第32翼 神の息吹を越えて10
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「……ふっ!」
ツバサが消えて暫く、フブキは血の混じった唾を吐き出す。
「さあ、降参はいかがかなフブキ」
《反天》の力でフブキをころころと動かしていたハガネが、嫌らしく問い掛ける。
フブキのおかげで通信機は壊れてしまったが、今はもういい。
ここで退くことなどありえないから。
「バカを言え」
この勝負、先に《纏輪解放》をした方が不利なことは自明。
それでハガネが負けた場合、《纏輪解放》が終了した直後、最悪死亡。援軍が来るまでに戦線が崩壊しかねない。
一方のフブキは、万が一の追撃に備え、解放を温存して置かなければならない。ツバサが必ず勝利して戻ってくるとは限らないからだ。
となれば、解放せず《反天》を使えるハガネが優位を確保していることになる。
「たかが能力の半分しか発揮できていないお前に、私が白旗を振ると思っているのか」
「んー……まさか殴られ過ぎて可笑しくなったのかね」
ふらりと立ち上がる《WINGs》の首魁。
「そもそも、何故反旗を翻した。この戦い、無謀だとは思わなかったのかね?」
「無謀? 違うな、違うんだよハガネ。私がやろうとしているのは、人類と《纏輪》使いに対しての試練。そこに無謀という言葉は、はなから存在しない」
「試練、だと?」
フブキはレイピア状の剣態を解く。そして右掌の金色輪を固定。
「なんだねフブキ、その構えは」
フブキは半身の姿勢で、右手を前に出している。目も閉じている。
過去の手合わせにこんなパターンはなかった。
ハガネは首を捻ったが、警戒を怠らずに対処すれば、ハッタリは効かぬと攻撃を再開。
「フンッ」
間髪入れず《反天》を使い、フブキを後ろ向きにした。
「……ハガネ、私がお前の動きを読めないとでも?」
「!?」
ハガネが打ち出したストレートパンチを、後ろを見ずに、身体をずらして躱す。
その太い手首を取り――
「輪開全光」
ハガネの手首から先を消し飛ばした。
「ぐぬ、《反天》!」
「単調だなハガネ、お前は。まあだからこそ強くなり続けた。お前も、私もっ」
上下に身体を振ろうと、フブキにはもう通じない。
ひっくり返された体を片手で支え、後ろにいるハガネの首を脚で絡める。
「クッ、この動き……解放せずに風読みを!?」
「苦労したよ、毎日《纏輪解放》をしたからねッ」
「それは職権濫用というのだぼっ!」
そのまま抱えた頭を弧を描いて地面に叩き付ける。
細身だろうが長い時を過ごした《纏輪》使い。非尋常の膂力で、ハガネの顔面がアスファルトに突っ込んだ。
「おかげで、目を閉じれば風の声まで聞こえるようになった」
「そうかね!」
「そうさ!」
自分の身を逆転させたハガネがローキックを放つ。
それも、風の動きを読むフブキには予測が付いている。体の位置が逆転するなど、流れが不自然過ぎるのだ。
動きは丸裸に等しい。
だからフブキはそっと相手の腹部に《纏輪》を押し当てた。滑らかな風のように、ハガネの隙をすり抜けて。
それは、掌打や発勁なんて生易しい攻撃ではない。
「輪開全光」
「だと思っていたよ」
ハガネもフブキの行動を呼んでいた。きっと、止めを刺しに来るだろうと。
「ハガネ、何をする気だ!?」
「ぐふっ……貴様が私を理解しているように、私もフブキのことは理解しているつもり……だ」
ハガネは旧友に抱き着いていた。血を吐きながら、にやりと笑っていた。
「んン……相打ちにしても止めて見せると、言っただろう?」
「ハガネェ、はな」
「お返しだ、輪開全光」
フブキをハグしたまま腹の銃態を解き放つ。正真正銘の捨て身だ。
「ガアアアア!?」
レジストが成功したのは最初の十数発だけだった。後はフブキの胴体を満遍なく貫いていく。
ハガネは力の限りを込めて、輪開光を放ち続けたのだ。
「……ぐそ、ったれ」
「ん、んー、後……一歩だった、か」
根比べはフブキの勝ち。
ハガネは力尽きて、旧友に持たれかかる。
「さい、ごに……《反天》を、使わないとは、今更親友面、か」
「最後、くらい、真っ直ぐでも……良いだろう?」
支部長軍は、これで壊滅。応援が来るまでにはさらに時間が掛かるはず。
自分の同期であるハガネは、放っておいても死ぬだろう。
後は――
「……ハガネ……支部長?」
忽然と姿を消したはずの五人が現れて、フブキの風流センサーに引っかかる。
フブキは視界を広げて、通常の状態に戻る。
拘束され、意識を失っているツバサが目に映った。
「片翅嶺か、そうかツバサは君たちに負けたのか……ふふ、なるほど私の指導の賜物かな? ごほっ!?」
「アンタ、もう死に体じゃねえか。どうしてそこまで……」
フタヨは、大量の鮮血を垂れ流すフブキに、意味のない質問を投げる。
「どうして? ……それはツバサのような《纏輪》覚醒者が、差別されることのない世界に変えるため、だ」
「ツバサのような、《纏輪》覚醒者? 僕と同じ《降臨型》ということですか?」
「いや」
レイの問いに首を横に降るフブキ。
彼はツバサの意識が絶たれていることを解して、口を開く。
「ツバサは、六年前まで《SPCTRaS》本部に監禁されていた娘だ。当然、公表されてはいない事実であり、当時この事は無能なトップと現場で保護した隊員しか知り得なかった」
「監……」
「……禁!?」
その時、派遣されていた《SPCTRaS》本部隊員の中に、フブキは居た。後に《降臨型纏輪》と名付けられる少女の目撃者となったのだ。
「私は、《纏輪》使いの味方でありたかった。少なくともあの時、ツバサの話を聞かなくなる頃までは。七年前、世界最大の《纏輪》を覚醒させた彼女は、それはもう格好の研究材料として見られていた。次期が違えば、片翅嶺とてそうなっていた……」
「僕が……」
レイは手足を縄で括われ、目隠しをされて実験室に座る自分を想像してしまった。
恐怖で、少し脚が震えている。
「ツバサ……昔、天辺夕と呼ばれていた彼女は、一年間《降臨型》のデータを録るために捕獲されたのだよ、本部にね」
「それを更に、フブキ支部長が拉致したんですか?」
「拉致? それは語弊があるな。ツバサは自力で研究施設を破壊し、そしてあろうことか私が待機していた部屋に隠れたのさ」
フブキは、やつれきった天辺夕の姿を見てピンと来たそうだ。
一年前、すぐに噂すらなくなった少女だと。
「一年の歳月如きで《纏輪》覚醒者の姿は変わらない。私はすぐに、彼女が天辺夕だと気付き、匿った。何度か研究員が訪ねてきたが、全て知らん振りで通してやったさ。この事実を広められて困るのは本部だ。何せ表向きは人権のある天辺夕を監禁し、人体実験紛いの凶行をしていたのだからね」
その事件を経て一年後、フブキは《WINGs》を興した。
組織の基部を静岡にしたのは、東京都にある本部の動きを盗み見、出し抜くために丁度良い距離だったから。
《WINGs》の設立と同時に、天辺夕は新たに暮色翼と名付けられた。
「それが、ツバサの始まり……」
「そう。私が《纏輪》使いの世を、君たちが《SPCT》と呼ぶ天使たちに創って貰うことにしたワケさ」
冷徹に語るフブキの瞳は、その声音とは逆に、怒りに溢れていた。




