第22翼 動き出す天使たち9
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ゾウとテナガザルの合成獣を相手にするのは、フジミとその傘下にあるチヅル、ミヒロ、コズエ。それともう一人、漆黒の直毛を乱して戦う似非サムライボーイ、クロが加わった五人である。
「それで、トドメは期待の新人が持っていくと」
「ああ、これ以上の《纏輪解放》はやめてほしいんだと。スミレちゃんが言ってた」
「なるほど、確かに俺とクロの二人が万全の態勢でいられる方が良い。かの《降臨型》の一撃、特と見せてもらう」
『オミドリ隊員。次、私をちゃん付けで呼んだら減俸ですよ。気を付けてください』
「い、いえっさー……」
見た目ちんちくりんな小僧でも、軍属の戦闘員であり、新人種だ。下手な大企業勤めをするよりも大きい額を貰っている。
《纏輪》使いになってからというもの、三大欲求と元々の趣味以外に興味を示さなくなった身だが、減俸は嫌だ。
ちゃらんぽらんとした性格のクロではあるが、実年齢は十九である。外年齢からは想像がつかないだろう。愛しの彼女との将来を考えている彼は、貯金を怠っていない。
(親も友達も俺のことなんざ縁切りした。人外の俺を見捨ててよかったはずのヒヨリだ。俺のバカで、幸せを逃しちゃいけねえからな)
しかし、親しい女の子への覗きはしてしまう、悲しい男の性も持っているのだった。
「よし、打ち合わせは終わりだ。俺たちも戦列に加わるぞ!」
「チヅルたちに頼りきりは、格好も悪いかんな!」
二年前の遠征は、未熟者だった頃のフタバとクロの心残りだ。《纏輪》覚醒者となったコズエがその結果である。
そのコズエに活躍されては、クロとしても立つ瀬が無い。ここはプライドの問題か。
レイはどうかと言われると、彼の場合は自業自得の面があるし、本人が《纏輪》を受け入れている。それが、この一ヶ月でよく伝わっていて、センチな感情面に流れないのだ。
『カタバネ隊員の配備予測時間は残り八十秒。藤見人丞隊とオミドリ隊員は、可能な限り指定大型ビルの真下へと特殊歩行タイプ《SPCT》の誘導をしてください』
指揮者の口頭にフジミは、十層は超えるオフィスビルを見上げる。
(あそこからの大質量攻撃で押し潰すつもりか)
「こちらフジミ、作戦に異論はない。こちらもできる限りの対応はするが、その許可は下りるか、指揮者ミヤマ」
『許可します……支部長何をなされているんですか』
スミレは特に思い入れることもなく淡白に告げた。ついでに、どういうわけか支部長ハガネの声も届く。
『んー、フジミ部隊長! アレを使いたまえ、私が伝授しただろう? 君ならば半分くらいの性能は発揮できるはずだ、ではアディオス!』
ハガネは好奇心をくすぐすような一言で、その場を締めくくった。
「というわけだ、クロ」
「おいおい、気になるじゃん。俄然興味あるし、こりゃ気合の入れようがあるってもん、だっ!」
纏輪刀を雄々しく振りかざし、《SPCT》目掛けて突っ走る。
「このクロ様と《天絶》に絶てねえもんはねえ!」
「ブモ、ビュモッ」
定例句となったソレを、自身への鼓舞として奉納する。
《SPCT》が鼻穴から腐った廃液のような汁を飛ばしたが、クロには当たらない。機動力に差がありすぎるのだ。
「《纏輪刀一式・月》」
「わ!? クロ先輩!?」
一瞬にして最大の速度。靴底に起きた驚異的な圧力が、アスファルトを木端も同然に弾き飛ばした。
前に出て奮闘するコズエと必死に抗う《SPCT》の間を、黒と金のコントラストが駆け抜ける。クロの剣態、纏輪刀は金色の軌跡を描いて、異形に一太刀分の傷を残す。
「ブモ……?」
首が太すぎて捻るに捻られないのだろう。
鋭い痛みと僅かな衝撃が走った右の触腕の切り口は、飢狼に食われたのかと思うほどズタボロにされていた。疑似筋肉の繊維が命綱を表すように、肩先にぶら下がっている。
根元から千切られた触腕は、怠惰を極めると言わんばかりに、路上に放り出されていた。
「ゴチ」
舌舐めずりして纏輪刀を空斬りすると、灰色の肉片が路面に汚い芸術を作る。
「ブモォ!」
思考が何巡か遅れていた《SPCT》は、触腕を奪った下狼を振り替える。
それすらフジミには、計算されていた。
「長野観光はもういいのか? そっちは静岡だぞ?」
「ブギィィィィ!?」
逆側の触腕はバラバラに寸断される。これで達磨まであと一歩。
「ひゅう……」
(動きが見えなかった……フジミの《纏輪》が異様に活性化しているのが原因か?)
