第8翼 《SPCTRaS》3
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
いつもお読みいただき、感謝の極み!
姉と弟の赤面ものの愛情の確かめ合いは過ぎ、レイは再びフブキと相対する。
「すごいご家族だったね。久しぶりに感動したよ」
「はは……ありがとうございます」
マコトは、なんと毎日レイの声が聞きたいと、朝夕のフォンコールを約束して帰った。最後には、《暴君》に引き摺られて自動扉を越す有り様である。
後に母が語るには、盛大に泣き散らしての帰還となったよう。
(《暴君》特別調教コースに行かないことを祈ろう、南無三)
「それでねカタバネ君。いや、レイ君と呼ぼうか。残念なことに君は所属支部を選ぶことはできない。原則、《纏輪》覚醒者は本籍から一番近い支部に配属するのが規範さ」
ありがたい規則だ。これで週に一回くらいはマコトに会えるだろうか。
そこでレイは、クロが破顔しているのに気付く。静岡支部に属するのなら、彼のチームメイトとなるということと同義だ。
(……クロたちも静岡在住? でも、静岡に《SPCT》が現れたのは昨日が初めてだ)
「腑に落ちないよね。フタバ君たちは、つまりイレギュラーだ。イレギュラーって点だけならレイ君も大差ないけど!」
フブキはさぞ可笑しいのだろう。喉に詰まるような笑いを堪えている。
レイが若干ムッとすると、ようやくフブキは最後の一笑をやめた。その表情は、まるで不可抗力だよとでも言いたげだ。
「レイ君も知っての通り。過去、静岡県に《SPCT》が出現した記録はない。しかしそうすると、教えてもらったと思うけど、《纏輪》覚醒者は生まれない」
必然的に、《纏輪》使いの数が揃うまでは他支部から派遣される者が出る。これなら道理に敵う。
フタバとクロは三年も前から、ホトリは一年前から静岡支部に勤めている。と、フブキはさらりと部隊紹介までした。
県民のレイは、下げる頭が足りなくなって困ってしまう。
「詳しい話は後日、順を追って話そう。一度に聞いては頭がパンクしてしまうからね」
などとフブキに気遣われたときには、夜の帳の降りる頃となっていた。
明日、レイは正式に部隊配属され、メディカルチェックと《纏輪》講義を受けるだろう。
一番の楽しみである《纏輪》召喚はもちろん、フタバたちとの顔合わせも改めてするとのこと。
レイはまたクロと話せるのかと心を弾ませるのだった。
*
早朝。六時ジャスト。
《SPCTRaS》静岡支部のゲストルームで電子音のモーニングコールが鳴り響いた。
レイの仮部屋である。
「スイッチ……」
慣れない音に反応して、むくりと起き上がる。
(スイッチを探さないと……)
レイはベッドの上を這い、ストップボタンを捜索。
カチ、と寝具の頭側の壁のボタンを押した頃、既に起床から三分は経っていた。
モニタリングされた電子時計だと、やっぱり味気ない。自宅から郵送で目覚まし時計を届けてもらいたい。
「ふわっ、あ~あ。朝食は七時からって、言ってたかな」
しかし、この妙に胃を絞めつける空腹感はどうしたことだろう。頭で考えるより先に腹が返事をするというのは、レイにしては珍しい。
扉に備え付けられたポストに、ラッピングされた制服がすっぽりと納まっている。
レイの就寝中に届いたようだ。
包装に着こなしの説明書きまで入っていた。
何故か、採寸ピッタリの《SPCTRaS》仕官制服に腕を通す。
「気を失ったときに測られた……?」
考えられるのはそれくらい。
まあ、テンポが良いのなら文句のつけようはない。感謝して着させてもらう。
姿見には、軍人となった青年の姿。
(わあ……カッコイイ)
中学、高校の制服なんて目じゃなかった。感極まって、鏡に向かって敬礼。
「ふふ」
「おーい、起きてっかよー!」
クロだ。馴染みの声で自動ドアをノックする。
レイを迎えに来たのか。
「み、見られなくて良かった……クロ、おはよう! 今開けるから」
急いで扉を開けに走る。
クロは今日も眩しく笑っていた。
「まだ朝食には早いよ?」
まだ三十分以上の時間がある。ご飯の抜け駆けでもしようと誘いに来たのかもしれない。
「バァーカ、《SPCTRaS》の食堂は券売機なんだぜ。おちおち待ってたら、先越されちまう」
「あー、現地あるあるだね」
