3-2.林檎の蜜はさざ波を奏でる
マーブルの視界では、青年を表す紫がかった赤の色が、形が、大きく揺らぎを見せた。
ズボンのポケットに忍ばせているのだろう仮匣に片手を向け、マナを流し込む。流れるような動作で、そこから抜き取るようにして拳銃を具現化させる。
呪術師が使う仮匣であることから、銃と言えば弾丸もマナで作られるものである。装填においてはマナを流し込むだけで、弾倉の差し替えという手間は無い。
しかし、青年の場合は違うらしい。反対側から先程と同じように、今度は弾倉を具現化する。青年は素早く銃に弾倉を差し込むと、さらにマナを流し込みながら叫んだ。
「お前ら動くな!」
兄妹はとりあえず、そっと両手を上げておいた。
たしかに言葉は兄妹に向けたものだが、安全面を考慮してのものである。脅しではない。
実際に銃を向けられているのは悪魔なのだが、心当たりが、無意識の罪悪感がそうさせたのだろうか。
気分は、犯行現場を取り押さえられた現行犯である。
「いやそうじゃなく……いいけどよッ!」
青年はなげやりに叫んだ。言いたいことはあったが、優先順位は悪魔の討伐が先である。
意識を兄妹から悪魔に戻し、銃を構える。悪魔に向ける一瞬で狙いを定め、引き金を引く。
普通の銃と同じような音が聞こえたかと思えば、銃口からは予想通り、マナそのものでできた、紫がかった赤色の弾丸が放たれた。ただし、その弾丸の形は筒状のものではなく、矢じりのような刃に近いものである。
それがわかったのは、その弾丸が悪魔の端を皮一枚切り取った時。間を開けず中央に撃ち込まれた二発目が悪魔を砕く頃には、兄妹はとっさに仮匣を構えていた。
先程と同じように、メロは日傘を開き、レムは三叉槍を片手で回し、飛び散る蛍光色を防ぐ。
「危なかった」
「濡れるところだった」
それぞれ仮匣を消しながら、メロの後にレムが呟いた。
兄妹は見事に砕け散った三体目を見下ろすと、互いに目を合わせて首を横に振った。二発目の弾丸はちょうど真ん中に当たったのだろう。悪魔は大きな塊を残すことなく、ほぼ均等に小さな欠片となって散らばっている。兄妹が欲しいのは大きな塊であり、かつ、中身が地面に接していない皮付きなのである。
食べるからには綺麗な部分を切り取って使うため、今回のような悪魔を倒す時は少しコツがいる。脆くなるのならば真正面から力を入れてはならず、外へと力を流すなどしていくらか原形をとどめられるよう注意しなければならないのである。それでも倒さなければならないため、あまり大きく取れることは少ないが。
兄妹はそれぞれが倒した悪魔に向き直ると、食べられそうな部分、大きさにして元の四分の一程の欠片を殻鍵にしまった。
そうしている内に青年が近くまで来たため、兄妹は並んで青年と向き合う。
青年は兄妹に歩み寄ると、怪訝な表情で口を開いた。
「逃げ遅れ……じゃあないよな……。お前ら、自分から悪魔に向かっていったのか?」
既に砕けて絶命していた二体の悪魔を一瞥し、兄妹を見やる。
兄妹も青年を見上げ、二人と一人、目が合った。
「祓魔師が来て悪魔を倒すまでは、祓魔師以外の者は原則逃げるべきだ。わざわざ立ち向かわなくていい」
「ボク達なら大丈夫」
「これくらい、ワタシ達兄妹なら余裕ヨ」
メロに続いてレムが反論する。
「じゃあ、祓魔師になってからやるんだな。今回は勝てたみたいだからいいけど、次はそうとも限らないだろ。実力差を見誤ったら、祓魔師の邪魔になるどころか最悪死ぬぞ」
「ボク達なら大丈夫。ボク達もうすぐ祓魔師。少し、前後するだけデショ」
「それに、戦い慣れてはいるワ。悪魔も大事な食糧だもの」
「悪魔を食うなよ」
青年はキッパリと斬り捨てた。ごもっともである。
(……兄妹と、食糧、として……欠損した、悪魔…………)
青年はふと、何かを思い出したかのように、顎に片手を添えた。
「……お前ら、《クィルトゥーシャ兄妹》か?」
兄妹はその名を聞くと、低くハイタッチするように片手を合わせた。
「正解正解大正解。兄様兄様、ボク達有名」
「そうネ。名前を覚えられるくらいには」
「悪名だけどな」
合わせた手が、互いの指を絡め取る。
「節介節介お節介。誰なの余計なこと言うの」
「ワタシ達が何したの。撤回してほしいワネ」
「悪魔の倒し方だろ、問題は」
不満げな兄妹に、青年は足元に転がる悪魔を指差した。
「「あぁ……」」
心当たりかあった兄妹は、納得の声を洩らした。
「一部の奴らにだけど、知られていることだぞ。数年前からの、体の一部が無くなった状態での悪魔の死体の出現。悪魔に向かう、もしくは悪魔を解体している、十代前半あたりの二人組の目撃情報。現にそいつらと接触した奴らが言うには、本人達はクィルトゥーシャ兄妹と名乗っていたそうだ。特徴がある割に出現場所はランダムに転々としていて、ここ数ヶ月は一ヶ所に集中し始めたかと思えば再び転々と場所を移る。……お前らはじっとしていられねーのか」
「だって、同じ場所で何度も悪魔を倒していたら、早い内に特定されて呪術を禁止されるデショ」
