第24翼 神の息吹を越えて2
いつもお読みいただきありがとうございます。
『とっても可愛くて綺麗な方ですう』
ホトリが前にそう言ったように、ヒヨリはとても淑やかだ。
手足はほっそりしているし、立ち姿はなんとやら。
雰囲気だけは。
クロがのされているのを目撃して、過去のホトリの賛辞は吹き飛んでしまった。
「えっと、えっと……クロにはお世話になってます」
「存じています。俺よりヤンチャな奴だーって、いつも通話越しに聞かされているので」
「あ、やっぱりもっと懲らしめて下さい」
「んん、んぐんぐ!?」
クロはそりゃないぜと言いそうだったが、ヤンチャ呼ばわりはいただけないのだ。
そもそもレイは、最初と昨日以外で無茶した覚えはないのに。
人はそれを無茶する人間だと評価するだろうが、レイの頭はそこまで客観的に物事を見れなかった。
「だそうですよ、クロ。デートなんて、一年くらい久しいかしら? 場所は人目が少なくて、クロのだーい好きな女子トイレにしましょ。ああ、もちろん個室よ」
「……!? んー、んー!」
「緊急招集に遅れない程度にしとけよ。おう、これはロープだ、首にでも引っかけとけ」
「ありがとうございます、フタヨ」
(あはは、女の人って怖いや)
さっさと縄にかけられたクロには、同情の念を禁じえない。
レイにも彼女が居たらこんな感じだったのかもしれない。
だとしても、もし綺麗な女性が自分を好いてくれたとしても、クロの二の舞は避けようと心に刻んだ。
「レイさんがお土産持ってるです」
「あ、うん。これお菓子」
ホトリは普段ぽうっとしているのに、こういう時は目敏かった。
(売店のお姉さん、君ら食べるの? って感じの顔だったな……はあ、辛い)
「サンキュー、シロ助。これ食い終わったら、仕事だ仕事」
フタヨは特に気にすることもなく、レイの買ったお菓子の包みを開ける。
クロはヒヨリに連れていかれてしまったし、大容量のスナック菓子から三人で摘まんだ。
そうしてお日様が上に来るまで待ち、二度目のパトロールが始まる。
クロは、なんだか微妙に赤面していた。ヒヨリが何かしたには違いないが、それを聞くのは憚られる。
誰だって地雷は踏み抜きたくない。
昨日の今日で、反省点を踏まえようとフジミから打診があった。
ツーマンセルでは不安があると言われては、レイに反論できようもない。
「それで、なんでテメーなんだミヒロ」
「お久し振りでございます、フタヨ様。フジミ氏にお願いしたところ、気分よく頷かれたので参りました」
「私も着いて来ちゃったっす!」
「あんの紫……」
手綱を握れなさそうな三人が固まったわけだが、ひとまず一行は歩きだした。
昨日と同じコースを歩けば、《SPCT》から被害を受けた市街を散策することもしばしば。
「ねえ、ミヒロさん」
「なんでしょう、カタバネ氏」
無表情ながら、どこか柔らかな声音で返すミヒロ。
彼の進む位置は常にフタヨの三歩後ろだ。
「フタヨっていつからこんな感じなの?」
「こんな感じとは……つまり横暴、馬鹿正直、美しいが揃った三拍子のことですね。ええ、当時から崇拝しております」
「おい聞こえてんぞミヒロ!」
最後以外暴言しか無い。この清々しさは、ミヒロだから成り立っているのだろう。
でなければ、フタヨが一言ツッコむだけで、手を拱いていること自体がおかしい。
フタヨならもっと、「おいツラ貸せや」くらい口にしても良いはずだ。
「それにしても、《WINGs》の畜生共がまた仕掛けてもよさそうですが……見事に白けていますね。まあ、復旧作業の場に堂々と現れるのも非合理的ですか。そう思われませんか、フタヨ様」
「あ? ああ、そうだな!」
「絶対に理解していないのに頷くところも素晴らしいですよ、フタヨ様」
「あ!?」
完全に弄られ、遊ばれているが、これはこれでフタヨとミヒロは仲が良いらしい。
切り替わる人格に伴って、扱いを変える。それもある程度のリスペクトがある。
この姉妹の取り扱いにかけては、ミヒロが群を抜いてプロだろう。アマチュアなんて聞いたことは無いけれど。
「ミヒロ先輩は色々変っすから」
「それでいいんだ」
「いいんすよー」
