2 王都ブレイジア
空が薄っすらと明るみ始めた時間帯。
壁に囲まれた地下室に朝日は届かないが、いつもの習慣でリアンは目を覚ました。
伸びをしてベッドから起き上がる。
今日は特に不快感がない。
そう思いながら、昨晩飲み干した小瓶に目を向けた。
幼い頃、兄の影武者になると決めた時から続いている習慣。
あらゆる毒に体を慣れさせるため、毎晩飲み続けている。
それこそ昔は何度も死にそうになったが、最近では時々不調になる程度だ。
人間の体は案外、丈夫にできているらしい。
姿鏡の前へ立ち、全身に異常が出ていないことを確認する。
顔を上げると、鏡に映った深紅の瞳と目が合った。
深紅の鮮やかな瞳は、リアンがブレイズ王家の人間であることを物語っている。
エムレーア王国では、<四元素を操る能力>を持って生まれてくる子供がいる。
炎、水、土、風の4種類があり、どの力を持っているか瞳の色を見れば分かる。
炎は赤、水は青、土は黄、風は緑であり、力が強いほど色が濃く、鮮やかになるのだ。
反対に力を持たない場合は黒。国民の大半が持つ色である。
エレメンタルは遺伝によって引き継がれるため、昔から強い力を持つ者同士の婚姻が推奨されてきた。
それにより強い力を持った一族が、現在の貴族だ。
中でも各エレメンタル最上位の力を持つ一族を四大名家と呼ぶ。
その炎の四大名家こそブレイズ家である。
エムレーア王国は、この四大名家により支えられていると言っても過言ではない。
リアンは身だしなみを整えると、壁に掛けてあった剣を手に取り、日課となっている鍛錬を始めた。
最初はゆったりと体の動きを確かめるように、そして段々と鋭く。
こうして剣を振っている時間は好きだ。何も考えなくて済む。
もっと強く、早く、鋭く。
相手をイメージして、剣を振り下ろし、突き、時にステップを刻む。
――コン、コン
「おはようございます、リアン様。朝食をお持ちしました。」
「入って。」
どれくらい、そうしていただろう。
扉を叩く音にリアンは剣を下ろした。
「お加減はよろしいようですね。朝食を準備してもよろしいですか?」
「頼む、フェンリー。」
扉から現れた男は、リアンの様子を確かめると朝食の準備を始めた。
それを横目に、リアンは流れた汗をタオルでふき取り、剣を片付ける。
フェンリーは、リアンの乳母兄弟だ。
現在は、リアンの身の回りの世話を一身に引き受ける従者として働いてくれている。
鮮やかな緑の瞳を持ち、優秀な騎士となれる素質があるにも関わらずだ。
そのことに少なからず罪悪感を覚えていたが、口に出すのも違うような気がしてそのままにしている。
フェンリーに礼を言うと、食事に手を付けた。
基本的にリアンの食事は、アイザックと同じものだ。
そして、リアンが食べて問題なければ、アイザックに食事が提供される。所謂、毒見の役割を担っていた。
「違和感はない。心配ないと思う。」
一通りの料理に口を付け、フェンリーに伝えた。
「かしこまりました。アイザック様にも朝食を出すよう、侍女に伝えておきます。」
フェンリーは喉に手を当てると、何事か呟いた。
おそらくメッセージを風に乗せ、朝食のことを伝えたのだろう。
風のエレメンタルの使い手同士でしか扱えない高等技術だが、便利な能力だと思う。
和やかな朝食はあっという間に終了した。
今日の予定を確認したところ、夜にアイザックの執務室へ来るよう言われているが、それ以外にやるべきことはないようだ。
それまで好きに過ごすことができるから町にでも降りてみようか。
武器屋を覗いてみても良いだろう。
そうと決めたリアンは、平民に紛れられるよう質素な服装に着替える。
顔が見えないよう口元は布で覆い、目深なフードを被った。
怪しく見えるが、顔を見られるよりマシだ。
