第33翼 神の息吹を越えて11
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レイ、覚醒。
「世界を創ってもらう? 《SPCT》にそんな力があるはず……」
「君たちはまだ見ていない。沖縄での悪夢。かの大行進に現れたのは、ただの下級天使たちだけではなかった。二対四翼の大天使、それが三者君臨したのだ。彼らには他の天使たちとは違い、知性があり、絶大な力を誇った」
フブキの口からは、講義上の歴史と異なる真実が語られていた。
その三体は、皆一様に翼を黒く染め、堕天しきっていたという。合成獣タイプとは桁違いの重圧を放つ、人型の大天使たち。
「彼らは、《纏輪》に目覚めた私とハガネを半天使と呼んだのだ。目の前で、ハッキリと」
「ハ、話誇張しすぎだろ……俺たち《纏輪》覚醒者が半分、天使だってのかよ」
「残念ながら、すべて本当だ。そして、私たちにこうも言った」
『いずれ、この星をもらい受ける時が来よう。天使の端くれ、我が主の機嫌を損ねてくれるなよ』
言ったのは一人の大天使らしかったが、ハガネは意識を失って聞いてはいなかったそうだ。
「私は、半身に天使を宿す者として選ばれたのだ」
「何に、選ばれったって言うんですか?」
「当然、人類を選別する者としてだ」
思い上がりも甚だしいが、レイにはフブキが嘘を言っていると感じなかった。
「目が本気だぜェ……レイ」
「フタヨ? ……ん、クロ、《纏輪》が!?」
(しまった……話し過ぎた。二人とツバサの《纏輪解放》が……!)
「時間切れのようだな。どうだ、ハガネたち見捨て、ツバサを見逃すのなら、この場は収めよう」
「「「!?」」」
「それは……」
はたしてこれは虚か実か。フブキは腹を血だらけにしてもまだ戦えるという意思を絶やしていない。
それに、フブキにはまだ《纏輪解放》が残っている。
対するレイたちは、フタヨとクロが戦闘不能、ホトリが足の負傷で動けない。
詰みだ。
「それ、は……」
(ここまで来て……引き下がるしかないのか。ハガネ支部長たちを見捨てて、せっかく捕らえたツバサまで逃して)
フタヨたちの安全を第一に考えるのが、今のレイの最善。
『フタバ隊の皆さん、聞こえますか』
「スミレさん? 今は話している余裕は……」
『分かっています。貴方以外闘えないこと、ハガネ支部長の件、フブキ元支部長のお話も……そのうえで言います。フブキ元支部長を……』
「討てってんだろ、スミレさん」
『オミドリ隊員、その通りです……本部からの、伝令です」
スミレは、伝えることしかできない自分を恥じているようだった。
隊員に死んで来いと言っているのと同義なのだから。指揮者として、最大の恥辱ものなのだろう。
「は、はは。なるほど、事実を知る者は全て隠蔽か! 見ろ、これが人間の浅ましさだ。片翅嶺、君はこれでも人類に組みすると言うのか」
「確かに、僕だってこんな命令嫌です。でも、それよりも……」
ここで自分が引き下がれば、人類の敗北と同じ。《WINGs》はなおのこと過激さを増し、《SPCT》に良いようにやられるだけだ。
レイにはまだ帰る場所がある。その場所を、易々と明け渡そうなど、出来るわけがない。
「僕は、僕が人間でいるために、貴方を討つ……フブキさん」
決別の意志を込めて、レイはかつての支部長をそう呼ぶ。
「……そうか、残念だよ。私は、《纏輪》覚醒者には優しく接してきたつもりだが」
フブキは再び膝に力を込め、構える。身のすくむ視線には、もう慈悲の二文字はない。
「どうやら君たちは殺さなければいけないようだ」
レイは、爆音で脈打つ心臓の鼓動を聞いていた。
相手が元上司だから?
