第25翼 神の息吹を越えて3
いつもお読みいただきありがとうございます。
《SPCTRaS》静岡支部は、今日も今日とて平和そのものだった。
変わったことと言えば、ヒヨリが甲斐甲斐しくクロを調教していることと、フタバが明らかにレイを意識しているくらいだろうか。
そこで一番フラストレーションが溜まるのは誰なのか。頭が回る人ならすぐに分かるだろう。
その人物は、日常通り朝食の席に着いて、矛のように鋭い言葉を放った。
「レイさん、フタバ先輩に一体何をしたのか、正直に言うです」
「「ぶっ!?」」
サファイアのような鮮やかな瞳で、じっとりと疑いに濡れた視線を向けるのはホトリ。いつもジト目の彼女は、また一段と瞼を垂れさせて呟いた。
クロは、彼女と離れた席でよろしくやっているので、こちらの騒ぎには気付いていない。
「その反応……怪しいです」
「あ、怪しくないです!」
(フタバ、君がそれを言ったら逆効果……)
「怪しい、でーす」
「だ、大体どこが怪しいんですか、ホトリちゃん」
またも地雷を踏み抜いてくスタイルを見せつけるフタバ。どうしてこうも真面目なのだろうか。
(そこがいいんだけどさ……)
内心を吐露するなら、レイは《纏輪》に目覚めた日に、フタバに魅かれていた。一目惚れほどの強烈さではないにしろ、憧れの一つになっていたことは否定しない。
それが入隊直後から長野遠征を経て、遅蒔きながら形となって表れてしまっただけの話。
遠征の帰りにした、フタヨに関する会話が最大の要因であることは疑いようがない。
「まず遠征帰り直後から距離が近いのです。三十センチは縮まっているです」
「う……」
(なんでそこまで見てるの……)
「あとやたらと見つめ合ってるのです、バレバレなのです」
「ぐ……」
(なんでそこまで見てるの……?)
「決定的なのはそこまで不自然なのに、フタヨ先輩が顔を出さないことです。これはもうお二人の仲を認めているとしか思えないのです」
「あうふ!?」
(なんでそこまで分かるの!?)
レイが敢えて何も聞かずにいた案件を、ホトリはどでかいハンマーでもって叩き割ってくれた。
情けなくフタバが崩れ落ちる。その傍でレイは、これはフタヨが心配するわけだとえも言えぬ感傷に浸るのだった。
「ホトリちゃん……もうフタバが」
レイは、見るに堪えなくなったフタバの肩に手を置く。
こんな時に限って、フタヨはリアクションを起こさない。
当然と言えばその通りだ。
フタヨはフタバにできない、または否定したいことに対して行動を起こす。それはつまり、ホトリの指摘が正しいことを如実に語っていた。
「私、最近蚊帳の外です」
「今日も目の前で寝落ちてたけどね、毎回焦るんだから」
「それ程でもないですぅ」
「笑顔は素晴らしいけど、壁に頭を打つところだったのは忘れないでね……」
その後、どうにかしてフタバを復活させ、朝食を終えた。
レイは、いつでもどこでも食べる癖がついた、ジューシーな唐揚げを頬張り、白くきめ細かい粒で誘惑して来るご飯をかっ喰らうだけだ。
《纏輪》使いには栄養もクソもない。静岡支部の変人代表、渋実涼花が、夢も希望もなく説明した講義の一つだ。
食べた端からエネルギーと身体の損傷の補修に回しているのだとか。使わない物質はないということだ、エコノミーな身体である。
ただ《纏輪》使いにも味覚はある、ということは忘れないでほしい。
「まあ、フタバ先輩もレイさんもハッキリさせた方がいいです。でないと、クロ先輩はともかく、私はどうしたものかわからないのです。お二人も、良く分からないままもやもやするのではないです?」
年下の子に諭されている。
女と男の違いかと考えるレイだったが、フタバを思い出して速攻でその意見を取り下げた。
