11話 猫ならぬ犬の手を借りたい
「すまねぇ……腰が……うっ。これを運ぼうと思ったらやっちまった。おれは暫く無理そうだな……」
「あぁ、もうジョーイったら気を付けてって言ったのに」
なんとか顔をあげるマスターの視線の先には大きな寸胴鍋が鎮座していた。仕込みの量が増えた分、重さも倍になっていたそれはマスターの限界値を超えてしまったらしい。
「本当にすまねぇ。暫く朝昼は休みだ」
「でもあんたこんな量、夜だって売り切れないよ。明日もまた野菜は店にどんどん入荷されるし、今からキャンセルも出来ないし……」
「仕方ないだろう……ジャックは今死んだように寝てる。夜のこと考えたら起こせねぇ。お前も家では作れてもお客用は厳しいだろ?昼は諦める他ねぇ。はぁ……年かぁ」
「そんな……じゃあ廃棄はもったいないから近所の店に引き取ってもらうしかないわね。でも朝昼あんたの腰が治るまでってなったらどれだけ先のことになるのかしら。そしたら……」
そうして二人の視線が私に向けられる。そうだ……朝昼が休みになってしまったら私の仕事が無くなってしまう。私の生命線に関わる由々しき事態だ。
「夜でも働けます!」
「駄目だ…………また酔っぱらいの餌食になる」
「あ……」
「どうするかな」
提案を苦虫を潰したような苦渋の顔をしたマスターに却下され、絶望する。確かにリコリスが入る前は夜も働いてて、酔ったお客さんからのセクハラ率が異様に高くて、マスターとお客様の喧嘩が絶えない時期があった。私はセクハラされやすいタイプらしい。揉め事は良くない……セクハラも嫌だわ……でも私の生活が…………家賃が…………シェルトもいるのに…………
「あ!」
「アメリーちゃん?おい、どこに」
私は閃き、エプロンを外し扉に向かう。
「マスター!お客様に出せるレベルの料理ができる人がいれば良いんですよね?」
「そうだが……そんなお客に料理を出せるレベルの人間なんてそう簡単に……特ににゃんこ亭のコンロはじゃじゃ馬だ。俺は加護持ちだからできてるようなもんだぞ」
「それが心当たりあるんです!ハイスペック家政犬が!相談してきます!では待っててください!」
「家政……けん!?けんてなんだ!おーい」
「アメリーちゃぁーん!」
動揺する店主夫妻を置いて店を飛び出して、アパートにかけていく。私に甘い彼なら助けてくれるはずと、信じてアパートの扉を開き探す。
屋根裏部屋へと続く天井は閉まっていて、リビングにもいない。脱衣場から水の音が聞こえるから、きっと洗濯だと思い扉を開けると、案の定ハイスペック家政犬は一生懸命に洗濯に励んでいた。
「シェルト!いて良かった!はぁはぁ」
シェルトの姿を見て私は安堵と走った疲れで、膝をついてしまう。
「アメリー!?どうしたの?そんなに慌てて、こんな時間に帰って来て……大丈夫?怪我は?誰かから逃げてきた?ストーカー?なら……消さ───」
「大丈夫だから!……はぁ」
目を据わらせ、物騒な事を言いそうなシェルトの言葉を遮るように訂正する。そして呼吸を整えるように一度大きく深呼吸をして、彼の両手を握りしめ懇願した。
「私のためにご飯を作って」
「………………?」
私は真剣な眼差しを向けて首を縦にしてくれることを待っていたが、シェルトが首をこてんと横に傾ける。
「朝ごはん足りませんでした?」
「ちがーう!そうじゃなくって」
どれだけシェルトの中の私は食いしん坊なのよ。気持ちを切り替えて足りなさすぎた説明をする。
「つまり、このままではアメリーは大好きなお店での職を失うと?考えすぎなのでは?」
「一番稼ぐお昼の営業がなくなるということは、にゃんこ亭の売上が一気に減るでしょ?食材の廃棄もあるから利益はがた落ち、にゃんこ亭の店舗維持が厳しくなるかなって…………」
「最悪廃業ということですね。でも息子さんが…………あぁ、まだ昼を回せるほどの実力では無かったんですもんね。確かに昼の休業が長引けば大変なことに。しかも再開させても他の店舗にお客様をとられてしまったら…………」
「そうなの!最悪私は失業して、家賃が払えなくなって、ここには住めなくなるかも……そしたらシェルトの屋根裏部屋も」
「なんだって!……痛っ」
