3 神の薬
日が沈み、宮殿で働く者も少なくなった夜更け。
リアンは地下回廊にある石壁の前に立っていた。
エレメンタルで右手に炎を宿し、胸元の高さにある石に触れると、石は赤く発光し始める。
最初は弱々しかった光が、時間と共に強くなっていく。
ある程度強くなった所で石から手を放した。
光は点滅に変わり、石壁がギシギシと音を立てて横にスライドしていく。
「お待たせしました、兄上。」
石壁のなくなった先にアイザックが立っていた。
ここは、アイザックの執務室である。
「時間通りだ。よく来たね。」
先程の石壁は、ブレイズ家の者がエレメンタルを流し込むと開く仕掛けになっていた。
このような仕掛け扉は王宮の至る所にあり、非常時の緊急ルートとして使用されているのだ。
誰とも接触することなくアイザックと会えるため、大変重宝している。
2人が会うのは、大抵この執務室かリアンの過ごす地下室だ。
もちろん執務室で会う時は事前に人払いがされるため、他の者に会う心配はない。
アイザックに促され、リアンは執務室のソファーに腰かけた。
向かいにアイザックが座る。
2人の間にあるテーブルには、何やら白い粉の入った瓶が置かれていた。
見慣れない瓶に意識が向いてしまう。
「それが気になるか?」
視線に気付いたアイザックが、リアンに声をかけた。
「はい。新しい毒薬か何かでしょうか。」
リアンは瓶を手に取り、思ったことを口にした。
白い粉はさらさらとしており、瓶を傾ければ細かな粒子が砂時計のように動き出す。
「毒であることには違いないんだが・・・少し厄介な薬でね。それを飲んだ者には幻覚が見えるそうだ。飲んだ者が最も強く望んでいる光景が。」
「それがどうして厄介なんですか?」
望んだ光景が見えるなら、むしろ素晴らしい薬ではないだろうか。
アイザックの懸念する事が分からず、聞き返した。
「ただ幻覚が見えるだけならね。1度でも薬を飲んだ者は、幻覚見たさに何度も服薬を繰り返す。やがて薬に体を蝕まれ、最後は廃人となってしまうんだ。」
「そんなものが何故ここに?」
毎晩の日課に、この薬も加えればいいのだろうか。
望んだ光景というものに興味がないと言えば嘘になる。
リアンの思考を正確に読み取ったアイザックは苦笑した。
「リアンが飲む必要はない。実はそれが高値で王都に出回っているんだ。」
「王都に……。」
そんな危険な薬を自分から買おうとする者がいるだろうか。
昼間に会った武器屋の店主を思い浮かべるが、こんな薬を欲しがるとは思えない。
「どうやら教会付近で、シスターに化けた者が『神の薬』と吹聴して配っているようでね。初めて幻覚を見た者は神の奇跡だと再び薬を求めるが、次に同じ場所へ行くとシスターの代わりに闇商人がいるそうだ。そして回数を重ねる度に薬の値段は吊り上がっていき、最後には薬に体を蝕まれ、財産も全て失ってしまう……というのが、被害者たちの証言だ。」
「犯人の目途はついているんですか?」
「あと一歩の所までは来ているんだが、尻尾が掴み切れない。そこでリアンに仕事を頼みたい。」
「なるほど。僕が囮として、その偽シスターと闇商人に接触すれば良いんですね。」
薬への耐性が強いリアンであれば、何かあっても対処することができる。
劣り調査にはうってつけの人材だろう。
「話が早くて助かる。ただしリアンの顔がばれると不味いから、変装して行ってほしい。」
変装……あれか。ほろ苦い記憶が蘇った。
あまり乗り気はしないが仕方ない。
「お任せください。何としても犯人の尻尾をつかんで見せます。」
リアンは胸を張って答えた。