ともあれ、胸に引っかかるものがあるのは否定のしようが無かった。
「しっかりしろよフタバー。今のお前、解放なきゃレイに負けるかもしんねーぞ。つってもレイも若干動きが鈍いかんな、イチャつくのもほどほどにしろよ」
「ごめんなさい、クロ君」
午後の訓練では、身が入ってないとクロに叱られた。
あのクロにである。
現在進行形で色ボケしてそうなクロにだ。これが女に本気で惚れた男の違いという奴だろう。
「次は、ホトリちゃんなー」
「はいデス」
早々に約束組手を含めた試合を始める二人。
ホトリと入れ替わりで戻ってきたフタバは、レイの隣にぺたんとお尻を着けた。
離れて休んだっていいはずなのに。
組手試合をぼうっと眺めた後、フタバは硬い声音で話を始めた。
「レイ君」
「なに、フタバ」
レイはフタバの顔を見ていない。
今見たら、絶対に何も言えなくなる。
多分緊張で口が開かなくなる。
「実は……」
その日の夜、支部の最上階で、レイはベンチに腰を掛けていた。
上を見上げれば、夜空が窺える。
最上階のドーム状バルコニーは意外と広く、庭園としても人気の場所だ。
だというのに人がいないのは、レイが来た瞬間に顔をしかめて出ていったから。
吹き抜けの作られた構造が、夜風を通して風呂上がりのレイを攻める。
「まだかな……」
話がある。
訓練の後、お互いにそう告げたときは、酷くどぎまぎしたものだ。
レイも覚悟を決めてやってきた。
今日、この場で言えることは、全て吐き出してしまいたい。
「お待たせ、しました」
「あ、えっと。待ってないよ」
本当は三十分も前に来ているが、フタバに気づかれることはないだろう。
《纏輪》覚醒者は外的要因で体の温度が下がりにくいから、触れられたとしても悟られづらい。
「手、失礼しますね」
そんな意味もない自信を見抜いたのか、フタバは両手でレイの掌を包んだ。
「まだまだですね。《纏輪》使い同士だと、こういうところは誤魔化せないですよ?」
「う……」
フタバは申し訳なさそうに、でも嬉しそうに微笑んでレイの隣に座った。
「ち、近くない?」
肩がピッタリくっつくほど側に寄られると、嫌でもフタバを意識してしまう。
「これくらい近くないと、言いたいこと言えないですよ」
「は……そう、なんだ」
表情筋やらが緩みきって気の抜けた声が出る。
フタバも入浴してきたのだろう。ほんのりとしたピンクローズの甘い香りが、レイの鼻孔をくすぐる。
(ダメだ、いつもみたいに言葉が出ない)
「あ、あの。フタバはさ……」
レイはの口がそっと掌で抑えられる。
「私だけでなく、フタヨちゃんもレイ君を気にしているみたいですね」
「へ!? ああうん」
(気にしている、か。そっか)
ある種の期待をしていたレイも悪いが、それにしても空回りした会話。
爆弾を投下したのは、フタバからだった。
「私、レイ君が好きです」
「ああ僕も………………」
(…………………………好きってなんだ? 好き、好きスキスキ)
「…………!」
ぞわりと今までにない感情の波がレイを襲う。
ベンチに座っていられずに、レイの膝が跳ね上がった。
「あ、いやその僕も気持ちは同じっていうか、えと、むしろなんていうか好きっていうか、その……」
自分で自分の言っていることが分からない。
もう行けるところまで行ってしまえと、覚悟を決めた一時間前の自分がレイを後押しした。
「ぼ、僕は飾らないフタバと優しいフタヨが、どっちも好きだ!」
「……」
(言ってしまった、しかもつい変なことまで……)
ちょこんとベンチに座るフタバは、黙ってレイの告白を聞いていた。
そして、思わず噴き出した。
「ごめんなさい、でも私の中でフタヨちゃんがびっくりしているもので」
「え……あ、ああ!?」
フタバとフタヨは繋がっている。
