第6翼 《SPCTRaS》1
いつもお読みいただきありがとうございます。
知り合いの方から指摘を貰ったので、これより何話か手直ししました。
「私の天使様が敗北したのか……!」
黒い長髪を後ろで二括りにした少女。彼女はある組織に所属する《纏輪》使い。
現政府の方針に反対する、いわばテロ組織。柔らかくいうならレジスタンス、だろうか。
整った面が仄かに歪む。それは《SPCT》が倒されたことに対してではない。
無謀にも《SPCT》に挑み、あまつさえ打ち勝った少年。自分と同じ《降臨型纏輪》を発現させた希少な男の子。
「本来ならどちらも回収したい……が」
ちらりと空を仰ぐ少女の視線の先には、《SPCTRaS》の専用ヘリが何機か見える。他支部からの増援だろう。
絶大な力を誇る《降臨型纏輪》を持つ彼女でも、多人数の相手はいただけない。戦い方次第とか、そういう問題ではない。
「これ以上は、分が悪い。引き上げるとしよう」
少女は薄らと微笑んだ。
今日は存外いいものを見られたし、これ以上何かを望むのはボロが出ると思ったのだ。
逃げるが勝ちとも言うので、潔く退散する。
「また会おう少年。今度はこちらから出向こう」
少女は期待に胸を躍らせる。
自分と同じツバサを持つ男。
振り返り様、二本の髪束が風に靡く。それらは日の光を浴びて、あたかも彼女の《纏輪》を模しているようだった。
2
「う……ん。うーん……ん?」
片翅嶺はもぞもぞと身体をよじる。ついでに寝返りを打った。
(柔らかい。そうか、家のベッドか)
滑らかな心地のシーツの上で丸くなる。薄地の掛け布団を引っ張り、中に籠ってしまった。
(保健室のベッドってこんな感じだったな……あれ、保健室? あれ!?)
「家のベッドじゃない!?」
「当たり前だ、寝坊助」
布団にくるまったまま、レイははっと覚醒した。
外界から聞こえる声には聞き覚えがある。どこかお調子節が効いた青年の声だ。
レイは恐る恐る布の端から顔だけ出した。
「クロ!」
そこには確かに見知った人物がいた。《SPCTRaS》の士官制服で着飾っているが、紛れもなくクロだ。彼は膝に頬杖をついて、ベッドの横に座っている。
「ハハ、名前を知られてるとはこの尾美烏黒も有名人の仲間入りだな」
「あ、それはフタバさんが呼んでいたのを聞いたからで……ってそうじゃないよ! ここはどこ!?」
「そう焦んなよ、片翅嶺」
わざとフルネームを言ったのだろう。クロの一言でレイはピタリと制止した。
「お前のことについて、うちの諜報科に少々調べてもらった。失礼なこととは承知している」
クロがコホンと咳払いをする。会話の間に区切り良く。
「ああ、後な。俺らが今いるここは、医療施設だから」
「そうなんだ、ありが」
「《SPCTRaS》の占有する、な」
「……今、なんて?」
可笑しい。とんでもなく突飛な一言が余計な気がした。レイは話について行くことすらできなかった。
すると、クロはやっぱりかと言いたげに頷く。
「お前は六月二十日の昼からたっぷり半日、昏睡してたんだ。それで、お前を静岡支部まで運んだのが俺たち《SPCTRaS》さ」
「は、半日!?」
そうである。レイはクロの手助けをしたくて、《SPCT》に喧嘩を売ったのだ。
それからどうなったのか。頭に余計なごちゃごちゃがつまっているようで思い出すのには時間がかかりそうだ。
「あ……ほいこれやるよ」
「鏡?」
「そうだ、うちわにでも見えたか?」
レイが渡されたのは手鏡だった。
初夏とは言えうちわは必要ないだろうと、持ち手をくるくると回し……。
「なんだ……この髪、それに目の色も……」
手鏡に映る白髪を指で挟み上げる。摘まめたということは、自分の髪なのだ。
続いて、あっかんべーの形でまなじりを吊り下げる。石灰色の虹彩が意思に応じて動くので、自分の眼球だろう。
