第3翼 片翼の纏輪3
お読みいただきありがとうございます。
基本不定期更新です。書き上がったら、随時推敲します。
天使とは天上の存在である。
レイはその程度の認識しかしていなかった。
詳しく問わられれば、もう一つや二つくらいは、何か納得の答えを出せるやもしれない。
では、なぜ大した知識と認識しかないかという疑問に答えよう。
やはり天使が空想上でしか考えられないのが一つ。加えて、現実に似通う生物体が居るなんて発想力がないのが一つ。
ともあれレイは、未知の体験と遭遇した衝撃が、体の隅々を這っていく感覚に襲われたのだ。
目の前に、ステンドグラスからくり抜いたような、片翼なれど立派な天使がいたのだから。
「さあ、お遊びは終わったぞ人共。今こそ、羽ありき者達の世だ!」
片翼を背負う少女は、声高に己が力を主張する。
興奮を押さえきれない瞳はクロを視界から外し、機能停止した《SPCT》に熱のある視線を注ぐ。
誰が見ても彼女の目は上位者を敬うものだった。
「は、頭が狂ってるやがる」
とっちめてやるとクロが息巻き、あちらとこちらの距離を縮めていく。途中、標的が懐に手を伸ばすのに気付かずに。
少女は割れ物を扱う手つきでキューブ状の物体を取り出す。
レイにはそれが人間でいうところの心臓に見えた。
「さあ、お目覚めの時間ですよ」
少女の態度は、モンスターペアレントが実子と他人を差別するのにそっくりだった。
クロが様子の変化に気づいてはっと表情を引き締める。
きっとレイも同じことを考えていたと思う。
「やめ」
「Hallo、angel」
少女は片言寄りの英語で異形に語りかける。
続き、緊急の心臓マッサージよろしく片翼の先を突き込んだ。動物の筋肉に当たるだろう、灰色の擬似物体を掻き分けて。
彼女は間をおかず、掴むソレを真新しい刺し傷に挿入する。
場所は肩甲骨のちょうど間。
そこに立方体を模したなにがしが沼地に沈むように埋まる。
途端、嫌な気配が微弱に脈を打ち始めた。
「ちっくしょう!」
クロは間に合わないと悟り、耳元の通信機を起動させた。仲間であろう少女二人に事態を知らせるために。
「こちらクロ。理由は後で話す、最大限の警戒をして避難民の誘導を急いでくれ!」
『えっ、ちょっと!?』
「話す口があったらな」というブラックジョークの一つもない。
クロは言葉をぐっと喉奥にしまう。
ついには、追伸を願っているだろう相手の声も聞かず、通信を切断した。
そして、救援信号を本部に送るボタンを押す。
「お前も早く……!」
「……!」
レイが二の句を聞き取る前に、互いに硬直した。悪魔の魔法が二人の時間を止めていた。
同時に見たくもなかった悪夢が甦る。
「モッ、オッ…………オ?」
灰色の悪魔の復活。その恐怖が、市民に伝播する。
「う、う、ああああああ!」
「どけっ、どけって!」
押し合い圧し合い。
成人男性の多く残る場だ。混乱はいとも容易く起こった。
「すまねえ、訂正する。全力で、早く逃げろ!」
暗灰色の肌がつい先刻の悲劇を思い起こさせる。灰色をベースに思い出というキャンバスに色付けていく。
クロの叱咤が、レイの痺れきった唇を動かした。
「あ、ありがとう!」
多分、そう言えたのは、これから先も過去の自分に感謝すべきことだろう。
レイが走っていく。クロは名前すら知らない。
「ありがとう……」
暴走する避難民を守る。
その中に混じるレイの姿が見えなくなくなるまで《SPCT》を足止めする。
それがクロの決めたこと。
幸い謎の《纏輪》使いはそそくさと退散している。追う必要性はあるが、そのタイミングは今じゃない。
「ふふ」
口元が若干緩む。
だがしかし、《纏輪》に込める気持ちは、冷めることも揺るぐこともない奮起。
「今日の俺は機嫌が良いぞ、化け物。相手してやるぜ」
青年の申し出に《SPCT》は「オッ」と気前のいい返答をするのだった。
レイが走り去り、クロはじりじりと近くに寄る《SPCT》と対峙する。
応援が駆け着くまで、好意的な解釈をしても三十分はかかる。どんなに楽観的に見積もってもだ。
クロの脳内感覚では圧倒的に長い四半刻である。
「かあーっ! そこは普通、美人でスタイルモデル級の女の子がお相手でしょうよ、《SPCT》さんや」
「オ」
余裕はなく、油断も出来ない。しかし、無駄口を叩くくらいは出来たようだ。
フタバたちが聞こうものなら、それがいつもの強がりだとすぐに見抜いただろう。
クロの表に出ぬ焦りが《SPCT》に伝わらなければ、触れる価値のない話だ。
そもそも《空間断裂性生物》こと《SPCT》は、《SPCTRaS》戦闘員が複数で相手取る怪物と認定されている。
その最大の理由は死亡率の低下。同時に新兵の訓練も兼ねていた。
クロとフタバの入隊から三年を経て、ようやく後輩のホトリが加わったこの頃。
現在は小規模部隊として軌道に乗りつつある時期だ。早々、命の危機というのは戴けないものがある。
「――危なっかしい隊長と可愛い後輩を放っておけねえしなあ! 死ねねえなあ!」
猛烈と駆け出したのは、やはり黒が特徴のヤンチャボーイ。
金色の円環から形成した剣態で斬りかかる。
