第27翼 神の息吹を越えて5
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「こ…………こは……?」
レイは、白い天井を目にした。病院かと疑ったが、それにしては建物というより、テントの中という感じだ。
首がまともに捻れないので、感覚的にしか判らないが、どうやらフタバが右手を握っているようだった。
「レイ、君?」
フタバは付き物が落ちたように、レイを見つめる。
レイもまた、視線だけをフタバに向けた。
「目が覚めた……良かった……」
「なんで、泣いてるの? 泣かないで、フタバ」
レイは辛うじて動く腕で彼女の頬を撫でる。
声が若干掠れている。レイ自身何日か水を飲んでいないのだろうか。
何がどうなったか、重たい頭で思い出す。
「クロたち……は?」
「クロ君とホトリちゃんは、別室です。私たちは今、《SPCTRaS》臨時拠点に居ます」
臨時拠点? とレイは不可思議な単語を聞いた。
そういえば、何か抜けている気がした。
この即席のテントのような場所もそれに関係しているのだろうか。
「記憶が、飛んでいるんですね? レイ君は、私が起こした水蒸気爆発から……皆を守ったんですよ。確実に逃げるためとはいえ、私もやり過ぎましたが、レイ君も無茶が過ぎます!」
「爆、発……?」
涙をこぼしながら、フタバが訴える。
ああ、とレイは全て思い出した。
フブキがレイの腕を片方斬り飛ばして、その後すぐに――。
「そうだ、フブキ支部長とツバサが……《WINGs》が」
「動かないで! まだ体が直り切ってないんです!」
無理に体を起こそうとしたレイは、フタバの強い力に押さえつけられる。組立式の白いベッドに二人して倒れ込んだ。
そこまでされて、ようやくフタバが怒っていることに気がつく。後のレイは、本当に大人しくしたものだった。
「幸い、部位欠損は四日ほどで完治しましたが、その他が栄養が足りないせいで治ってないんです」
「部位欠損……本当だ、左腕治ってる、いっつ」
確かにもう欠損はないが、火傷や骨折、打撲による全身症は残っているようだった。
加えて相当に体が怠い。壊れた身体を治すのに、エネルギーを使い果たしたのだろう。
「良かった、皆が無事で……って四日!?」
「レイ君が寝ている期間を含めると一週間は経ちました。今はこれを呑んでください」
フタバから蓋を開けたペットボトルを手渡される。テントの脇には、何日か持ちそうな量の飲料水が箱積みされていた。
レイは、それを掴んだ直後に取り落とす。ワザとではない。力が入らないのだ。
とぽとぽと水が湧いてはシーツに染みていく。
「ごめん」
「……私こそごめんなさい、一人で飲めるほどに回復してないくらい分かっていたはずなのに。口を開けてください、飲ませます」
フタバに体を起こされ、レイはミルク瓶でも飲ませられる体制となる。
この状況で拒否をすることは無かった。
力無く口を開き、レイは留飲を始める。
「温いや」
「温い方が身体には、良いですよ」
「そっか」
その後、噛む力も足りなかったレイは、途中運ばれてきた乳児食のようや粥を口にする。
文字通り命を食い繋ぐ行為だったが、フタバに口まで運んで貰うのは、有り難さと恥ずかしさが込み上げる。
レイは、更に二日ほど時間をかけて、《纏輪》を呼び出すくらいには復活した。
「皆、僕が動けなくて迷惑を掛けちゃったね」
ずいぶんとお世話になったテントの中で頭を下げる。大きくお世話になったフタバは当然として、クロやホトリも暇なときは看病をしていたからだ。
「バッカ、んなこと気にすんじゃねえよ。こっちはあの場でぶっ殺されてたかもしれねえんだ。あと、地味にフタバに殺されかけたけど」
「……すみませんでした」
「クロ、あれはもう事故だから。フタバを責めないでよ」
わーかってらー、とクロはすぐに笑顔を見せた。
どこかバツが悪そうなのは、自分が何も出来なかったことを意識しているから。
「もう生きてるだけでありがたい、です」
「それな、やっぱ命あってなんぼだ。しかしまあ、フブキの野郎とツバサには、このクロ様をコケにしたことを後悔させてやりてえけどな!」
クロは掌に拳を打ち据える。
フタバ隊の面々の中で、一番負けん気が強い彼は、いち早く報復の意思を剥き出しにした。
「今は本部からの増援組や各の支部の応援組が、《WINGs》と戦っています。外はだいぶ荒れています」
本当ならば、レイたちは今すぐに出動したかった。
だが、今はできない。
何故なら、フタバ隊がフブキに、《WINGs》に関わっていると容疑を掛けられている状態だから。
フタバが言うには事実無根ではないから怪しまれている程度で、この抗争の間は待機されられるとのこと。
テントの外には監視員がいるはずで、レイたちはこっそりと談義の最中だ。
(そんな、それじゃあただ指をくわえて見てろって言うのか!?)