鏡の向こうの住人に思わず挨拶しかける。だが、左右をきっちり真逆にした彼は別人でもなんでもない。鏡越しのレイ本人だった。
「驚いたか? こいつはドッキリじゃない。そして、お前は《纏輪》使いになった。昨日のことだ、思い出せ」
クロは耳に小指を突っ込みながら、丸椅子の上で胡坐をかいた。面倒臭がりな性格らしい。そして親父っぽさが滲んでいる。
「《SPCT》を拳銃で撃って」
「ふんふん」
クロがテキトーに相槌を打っている。どうやら、レイの話を聞き流している……つもりではないようだ。
再び、記憶を掘り出しに戻る。
脳みそを信じるなら、昨日クロが……。
「それから、クロがなんか凄いことして」
「凄い……なはっ……んん、続けてくれ」
語彙に乏しい感想を貰ってクロが照れる。今更顔をキリリとさせてもと、レイは苦笑いしかできなかった。
嬉しげに椅子をかたかたさせているから、イマイチ始末に困る。
「そこで突然身体の力が抜けて……背中が熱くなったと思ったら……はっ!?」
レイは真っ青になって腕を後ろに回す。ぺたぺたと触っては《SPCT》に付けられた傷を確かめているようだった。
(ある。それに、これは)
「ほんのり温かい」
暖水が滲むようで、人肌のような。例えがたい熱が患者服の下で蠢いていた。
「温かい、か。そう感じるのなら、間違いなくカタバネは《纏輪》に目覚めたんだな」
まるで最終確認とでも言いたげなクロ。対してレイは、《纏輪》という単語に目を輝かせた。
「ホント!?」
《纏輪》を呼び出してみようと、うんやらすんやら唸る。もしも《SPCT》を潰した巨翼を使えるなら、空を飛べるかもと思ってのことだ。
しかし、レイの背に金色輪は出現しない。頭痛を起こしそうなほどお願いしても、面白いくらいに無反応だった。
「出てこないよ?」
「出るわけないだろ。俺だって自力で出すのには、って話が逸れたな。……うん、とまあカタバネが《纏輪》の存在を認めたから、次に進もうか」
クロが個室病棟のドアに向けてパチンッと指を鳴らす。
「「……」」
だが、なにも起こらなかった。
「あ、あれえ? フタバさ~ん、ホトリちゃ~ん? 呼んだんだけどぉ……」
「……実はいないんじゃ」
「ぐぬっ、そんなはずは」
解せない思いで扉に手をかけたクロだが、それを邪魔する者がいた。レイではなく、外部の人間。
「まったく。始めからそうやって声をかけてくださいクロ君。何をすれば良いかわからないじゃないですか」
桃色の御髪と瞳の鳳凰寺双羽は、少しばかり困惑を宿す声音をしていた。
「ホントですよ。クロ先輩がカッコつけて指パッチンなんかするから、ウチの隊は変、なんて言われるんです」
こちらはブルーハワイ色の鮮やかな髪と目。レイの知らぬ、嶋崎畔という少女は、呆れて首を振りながら姿を見せる。
正当な文句から意味不明な罵倒まで盛り合わせたお言葉を、クロは尻餅をついて聞くことになった。
「フタバはともかく、ホトリちゃんひっでー」
「ほら、お客人の前ですから早く立って」
「お手手さんきゅー」
フタバに促され、体勢を整えるクロ。しかし、彼は椅子に座らず、隊長の後ろに急く急く付いた。
「何ですか、クロ君」
「ふふ、俺の役目は終わったからな。ここからはフタバ隊長様に任せるぜ」
「はあ」
攻勢に出にくいと判断するや否や、クロは瞬く間に一歩引く姿勢をとったのだった。
昨日の勇姿はどこへやら。
フタバの溜息で話は続く。
「まずはカタバネ君にクロ君を助けてもらったことを感謝します。ありがとうございました」
「俺からも、ありがとう」
「……うん」
フタバのお辞儀に合わせて、長座をしていたレイもぺこりと頭を下げる。ほぼほぼ自分の意思で動いていたので、身体中がむずむずするようだった。
クロは相変わらずマイペースを貫いている。最低限手を挙げるだけで済ませるのが、気楽そうな彼に似合う。
「では、私情のお話はここまでにして」