否、相手がフブキだからだ。
(フブキさんがフタヨたちを人質にすることを視野にいれつつ、僕自身の対処を怠らない……なんて、言葉にするだけなら簡単だ)
敵は、万全の状態同士でレイの腕を切り落とす。
それを忘れてはならない。
「ふむ、警戒するだけ無駄だ。すぐに終わる、《纏輪解放》」
「うっ! ホトリちゃん、フタヨたちを!」
「ハイです!」
フブキは勝負を決めに来た。
《纏輪》の輝きが透明感を伴う水晶色になっていく。
(これは、風? でも解放の時の吸い寄せられるような感じじゃない)
全身をくまなく叩く突風が、違和感を覚えさせる。
「なに、私の《神吹》は淑やかだ。ただ、たまに暴風となるだけさ」
今みたいにね、と気付けば懐にフブキが居た。重症の身体を引き摺って。
レイが下がろうとしても、背中に壁があるように動かない。
どうにもならない状態でフブキの拳が、無防備な腹に刺さる。
「ぐぁ!?」
「君が後退することは知っている」
《神吹》は風を知る。
これぞ風読み。
「そして君は今、巨大な風の牢獄に居る」
《神吹》は風を生む。
これぞ風興し。
(強い……強すぎる。動きが変幻自在すぎて、捉えられない!)
追撃の風に煽られて、レイは空に打ち上げられる。
フブキは、確実にレイを仕留めてから、全員を処分するつもりだ。
「死になさい」
「!?」
フブキを中心に竜巻の半径が狭まっている。レイがなんとか下を向くと、敵の掌に集中する輪開光の輝きが見えた。
急ぎ巨翼を展開しようとして、ピクリとも動かないことに気付く。自慢の《纏輪》は風力で固定されていた。
(避けれない、防げない……僕がここで落ちれば、フタヨたちも死ぬ)
視界外の仲間たちが口々に何かを叫んでいるが、暴風の中に捕らわれたレイには届かない。
強風に身体を持っていかれて青い空が見えた。
結局、夢が叶わないと思ったら、急に諦めきれなくなる。
(ああ……空を遮る、透明の板みたいに邪魔な物理法則。飛んでみたかったなあ、空)
《纏輪》に覚醒して、つい先月にフタバに、フタヨに約束した。
(僕は、人間でいたいから人間を守る。じゃあ、《纏輪》使いは?)
《纏輪》覚醒者を半天使と、フブキは言った。
ならば、半分は……人間だ。
(人と天使の垣根を越えた、越えてしまった僕は……その全てを、守る……力を!)
『それが、片翅嶺の根源』
背中の傷が、刃物で切り付けられたのだと思ってしまう程熱い。
焼き石のつぶてが背中の皮に張り付いたようだ。
レイは《纏輪》の語りを静かに聞き入っていた。
いつもは命令口調のように出せと訴えていた金色翼。
それが、今ははっきりと自分が話しかけているのだとわかる。
『高き壁を越え、険しき峰を越え、たった一枚の翅で全てを越える』
極限の時に、体内時計の感覚が引き伸ばされていく。
巨大な金色翼の囁きが、レイの自意識に同化する。
『カラダを大地に縛り付ける重力を越えたいと願う心、我が汲み取ろう。我が名は《天越》、森羅万象、数多の法に囚われぬ者なり』
その翼を束縛することは叶わない。
何物をもその羽ばたきを邪魔することは有り得ない。
レイは、その傲慢なまでの翼の名を叫ぶ。
「《纏輪解放》」
全てを覆す、一言が口から洩れる。
「飛べ《天越》ェェェェ!」
レイの《纏輪》が純白に包まれる。
その姿は、正しく片翼の天使。
白き翼をはためかせ、一心不乱に空を舞う者。
「……《纏輪解放》をした? ……ハッ、ハハハ、ハハハハハハ!」
フブキは、神々しく覚醒したレイを前に笑った。神秘を前に、手出しができなかったのだ。
レイは、空中に浮かぶ自分の身体を何とか制御することに全力を注いでいる。
「はぁ、はぁ……なんだこれ……飛んでる!?」
揚力などを全く使わずに、レイは浮遊をしていた。
トントンと、爪先を動かせば宙の大気を蹴れる。
空の大気が土砂利同然の感覚で踏める。
力も漲って、虚空を蹴ってどこまでも飛んでいけそうだ。
「それに……風がやんだ?」
風は収まっていない。その証拠に、見下ろせばフタヨたちがホトリに庇われている。
レイが立つ場所が、あたかも台風の目のようになっていた。
フブキは、《神吹》を柳に風と受け逸らすレイに呆然と問う。
「片翅嶺……君は私の風を、神が与えし試練すら越えるというのか!」
自分こそが大天使に選ばれたと思っていた。
半天使たる《纏輪》使いたちを導き、人類と半天使の試練の風となると。
「えっと……僕には試練なんてわからない。でも――」
姿勢を垂直に保ったまま、視界を塗り潰すホワイトがレイの後ろで瞬く。
「天使に世界を任せるのは、貴方が決めることじゃない! それだけは僕にも分かるッ!」
「言うじゃないか、若造! ならば越えて見せろ! その不屈の翼で、私の風を、神の息吹を!」
轟、と爆風を思わせて巻き起こる突風。フブキは《神吹》の力でレイに向かって飛んだ。
レイも一直線に降下した。
「オオオオッ!」
「風か伝わらぬ! 君は本当にそこに居ると言うのか、片翅嶺!」
これはフブキの意地だ。
フタヨたちを人質に取ることもできた。
(私は、人類と半天使を導く者! なればどうして道に反することが出来ようか!)