フブキが《WINGs》を立ち上げた理由。
本当に人類に失望し、《SPCT》が信仰するに値するものだと言うのなら、レイは敵に回るだけだ。
そこにフブキの本音が、本心が入らなければ。
ワンサイドゲームな言い分を聞かされて終わるのは、レイの本意ではない。加えて言えば、フタバ隊の総意ではない。
「確かに今の僕たちだけじゃ外には出れない。フブキ支部長に直接会おうにも、その手段がない」
「では、どうするです?」
ホトリは少し辛そうだが、それでも戦うつもりらしい。
おっとり、保守的、内向的。時々、茶目っけが入る女の子にフブキと対立させる方が酷な話だというのに。
しっかりした娘だ。
「僕は、フブキ支部長に会って、話したい。そのために、今こっちに来ているフジミさんたちに頼んでみようと思う」
「なるほど、フジミたちなら俺達の事を信用してくれるかもしんねえ。動いてくれる可能性はある」
問題は、この身勝手な立案に彼らがどこまで手を上げるかだが、その必要はなさそうだった。
「んー! 上官の前でイケないお話をするとは、フブキの躾もなっとらんな、ハハハ!」
「ハ、ハガネ支部長……いらっしゃったのですね」
フタバはやらかしたとでも言いたげに挨拶を返す。
前にも増して豪快に笑うハガネがテントの内に入ってきていた。
その様は、いかにも抱腹絶倒といった風で、地面を転がりそうな勢いだ。
「うむ、指示が忙しくてな。こちらに出向くのが遅くなったのだ。そして、」
長野支部の長たる男は、懐の内ポケットから封筒を抜いた。
「これを君たちに上げよう!」
「……はあ」
いぶかしみながらその茶封筒を受けとるフタバ。そのまま「失礼します」と言って、ぺりぺりと糊付けをはがした。
おそるおそる摘まんで取り出した用紙に、フタバは絶句する。
「フタバ、どうした? 俺達にも見せてくれ」
「は、はい」
『《SPCTRaS》静岡支部、鳳凰寺双羽隊の指揮権を九月十六日の現時刻を持って、《SPCTRaS》長野支部支部長、斥蔵鋼に移譲する』
目を通し終わった後、数秒動きを止めるクロ。
レイも拝読してからは、しばらく呆気にとられた。
紛れもなく、この紙はレイたちの身分を、自由を証明するものだ。
「は、すげえや。おい、今日はエ、エイプリルフールかよ」
「ば、ばかだなクロは、今は九月だよ」
思わずおバカを晒すクロに、震えた声で返すレイ。ホトリは無言で目を見開いていた。
「こんな物をどうやって……いくらなんでも」
この委任状は、レイたちの行動の一切をハガネが責任を持つと断定するもの。
人がいいなんて言葉じゃ済まされない。
「ハハハ、ノーップロブレッム! そこは私の前頭筋と眼輪筋と口輪筋、あとは実績がなせる技さ!」
「ほとんど顔面の筋肉じゃねーか、脳ミソ使ってくれよハガネのオッサン!」
口では悪口を叫びつつも、クロははしゃぐのをやめない。レイだって棚からぼた餅のような展開にどうコメントしたものかわからない。
「私は若者の味方だからなぁ! それに情けない話ではあるが、この状況で戦力の出し惜しみなど出来ないのだ。相手は風吹龍一、私の同僚にして現最高峰の熟練《纏輪》使い。そして、暮色翼とほか数人の幹部も健在だ」
今、戦線は硬直を維持しているが、どちらに偏るかは分からない。
「フブキを相手にしろとは言わん、だが他の幹部……あるいはツバサなら、君たちで相手になるやもしれん!」
最後の一言でレイは、全身の体毛が震え立つ。
(そうだ、フブキ支部長の下にはツバサがいるはずだ。避けては、通れない……!)
今から私も出る、君たちの検討を祈っているぞ!と残してハガネは去った。
「僕も筋肉を付ければ、ハガネさんみたいな格好いい大人になれるのかな」
何気なくレイが口を開いた、その直後――
「レイ君、それは絶対にお勧めしないです。私、レイ君が筋トレグッズとプロテインを用意し出したら泣きます」
「私もレイさんは今のボデーが一番だと思う、です。アッ……でも筋肉あった方が抱かれ心地は良いです?」
「やめとけホトリちゃん。キモくなるだけならまだしも、ガチムチのホモみたいになったらどうする。きっとベッドに這い寄って来るぞコイツ」
「皆酷くない!?」
さて、なぜかは不明だが、皆一様にマッスルを諦めさせようとしていた。
一時間後。
出撃の準備が完了したレイを、壮絶な後悔が襲うことになるが、それはまた別の話。




