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ガラス細工の蝋  作者: 酒園 時歌
一章一節 《兄妹》
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2.朝食にパンはいかが?

 兄妹は歓喜した。


「兄様兄様、ボク達幸運。今日の朝はできたてのパンだよ」


「そうネ。冷めない内に狩っちゃいマショ」


 早朝。


 人気(ひとけ)の無い大通り。


 まだ日も昇らない薄明るい街で、兄妹は標的の後ろ姿をその目に捉えていた。


 一糸纏わぬ、等身大の人型のパン、のようなもの。焦げかけたマネキン人形にも見えるそれは大通りの真ん中で立ち尽くし、空を見上げているようだった。


 人々の心の闇から生まれると言われる存在、悪魔。


 姿形も能力も行動原理も多種多様なそれは、しかし、総じて人々に害をなす。さらには、どのような種類がいつどこに現れるか、予測できたとしても大まかなことだけであり、詳しいことは不明なのである。


 故に、人々にとっては脅威であり、それらを討伐することを生業とする者もいる。


 緊急事態が発生した際、できる限り優先的にそれに対応することを承諾した、一部の呪術師。通称『祓魔師(エクソシスト)』がそれである。


 とは言え、悪魔が現れたとしてもその場にいなければ、連絡を受けてから呼び出されるなりして駆けつけるしかない。


 祓魔師(エクソシスト)以外の人々は原則として逃げることを優先し、可能であれば呪術師協会へと通報すること。それが悪魔と対峙した時の最善手であり、推奨されてきたことだった。


 現状。


 ここにいるのはこの兄妹だけである。この悪魔の存在を知るのも、祓魔師(エクソシスト)ではない二人だけ。


 そして、やることといえば――――


「今回はボクが行く。兄様は受け止めて」


「ええ」


 知られていないのをいいことに、無許可のまま自分達で食料の調達――――訂正、討伐をするだけである。


 晴れやかな、灰がかった青が広がる空の下。澄んだ空気に包まれた、静寂の中。


 隠す気も無い兄妹の会話は当然ながら、風上にいる悪魔にも届いていた。


 兄妹の存在に気付いた悪魔は甘ったるい菓子パンの匂いを風に乗せ、ゆっくりと、声がした方へと振り返る。


 凹凸の無い顔はそのままに、腹部に唯一ある大きな裂け目が口の代わりにぐにゃりと動く。ぱっくりと割れ、ぽっかりと歪な形の空洞が覗く。


「あらぁ……」


 品のある穏やかな女性の声が、静寂を震わせた。


 人っ子一人すら見当たらないはずの、街の中。石造りの建物が並び石畳が続く、その先。


 二人並ぶ兄妹は人々の脅威とされる悪魔を目にしておきながら、逃げることも隠れることも、怯えることすらせず、ただそこに立っていた。


 妹のメロは、十三歳の少女である。


 幼さが残る顔立ちで、口は兎のように小さく三角形を描いている。右の目は銀縁のモノクルの奥、底冷えする静寂を思わせるアイスブルー。左の目は少し髪に隠れているが、熟すことを知らない果実のようなアップルグリーン。ガラスに閉じ込められたように透き通ったそれらはいつも通り、元の丸から半月を模っている。夢見心地にたゆたうような緩やかなウェーブがかかった薄紫色の髪は、腰辺りまで伸びて下の方で二つに束ねられ、薄黄色のリボンを揺らしている。


 服装は白色に薄黄色を基調としており、ところどころにレースがあしらわれていた。ブリムがハート型になっている小さなシルクハット、手の先が見えない程長い幅広の袖の上着、白い手袋、半ズボンにソックスと、膝下にはガーター。やや紳士風な格好である。


 対して。兄のレムは、十五歳の少年である。


 中性的な顔立ちは童顔気味と言おうか。大きく裂けるような口は、開けば三日月を描く。男にしては大きい切れ長の目は狂人の見る月か無音の雷か、青白い光が表面をなぞる蒼がかった銀色である。月すら眠ったような明かりの無い夜空を思わせる紺色の髪は、腰辺りまで伸びて下の方で一つに束ねられ、焦げ茶色のリボンを揺らしている。