アパートの話が出た途端、冷静に聞いていたはずの彼が手を滑らせ洗濯石鹸が足に落ちる。新しい石鹸だから角があって少し痛そう。そして相当、屋根裏部屋を気に入っているようだ。
「だから助けて!マスターが治るまでで良いの。なんとかお店だけでも開けていたいの……シェルト、お願い」
「…………」
すぐに分かりました!と言ってくれると思っていたのにシェルトは落ちた石鹸を見つめながら黙ってしまった。
「シェルト……」
「アメリーは俺が本当に必要?外に通用するとでも?」
「もちろん!シェルトのごはんは誰よりも美味しいもん!それに私には今頼れるひとはシェルトしかいないもの。シェルトしか……」
「俺だけ…………」
縋るようにまだ考え込む彼の瞳を見つめていると、ふと彼は苦笑いを浮かべた。
「仕方ないですね。大切なご主人様のお願い事は断れませんね。ご褒美期待してますよ?」
「シェルトありがとう!」
私はあまりの嬉しさにシェルトに抱きついた。
「こ、これがご褒美ですか?」
「違うわ、何言ってるのよ。ご褒美はシェルトが好きなように考えて!私ができることなら叶えてあげるから」
「俺の好きなように?俄然やる気が出てきました!」
「さぁ、走るわよ」
瞳を輝かせるシェルトにエプロンを持たせ、洗濯物を放置してアパートを出た。すでに走っていた私の足は遅くなっていたが、シェルトが手を繋いで引っ張ってくれるお陰で足が自然と前にでる。
定食屋の通りに入ると、にゃんこ亭の前でお客様に頭を下げて見送る女将さんが見えてきた。
「女将さーん!連れてきましたぁ!」
「アメリーちゃん!本当に連れてきたの!?ささ、二人とも中に入って!」
女将さんに促され、厨房の奥で木箱で項垂れるマスターの前にシェルトを立たせた。
「マスター、この人料理できる人なんです。火の加護持ちだからクセのあるコンロでも大丈夫なはずです」
「初めまして、シェルトと言います。アメリーの力になりたくて来ました」
「おぉ……まさか加護持ちを連れてくるとは。俺としては助かるが、家で趣味で作るのとは違い同時進行で複数の料理を仕上げなきゃならねぇ……シェルト君はできるのか?」
マスターの当然の疑問に私は頭を抱えた。パニックで忘れていたが、シェルトは二人分の料理をゆっくり作る姿しか見たことがない。確かに加護持ちで料理上手だけど……私は不安げにシェルトを見上げた。
だけれど私とは違い、シェルトの表情には余裕がありいつもの微笑みを私に向けてからマスターに向き直る。
「まずはやってみましょう。マスターはここから俺に指示を飛ばしてください。付いていけず、駄目だと分かってから諦めましょう。諦めるのは挑戦してからです。協力させてください」
「シェルト君…………っ!頼む!」
「はい。ではあなたの聖域にお邪魔します。早速、お店を開けましょう」
「いや、まだ説明が」
前髪をかきあげエプロンを腰に巻きはじめるシェルトにマスターが待ったをかけるが、気にせず手を洗いはじめる。
「聞くより見よ、見るより慣れろですよ?」
自信ありげな笑みに向けると、すぐに鍋などの場所の確認を始めてしまった。私たち3人は、何故だか説得させられた。
「分かった。アメリーちゃん、開店だ!」
「はい!」
入り口の札を営業中に変えて開店させると同時に、待っていたお客様がどんどん入ってくる。
「今日は遅めの開店なんだな」
「はい、トラブルがありまして」
「そっか、でも開いて良かったよ。ハンバーグ定食ふたつな」
「こっちは肉野菜炒めで」
「魚フライ定食も頼んだ~」
あっという間に満席状態になり、容赦なくどんどん注文されていく。私はオーダーを声に出しながら厨房にメモを貼りに行くとカウンターからシェルトがトレイを出した。
「はい、ハンバーグのセット」
「もうできたの?」
「うん、出したらすぐにまた来て。順番前後するけど魚フライと次に肉野菜も出すから。あ、女将さんは先にこのセットのご飯とスープ出してください」
「うん」
「はいよ」
慣れない厨房だというのにマスターと変わらないスピードで出てくる定食に私と女将さんは驚き、顔を合わす。一方マスターはシェルトを救世主を見るような眼差しで、目を潤ませながら見ていた。