この動作は何千回と練習した型となっていた。
「セェィッ!」
「オォ!?」
《SPCT》の肩口から腰にかけて袈裟斬りの一閃が走った。
降り下ろしに適した刀身は、抜き身の刀。スマートでいて、厚みを残したしのぎが日本刀らしさを主張している。
鞘はないのでこいくちを切る動作がない。だから、そこには殺意を感じさせる風情もない。
だが斬ることに限り、クロの剣態は他の追随を許さなかった。
「オラもう一丁!」
「オォン!」
地に足が着き、返す刃を振り上げて逆袈裟斬り。
脛から膝までをざっくりと斬られた《SPCT》の絶叫は中々様だった。
「ケッ、堅い上に汚ないねえ。トレーニング後のボディビルダーかっての」
正に偏見極まる、横暴も甚だしい一言である。
金箔をあしらったような刀身に刃紋は無い。代わりに敵の擬似肉物質でまみれている。
勝敗を左右こそしないが、金色の輝きがドブネズミ色に曇って見えるのはよろしくない。
フタバが共闘していたなら、刀身に付着する汚物を振り払う時間があっただろうに。
「ォン!」
クロの心情は仄かに場の雰囲気として匂ったらしい。
《SPCT》が吠える。
太く発達した腕がアスファルトもろとも戦闘スーツ姿の青年を押し潰そうとしていた。
「ハッ! 負け犬の遠吠か!」
(どうせなら挑発に乗ってくれ)
そう願うクロは、大きなジャンプで悪魔の一撃をするりと抜けて見せた。
《SPCT》に接触した車線の一部は音もなく吸収されている。そこには衝撃だけが響く。
焦げ茶の地表が露出していたが、今更だ。
上下逆さまになりながらの跳躍は見事に山を描いた。
通りがけに斬りつけるのかと思いきや、クロは放物線の頂点で剣態を解いてしまう。
狂いない円環を形作る《纏輪》。その姿かたちは言い訳の必要がなく銃態である。
そう、銃態。
「へへ、撃っちまうぜ」
クロは近接戦闘では飛び抜けて優の一文字を飾っている。
本人も自負するところだ。
その代償というところだろうか。銃態による遠距離戦闘はからっきしである。
こと射撃、狙撃に関して無能と言っても差し支えない。
ホトリ曰く「クロ先輩に見えているのは全て的。フレンドリーファイアが特技」らしい。
例外は、挙げるとするなら今だ。
「輪開全光!」
ホトリの五条光狙撃がスナイパーのアンチマテリアルライフル。
ならば、クロの銃態全火力攻撃は特攻覚悟のサブマシンガンだ。
左肩の《纏輪》から放射状に弾ける光線量は圧巻の一言に尽きた。
一般人には金色の何かが爆発四散しただけにしか見えない。世にも奇妙な光景だった。
言わずもがな、クロの輪開全光は《SPCT》だけを撃ち抜くわけではない。
舗装された道路は漏れなく穴だらけ。
横方面に位置するコンクリートビルの壁にさえ、その光は突き刺さる。
フタバ、ホトリの両名から不用意な使用を禁ぜられた技。だが周りに誰もいない今は使い放題。
ここから表せることは、つまりクロはノーコンということだ。
「ふーうっ」
反対側に着地を決めるクロは、軽い吐息を漏らした。
このコンボにはさしもの《SPCT》でも復帰にしばらくの時間を要する。
「ブ、オ……」
「しぶとっ!? 統括部には直撃しなかったか……はは、ホトリちゃんの言うことは聞くべきだな。よし、今度から聞いておこう」
まず間違いなく明日には忘れていそうな台詞だ。
統括部は、いわゆる人間でいう脳の働きするものである。破壊すれば、怪物と恐れられていようと一撃で機能が停止する。
ここは人間を含めた生物たちと変わらないところか。
「オォ! オッ!」
よもや痛みで呻いたわけではあるまい。
《SPCT》の重低音に近い吼えが、まるで「今から攻撃するぞ」と警告するようにクロの腹に響く。
単にクロを邪魔な障害物として見たのだ。
ほぼ全ての物質を取り込んでしまうのが彼ら《SPCT》。例外の《纏輪》使いは、何よりもうっとおしい存在である。
これは《SPCT》の持つ特性上、予定調和よりも確定的な結果だった。
「今頃騒ぎやがって……それに」
《SPCTRaS》の仕事の一環がもたらしたものでもある以上、ある意味計画通りなのだ。
すなわち身を挺して《SPCT》を食い止めることが任務に含まれている。
今回の怪物は他に比べて鈍く、被害の拡大を防ぎやすかったことも要因の一つ。
あくまで現時点の攻勢が継続できればという条件は付くが。
「再生が速い。ただの要塞タイプより性質が悪いぜ」
《SPCT》は強い。それこそ新人隊員はベテランと組まされる。
目前で傷を高速修復する化け物を見れば、それも納得だ。
クロの一撃は決定打に欠けるのだろう。
だからこそホトリの支援なりフタバの援護は必要だった。二人がいてこそ当初のスムーズさは実現されていたのだ。
「けっ、応援まで二十分以上か……まだ無茶できねえな」
今までも十二分に無茶をやっていたが、クロがそれを自覚することは無かった。
「必ず帰るぜ、ヒヨリ……おっと、死亡フラグを立てちまったぜ」
クロは右腕のブレスレットに軽い口付けを落とす。
手作りのミサンガのような編み物。注意しなければわからない地味な色合い。
それが強い自信を与えてくれるのを、彼は強く感じるのだった。