 メロと似た造りの服は、薄青色に焦げ茶色を基調としている。隠れている手に嵌めているのは、黒い皮手袋である。色の他に違うのは、ズボンが長いことくらいだろう。


 二人は似たような姿で、対照的な表情で、そこにいた。


「……あなた達、食事は済みまして?」


 世間話をするように、悪魔は問う。


 答えたのはメロだった。


「まだ。これから」


「そう……。良いことね、食事はするものよ。でないと死んじゃうわ。ええ、死んじゃうの」


 一人納得するように、自分に言い聞かせるように、相手に訴えるように、悪魔は言う。


「おなかを空かせて死にそうなら、ごちそうをたくさん食べればいいじゃない。空腹は最高の調味料と言うでしょう? 幸せの絶頂を味わいながら死ぬなんて、この上無く最高に贅沢なことじゃない」


 それが至極幸福なことであるかのように、恍惚として上擦った声を震わせる。悪魔はその身を晒すように、両腕をゆっくりと左右に広げてみせた。


 この主張、実際のところは逆である。本当に死にそうな程の空腹であれば、空腹を埋めることに集中して、味を感じる余裕は無い。本能の性質上、『味』という娯楽は『食欲』という基本的欲求の二の次の機能でしかないのである。


 それでも、悪魔は調子を変えず、話を続ける。一方的に、開放的な声色で。


「ねぇあなた達。食事はまだよね、おなかが空いているでしょう。私を食べるといいわ、ぜんぶぜんぶあなた達のおなかの中で、浸ってふやけて混ざって溶けて血肉となるのあなた達と私はヒトツになるの」


「全部は無理だよ、入らない」


「いいえぜんぶを食べるべきよ残すなんて許せないあなた達のおなかは私が満たして満たして破ってあげるわだって私はパンだものみんなが望むケーキなの」


 悪魔は否定の言葉を飲み込まず、咀嚼すらせず、つらつらと主張を吐き出した。


「空腹だったら私を食べればいいじゃない!!」


 総じて、悪魔の主張は一方的なものである。転じて、押し付けがましく厚かましく、その主張を無理矢理にでも受け入れさせようと、決行する。


 下級悪魔、《血肉啜るケーキ(アブセントジョークブレッド)》。


 等身大の人型をした、パンのような見た目。固有能力は特に無し。人間に自分の身のすべてを食わせようとする習性を持つ。


 兄妹にとってこの悪魔を倒すのは、容易なことだった。


「朝起きてしなきゃならないのは、食事よ? 生きるためには必要不可欠なことでしょう? ええ、そう。活きるためには当たり前なことなのよ」


「でも、それで死んだら無駄デショ。ボク達も、アナタも」


 ゆっくりと歩み寄ってくる悪魔に答えながら、メロは隠れている自分の右手にも意識を向ける。その中指に嵌められているのは、透き通った黄色のハート型の石が付いた、銀の指輪である。


 呪術師のみが扱える、制作する工程に呪術を組み込み、呪術に必須となる精神エネルギー通称『マナ』を送り込むだけで使える道具、『(じゅ)(かい)』。


 その内、そのマナを仮の型に嵌め込んで物質の代理品として具現化させる道具、『仮匣(かりばこ)』。


 メロの指輪も、仮匣の一つである。多くは武器を形作るそれは、メロのものも例外ではなく。


 幾重にもマーブルを描くような、透明な黄色の光。メロのマナであるそれが、指輪の石の部分から流れ落ちるように、徐々に溢れ出す。器に注がれるように指定された形を作り、色を変え、確かな物質のものと変わらぬ質感へと固まっていく。


 できあがったのは、白いレースが付いた薄黄色の生地に白い持ち手がくるりと渦を巻く、一本の日傘だった。


 仮匣の強度は、使用する術者と品によって多少の差はあるが、基本的に、呪術で作られていない一般のものよりは頑丈である。具現化中はマナを使い続けなければならない難点があるが、壊れたとしても一度具現化を解いてから作り直せば元通りとなる利点もある。半永久的に使い捨てができる少々頑丈な道具、と言えるだろう。