「その頃は呪認証もまだ取っていなかったから、身バレはしたくなかったのヨ」
「自分達で名乗っておきながらか?」
「それは『ワタシ達』には辿り着かない名前だもの。……今はネ」
呪認証。正式名称、『呪術師認定証』。
日常生活での呪術の使用許可を得た者に与えられる、身分証明にも使えるカードである。高等教育学校卒業生、もしくは高等教育学校卒業程度認定資格取得者が、呪術専門学校を卒業することで得るのが一般的とされる。
呪術を扱える者は呪術を扱えない者とは別の学校に通うことで、その力を制御し、技術を身に付けるようになる。通常、六歳から十二歳まで通う普通教育学校で呪術師全体に共通する基本的な知識と制御技術を教えられ、十二歳から十五歳まで通う高等教育学校で分野別に呪術の基本的な扱い方を教えられる。その後は、応用の余地がある才能を持つ者であれば、呪術を自在に操れるようになるために、呪術の専門学校に通う者が多い。他には、一般学問や専門技術の研究をする学校に行く者もいるが、少数派である。職に就くのは、長期の呪術専門学校を卒業した十八歳頃が一般的とされる。
なお、安全性の関係で、呪認証を得るまでは、正当防衛や授業で必要な場合以外での呪術の使用は禁止されている。
メロ達の場合は、高等教育学校卒業程度認定資格を取ってから短期の呪術専門学校に通い、呪認証を取得したクチだった。
「あと、場所とか時期によって、出る悪魔の傾向は違うものデショ」
「いろんな悪魔がいることだし、いろんな味や食感もあるの。どうせなら色々、試してみたいものなのヨ」
「それに」
「それに」
同じ言葉を、兄妹は続けて言った。
「色々がある中にボク達が紛れたところで、何が変わるの?」
「ワタシ達も色々の一部であって、場所も悪魔も色々の一部でしかないの」
「でもボク達はクィルトゥーシャ兄妹」
「それは変わらないの」
声が、揃う。
「「だからとどまる理由なんて、無いデショ」」
「それが言い訳になるとでも?」
「「ちっとも。思わないけど」」
「むしろ危険な行為だ。結果として何ともなかったからと言って、もしもがあったらどうするつもりだったんだ」
「「ごもっとも。そうだけど」」
あっけからんと、兄妹は応えた。平然とした態度からは、反省の色が見当たらない。
呪術の練習をしながらも食糧を調達できる悪魔の討伐は、既に兄妹の中では当たり前の、普通のこととなっていた。兄妹にとっては、自分達が考えうる生き抜くスベとして最適だったのだろう。
青年は少し、眉間にシワを寄せた。忠告を聞き入れない相手は厄介である。
――――が。そこで、とある疑問がよぎった。
先程、「もうすぐ祓魔師」と自称した兄妹。しかし、祓魔師になるには条件がある。そして、過程も。
「……? 待て。呪認証は取ってあるんだな?」
「そうだよ、もちろん」
「それが無きゃ、祓魔師の試験は受けることすらできないデショ。当然、持ってるワヨ」
「けどな……お前らの名前、今期の受験者リストには見当たらなかったぞ。お前ら程の問題を起こす奴の名前なら、要チェックされるものだが……」
今期の試験について、何か関わっているのだろう。青年は記憶をたぐり、再び怪訝な表情を浮かべた。
見落とすわけがない。ならば、協会の手続きで手違いでもあったか、兄妹の思い違いか。
しかし、兄妹は低くハイタッチするように片手を合わせ、当たり前のことのように言った。
「だろうネ」
「デショウネ」
「だってボク達、クィルトゥーシャ兄妹」
「それ以外の何者でもないもの」
青年はさらに疑問符を浮かべたが、兄妹の知ったことではなかった。
「ねぇボク達試験を受けるの。受付をしたいから、もう行ってもいい?」
「ワタシ達、もうここに用は無いのヨネ」
兄妹は遠くに見えるギルドホールを指差して、青年に訊いた。
青年ははっとして、首を縦に振った。
「……おぉ」
「アリガト。じゃあネ」
「次に会った時は、同業者ネ」
自信ありげにそう言い残し、兄妹は青年の横を通り過ぎた。
とにかく、のちにわかることである。兄妹が去った後、青年は考えるのをやめ、ポケットから呪認証を取り出した。
とりあえず、悪魔は討伐した。青年が次にするべきことといえば、協会への連絡だった。
呪認証にマナを流し、その手前に紙のような薄さの半透明な画面を出現させる。そこから使いたい機能と相手を選択し、最後に表示される実行の文字に触れる。
青年は電話機能を作動させたカードを耳に当て、数コールで出た相手に口を開いた。
「あ、もしもしキールさん? カルメです。さっき受けた悪魔の討伐、はい終わったんですけど……いえちょっと待ってください『次あるよー』じゃなくてですね切らないでください、はい、まだ何かあります。はい、……いえ不備などではなく。……新しく湧いたというわけでもなく。……面白いというよりは厄介そうな面倒そうな……面白そうですかそうですか。……とりあえず向かいながら話しますね」
青年、カルメはゆるゆると進み始めていた歩を徐々に早め、駆け出した。