第9翼 《SPCTRaS》4
皆さま、明けましておめでとうございます!
今年も、剣士ジョブ両生類イモリ剣士をよろしくお願いします!
聞いてはいけないことだと、頭では理解していた。後悔するんだろうなと分かっていた。
レイの元に返る答えは、呵々と笑い飛ばせそうな世迷言にしか聞こえない。
「人間じゃない? でもご飯食べて、寝て……こんなの人間じゃないか」
苦し紛れの理屈だった。フタバたちの人間離れした身体能力、何より《纏輪》の力を見て、レイも使ったのに。
《SPCT》を淘汰して見せた金色翼は、人類の希望ではないのか。
「カタバネ、昨日からトイレに行ったか?」
「は……そんなの」
クロは、何を当たり前なと思うことを訊く。加えて、食事の場に相応しくない質問だ。
女性陣から冷たい眼差しが飛ぶが、クロは怯まない。
「行ってない、けど」
「だろ。俺たち、排泄が必要ないんだよ」
そんな不合理があってはならない。だが、確かに昨日からレイは、大もしなければ小すらしていなかった。
生涯で一番、記憶違いを疑いたくなった瞬間だ。
代謝をしない生物は、生物にあらず。生物でないなら、人間にあらず。動物とさえ、認められるか怪しい。
「姿も、変わらない、です」
ホトリも吹っ切れたのか、消え入りそうな声で話に加わり始めた。レイの憶測に過ぎないが、彼女もほんの一年前同じ経験をしたのだ。
「変わらないって……不老ってこと?」
愕然としながらも話に喰らいつく。指先が震える。なんとか事実をかみ砕こうと食いしばった。
怖いもの見たさという奴だろう。自分が何者であるかを知ることに、レイは恐怖している。
惜しいことに、レイはその先は聞けなかった。
「皆さん、」
隊長のフタバが全員を制したから。凛としたソプラノは気持ち硬い。
「早く食べてください。カタバネ君はこの後、講義で嫌でも聞きますよ」
そうでした、とフタバは思い出したように言う。レイではなく自分のトレイを見ながら。
「レイ君……と今日から隊の中では名前で呼びます。私たちのことも名前で呼ぶように。早いうちに慣れてください」
嬉しい告白。けれど正直、今日このタイミングだけは勘弁してほしかった。
彼女のシメの談を皮切りに、一団は暗い食事を再開する。
レイは黙って盆に転がる箸を掴む。箸は取り落とされず、若鳥は大人しく口に納められる。
「僕たちは、人間だ……」
その声は掠れていた。だから、同卓する三人は聞かない振りをした。
朝食は無理にでも飲み込んだ。
こんなの無駄な行為じゃないか。レイはそのことを必死に考えないようにした。
席を立ってからも足取りに軽やかさが無い。昨日は、舞うようにスキップしていたのに。
「レイ、ずっと黙ってんな」
「……です」
フタバの後をレイが追い、残り二人もその背中に付いて行く。
メディカルチェックの開始まで自由にしていいとの事だが、レイは忘れている。難しい顔をして歩いているだけだ。
「わからんでも、ないんだけどねえ」
フタバは、水で清めた言葉の刀で、人間としてのレイの首を落としたのだ。彼女は部隊長として、後で知るよりマシという判決をしたのだった。
「…………です」
こればっかりは本人の気力がものを言う。ホトリは当然ながら、クロも掛ける言葉がない。二人は隊長に全て任せることにした。
「そういえば、レイ君あの書店に居ましたよね」
「えっ、あ、ああ。でも、フタバが《SPCTRaS》なのは知らなかったよ」
レイは空返事で答えた。お互い顔は合わせていない。
「えっ?」
「ん?」
フタバ素っ頓狂な声を上げて、レイに振り返る。
レイの灰色の瞳もフタバを見ていた。
よくよく考えると、フタバは《SPCTRaS》のバッジで勘づかれたと思ったのだろう。だが、レイは無知ゆえに彼女の身分に気づくことは無かった。
「私、早とちりをしていたんですね。念には念をいれて、行動しなければならない立場ですから、仕方ないんですけど」
念には……というと不審者然とした、かの一部始終のこと。レイは書店でフタバに出会い、更には不躾に凝視した。
うかつなことに二人は勘違いをしたままだった。
