第2話 分離
長く黒い髪を持つ彼女。
なんだかそれ以外が印象に残らなかった。そんな見た目をしていたのだ。
ただ……その他校の制服に見覚えがあった。
「そうだな。じゃあ、後ろのあの席に座ってくれるか?」
「はい」
彼女は担任の指差した方向に向かう。それまで盛り上がっていたクラスメイトたちも、彼女が少し地味な雰囲気を放っていたため、何も喋らなかった。
だが……妙に彼女のその地味さというものに俺の興味が向いた。なんとなく違和感があったのだ。
ホームルームが終わると、俺はショウタのところに向かった。
「なあ、ショウタ」
「ん?」
「なんかさ……変じゃないか?」
「……おう?」
ショウタは口をへの字に曲げ、眉をひそめる。
「何が?」
「だからさ、あの転校生のことだよ」
「……えーっと……姫川……なんだっけ……ウラだっけ? 変わった名前だな」
「いやいや……名前じゃなくて、雰囲気っていうか……」
「おいおい」
ショウタは俺の肩に手を回し言う。
「もしかして……うっかり転校生に気持ちが移っちまったんじゃねえだろうなあ」
「は? いや、そんなわけないだろ」
「まあ、気にすんな。気の迷いのある歳頃だろうが」
「話を聞け。……てか、お前も同い年だろうが!」
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その日の放課後だった。
俺は校門の前で姫川 ウラが歩いているのを見かけた。
「なあ」
そんな彼女の後ろ姿に声をかける俺。
「…………」
彼女は振り返り、こちらを黙ったまま見つめる。
俺はそんな彼女に言う。
「君……朝、この道を少し行ったところの交差点にいたよね」
「……!」
「……え?」
彼女は驚いた様子で、走って逃げてしまった。
「……なんなんだ?」
別に朝のお婆ちゃん……じゃなくて、お爺ちゃんを助けなかったことを責める気はまったく無い。
しかし、妙に気がかりだったのは、彼女の見た目である。
なんとなく……地味な見た目というのが、自然なもののように見えなかったのだ。むしろ、意図的にそうしているように感じられた。
何か……人と関わるのを恐れている?
「…………」
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その次の日の朝。
「姫川さん」
俺は席に座る彼女に声をかける。
「昨日はごめん。突然、嫌なことを言って……。だからさ、今日はお詫びとして……」
彼女は突然席を立ち上がり、教室を出ていってしまう。
「学校でも……案内しようかと……」
俺の言葉は伝える人物を失い、その場で惑う。
そんな俺にショウタは言う。
「よお。フラれちまったな。ドンマイ」
「いや……そういう訳じゃねえよ」
「それにしても、どうしたんだよ。愛しのミユキちゃんのことは忘れちまったのか?」
「それとこれとは話が違うんだ」
「何がだ?」
「何がって、そりゃあ……」
何が違うか。
それは明白なことだ。第一、姫川 ウラとはまだ出会って1日目である。
そんな彼女に恋愛的なことを思う訳が無かった。
ただ、妙なのである。彼女のその不思議と人を寄せ付けようとしない雰囲気が……。
現に、この1日で彼女に話しかけようとする人間はこのクラスにいなかった。転校生ならば、皆駆け寄ってきそうなものである。
それどころか、皆いつも通りで、彼女など存在しないかのように生活している。
そんな学校生活を彼女に送らせてよいのだろうか。
……いいや、そんなのいくらなんでも悲しすぎるだろ。
「なあ……ショウタ」
「ん? どうした?」
「姫川さんは……どうしたいんだろうな」
「どうって何がだ?」
「…………」
彼女にとって、俺が何かしようとするのはもしかしたら迷惑なのかもしれない。
だが、人と関わろうとしない生き方なんて、そんなものを続けているのは何か違う気がした。
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「姫川さん!」
その日の放課後も、俺は彼女に声をかけた。
「……!」
彼女は今度はすぐさま走り、俺から逃げていく。
「待って! 姫川さん!」
俺も全力で走り、彼女を追いかける。帰宅部で日頃あまり運動をしない俺だが、体の負担などお構い無しに走った。
そして、走る彼女の手を掴む。
「ぜえ……ぜえ……ぜえ……げほっ! げほっ!」
体力が無くなり、女子の前でカッコ悪い姿を晒していく。
それでも、逃げようとする彼女の手を離さなかった。どうしても、彼女が人と関わろうとしないことの理由を突き止めたかったのだ。
「なあ! 姫川さん!」
「……なに?」
俺は彼女の顔を見て言う。
「俺と……友達になってくれませんか!」
「…………」
直接、理由を突き止めるよりも、せめてある程度話せるようになってからの方が良い。そう考えた俺なりの答えだった。
彼女は俺から目をそらす。
そして、大きく開かないその口から声を出す。
「ごめんなさい」
その時、彼女の頬に水滴が伝うのが見えた。
「……私に関わったら……あなたは不幸な目にあってしまう」
「……えっ?」
「だから……」
彼女は俺の手を弾き飛ばし、走る。
「ごめんなさい」
「えっ……ちょっと……」
俺は必死に彼女を追いかけようとする。しかし、喉は渇き、肺も猛烈に痛く。うまく走れなかった。
そんな時だった。
走る彼女が交差点に入ったのは……。
「……あっ」
俺はそんな彼女にトラックが曲がって突っ込んでくるのに気づき、声を漏らす。
――何……やってんだ……俺は――
動かすほどの力が残っていない脚を、無理やり動かす。
――何が彼女のためだ。……何が人と関わろうとしない生き方なんておかしいだよ!――
俺は一気に彼女のもとに向かい、その背中を押す。そして、向かい側の歩道に弾き飛ばす。
――結局……俺のこの行動もそうさせちまう要因の一つかもしれないじゃないか!――
俺はそこで力を使いきり、地面に座り込む。
「……あっ」
そんなところにあのトラックが突っ込んできた。
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…………。
――あれから……どうなったのだろうか――
俺は道路の真ん中に倒れていた。
――トラックに……轢かれた?――
そう考えたが、なぜか体に痛みは無かった。むしろ……軽かったのを覚えている。
――どうなって……るんだ?――
なんとなく腰を上げ、周りを見渡す。
すると、声が聞こえてきた。
「長塚くん!」
先ほど俺が助けた姫川 ウラの声だった。
――無事……だったのか……――
そこで一つ安心した。俺が余計なことをしたせいで彼女を傷つけてしまっていたら、それこそ申し訳無かった。
走ってやってくる彼女に傷は無かった。その時の俺は相当安堵しただろう。
しかし、その気持ちは長く続かなかった。彼女は俺のいる場所とは別の方向に向かっていた。
――えっ?――
その光景を見た瞬間、俺の体が固まった。
そこには血まみれの少年が倒れていた。いまだに頭から血を流し、その体からは力が感じられなかった。
――…………――
それが俺だと言うことを理解するには、かなりの時間を要した。
俺は自らの手を眺める。
――……嘘……だろ?――
そこには、周りの風景に透けている俺の体があった。
そう……俺は魂だけの存在になってしまったのである。