転換33.5「夏の終わりのあるひと時」
バカップル乙
猛暑は過ぎ、うだるような灼熱の日差しはすっかりなりを潜めてしまった。残暑。そんな言葉は一体いつ、誰が考え出したのだろうか。まったくもって今の気候にふさわしい。
人々を暑さで参らせてやろうと躍起になっていた夏が、じきに来る秋にせっつかれて慌てて帰る。そして、有り余るそのエネルギーを熱気に変えて忘れて置いていってしまう。そんな想像が頭の片隅を占める、いかんともし難い蒸し暑さ。
日中はまだまだ暑い。しかしもちろんそれは真夏のような身を焦がすようなものでなく、ジリジリと忍び寄ってくるものだ。段々と熱気が身体に蓄積されていき、次第にそれが理性をふやけさせる。実に始末が悪い暑さである。
夏という季節の魅力溢れるイベントはもう終わり、暑さだけが残っているこの時期、まぁだらだらとなってしまう気持ちはわかる。
「きりぃーつ」
……わかるが。
「れぃー……」
「だらけすぎだぞみんな……」
女子のほうの神谷の号令に、思わず俺は言ってしまう。
まぁまだ学校は正確には始まっていないし、講習なんて面倒くさいと思うかもしれない。……俺も学生の頃はそうだったからな。一瞬過去に思いを馳せ、俺は苦笑しつつ教室を去る生徒たちを見つめていた。
一瞬過去に思いを馳せ、俺は苦笑しつつ、教室を去る生徒たちを見つめていた。
そうして生徒たちを見送った後、俺もその足で教室を後にする。今日の講習はこれで終わり、職員室へ行かなければならないからだ。生徒は講習が終わればそれで帰れるが、教師はそういわけにもいかない。といっても、大人になればそんなものは当たり前に思わなければいけないわけで、別段俺に不満はない。
強いて言うならば、この暑さか。じっとりと汗ばむのを感じながら俺は職員室の扉を開けた。
「お、長渕先生。暑い中講習お疲れ様です」
むわっとした空気とともに、日本史の山中先生がねぎらいの言葉をかけてくれた。
「いえ、これくらい大丈夫ですよ。職員室も暑いですね」
「ですなぁ。お若い方々は暑さも吹き飛ばしてしまうのでしょうが、私のような枯れ尾花ではグロッキー状態ですよ」
「はは、そうでもないですよ? うちのクラスの連中もみんなまいってましたから」
「あっはっはっは! そうですか!!」
所定の机に座りなおし、雑務をこなす。山中先生本人は謙遜してグロッキー状態などと言っておられるが、実際は俺よりもハツラツとしているほどだ。……まったく、見習いたいものである。
気合を入れなおしてプリントを作成する。講習は生徒の学力向上のために行っているので、それに見合うような的確な問題を作らないといけない。うちの学校の生徒の苦手分野の傾向なども分析して吟味していく。結構骨が折れる仕事でもあるのだが、やりがいはそれ以上にある。
ふと、隣に座る山中先生が俺の肩を叩いた。
「長渕先生……どうですかな? 仕事が終わったら、今夜あたりパーッと一杯……!」
その花が咲いたような満面の笑顔に、俺は苦笑せざるを得ない。
山中先生は酒が大好きだ。俺も人並みには好きだし、確かにこんな暑い日は冷えたビールを冷えたグラスで一気に飲み干したい、そういう気持ちはある。実に魅力的な提案ではあるのだが……。
「すみません、今日はちょっと遠慮しておきます」
「おや、そうですか……残念です」
「約束をしていまして」
「長渕先生も隅に置けませんなぁ。どうぞごゆっくり、私は家で焼酎でも仰ぐことにしましょう」
今の理由も無論ある。だが、もう一つ心情的なわけがある。山中先生は大の酒豪だ。彼に付き合ったら長々と語りながら酒を嗜むこととなり、気付いたら辺りが白んでいた、ということになっているだろう。俺はそれを身をもって体験している。……さすがに翌日が休みでもないのにそんな事態になることだけは避けておきたい。
山中先生、今度はぜひ、土曜の夜にでも誘ってください。
俺は少しの後ろめたさを感じつつ、仕事を進めた。
「ただいま」
夕暮れの微風に声を乗せ、馴染みの我が家の重たい扉を開ける。同時に木造建築特有の古めかしい香りと、田舎を思い起こさせる懐かしい雰囲気が俺を包む。『自宅』というのものは、どんなところであろうと安心できるものだ。
汗で張り付いたシャツを鬱陶しく思いながら、ギシと音を立てて廊下を歩く。さほど広くもないため、すぐに居間につく。
畳にテーブル、そして障子を開くとすぐに庭が見える昔ながらの居住空間。その縁側に座っている女性を発見し、俺は近くまで寄る。
涼しげなキャミソールが風に揺れ、髪がなびいている。恐らくは、もう俺の存在に気付いているだろう。
「ただいま」
「……おかえりなさい」
