第7翼 《SPCTRaS》2
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結局、レイがフタバの責め句から解放されたのは、時計の長針が一周をしたころだった。
「では行きましょうか、カタバネ君」の一言で、個室病棟から連れ出されたわけだが。
どこへ案内されるとも告げられていない。
レイの怪我は《纏輪》使いになった際の回復力で、とっくに解決していると言う。その通りとして身体に痛みも変調も無いので、これには頷くしかなかった。
家族にも話を通しているらしく、それをダシにする会話の逃げ口は完全に塞がれていた。
クロとホトリは理解の上で付いて来ているようだし、混乱しているのはレイくらいのものだ。
「ねえクロ、僕はどこに向かってるのさ」
「んー、秘密」
とクロは守秘義務でもあるのか、答えない。
「……」
交流の全くないホトリなど、部屋から出た後も終始無言。おかげでレイは、無駄に長く続く廊下の寂しく感じられること。
「着きました」
気持ち大きな扉の前。レイはフタバの号令で顔を上げる。
「ここは?」
「司令室です。支部長から詳しい話を聞いてもらいます」
フタバが扉の開ボタンに手を掛ける。
「フブキ支部長、静岡支部部隊長の鳳凰寺双羽です。隊員二名及び、観察保護対象の片翅嶺を案内しました」
「うん、ご苦労様」
声の主は若い男だった。
(支部長、若いな)
高く見積もっても二十代後半だろう。下手すれば二十代前半か。綺麗に剃毛された口元が若々しく映る。
「……」
『現役の《SPCTRaS》正規戦闘員で三十路に達している者は一人としていません』
レイはもしやと思う。
フブキは立派なワークデスクからレイを視線で射貫く。柔和な表情はきっと飾り。
「彼がカタバネ君か。なるほど君は《白》、なんだね」
そう言ったフブキは、澄み切った水晶のように透けた前髪を指先で退ける。部屋の照明もさぞや仕事のし甲斐がある色合いだろう。
レイは思い切って先手を取ることにした。
「あの、こんにちは。僕は片翅嶺です」
「はい、こんにちは。僕は風吹龍一だ」
言葉はやんわりと表情は互いに固く。
観察眼に自信のないレイでも薄々感じる。フブキの底知れない危なさ。
間を置かず、フブキは硬い表情を崩した。
「そんなに息を詰めることは無い。ここでは君はゲストなんだよ」
「ゲスト?」
腕を広げ、歓迎の意を主張するフブキ。
レイは改めてフタバたちを見渡す。
ゲストと言い張るには、フタバたちの対応があっさりしすぎな気がした。
「彼女たちには少し伝言を頼んだだけでね。本当に大事なことは僕の口から伝えたかったのさ、よっと」
「支部長、どこかへ行かれるので?」
フブキはすっと立ち、フタバの抑揚のない問いが司令室に響く。身長はレイよりも十は高い。いや、もっとだ。ドアをくぐると頭がぶつかりそうである。
桃色髪の部隊長が気にしていないということは、支部長の行動は普段からマイペースということなんだろうか。
「うん、君たちも来るんだ。ここから先の話は指揮者室でしたいからね」
にこやかに微笑んだフブキに促され、レイはまた移動かと肩を竦める。
取って食いはしないからと、フブキは言う。
指揮者室は司令室からそれほど離れてはいなかった。うろ覚えで数十歩進んだくらい。
「入ってくれ」
「はい」
指揮者室。
レイは心して敵地に踏み込み……。
「レェェェイィィィィィィ!」
「おぶっ……!?」
何者かにタックルで押し倒された。頭を打ってもおかしくない勢いと盛大な涙声も一緒に。
「ぶじでよがっだあぁぁぁぁ!」
「お姉ちゃん!?」
胸元にぐりぐりと顔を押し付けて泣きじゃくるのはレイの姉。黒髪をポニーテールに仕上げた、元気印の女の子。
弟を溺愛する片翅家の誇るブラコン。片翅諒。しかし彼女はレイを見るなり、赤く腫らした目をくわっと見開いた。
「ぐすっ、あれ? レイがお爺ちゃんになって、る?」
「僕はそれよりもなんでお姉ちゃんと父さんたちが居るのかを聞きたいよ……」
もうわけが分からなくなってフブキを見る。彼はにこにこと始終を眺めているだけだ。
マコトにこれまでの経過を説明するのには少しの時間を必要とした。
「そっかあ、《纏輪》を使えるようになると髪の色とか変わるんだねえ。それを聞いて安心したよお、レイ~」
「お姉ちゃん、人前で抱きつかれるのは恥ずかしい……」
マコトの背は長身のフブキにも劣らない。流石バスケットボールプレイヤーというべきだ。
レイを抱き枕のように後ろから絡めとり、二度と放さんとばかりに意気込んでいる。柔らかなバストと、ぴすぴすと荒い鼻息が当たっていた。
指揮者室の面々もこれにはほっこりとした微笑みを禁じえない様子。
唯一割って入れる《暴君》母は、フブキの説明を待っているようでマコトを止めず。父は父でまあいいかと納得している。
いくら待ったところでマコトの腕が緩まないわけだ。
「ご家族に来ていただいたのは、レイ君の今後を知ってもらう為です。更に加えると、《SPCT》と《SPCTRaS》の関係を含んだ話も少々したいと思っています」
《SPCT》のところでマコトの力が強まった……気がした。すぐに元に戻ったけれども。