 呪術師にとっては、非常に便利なもの。それと同時に、少々高価なものでもあった。


「限度、大事。全部は無理でも、ボク達はアナタを食べるよ。だって、それが愛だから。アナタにとっての愛だから。ボクにとっても愛だから」


 メロも応えるように、ふわり、と、風に薄く広がるレースがなびくように、前に進み出す。


 小さく、口だけが笑う。


 黒い空洞が、愛を紡ぐ。


「――――ねぇ。愛し合いマショ」


 メロはその透き通った声と同様、存在自体が世界をすり抜けているような、儚い印象を与える少女である。


 しかし、実際は違う。


 すぐ傍にある愛に人が気付けないように、そこにあって当然と思われているからこそ意識してまで気付こうともされない、まるで空気のような(・・・・・・)存在。それと同じ理由で、メロの存在は認識されづらいのである。


 そして、戦闘において。その効力は十分に発揮される。


 メロは日傘をくるりと回して逆手に持ち直し、生地の部分も反対の手で掴んだ。まるでクリームの絞り袋を持つように構えてから、肩の上、後方へと引く。


 目の前には、悪魔。


「ねぇ……――――イイ朝ね」


「そうだネ。じゃあオヤスミ」


 悪魔が次の反応を示す前に、メロはこの悪魔の弱点、喉を貫いた。


 常人であれば突き刺すことも困難な、普通の物質の上位互換とも言える、悪魔の肉体。しかし、己と同じく人の心を基とするマナの塊、すなわち仮匣や呪術師の能力そのものに対しては、その存在の侵入をたやすく許してしまう性質を持つ。


 結果。


 仮匣によって人体とそう変わらない硬度で一撃を迎え入れた肉体は、致命傷を受けることとなった。


 深く深く、大きく首いっぱいに穴を開けた箇所から、どろりとした赤い液体が滲み出る。


 甘ったるい匂いが強くなる。


 重力に従って後ろへと倒れる肢体が、ずるりと傘から抜け落ちる。


 先程の間で悪魔の後ろに回り込んでいたレムは、透き通った紺の三日月型の石が付いた銀の指輪、仮匣を晒し、黒い三叉槍を具現化させたところだった。


 片手で持つそれは、当然のようにまっすぐに。まるでフォークをパンケーキに刺すかのように、背中から悪魔を貫いた。


 悪魔の頭部が衝撃で揺らぐ。繋いでいた皮が千切れ、ごろりと転がり、三叉槍を下る。レムが開いている方の手でそれを受け止めれば、どちらの断面図からも、じんわりと赤い液体が溢れ出てくるのが見えた。


 甘ったるい匂いに包まれる。


 兄妹曰く、《血肉啜るケーキ(アブセントジョークブレッド)》は『ホワイトチョコ入りの苺ジャムパン』である。人体を模したパンの中ではホワイトチョコが骨組みを作り、苺ジャムが細く細かく、練り込むように全身を廻っている、と。


 実際、そのような匂いを漂わせている上、食感も味もそれらに相当するものだった。たとえ蛙を食べて「鶏肉を食べているようなものだ」と言っているようなことだとしても、食感も味も事実である。


 通常、悪魔を食べる者はいない。が、兄妹は食べる。


 食べられないことはない。むしろ美味しい。ということで、食料にはなるのだ。


 最低限必要な道具や資金を揃え宿を転々としてきたために、それ以外では質素に生活してきた兄妹である。


 食べないわけが無かった。


 悪魔の多くは死後、その肉体が変質するものである。この悪魔も例に漏れず、死を悟った肉体が、相応の物質に馴染む脆さになっていく。


 次第に生命活動を停止させていく肢体が、徐々に悪魔としての硬さを失い、本物のパンと同等の柔らかさになっていく。


 そのまま、少し待つ。


 頃合いを見て、メロは動いた。


 日傘に送るマナを断ち、術を解く。日傘は光へと戻り、空間に溶け込むようにして薄くなっていく。


 手を離した時には、跡形も無く消え去っていた。


 メロが次に掴んだのは、悪魔の二の腕だった。手を袖から出し、片手に二の腕、もう片手は受け皿を作るように手の平を天に向ける。そして再び、その手の平の中に向かって念じた。


青林檎の夜露(スリープ・ドロップ)