本題に入りますとフタバは場の空気を引き締めた。
「カタバネ君は昨日、《纏輪》に目覚めました。このことは先ほどクロ君から事情は聴いていると思うので省きます」
「はい」
「しかし、《纏輪》の制御には今しばらくの時間を要します。……クロ君、お願いします」
丁寧な口調の要請が飛び、クロの顔付きが変わった。
そして、右回りに展開される輪っか。
摩訶不思議な金色輪は今日も好調らしく、眩しく輝きを放っている。
「おお……」
「驚いているところ恐縮ですが、貴方もこれを使ったのですよ。このように自由に扱うには相応の訓練をしてもらう必要はありますが」
フタバも《纏輪》を両くるぶしから展開して見せる。直径十センチサイズの小ぶりの輪。それぞれちょこんと芽生えた板状の羽が可愛らしく羽ばたいた。
加えて、最奥で暇そうにしている女の子、ホトリも右手甲の《纏輪》を出していた。
「ふあっ……」
(神聖そうのにあくびの口を押さえてるし……いいのかな)
「今は当たり前のように《纏輪》を扱っていますが、元を辿れば私たち《SPCTRaS》の戦闘員も殆どは普通の人間だったのです。――貴方と同じように一般人です」
「へ?」
唐突に語られる論に、レイは昨日ぶりに間抜けな声を上げる。
「《SPCT》とは、《纏輪》とは何なのか。その答えを聞けると胸に期待を寄せていた片翅嶺。しかし! 彼が聞かされたのは、一般人が《纏輪》使いになるという驚愕の事実だった!」
「えっと、クロは何を……」
「いつものおバカが発症しただけなので、お気になさらず」
フタバはクロに一瞥もくれなかった。むしろあえて触れないことが正しい対処だと思っているようだ。
レイとしては楽しそうで何よりと言いたいところ。二人の女性がいる手前、大見得切って口に出来ないのが辛い。
(頑張れ、クロ! 僕は応援するぞ!)
だがまあ、《纏輪》の真実にも興味津々であるから、レイはあえて無関心を装う。
クロは誰にも触れられず、荒んで体育座りを決め込んでしまった。
「あ、続きをお願いします」
「そうでしたね。ええ、《纏輪》使いは一般人出が多い。これがなぜだか分かりますか、カタバネ君」
わからないと発しようとして、レイは口をつぐむ。
何を隠そう、自分自身が全てを物語っているのである。背中に宿っているはずの金色輪がその証明。
「《SPCT》に襲われる……からです」
「ご自身の実体験を良くお覚えのようで何よりです。一つ訂正すると、二十歳未満の人間が《SPCT》に襲われると《纏輪》を発現する、もしくはしやすい、でしょうね」
随分と裏のある言い方に、レイは顔をしかめた。フタバの語りではまるで。
「まるで、二十歳以上は死んでしまう……みたいな言い方ですね」
「理解が早いですね。その通りですよ」
「なんだって!?」
レイの驚きはもはや限界を越えていた。
いつの間にか復活したクロが、ホトリにパイプ椅子で殴られているのも気にならないほどだ。
「つまり、現役の《SPCTRaS》正規戦闘員で三十路に達している者は一人としていません。皆が少男少女であり、青少年らということです」
フタバが捕捉説明するに、二十歳前とその後では心的な要因が大きく関係しているという。十に達していない人間も《纏輪》に目覚めた記録はないそうだ。それについて、深く話すことは禁じられているとのこと。
「政府がこれを広言しないのは、むやみやたらに貴方のような自殺志願者や《纏輪》使いを生み出さないことを重要視しているからです」
含みのある視線と刺のある言葉がレイをいじめる。
「あ、あの」
「何ですか?」
「もしかして……怒ってます?」
「ええ、良くお分かりですね。そうですよ。私の警告を聞かず、警官さんにも迷惑をかけて、果てには《纏輪》使いになった、元一般人のカタバネ君」
次の瞬間、レイは説教という特大のカミナリを受けることになった。