西田先輩
「じゃあ、試合日程はそれでいいか」
「はい。現地集合させるので、お願いします」
昨日聞いた美声が、そこにあった。
聞いた瞬間、何故か顔が真っ赤になるのが分かった。
由美が驚いたようにこちらを見てくるのが分かったが、なりたくてなったわけではないので、どうしようもない。
そうっと由美を盾にして、のぞき見た姿は、背が高くてがっしりした体つきの、大きな男子だった。
千尋とは、30センチ以上身長差があるかもしれない。顧問の先生が小柄に見えるほどだ。
全体的に厳ついイメージを持ちそうな人で、一目見て優しそうとは言えない。
だけど、昨日家まで送ってもらった千尋としては、優しいことも、面倒見がいいことも知っている。何より、千尋の妙な探究心も笑ってくれるような人だった。
――――ううぅ、何これ。
どくんどくんと心臓が大きな音を立て続けて、顔の熱も引かない。
見つかりたくないから、顔が分かればすぐに去ってしまわなければいけないのに、もっとじっくり見ていたい。相反する思いに、身動きがとれない。
ふと、彼がこちらをちらりと見た気がした。
その瞬間、千尋は由美の手を引っ張って、早足で歩き出した。
「へ?あれ、ちょっと千尋!?」
由美が驚いた声を上げるが、振り返る勇気がない。どんどん早くなる歩くスピードに、戸惑ったまま、由美がついてくる。
早足である気続けて、校門まで来てようやく千尋は止まった。
「はあ・・・。何なの、急に・・・」
由美が文句を言おうとして、千尋の顔を見て、あんぐりと口を開けたのが横目に見えた。
顔が、熱い。
涙まで出てきた。
「由美・・・どうしよう~」
千尋、遅い初恋であった。
「由美、また明日ね!」
一日の最後の授業が終わって、千尋はすぐに駆け出す。
由美は、ここ数日で恒例になってしまったその姿に、ひらりと手を振った。
西田先輩をくっきりとした視界で初めて捉えてから、4日が経っていた。
今日は金曜日で、日曜日に、眼鏡のレンズも、コンタクトも届くらしい。
青黒くなっていた痣も、目立たなくなって、絆創膏も今日の夜にはとれるはずだ。
来週の月曜日は自分の中では、かわいい状態になる。
そうしたら、日曜日の夜にクッキーを焼いて、遅くなったけれど、あのときのお礼を言いに行こうと決めていた。
そう考えるだけで、千尋は顔に熱が集まってきたのを感じる。
行こうと考えるだけで赤面するとか、彼を目の前にしたらどうなるんだろう。
自分で自分が心配だが、会いたい・・・もとい、見たい気持ちが抑えられない。
だから、最近では授業が終わった途端かけだして、武道場に向かうことが多くなった。
武道場に近づくと、千尋と同じ目的の人たちが駆け足に武道場に向かっていた。
この4日間、毎日通って、武道場の窓から常時中を見られる場所を確保できるようになっていた。
昨日の場所は、1年生を指導する姿がすごく近くで見られて、嬉しかったので、また同じ場所がいいなと、千尋は急いでいた。
運動音痴のくせに、急ぎながらそんな思考にふければ、当然転ぶ。
「ひゃっ!?」
「おっと」
今回は、転ばずにぶつかることになった。
「大丈夫か?」
顔を上げる前に降ってきた声に、千尋の動きが止まる。
この、声は・・・・・・!
ぶつかって、支えられた形のまま動かない千尋に、不思議そうな声がもう一度かかった。
「相川?どこかぶつけたか?」
バレてる・・・・・・!?
なぜ、どうして。どこで?いつから?
後頭部だけを見て千尋と判断した・・・あり得ない。どれだけ後頭部が特殊な形しているのだ。
ってことは、このおかしな眼鏡をかけた顔も見られていたってことで・・・。
うそおおおぉぉぉ!?
パニックになった千尋は、折角話しかけてもらった機会など、全く考えず、
「人違いですっ……!」
無茶な理由で俯いたまま逃げ出した。
西田先輩がその時にどんな表情をしていたかも知らずに、走り去ってしまったのだった。
そのまま、剣道部の部活動を見に行く勇気はなくて、帰ってきてしまったのだった。