コズエは天然の気が強く、笑顔の質がクロに似ている。結構、自然体で接することができる相手だ。
ははは、と笑っているとフタヨの飛び蹴りが腹に当たった。
「な、なんで……」
「早く助けろ!」
(そんな無茶な。でも慌ててるフタヨは可愛いかも……痛いけど)
そんな風に考えて過ごせるほど、初日以降の長野遠征では、不自然な平和を満喫出来たのだった。
*
何週間過ぎただろうか。
レイがそう言ったら、我らが部隊長、鳳凰寺双羽は「一ヶ月と十日ですね」と事も無く答えた。
今日は、遂に長野の地と別れを告げる。
たまの休みに上高地へ行ってみたりしたが、本当なら人間だったころの貧弱な身体で達成したかった。これは贅沢な望みか。
山の頂というのは、息を吐かせぬほどに美しいと思い知るレイだった。
「んー、四十一日間よく頑張ってくれた! 長野の自然は君たちを成長させたかい!?」
「支部長うるさいです。せっかくなのでと連れてきましたが、やはり支部長室に引っ込んでいてもらえないでしょうか」
指揮者、深山澄玲は出来る女だ。
だが、ハガネを止めるのは難しい模様。
筋肉も上機嫌に蠢いている。
「お世話になりました、ハガネ支部長。帰還の折りには、フブキ支部長に遠征成功の旨をお伝えします」
「うむ、ありがとう。ああ、それとカタバネ君」
「はい!」
フタバの後ろに横一列の中で棒立ちしていたレイは、とっさに大きな返事で応えた。
ハガネの背後には、フジミを含める長野常駐メンバーの四人が整列している。
「君の啖呵はとても元気があってよろしかったぞ、ではアディオス!」
「恥ずかしいので、それは言わないでください!」
出立のときでさえ、この有り様。
レイたちが涙を見せるようなことはなかった。
鳳凰寺教の宣教師、ミヒロだけは滂沱の涙を流していた。
帰りもワゴン車に乗っての移動だったが、前と違うところが一つある。
新たな旅の仲間が加わったというか、ヒヨリが付いてきた。もともと一人旅だと言うので問題は無いらしい。
今は二人でイチャつき始めていて、クロは膝枕を受けていた。
「膝枕は恥ずかしいんじゃなかったの?」
「それはそれ、これはこれだ」
レイは多少の嫌味を込めて言うが、クロはのほほんとしたものだった。
「ぐう……」
(もう眠ったし)
「まあいいんじゃないですか? お仕置きはもう済んでいるようですし。それにレイ君は私と前に座っているせいで気が付いてないと思いますが、後ろは皆寝ちゃってますよ」
「わ、ホントだ」
運転席と後部座席を、ブラインドのかかった黒い板が仕切っている。その座席の先頭がレイとフタバの座る場所。
その更に後ろにはすーすーと寝息を立てる三人の姿がある。
「よほど疲れていたんでしょうね。特に、ホトリちゃんなんて《纏輪》に覚醒したのが十五の時ですから、体力的にも精神的にもきついものがあるでしょう。一応レイ君の方が年上ですしね」
「そうだね」
「レイ君も寝たくなったら寝ていいんですよ」
フタバはにっこりと、休むように進言している。
レイはその態度に沿わせる様にそれとなく断った。
背もたれに体重をかけて伸びをするほどには、疲れてはいるけれども。
「僕はもうちょっと……フタバと話していたい、かも」
「話、ですか?」
この部隊長様は真面目だから、きっと今からする最低な質問にも答えてしまうかもしれない。
「うん。と言っても、悪いんだけどフタヨについて知りたいんだ」
「フタヨちゃんですか……」
フタバの妹、鳳凰寺双葉。本人もフタバをアネキと呼んでいる。
二重人格である、元は一人の意思同士。その間で疎通ができて、なおかつ姉妹と言う。そして、そのことをフタバとフタヨは、解った上で二重人格として受け入れている。
口に出さず、敢えて考えないようにしながら、レイはずっと聞きたかった。
「……」
「嫌なら、言わなくていいよ」
個人の事情に深入りするなんて、高校生活を送っていた頃はあり得ないことだった。
《纏輪》に目覚めた今になって、人間としての本性を曝け出す。なんてアホらしいんだと自分を卑下せずにはいられない。
「いえ、今はレイ君と二人きりですし、せっかくなので私の事情、受け取ってもらいます」
全部受け止めると言ったのはレイ君ですよと、フタバは妖しく微笑んだ。