今の一通りの告白は、全てフタヨにも届いていた。
「フタヨちゃんからも話があるそうです。いいですか?」
フタヨから話がある。それだけで、レイは頷いた。
「ありがとうございます」
目を閉じた次の瞬間、フタバの意識は奥へと引っ込み、フタヨに身体を明け渡した。
キリリと目尻を吊り上げ気味になった……と思いきや、フタヨは急にベンチでもじもじしだした。
「お、おう、シロ助」
「え、ホントにフタヨ?」
もしかするとフタバよりも顔を赤いんじゃないかと思うレイ。
自分は第三者だと思い切っていたフタヨに、突然「好きだ」なんて言って何も感じない方が稀有か。
「なんでお前、俺まで好きなんて言うんだよ。そりゃ、お前みたいに真っ直ぐな奴がアネキとくっつけば良いかなって思って、今までベタベタしてきた俺も悪いけどよ」
この証言からすると、フタヨが入れ替わりのタイミングを意図的に弄っていた、ということで間違いなさそうだった。
「だってフタヨはいつも凄い横柄だけど、それはフタバのことを第一に考えてのことでしょ」
「何言ってんだよ!? んなわけないだろ!」
フタヨはますます真っ赤になって、レイから顔を背ける。
どうやら褒められることに慣れてないらしい彼女に、ダメ押しのもう一言。
「いいや、そうだよ。僕はそんな二人が好きなんだ」
「なんだよ……それ。俺なんて……アネキの裏方の居候で、アネキの恋路にちょっかい出すし」
(フタバが自分を責めているのはこれが原因か……?)
フタヨは姉に対して良い子なのだ。
だから、フタバがいくらフタバ自身を責めてもそのフォローに回ろうとする。
自分を貶めたり、他人に強く当たったりする。
(なんでなんだ、それはおかしいじゃないか!)
フタバは自分がフタヨを殺して全てを奪ったと言う。
フタヨは自分が今のフタバにとってのお節介な存在だと言う。
その勘違いの連鎖は、今ここでレイが絶つ。
「僕の前に出た時点で、もう裏方の居候じゃないんだよフタヨ。僕は、フタヨがフタバを心から大切に思うところが好きだ。それをフタヨが否定しないで、お願いだから」
「シロ助……」
「そのシロ助も今日限りでやめて、レイってフタヨらしく呼んでくれる?」
レイは彼女たちが二人で一人なんて、よく言うありがちなことを思いたくない。
フタバはフタバ、フタヨはフタヨだ。
だからレイは、二人を好きになった。
「レ……ぃ」
良く聞こえないくらいの声でフタヨが呼びかける。
「もっと!」
がっつく男と笑われても良い。ただ、今はフタヨのその一言が聞きたい。
そして、ついにフタヨがキレた。というより我慢の限界を過ぎて爆発した。
「……レイ! レイ、レイレイレイレイ! もうこれでいいだろ!? いいよ、俺はお前のことが好きだよ! もう帰る!」
帰るってどこに。
そう尋ねる暇もなく、フタヨは去った。
後に残ったのは、更に人格の切り替わったフタバだ。
「あの、えーと」
「フタヨちゃん、すごく嬉しい気持ちになってます。レイ君が自分を強く肯定してくれたと。私以外の人に存在の全肯定をされたことが嬉しくて嬉しくて、もうどうしようもないんです」
フタバも今のやりとりを聞いていたのだ。
若干の居づらさはあるものの、しっかりとレイに笑顔を向けてくれている。
フタヨもレイを見ているのだろうか。
「今日からよろしくお願いいたしますね」
鳳凰寺の双子が微笑んだ。
植物と星空だけが主張する空間。
そこには翅を仕舞った天使たちだけが居た。
*
ホトリは不満をぷーぷーと言い、ヒヨリが実家に帰り、一週間が過ぎた頃、《SPCTRaS》静岡支部は強襲を受ける。
それは、束の間の平和を引き裂く堕天の片翼を持つ少女。
憤怒と狂笑を浮かべるツバサ、そしてその主が遂に人類へのアクションを開始したのだった。