どうやら所見殺しというか。初参加者に不利なシステムらしい。
それでも、クロはレイを放って自分だけ行くこともできただろうに。きっと、おまけに付く汚い一言は照れ隠しとして添えている気なのだろう。
「やっぱり、クロは優しいね」
「よせやい! ほら、イクゾ」
微笑みにたじろぐクロ。
レイの方も、あまりに自然に笑う自分がおかしくてしょうがない。高校生くらいになると、友達に向ける笑顔の種類も増えるものだが、今は素朴に微笑みを浮かべられた。
(本当に、生まれ変わった気分だ)
背中の《纏輪》は案の定、答えない。暖かな熱量を宿すだけだ。
やがて、人の賑わいが濃くなる。
「そろそろ食堂だ。多分フタバとホトリちゃんもいるから、話してこいよ」
「げぇ……」
フタバには昨日、ありがたいお話を貰ったばかり。レイの口元が波打つように歪んだ。
それをクロがニヤリと煽る。
「なんだよぅ、怖いのかカタバネ」
「う、ちょっと」
「正直な奴だなー、わからんでもないけど!」
けらけら笑うクロが精神の癒しとは。
レイは、ははと力なく肩を落とす。
「噂をすれば、二人とも並んでるじゃん。おっはよー、フッタバー、ホトリちゃ~ん」
「おはよう、ございます」
隣でさわやかに挨拶できるクロのなんと羨ましいこと。対照的にレイの声調はぎこちない。
「クロ君……とカタバネ君、おはようございます」
とても明るい鳶色の瞳がじっとりとレイを定める。
「クロ先輩おはデス。カタバネさんおはようです」
「ホトリちゃん……新しいお仲間がいるんだから、抑えてくれよ」
ホトリはクロにだけ意味ありげな口調で返した。深い蒼海色の網膜は淡々と相手を捉える。
「珍しい。クロ君は、人見知りが激しい方だと思っていたんですけど。まあそういこともありますか、ではお先に」
早く行動した甲斐あって、フタバはそう並ばずに券売機の前へとありついた。列はホトリ、クロと順に引き継がれ、消化される。
番が回ってお札を入れるたレイは、重大なミスに気付く。
(メニュー決めてない……)
何が不味いって、レイの後ろにも何人も並んでいる。早く券を買わなければ背後から視線で刺され、針の筵に……。
(ひい、は、早く決めないと!?)
「あ……あえ?」
よく分からないボタンを押してしまった。出口からヒラと落ちる紙切符。
『若鶏のから揚げ(定食)』
「朝から、揚げ物」
「ガッツリ行くな! 流石、生身で《SPCT》に突っ込むだけあるぜ! アイテッ!?」
ざわ、と周囲が一気に沸きたった。「こいつが静岡初の」とか「今時、気違いかよ」とか。
レイは好奇の視線に晒される。
背中を叩くクロに、フタバが拳骨を振り下した。
「このおバカクロは。いらっしゃい、カタバネ君」
「う……ん」
手を引かれる。フタバが先導して、レイを牽く。
(なんだろう、嫌な感じ)
マイノリティとかそういったものを通り越して、壁を隔てられたような疎外感。フタバ隊を囲む人の壁は、レイに得体の知れない閉塞感を与えた。
「気にしない方がいいですよ……ここでは特に」
フタバは親しんだ言葉となったソレを吐く。その呟きは、一匙の悲壮をレイの飢える胃袋へと運んだ。
「そう……なんだ」
納得は出来ない。でも、きっとそういうこと。
「早く受け取って、食べちゃいましょう」
二人の視線は、テーブルに陣取った仲間の方へ。
向かいの席で腕を振るクロ。
ボウッとアジの開きを見つめるホトリ。
彼らは、何も見なかったようにレイたちを待っている。
「お待たせしました」
「おう、良いってことよ」
「……いただくです」
「いただきます」
三人とも手を合わせたので、レイも一緒に済ませた。
油の滲む唐揚げの衣を箸でつまむ。
まあるい衣揚げを口に持っていく代わりに、拙い疑問をぶつける。
「なんで、さっきあんな風になったんだろ」
「それは……」
クロが言葉に詰まる。彼の食べる力蕎麦のせいではないだろう。どうしようもなく黙り、何かを言おうとして止めた。
「人間じゃ、ないからですよ」
背筋が凍る一言だった。
レイとクロとホトリの三人にしか届かないくらい小さい声。
「フタバ……さん?」
「私たちは、人間じゃないらしいですから」
フタバは自嘲気味に鮭の切り身をつつきながら、二回目を言う。
「人間じゃ、ない?」
レイの手元から箸が落ちた。
死ぬ気でキーボードを叩いて、元日中には次話をアップする予定です。