もう一度言うと、彼女はそれに合わせて振り向いたのち、淡く微笑んだ。青にも紺にも見えるロングヘアーが夕日に照らされて幻想的に輝いている。
「講習お疲れ様。今日は特に暑かったでしょ?」
「あぁ。透子さんのほうはどうだった?」
ネクタイを外して、隣に座り込む。木の感触がひんやりとしていて気持ち良い。透子の顔をちら、と見た。
「私のほうはエアコンがあったから大丈夫。……それより、豪さん」
「ん? 何だ?」
「また透子『さん』って言った。……いい加減、呼び捨てで呼んでほしいな」
うつむきながら、少し恨めしそうに上目遣いでこちらを見る。……今に始まったことではないが、このタイミングで言うか。
こちらも、定型句を返すこととする。
「そう言うなら、君も豪『さん』じゃなく、豪と呼んでくれ」
「私はいいの」
「…………それ、は」
「あ、そういう意味じゃなくてね? 私が豪さんをさん付けで呼んでるのはよそよそしさから来てるわけじゃなくて、例えば新妻が旦那様のことをさん付けで呼ぶような、ダーリンみたいな初々しい気持ちからなの」
「ならダーリンと呼べばいいんじゃないか?」
「……さすがにそれは、恥ずかしいわ」
「言っておいてなんだが、俺も恥ずかしい」
ずれた眼鏡をゆっくり直し、深呼吸をしてみる。
「じゃ、話を本題に戻すが。もう君とは付き合って5年になるぞ。……それに君は妻じゃないだろう」
「……どうしてそんな意地悪言うの」
少し涙目になる透子。……いじめているみたいで、実によろしくない。
「第一、俺が透子さんと呼ぶのもよそよそしさからじゃあない。古き良き時代、まだ着物を着ていた頃のような奥ゆかしい、付きつ離れつのような愛情表現からだ」
「ああ言えばこう言うんだから……」
顔を赤くして頬を膨らませる。こうしている時の透子は美人が台無しだ。ましてや、普段の大人っぽさなどは言うにも及ばない。……まぁ、そこが可愛いところなのだが。
「それにしても、今日はやたらと突っかかってくるな」
「だって……いっつも頑なに拒むんだもん。豪さん、私のこと嫌い?」
「それはない」
あるわけがない。透子だってそれはわかっているだろう。俺の言葉を聞いて嬉しそうに笑みを浮かべた。……実のところ、今更呼び捨てで呼ぶのが、どうにも恥ずかしいだけなのだ。どうしたものかと俺は頬をかく。
ふと、透子が思いついたように言った。
「じゃあ、一回だけ呼んでみて。一回でいいから、お願い」
「……わかった。そのかわり、俺のことも呼び捨てで呼んでくれ」
ずいぶんと奇妙な会話である。夜半になって幾分か涼しくなったとはいえ、この蒸し暑い中に名前を呼び合う。俺は一度深呼吸をすると、やけに乾いた喉を震わせて声を絞り出した。
「…………透子」
少しの静寂ののち、火がついたように透子の顔が赤くなった。あわあわと、激しく動揺しているのが目に見てとれるほど。
「透子?」
「……え、な、何?」
ずいぶんと上ずった声で返事をしてくれるものだ。……いや、何じゃなくてだな。
「約束だぞ。君も呼び捨てで呼んでみてくれ」
「あ、そ、そうね……」
息を吐きながら、透子は一度髪をかき上げた。しかし、それでもなお落ち着かないらしく、ちらちらとしきりにこちらを視線で伺う。そうして三十秒ほどかけたのち、観念したようにようやく口を開いた。
「…………ご、豪」
何なんだろう、ただ名前をあるべき形で正しく呼ばれているだけだというのに、このこみ上げてくるこそばゆさは。……いや、これは俺が悪いんじゃない。断じて俺のせいではない。第一、透子がおかしいのだ。ただ名前を呼ぶだけだというのに、おずおずと付き合い初めの頃よりいっそ初々しく頬を染め、心配そうな、それでいて甘えるような声色。これで羞恥心やら何やらが爆発しないことがあるだろうか、いや、ない。
透子をじっと見つめると、申し訳なさそうな表情をした。
「や、やっぱり変だった……?」
「いや……変ではないけど」
「そう、良かった……」
途切れ途切れの俺に返答でも、ようやく安堵したように胸に手を当てる透子。……何とも、微妙な空気になってしまったものだ。夕焼けを飛ぶカラスが一声、カーと鳴いた。
「……ね、豪さん」
「……ん」
「もう一度、透子って言って欲しいな」
「なんで」
俺がそう聞くと、透子はもじもじと、まるで好きな男子生徒にラブレターを渡すときの女生徒みたいに顔を赤くした。
「……豪さんの呼び方と声が、好きだから」
とどめに、これである。消え入るように言ったその発言は、もちろんしっかりと俺の耳に届いている。……破壊力のありすぎる核弾頭なみの衝撃となって。
「……その言葉は反則だ」
「だって……本当のことだし」
控えめに言う彼女に、俺はどうしようもなく今すぐ抱きしめたくなる衝動にかられた。なんとかそれをすんでのところで抑え付ける。