地下室を出て、町に出られる方向へ歩き出した。
この地下回廊は、王宮全体と町の一部まで張り巡らされているが、いつ誰が作ったのか定かではない。
迷い込む危険があるため出入りも制限されているが、幼い頃からここで過ごしたリアンにとっては庭のようなものだ。
右へ左へ、我が物顔で進んでいく。
途中、水路や酷く狭い通路もあったが苦にすることなく通り抜けた。
初めて来た者では、ここが道だと認識することもできないだろう。
小一時間程歩いただろうか。
それまで歩いてきた通路と比べ、開けた所へ辿り着いた。
慣れた足取りで突き当りの階段を上り、その先にあった古びた扉を開く。
光が差し込み、目の前に木々が広がった。
町の外れにある森へ出たのだ。
雨期が明けたばかりのため、足元がぬかるんでいる。
エムレーア王国は広大な国土を持っているが、その多くを湿地が占めている。
雨季になれば国土の半分ら水に沈んでしまうため、1年を通して水に沈まない土地に町が作られた。
ここ王都ブレイジアもそんな土地の1つである。
町の方へ目を向けると、小高い丘の上に先程まで過ごしていた王宮が見えた。
塔の上では、エターナルブレイズが燃え盛っている。
その昔、水害の多かったこの地方では、雨期になるたびに家や畑が流され、人々の気は滅入ってしまっていた。
そんな時に見たエターナルブレイズは、それは神々しく見えたそうだ。
その炎を見たさに人々が集まり、やがて大きな町ができた。
それがこの国の始まりだと言われている。
今では地盤改良や治水工事も進んだため水害に悩まされることは減ったが、エターナルブレイズが国民の象徴になっていることには変わりない。
それ故、エターナルブレイズを扱える国王は特別な存在なのだ。
国民にとって王国の象徴であり、神にも等しい存在だと言える。
ぬかるんだ地面に足を取られないよう歩いていると、煙突の立った木造の建物が見えた。
正面に回り、営業中のかんばんが出ているのを確認してから扉を開ける。
――カラン、カラン
来客を知らせるベルが鳴った。
「いらっしゃいませ、旦那。今日はどのようなご用件で?」
カウンターにいた顔なじみの店主が声をかけてきた。
大きながたいに似合わず、人好きのする顔立ちをしている。
「投擲用のナイフと火薬を1袋、見繕ってくれないか。」
投擲用ナイフは主に暗殺用、火薬は大掛かりな戦闘時にエレメンタルの火力を上げるため使用するつもりだ。
「了解しました。投擲用ナイフにこだわりはありますかい?」
「できるだけ薄くて、持ち運びやすいものを。」
「では、これなんていかがでしょう。昨日打ったばかりのナイフですぜ。」
店主がカウンターに並んだナイフから、1本を取り出した。
飾り気はないが、切れ味の良さそうな実利にかなったナイフだ。
リアンは、それを手に持って確認する。
以前使っていたものより、刃渡りが少し短いようだ。
「もう少し、刃渡りが長いものはあるか?」
「それでしたら、こちらはどうでしょう。」
店主がカウンターから別のナイフを取り出す。
刃渡りが長めで、柄に細工も施されていた。
大きさもちょうど良く手に馴染む。
「2本とも、もらおうか。」
「まいどあり。ナイフ2本と火薬1袋ですね。」
リアンはナイフと火薬を受け取った後、支払いを済ませて店を後にした。
お金は影武者をした時の賃金として受け取っており、使い道のないリアンは常に持て余している。
今日のような武器や消耗品、あとは稀に本を買う程度だ。
もう少し使い処があると良いんだけど。
そんな事を考えながら王宮へ戻るのであった。
人物設定
◆フェンリー=アゼリア(24)
リアンとアイザックの乳母兄弟。
現在はリアンの従者として、身の回りの世話を一身に引き受けている。