万感の思いを込めて、風の力を込めた拳で殴りつける。
白翼で防御したレイは、吹きつける風を越える。
試練に屈せぬ強き翼を阻むことは、誰にもできない。
「フブキィィィィ――――!」
「カタバネェェェェ――――!」
フブキはガタガタの身体で、レイと殴り合う。
頬骨が軋み、拳には肉の感触。
《天越》によって超加速した拳の方が深く届き、元支部長を務めた程の屈強な身体は吹っ飛んだ。
「おぐ!?」
「今だけで良い、限界を越えろ、僕の身体! 《天越》ェェ、輪開全光!」
潰れた拳を更に握りしめ、レイは巨大な《纏輪》を展開する。
自分の最大サイズを遥かに凌駕する円環は、《降臨型纏輪》すら眼中にない。
百を超える輪開光が制御を成されて、包囲網を構築していく。
「くっ、《神吹》ィ!」
「逃がさないッ!」
空中で起動制御するフブキを捉えどこまでも追撃する。
逃げて、撃ち落として、避けて――。
どこまで空を駆けようと、百条の白光は追いかけてくる。
「私は……世界を――!」
遂に追い付かれたフブキは、チェイスを止め輪開光を防ぎに掛かった。
「フブキさん……! 貴方が間違ってたなんて言わない、だけどその是非をあなた自身で背負ってはいけなかった!」
《神吹》と《天越》の能力が激しくぶつかり合う。
徐々に、白の輪開光が押し始めていた。
「ならば問おう、片翅嶺! 君は、その力を持って天使と相対すると言うのか!」
フブキは濃厚な敗北を兆しを手に感じ、更に叫ぶ。
レイもフブキも、身体の至る所から出血している。皮が切れ、歯茎からは血が滲む。
《纏輪解放》による超稼働が引き起こす副作用の一つだった。
「僕は……僕は! 人と天使の垣根を越えてみせる! その先の未来だって何度でも超えます、だから――!」
「!?」
「今は貴方を全力で倒します! もっとだぁぁ、《天越》!」
輪開光が次々に防御を抜く。
《天越》は防御すら越えて、フブキを貫く。
「僕の……勝ち、です。フブキさん」
離れた大地に落ち行くフブキを確認し、レイは地上に降り立つ。
動けない仲間の下へ、激痛に苛まれる体を向かわせる。
「僕、頑張ってみたよ皆」
気が抜けてにへらと笑うレイ。
「お前は、出来ることをやったんだ、レイ」
「……です。レイさんは、私たちを守ってくれたです。それで充分、です」
クロとホトリは脱力して、フォローを入れた。
フタヨは……。
「無茶……しやがって」
「泣いて、る?」
「あたりめえだ! アネキは目を覚まして内側から見てた。アネキと俺のことを守ろうとしてくれたのは嬉しい。だがな、レイ」
フタヨは抱き着きそうな距離まで来て、レイの両肩を力一杯掴む。
「命を削る境界線まで越えようなんて、自己犠牲の度が過ぎますよ、レイ君」
「……うん、ごめん。でも、これしか出来なかった」
「分かっています。分かっているから、悔しいんです」
そう絞るような鳴き声で、フタバは力の限り、レイを抱きしめる。
フタバの腕の中は温かくて、酷く安心してしまう。
「心配かけて、ごめん……なさい」
意識が遠くなる。《纏輪解放》が終わったからではなく、単純に能力を行使しすぎたせいだ。
(目が覚めたら、またベッドの上、なのかな……)
レイは、耳に届く三人の声を聞きながら意識を落とした。




