第五話 順化
翌朝、目が覚めたときは昼過ぎだったが、真っ先に鏡を見に行く。そんな川島を見て、木村が言う。
「コンパクトミラー鞄に入ってるのに」
川島は聞き流すだけだ。
「戻ったんだ。いつもの俺に。俺の体に戻ったんだ」
顔も体も川島のままだった。
「せっかくあたしの体ができたと思ったのにな」
木村はため息をつきながら嘆く。
「明日になればまた分からないさ」
深沢は川島の不安をあおるように言う。深沢が言うように明日はどうなっているかわからない。明日は明日の風が吹くのだ。
しかし、この日から金曜日の夜まで何事もなく川島は生活する事が出来た。
「やっぱり二日だけの効力だったみたいだな。来週からは大学にも行って、バイトにも復帰しよう」
川島はまた元の生活に戻れると思うとワクワクしていた。そして、翌朝を向かえた。土曜日の朝、目を覚ましてすぐにコンパクトミラーを取り、顔を確認した。
「やった。あたしの顔だ! 一週間経ってまたあたしの体に戻ってきたんだ」
木村の声が部屋中に響く。コンパクトミラーを手に取ったところで体が変わっていることははっきりしていたが……。
「また真衣に体が受け渡った!? どういうことなんだよ! ここ一週間、問題なく過ごせていたのに」
川島の驚きと少し怒りの混ざった声が脳裏にこだまする。木村はそんな川島の言葉を無視しながら、着替え始める。着替え終わると、化粧をしてアクセサリーをつける。お気に入りのファッションに身を包んだ木村が仕上がる。そうして、玄関に向かいお気に入りのブーツを履いてお出かけモードに突入した。
「おいおい。今日は一体どこへ行くんだよ。あまり無駄買いしたりしないでくれよ」
川島の声が聞こえているのかいないのか、先週の土曜日にも訪れたブティックやアクセサリー店を転々と渡り歩いた。
新しい店にも行き、気がつけば町は夜の街になっていた。ホストのキャッチやキャバクラのキャッチが大勢いる。木村はそれらの類をうまくかわして街を歩いた。
そして、いつしか華やかできらびやかだった通りから人気のない通りへと来てしまっていた。
「ちょっと待って。何か薄暗くて怖いよ」
木村は少し怯えたような声を上げる。人気のない薄暗い通りには麻薬の売買や使用者のように見える人たちがいる。電柱のかげや物陰にいるのが一目でわかる。
「なんか怖いよ……」
木村は通りを変えたことを深く後悔していた。
「大丈夫だ。何もしなければ奴らも何もしてこないはずだ。走って、今いた通りまで戻れるか?」
川島が木村に話しかける。木村は頭を大きく横に振る。足が動かないのだ。そうしていると物陰から一人の中年男が現れる。
「お姉ちゃん、いい体してるね。おじさんと一緒に遊ばないかい?」
見るからに麻薬常習者の目をしている。そう言いながら男は木村の肩に手を置いてくる。木村は体が硬直してしまい、身動きが出来なかった。川島は怒りと共に声を発する。
「そいつに触れるなー!」
その瞬間、木村の体が光を発しながら変化していく。変化後の体は川島のものだった。服装は木村のままだったが体と顔は川島へと変わっていた。中年の男はキョトンとした表情をしている。
それもそのはずだ。誰でも目の前の美人な女性が若い男に変わったりすればこういう態度になるだろう。薬の幻覚症状ではなく現実のことだから尚更だ。
「勝手に俺の体、触ってんじゃねーよ! このエロおやじ!」
川島はこう言うと同時に男の腹を殴る。男はよたよたとしながら倒れる。それを物陰から見ていた麻薬中毒者の仲間らしき男が五人ほどやってくる。
「何だよ。やるのかよ」
川島は逃げようとはせず、五人が近くまでやってくるのを待つ。この時、川島は重大なことに気がついていなかった。
「こいよ!」
川島は五人を相手に殴り合う。しかし、何か動きにくくそこを狙われて倒れ込んでしまう。倒れ込んだ川島を五人の男たちは蹴り上げる。川島は何もすることが出来ず、予想外にもやられ放題という感じだ。
そこに一人の男が現れる。
「やれやれ。その格好でこの人数は無理でしょう。不利にも程がある」
男は長身でそれなりの体つきだった。この男が言う通り、川島は木村の服装のままであるということをすっかり忘れていた。ファッションには気を配っていた木村の服装は実に動きにくかった。
そうして、男は五人の男たちを一人で殴り倒していった。川島も助けられて男の手を借り、立ち上がる。
「すまない。お前は一体?」
川島は男に尋ねる。
「名乗る程の者ではないですよ。それにそのうちわかるでしょうし。では、私はこれで」
男はそう言うと、川島の前から立ち去っていった。川島はこの男のことが気になったが、この格好でここに居るのはまずいと思い、足早にその場を去った。
大通りに出るとすぐにタクシーを捕まえた。タクシーは道路のわきにより、止まる。後部座席のドアが開く。川島はタクシーの後部座席に座ろうと車内に入る。その時、履きなれないブーツのヒールがタクシーの入口の下部に当たり音を立てる。
運転手は川島の格好をルームミラーで確認して、ギョッとした表情をする。しかし、しばらくすると世の中には色々な人がいるのだなといった納得の表情に変わった。
「どちらまで?」
運転手が行き先を聞いてきたので、川島は自宅のマンションの名前を告げた。タクシーは数分でマンションに到着した。川島はいつものようにズボンのポケットから財布を取り出そうとするが、何か違和感がある。
いつもの感触と違ったのだ。そこに木村の声がする。
「バッグ。財布はバッグの中だよ」
川島はとっさに腕からかけていたバッグの中を探る。財布を見つけて中を覗く。
幸いなことにこの日は木村が買い物をしなかったため、財布にお金は残っていた。川島は運転手にお金を渡し、釣り銭をもらい、自宅に帰ってきた。