面白い子
汗臭い道場に、むさくるしい男どもの掛け声が響く。
それを覆い尽くすかのように、黄色い歓声が上がる。
いい加減、うんざりだ。
そう思っていても、このやかましさは、荒垣本人のせいではないのだから顔に出すことはしない。
一番憔悴しているのは、本人のようだし。
荒垣は、中学生の頃から注目の選手だった。
関東大会個人の部優勝。さらに全国でも10位以内に入ったらしい。
そんな選手がうちの高校に入ってくれたとなれば、今年の全国出場への夢が膨らむ。
ただ、残念なことに、荒垣は外見が良かった。
しかも人当たりが良く、入部当初、応援に来てくれた女子に「ありがとございます」と、はにかんだ笑顔というものを見せて以来、日に日に見学者は増え続け、今では関係者以外は武道場立ち入り禁止になった。
剣道部の生徒以上に早く武道場にたかる女子。
それをかき分けるようにして入らなければならないのも、いちいち面倒くさいし、顔を洗いに出るたびに差し入れだのなんだの言ってくる女子に辟易した。
はっきり言って、西田浩一は、愛想の良い方ではない。
しゃべる必要がないのにしゃべることなどないと、堂々と言い放つ。
初対面の、名前も知らない女子から渡された手作りの食い物を、どうして部員に持って帰れるだろうか。
無理だから、無理だと言っただけだ。
そのせいか、なんとなく、差し入れは禁止されたというような噂が流れ、差し入れ自体がほとんどなくなったのは良かったと思う。
「西田!湿布がない。もらってきてくれ」
「なんで俺が」
部長からの要望に、あからさまに不満を現しても、
「次期部長だからだ!」
大きな声で言われたくないことを宣言された。
誰が、そんな面倒なことをするものか。絶対に嫌だ。
そう言われ続けて、断りも続けて、やっぱり雑用係なのだ。嫌に決まっている。
だけど、愉快そうに手を振る部長と、自分たちの喧嘩が始まるのかと心配そうに見てくる1年生の視線に、申し訳ないと、保健室に向かった。
もうすぐ校舎に入るというところで、
「痛いいぃ」
女生徒の声が聞こえた。
本当なら、あまり関わりたくはないが、痛いと言っているのだから、助けがいるだろう。
仕方なしに、浩一は声が聞こえた方に足を向けた。
「どうした?」
渡り廊下に、女子が一人座り込んで泣いていた。
こちらを見た顔を見て、ひどいなと思う。
眼鏡であったものが地面に飛び散り、眼鏡をしたまま柱におでこをぶつけたのか、おでこにも傷ができていた。
最近の眼鏡はプラスチックでできているのだと聞いていたが、こんなに粉々になるものなのか?
「こけたのか」
分かっていることを呟きながらしゃがむと、不思議そうな顔をして浩一を眺めていた。
とりあえず、傷の具合を調べて、自分だけでどうなるものじゃないと判断する。
「立てるか?」
視点が定まっていないようなので、顔を覗き込んでみたが、反応がない。
ただ、
「・・・・・・痛いです」
とつぶやいた。
「だろうな」
その端的な言葉がおかしくて、少し笑ってから保健室に連れていこうと抱き上げた。
「ひゃあ!?」
悲鳴に、そういえば何も言わずに持ち上げたなと、一応行き先を告げた。
「保健室に連れていってやる」
それにしても、と思う。随分小柄な子だったようで、軽い。女子を横抱きっていうのはしたことがなかったが、こんなに軽いものなのか?
「あの、何年生ですか?」
胸元でごそごそしながら、女子が話しかけてきた。
内心、会話は面倒だなと思いながら、この状態では仕方ないだろうと答えた。
「オレ?2年生。そっちは?」
「1年生です。あの・・・」
答えたものの、その答えは会話のきっかけだったようで、あまり興味がなさそうだ。
というより・・・・・・
「・・・・・・おい、こら」
思わず声が低くなってしまった。
こっちが両手塞がっていると思って何をしているんだ。
腕の中の女子はいきなり袷の中に手を突っ込んで、グイッと開こうとしていた。中にTシャツを着てはいるが、脱がすやつがいるか、普通?
「これは柔道着ですね!だから、スカートはいているんですね!」
いや、剣道着だから。
一人で納得した様子で、次は一生懸命袷を元に戻そうと奮闘している。腕の中でごそごそ動かれるのはさすがに重いんだが。
そう思っていると、おとなしくなって、
「こ、こんなもんで?」
と、気まずそうに浩一を見上げていた。
それが、おかしくて、また笑った。
保健室まで連れていったが、出張プレートが下がっていて、先生がいなかった。
まいったな。浩一は、治療などの細かい作業はあまり得意ではなかった。
とりあえず、女子を椅子に下ろしてから、薬棚からいくつか薬を拝借して膝とでこの消毒だけしておいた。
ガーゼあてるとかは、出来ない。大事になるのが見えているので、手出しはしないに限る。
病院へ行けと言えば、頷いて、答えた。
「帰って病院に行きます」
一通りこの場でできることは終わって、立ち上がれば、慌てたように、急に手をバタバタさせ始めた。
「あの、すみません、ありがとうございました!私、相川って言います。名前を教えてもらってもいいですか?」
相川と名乗った女子が一生懸命に聞いてくるので、また笑った。
しかも、名字だけとは。男前だなとも思って、浩一には面白いと感じた。
「ああ、西田だ。―――じゃあな」
名乗るっていうことは、また会う気があるんだろうか。嬉しそうに笑う相川がかわいくて、柄にもなく、手を振り返してしまった。