「前置きは結構よ。私たちはレイが今どうなっているのかを聞きにここまで来たのです」
《暴君》が容赦なくフブキに突っかかる。不思議なことに悪意は篭っていない。我が母ながら面妖な人だと思う。
「母君の意見は最もです。では……まずレイ君のことですが、彼は静岡支部預かりになる予定です。要するに《SPCTRaS》正規戦闘員への配属です」
「正規戦闘員!?」
つまるところフタバやクロ、ホトリと同じく《SPCT》と命のやりとりを行う。それを承知するということ。
「つまり、レイは軍属の扱いになるんですか」
「政府の認可組織ですので……そういうことになります」
レイには、母の考えていることはよく分からない。いつも命令される側で、深く話し合うこともなかった。
ただ、レイは今まで自分の意見を真っ直ぐ伝えてきたつもりではある。その度、説き伏せられ、時にはその横暴に夢や希望を諦めさせられてきたものだ。
「レイ……」
振り替えってレイを見る母。いつものように表情は乏しい。けれど、寂しさが見えると思うのは息子としての傲慢なのだろうか。
「お母さん! 私、」
「マコトは黙っていなさい」
恐らく、レイの《SPCTRaS》入りに一番後ろ向きなのはマコトだ。だから、《暴君》は親の厳しさで牙を剥く。
レイの望みを真っ向から受けてきた《暴君》だからこそ、強制的に人外となった息子に問い掛けるのだろう。
それは、レイに甘く優しいマコトにはできないこと。
「レイは……どうしたいの? 《SPCTRaS》で……闘いたい?」
(母さんのこんな声、初めて聞いた)
本当はもっと聞きたいこともあるだろうに。母はあえて声を絞り出すように問うのだった。
「僕は、」
マコトがレイを力強く抱きしめていた。彼女は愛する弟が行ってしまうことを無意識の内に察している。
しかし、態度で示しても人の、レイの意思を止めることはできない。
「僕は、《SPCTRaS》で戦うよ」
「……っ」
「ごめん、お姉ちゃん。僕はクロやフタバさんに助けられたから、今度は僕が《SPCTRaS》で誰かを助けるよ。それに……」
レイは胸に満ちる充足感を打ち明ける。もしかしたら、フタバたちの力になりたいというのが建前になるほどに。
「僕は《纏輪》を、欲しかった翼を貰った。だから、危険でもやりたい」
優しい金色で溢れる《纏輪》ならどこまでも飛べると、レイは信じている。
人外になったことへの恐れは、ある。それを言葉にすることは出来ない。言ったら、絶対に家族総出で止められるだろうから。
(僕と同じツバサの少女も気になるんだ。でも、それは誰にも言えない)
「母さん、これでいいかな」
母の瞳を見返す。心中で《暴君》と呼ばれ続けた彼女は、いつの間にやら鉄仮面を綻ばせていた。
レイの答えを悟っていたように、淡く吐息を漏らす。
「……もう、決まっていたのね」
《暴君》に分からないはずがなかった。息子が本当に望んでいたものの正体と思いを。
幼いころから大空を翔ることを夢見ていたレイの本心。
当然、もっと言いたいことはある。事件を聞いた当初こそ、《暴君》は鉄仮面の下で怒り狂っていた。
そのあがきはここまで。
息子の一人立ちは、たった今来てしまったのだ。
「レイ」
「父さん……」
レイは半ば驚きを込めて、父を見る。母に断りなく口を出すのは珍しい。
父は、母に対して平身低頭。むしろ崇めているかもしれない。
なのに口出しをした。それは天地が割れるくらいにありえないことだと、レイは思っていたのに。
「死にたくないと思ったら、家に帰ってきなさい。それは恥ずかしいことじゃない。レイは人の子で、私と母さんの子で、家族だ。お前の原点は消えないんだ」
ああとレイは妙な納得をしてしまう。僕はこの人の息子だと。
一番大事なところで一歩を踏み出す、障害を乗り越える勇気をくれる人。
「父さん、ありがとう……それと」
頭の天辺で滴りが続いている。見ているしか、見送るしかできないマコトの涙だ。
レイは姉を仰ぎながら囁く。
「ね、父さんも言ってる。僕は帰ってこられるから。お姉ちゃんはその時に僕に笑ってくれる?」
自分でも卑怯だなと思わずにいられない。姉は弟を拒まないと分かっているから。
マコトは泣きじゃくりながらレイを自分に向けさせ、頭を撫でた。
姉は、レイの代わり様に全く動じない。髪が白くても、瞳が石灰色になっても、弟だと言って聞かない。
だから、大好きだ。
「……ぐす、レイ」
「なに、お姉ちゃん」
「レイはお姉ちゃんのこと好き?」
なんだろう、この質問は。部屋の空気が気まずい。
だが、毅然として言わなければ。
「好きだよ」
レイは逡巡の仕草もなく真顔で言い切る。この一言は杜撰だけれど、精一杯の想いを詰めた。
「わだじも、だいずぎぃぃぃぃ」
マコトは顔を涙と鼻水でクチャクチャにして、腕一杯にレイを抱き寄せる。やっぱり、姉の溺愛っぷりは本物だ。
「きっと帰ってくるよ。だって、僕がお姉ちゃんのとこに帰りたいって思うだろうから」
レイは抱擁を受けながら、周囲の目も気にせずマコトを抱きしめ返す。
本当にマコトはブラコンだ、が……。
(参った。僕も相当なシスコンだ)
だがしかし、溺愛しているのはレイも同じだったらしい。
皆さま良いお年を!
私は、年賀状を書く代わりに、筆を進めます。