとする。
「……ちゃんとパジャマに着替えないと、ウラちゃんにバレちゃうもんね」
――…………――
その時、確かに彼女は『ウラちゃん』と言った。
自分のことをちゃん付けで呼ぶ。まあ……そんな人もいることにはいるが、以前の彼女の一人称は『私』だったはずだ。
――なんか……変だな――
そして……。
――うお!――
我に返り、今目の前で女の子が着替え始めようとしていることを思い出す。
――……ちょっとぐらい……いいよな――
この時……俺は自分が刀になって良かったと初めて思っていた。
「あっ。そうだ」
何かを思いついた彼女は俺をつかむ。
「うっかりしまい忘れちゃったらまずいから、タンスの中に入れとこー」
そうして、そのままタンスの中に放り投げられるのだった。タンスは俺の体が充分に入れるほど広かった。
――…………――
女子の着替えが見れなかった残念な気持ちがあり、それとは対照的にそれを見てしまえば人間に戻りたい気持ちが薄れてしまうのではないかという心配もあった。
まあ……結果的に後者は守れたので、良しとしておこう。
――でも、せめて下着の色ぐらいは……――
そう思い、タンスの隙間から覗こうとした。
しかし……。
――……いや、やめておこう。俺、ミユキが好きだし――
そう考え、見るのをやめる。
まあ、その後も俺の中で葛藤があり、見ようか見ないか迷ったことは言うまでも無い。
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それからしばらく経ち、朝になった。
「おーい」
――……ん?――
突然、タンスの外から声がした。
「よっと」
そして、その引き出しを開けられる。
「……ねえ。起きてる?」
――…………――
この質問に簡単に答えてよいものか。
その声の主はわからなかった。しかし、泥棒の家に住んでいる人間だ。うかつに答えるのはよくないだろう。
「まあ、信用してくれないか。ならさー。後ろ見てみて。ほら」
――……後ろ?――
その時、自分がどこにいたのかを把握する。
――なっ!――
俺は下着の入ったタンスの中にいた。タンスが開けられたために、光が差し込み、それらは姿を見せる。
「ぎいやあああああああああああああああああ!!」
俺は勢いよく、タンスから飛び出す。さすがに、一夜、女子のパンツの上で寝ていたと考えると、尋常じゃないほど恥ずかしい。
「……って、あれ?」
ふと、周りを見回すが、声の主が見当たらない。
「おーい」
しかし、確かに声がする。
――……上か?――
「やあ、少年。やっぱり起きてたかあ」
そこにはタンスの取っ手に掴まっている大剣があった。
掴まっている……というのも、なぜかその大剣からは透明な腕のようなものが生えていたのだ。
「……いや、どゆこと?」
「少年。君もなかなか思春期だね」
大剣はタンスから落ちてきて、俺の前に来る。女子の部屋に2本の武器という不思議な状況がなんとも言えなかった。
「いやあ、いくら刀になってるとはいえ、女の子の下着の前では敵わないよね。お姉さん、あったまいい!」
「頭いいって言うか、結構すごいことしてるからね。俺、女の子のパンツの上で寝るっていうすごい体験しちゃったからね」
――それにしても、この人も武器になってるのか――
この時、同じ境遇のいなかった俺にとって、そのことは非常に安心をもたらした。
「あの……お姉さんも、武器に……なってるんすよね」
「ん? そうだよー」
「それじゃあ、人間に戻る方法を知ってるんですよね」
「へ?」
すると、なぜかしばらく彼女は黙っていた。
それからゆっくりと、喋り出す。
「……無いよ。そんなの」
「……えっ」
その時、その場の空気が凍った。
俺の中に並々ならぬ絶望が生まれたのだ。もう自分は人間に戻ることができない……そういう絶望が。
「……ぷ……ぷぷぷ」
「……えっ」
「うっそー!」
「…………」
「あははは!!」
彼女は突然、大笑いし始める。
――なぜだろう。俺は今、初めて女を殴りたいと思っている――
「大丈夫。大丈夫。少なくとも、君の体は生きてるから、体に入り込めば済むんだよ」
「本当ですか! ……良かった」
「まあ……体があれば、戻れるよ。きっと……」
その時、妙に彼女の声のトーンが低かったような気がした。
しかし、再び愉快に話し始める。
「いやあ、君のおかげですごく助かったんだよ。君があの時、本気でウラちゃんを助けてくれたから、今こうして私も元気でいられる訳だからさ」
「……あの時?」
ふと、俺は心の中で、これまでの会話の違和感を突き止める。
――そういえば、この人の声をどこかで聞いたことがあるような……――
「まあ、せめて君の魂を助けられて良かったよ。本当に……」
「……えっ。もしかして」
思考よりも先に、俺はその結論を口に出していた。
「あんたがあの時の声の!」
「ん? そうだよー。いやあ、あの時は焦ったねー」
「ええ! えええ!」
驚きで俺は混乱する。
そこで、俺は気になっていたことを聞く。
「ところで、あの時俺がこの刀に取りつかなかったら、どうなってたんすか?」
「へ? たぶん、変なものに取りついて、悪霊になってたんじゃないかな」
「……悪霊?」
俺はなんとなく、その言葉に引っ掛かった。
「悪霊って……本当にいるんすか?」
「うん。物に取りついて……そのまま現世での未練を持ち続けると、その人は悪霊になってしまう。それしか考えられなくなってしまう。君も……もしかしたら、そうなってしまうかもしれなかったね」
「…………」
俺は固唾を飲み込む。
今……俺は一人の少女に恋をしている。そんな俺がもしも、悪霊になってしまっていたら……。
「……俺、消えてなくなるどころか、大切な人を傷つける結果になってしまったかもしれないんすかね」
「そうかもね。まあ、過ぎたことだよ。あんまり考えすぎないで……」
「……はい」
ふと、俺が安心する反面、彼女は何かを思い出したかのように話し出す。
「……ごめん」
「はい?」
「過ぎたことじゃ……なかった」
何か恐ろしかった。彼女の言うことが、とてつもなく重大なことのような気がしたのだ。
「君を轢いたトラック」
「はい」
「あれは……」
彼女はなんとなく真剣な声でそれを言った。
「まさに、悪霊が取りついた物だったんだよ」