「……そういえば、もう夏休みも終わるな。うちのクラスの生徒はちゃんと課題やってるかな」
「豪さん、露骨に話そらした……」
「いやでも実際、けっこう心配してるんだ。俺はあいつらの担任だしな」
不満気な顔をやめ、透子は思索をめぐらせているようだった。やがて何かを思い出したのか破顔し、俺に問いかけた。
「お祭りで会った、あの可愛い子たちね」
「あぁ、まさか偶然会うとは思ってもみなかったけど」
「ふふ、初々しくて可愛らしいカップルだったわね」
上品に微笑み口に手をあてる。こうしていると、どこぞの富豪の家のお嬢様のような気品さえ感じさせる。それなのに、内面にはどこか幼さをはらんでいる。
「二人ともまるで芸能人を見ているかのような反応だったし……透子は初対面だと大人びて見られるよな」
「そうかしら? 自分では別にそういう自覚がないんだけど……あ」
「どうした?」
「いま、豪さん、透子って……」
そこは流すべきだろう。例えそのことに気付いていたとしても、だ。自然に振る舞ったつもりのことが浮き彫りにされることほど滑稽なものはないのだから。……慈悲の心があるのならば、せめてなかったことにしてほしい。
「豪さん……ありがとう……」
何故だか透子は感動に打ち震えているようだった。……感謝されるようなことは、何一つしていない。
「いい頃合だ。空も暗くなってきたし、梅酒でも飲んで乾杯しようか」
俺はおもむろに立ち上がる。羞恥心に耐えられなくなったからなのだが、透子はあえてなのか、何も言わない。逃げるようにその場を去り、台所へ。
冷蔵庫を開け、いい具合に冷えている透明のビンを取り出す。中身はもちろん、梅酒。おぼんとコップ二つも取り、できるだけゆっくりと、落ち着かせるように透子の待つ縁側へ戻る。
「お待たせ。なかなかいい感じに冷えてるよ」
「ありがと、私が注いであげるね」
そう言うと俺の手からビンを取り、ふたを開ける。酌のつもりなんだろう、コップを差し出すと恭しくついでくれた。続けて、コップを取って自分のにも注いでいる。
「ありがとう、『透子さん』」
「どういたしまして……ふふっ、照れ隠し?」
強調して嫌味くさく言ったのにも関わらず、透子は全く動じない。それどころか、むしろ嬉しそうでさえある。……やはり、慣れないことはするものではない。しょうがないから一口梅酒を仰ぎ飲むと、心地良いほのかな香りが口内を満たしていった。うん、うまい。
「夏の終わりに乾杯ってことにしましょうか」
「ははっ、それはいい。そうしよう、乾杯」
「乾杯」
風情を感じながら、二人で梅酒を飲む。……夏はもう、終わりに近づいている。きっとこの暑さもまた、次の季節になれば忘れ、恋しくもなることだろう。そして、また来る夏を思いながら次の季節に思いを馳せる。四季とはそういうものだ。
隣の美人を眺めながら、俺は二杯目の祝杯を注ぐのだった。
後書き劇場
第四十一回「それはそれ、これはこれ」
どうも、作者です。お知らせです。まぁ、お知らせってほどのものでもないのですが……。
とりあえず、やはり卒業までは忙しそうです。前みたいに半年ほったらかしとかにはするつもりはありませんが、更新は著しく遅くなるとは思います。ご了承願います。あと、今回更新遅れてすいませんでしたorz
今でも結構返せてないのはあるけど、感想は返信頑張ります。というか原動力なんで! 最近返信遅れてて本当に申し訳ない……。
以上、報告&まじめタイム終了(え
俺「今回の話に異議があるやつは前に出たまえ」
きよ「はい」
京「はい」
女神『イエスオフコース』
俺「多いな……で、何かな?」
京「何が悲しくてバカップルのいちゃいちゃしてる風景なぞ見せられねばならんのだ」
きよ「リア充爆発しろ」
女神『そんなの見るぐらいなら私ときよのいちゃいちゃでいいだろこのクソボケ』
俺「9割方納得できないんですが……最後のにいたっては願望になってるし」
京「とにかく、俺は納得しない!」
きよ「俺も納得しない」
女神『私に至ってはすでに私ときよの創作小説を用意済みです』
俺「…………どう思います、先生」
ぶっちゃん「神谷たち、人の幸福は素直に喜ぶものだぞ! 自分の結婚式のときにやっぱり悪口言われるより祝福されたいだろ? それと一緒だ」
京「ぶっちゃんが嫌いなわけでもないし言わんとすることは理解できるんだけど、やっぱりムカつく」
きよ「俺も彼女欲しい……」
女神『今のきよがそれを言うと犯罪くさいです』
京「俺もそう思う」
きよ「どういう意味だ!!」
俺「収拾つかなすぎワロタ」
と、いうことで。作者の言いたいことはただ一つ。女の子には優しくね!(意味不明
以上、作者からでした!!