 先程のような光は無く、直接形が現れる。様々な色付きのガラスが一本、その身に合った透き通った音をわずかに鳴らしながら、少しずつ形成される。


 できあがったのは、メロの呪術師としての固有能力、〝青林檎の夜露(スリープ・ドロップ)〟によって作られた、ステンドグラス製のナイフである。


 この能力は、能力効果を使わずとも、ステンドグラスを作るという能力の形だけでも色々と利用できる。ただし、呪術である以上、術を解けば跡形も無く消え去ってしまうものでもある。


 それでも、簡単な作りのものであればステンドグラスで形を再現できる。使い勝手が良い能力であることには変わり無かった。


 メロは肩の辺りから片腕を切り落とすと、一旦ナイフを消した。次いで、ズボンのポケットから小さな筒状のものを取り出した。


 口紅の容器のような白いそれは、両端がピンクゴールドの金属で固定されており、一方の端には透き通った黄色の石が、もう一方の端には透き通った紺色の石が嵌め込まれている。側面は等間隔で四つに区切られ、それぞれの区切りにはピンクゴールドのメッキで一桁の数字のいずれかが並び、回すことで数字の並びを変えられるようになっている。


 これは、ダイヤル式の鍵が付いた呪術師専用の収納道具。呪介の一つ、『(から)(かぎ)』である。


 あらかじめ設定しておいた数字を揃えれば、あとは仮匣と同様、備え付けられている石にマナを送ることで扱うことができる。物質世界とは空間を遮断しているため、使用した時の状態のままで保存できるという優れものである。


 通常、保存できるのはあくまで物質のみであるため、呪術やマナが込められているものは収納した時点でその効果がリセットされるようになっている。ただし、込められた呪術やマナが余程強いものの場合は、収納すらできないようである。


 一応、込められた呪術やマナもそのまま保存できるようにコーティングされた代物も、あるにはある。しかし、その技術の難しさから出回っているのはごく少数であり、さらには貴族ですら手が出しづらい値が付けられていると言われている。さすがに命は現在進行形で動き続けるため、『その時点のもの』としての保存は不可能であり、すべてに共通して収納すらできないらしい。


 どちらにしろ、呪介であるということを抜きにしても、これまた高価なものである。


 メロとレムにとっては、それぞれ通常のもので一メートル四方分の容量のものを買うのが精一杯だった。容量は既に、最低限の生活必需品と食料でほぼいっぱいである。


 今回も新たに入手した食料を収納するため、メロは殻鍵の石にマナを送った。


 殻鍵の手前に紙のような薄さの半透明な画面が現れ、収納しているもののリストと空き容量のバーが表示される。メロが持っている片腕を収納するように念じると、片腕は粒子状になり、空間に溶けるようにして姿を消した。代わりに殻鍵の空き容量が減り、リストの一番下に新しい空欄が追加される。


 メロは画面をスクロールして空欄に指で文字を綴ると、術を解いた。それに伴い、画面が消える。メロは殻鍵をポケットにしまうと、今度はもう片方の腕を切り離しにかかった。


 レムは悪魔を支える三叉槍はそのままに、かがんでそっと、悪魔の頭部を地面に置いた。そして立ち上がりつつ、今し方空いた片手でポケットから自分の殻鍵を取り出した。


 紺色の筒に、ブルーシルバーの金属と同色のメッキの数字、透き通った紺色の石と透き通った黄色の石。


「兄様」


「ええ、お願い」


 メロが残りの腕を切り離したのを見届けると、レムはメロに自分の殻鍵を預け、後は任せた。先程と同じように殻鍵を扱うメロを尻目に、悪魔をゆっくりと倒れさせながら三叉槍を引き抜く。頭部の傍にそっと横たえた両腕の無い悪魔を一瞥し、術を解いて三叉槍を消す。紺色の光がマーブルを描き、四散する。


 メロの方を向けば、もう収納を終えるところだった。


「はい、兄様」


「アリガト」


 レムが殻鍵を受け取りしまうと、メロが隣に並んだ。


 兄妹は動かなくなった悪魔に背を向け、歩き出す。


「兄様兄様、ボク達有能。試験だって楽勝だネ」


「そうネ。ワタシ達なら合格するワ」


 空が明るみ、街に日の光が差し込み始めた頃。


 兄妹は、甘ったるい匂いに目覚める街を去った。

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