急がなきゃ
急がなきゃ、急がなきゃ。
千尋は、友人を教室に待たせて、渡り廊下を駆けていた。
運動音痴だから、駆けているようには見えなかったかもだが。
帰り際に、由美が宿題に出た問題で分からないところがあるから一緒に解いてほしいと頼まれた。
同時に、先生から教材の片付けを頼まれ、由美から「待ってるから、そっち先にして」と言われたので、教材を持って教材室に行くと、なんと鍵がかかっていた。
職員室に行って、謝られながら鍵を借りて、教材を返してまた鍵を職員室に返しに行った。
思った以上に時間がかかって、千尋は慌てていた。
由美は、確かバイトがあるはず。そんなに時間の余裕がない。
特別棟から教室棟に行く渡り廊下の段差を、走ってきた勢いのまま、千尋は飛んだ。
文字通り、飛んでしまった。
慌てたまま踏み切ったため、バランスを崩した。しかし、勢いがあったのでジャンプは
できた。・・・できた、が、崩れた体制を持ち直して着地するには、運動神経が足りなかった。
さらには、渡り廊下に吹き込む強い風が、千尋のジャンプを横向きに助けるという、なんとも不幸すぎる偶然が重なった結果。
千尋は、渡り廊下の柱に激突し、ころころ転がるという、ネズミと追いかけっこする猫のようなことになった。
端から見ていたら爆笑ものだ。
しかし、当事者の千尋にはそんな余裕はなく、顔を押さえてうずくまるということになった。
顔を押さえて気がつく。
「眼鏡がない!」
痛みはとりあえず置いておいて、眼鏡がなければ、千尋には世界が霞んで見える。
つまり、ぼやけて周りが全く見えないのだ。
慌てて起き上がって、段差に躓いて、もう一度柱に顔をぶつけた。
そこで、足下でパキンっという音が聞こえた。
・・・・・・踏んだ。今、ここで踏んだ。
泣きっ面に蜂がよってたかって来た気分だ。
すでに一度目で割れてはいたのかもしれないが、すでにツルは折れ、レンズは粉々、応急処置ででもかけられる状態ではなくなっていた。
「うそおぉぉ」
思わず座り込んでしまえば、膝に、レンズの破片が当たった。
「痛いいぃ」
どうしようもなくて、泣きそうだ。霞んだ視界に、さらに涙まで盛り上がってきたところで、声がかかった。
「どうした?」
低音の胸に響くような美声が耳に届いた。
声の方向に振り向くと、中庭から人影が近づいてきていた。
今の声は、この人からだろうか。・・・・・・スカートをはいているように見えるのだが。
「こけたのか」
目の前にしゃがまれて、やっぱりこの人だと思う。
その美声の持ち主は、千尋の傷を確かめるように額と足を触って、聞いた。
「立てるか?」
顔をのぞき込まれているようだが、ぼやけていて、いまいち表情も容姿もつかめない。
「・・・・・・痛いです」
「だろうな」
笑った気配がした。そうして、おもむろに近づいてきたと思ったら、膝裏と背中に手が回されて、抱き上げられていた。
「ひゃあ!?」
「保健室に連れていってやる」
そういうことは、抱き上げる前に言ってください!悲鳴を上げてしまったことに少し顔を赤くしながらも、千尋はお礼を言った。