「だから、ニット帽にサングラスなんて怪しい格好してたんだね」
「あ、怪しかった? そうですか……」
フタバだって、本気で自分たちが人間じゃないなんて思っていないだろう声音からは温かさを感じる。彼女が真面目で優しいのは、数日の付き合いしかないレイにも分かる。
真面目故に、誠実に事実を言う。優しい故に、レイの様子を案じずにはいられない。人間の心には、温かみがあるのだ。
「うん。不審にキョロキョロしてて可愛かった」
「……あ、ありがとうございます。照れますね」
ド直球に恥ずかしがるので、レイまで赤面しそうになる。ちょっと冗談が伝わらないのは、多分魅力の一つだ。
そんな初々しい二人の様子を、外野は意外そうに見ていた。
「元気になったぞ」
「です」
「しかも、いちゃいちゃしだしたな」
「良く言うです。クロ先輩とヒヨリさんのらぶっぷり、たいして変わらない、です」
「むぅ」
クロはホトリの指摘にぐぬぬと唸るのだった。
*
気が軽くなったレイは、自室待機を受け入れ、大人しくしていた。
ゲストルームと言うには、変わらず無機質で愛想の無い部屋。それでもいい。
シーツを好き放題に荒し、レイは枕元に転がる携帯端末を手に取る。
「そうだ、お姉ちゃんに電話しよ」
……プル『もしもしっ!?』
「うわっ!」
待ち構えていたとしか思えない。実際、携帯端末を握りしめて待っていたのだろう。
声の主、マコトはレイのフォンコールを動力源に今日を生きる。
「昨日あんなにくっついてたのに。もう寂しくなっちゃったの、お姉ちゃん」
『当たり前だよっ!? お姉ちゃん、レイのことしか考えてないからっ!』
(それは……色々と、支障があるよお姉ちゃん)
しかし、姉らしい。呼び出しのワンコールの暇すら与えない。その有言実行ぶりは、漢の約束クラスの領域に近づいている。
レイの苦笑が通話として聞こえるのだろう。マコトの拗ねた様子が目に浮かぶ。
「やったあ、レイ笑った! 今日も無事に生きられるよー!」
(読み間違えたなあ、苦笑いではしゃぐなんて)
レイはブラコンを嘗めていた。
これだからマコトの存在はズルい。
「うん、良かった。……あ、お姉ちゃん」
「なぁに?」
「僕は、母さんと父さんの子で、お姉ちゃんの弟、だよね」
少し弱気になっている。心が脆くなっている。体に心が引っ張られるとはこのことを言うのだろう。
人の道を外れたという不安が、レイにこんな言葉を吐かせた。
マコトが弟離れできないように、レイも姉離れできていない。それが『片翅嶺』を繋ぎ止める、最後のつむぎでもあるから。
「当たり前だよっ!」
「……!」
ポタタッ。
「じゃあ、今日はもう学校行くね! 災害があったのにすぐに再開って、学校ってところは逞しいよね! よーし、また夜話そ!」
プツと接続が切れた。
シーツには大量のシミができてしまっていた。全部レイのものだ。
濡れた目元を袖で拭う。メディカルチェックのためにフタバたちが迎えに来ると言うのに、これはイケナイ。
姉の溺愛にはまってしまわぬように、顔を洗っておく。
「だから、お姉ちゃんはズルい」
洗面台の水を止め、マシになった自分の面を確かめる。
レイの欲しいものを的確にくれる。幼少からいつもそう。
マコトは、それを無自覚にやってのけてしまうから、今でもレイの……自慢の姉だ。
「レーイ、もうそろそろ行こうぜー」
「……来ちゃった。待っててクロ、今行くから!」
どうやらレイの案内役としてポジションなのか、朝食の時同様クロは一人だ。
「おう、すっきりした顔しやがって。生意気だぜ、このダチ公め!」
「ダチ公……?」
レイがハテナを浮かべている。聞きなれない言葉だ。
「あれ、最近使わない? 死語だったっけ。友達だよ、ダチ」
「ああ、え。僕、とっくに友達かと思ってたんだけど……」
きょとんとするクロ。からの大笑い。
二人きりの廊下だから、声がよく通る。
「はーはっはっは、やっぱお前図太いわ! さあ行こう、アッハハ!」
「え、え?」
レイはいきなり肩を組まれたことに困惑しながら、一日前に寝かされたメディカルルームを目指した。