「フタヨちゃんは正真正銘私の妹です」
「それは、信じるよ」
でなければ、レイは話題を持ち出したりしなかった。
「それでですね。私の家はそこそこ裕福な家庭で、両親は普通の人たちだったそうです」
「だった、そうです……?」
「両親とも他界してしまいまして」
うっと息が詰まった。レイは、そこから先何も言えない。
「私の母は、一卵性双生児を出産の予定だったんですが……これが良くなかったんです。最もリスクの高いタイプの妊娠をした結果、妊娠経過のトラブルでバニシングツインという現象を起こしたそうです」
後に成長したフタバが、ドクターから聞かされたのだろう。当然のことながら、そういった妊娠の場合、十分な警戒が成されている。
それでもダメだったのなら、もう現実を受け止めるしかない。
「そして、フタヨちゃんから全てを奪い、誕生したのが私です」
双子の片割れが早期流産をしてしまうことで起きる現象らしい。予防法も確立されておらず、また、赤ん坊の遺体は母体に吸収されてしまうそうだ。
だが、それで奪ったというのはどうなのだろう。
「私の出産時、体力のない母は、早産によってその場で亡くなりました。私は母の顔を写真でしか知りません。父は私に、二人分の羽を持った人間になってほしいと願って、『双羽』と名付けたそうです」
前半、フタバの声に感情があまり籠っていないのは、母に対する感情が薄すぎるせいなのか。
想えば、レイと《暴君》の絡みに、これといった反応は示していなかった。
レイが鈍過ぎたのか、それともそこで何かを察するべきだったのか。
「父は、私が中学校に上がるとじきに狂っていきました。私に、写真の中の母の面影が出てきてしまったからでしょう。仕事もそのころには辞職し、介護が必要なくらいの鬱病を発してしまいました」
「鬱病ってよく聞くけど……もしかして……」
「自殺ではないですよ。幸いと言っていいんでしょうか、そこまではいかなかったんです。でも悪夢は終わりませんでした」
むしろフタバの父は、男手一つでフタバをよく育て上げたと評価できる。最も悲しい結末は避けられたのだろう。
しかしその数年後、フタバの父は天に召された。
「私の出身は愛知県なのですが、三年と少し前、《SPCT》が現れました
」
「知ってる、沖縄、北海道の両極端に現れた《SPCT》の次に、大規模な襲撃だったって講義で……」
フタバが妙に黙っていた時だったとレイは記憶している。
「はい。その数は十を超し、父の入院していた医院はスタッフ、患者含めてほぼ即死。病院の中庭で瓦礫に脚を潰されて、動けなくなっただけの私は、両足を《SPCT》に触れられました。瓦礫にしか興味が無かったあちらからすれば、意図せぬことだったでしょう」
そこで《纏輪》、今は《候空》と呼ぶ彼女の《双纏輪》が目覚めた。
「レイ君も体験したとは思いますが、《纏輪》は想いを汲み取ります」
「うん、分かるよ」
レイの場合、それは青い空を飛びたいというものだった。
「私はその時……最低なことに、全ての元凶、バニシングツインが無ければよかったのにと思ってしまったんです。いえその時だけではないです、ずっと私の中に在った本心だったんです。生まれるはずだった妹から命も両親も奪ったくせにぬけぬけと……」
彼女の声には涙が滲んでいる。
耐えられなくなったのか、頬には一筋の濡れ跡があった。
「そして、《纏輪》と共に私の中にもう一つ自我が芽生えました」
「その自我が……フタヨ、なんだね」
懺悔のように涙しながら、彼女はすすり泣いていた。
生まれる以前に摘み取られ、時を経て、再び芽生えた人格。それが鳳凰寺双葉。
フタバの妹で、目を出すはずだったもう一人の彼女。
「その日から、幻聴のようにフタヨちゃんの声が聞こえるようになりました。最初掛けられた言葉に、私は発狂しそうになりました」
『これまで何も出来ずに済まなかった』
「謝るのは私の方なのに、それでもフタヨちゃんは……フタヨちゃんは…………」
続きの言葉は意味不明で、滅茶苦茶で、支離滅裂だった。ただどうにもならない悲しみだけをぶつける。
そのうち、力尽きてレイに体を預けてしまうまで、彼女はずっとフタヨに謝り続けていた。