フジミの《纏輪》からは多量の金粒子が舞い、紫陽花色の髪と瞳すら凛とした微光を湛えていた。
理屈は露ほども理解できないが、アレが今後の戦況をひっくり返せるものだということだけはクロでも分かる。
「そんなんじゃバランスも取れないだろう。お前はもう詰んでいる」
弱弱しく立つのがやっとな、象面の《SPCT》。再生能力はそこそこ高いようだが、ダメージが回復量を塗り潰した。ゲージに直せば、既にヒットポイントはレッドゾーンの領域だ。
そこに真打の追い撃ちで劇的に畳みかけるまでが、平和を乱した茶番劇に対する報復である。
「いっけえ、レイ!」
「おっけい、クロォォォォォォ!」
ビルの最上階、その古い、錆びの鉄臭さがするだろうフェンスを乗り越えて、レイが落ちていく。
大音量の羽ばたきが聞こえそうなほどに、彼の翼は見上げる空を覆いつくしていた。
「巨翼鎚ァァァァ!」
「ブモォォォォ、ブギッ!?」
反撃の劇毒を鼻先に集中する。
しかし、
「無粋ね、諦めてお縄につきなさいな」
「フタバ様の認めた者の邪魔はさせません」
チヅルとミヒロが輪開光を解き放ち、《SPCT》を地面に縫い付ける。
黄昏の空に僅かに残る淡い影が、二人の《纏輪》使いと異界の天使を繋いだ。輪開光の影は、仄暗い地面に薄いアーチを描いていた。
「レェッツ・キィル・ジィ・エェンジェルズゥゥゥゥッ!」
「ブ、モ……」
その鬼気迫る啖呵に、《SPCT》は最期に空を見上げようとしたが、異形を出迎えたのは金色翼の眩さだけだった。
象牙も立派な耳翼も、跡形もなくひき肉になった《SPCT》。
(これが……これで覚醒して一ヶ月の《纏輪》使い?)
「凄まじいな……これが《降臨型》、片翅嶺か」
《纏輪》の直径、金色翼の全長、覚醒者本人の伸び代。その全てを統合して、総評する。
「だろ、俺も抜かれそうでいつも冷や冷やだ。特化すりゃいいとか、器量良く立ち回ればいいとか、綺麗事は幾らでも言えるけどよ。レイが手にした力ってのは、そんなもんを粉々に砕いちまうのさ」
クロは寂しそうに、藍より出でて藍より青しかな思う。次世代を担うエースは、いつだって唐突に頭角を現していく。颯爽と横を抜かされるのは、世の常ということだ。
「悲嘆することも無いだろう。俺たちが《纏輪》に目覚めたのには、確固とした前提がある。《纏輪解放》に漕ぎつけたクロなら、分かるだろう?」
「……そうだな。俺が俺らしく生きるため、そのための《纏輪》だ」
「おーい、何話してるの?」
《纏輪》をしまったレイが、クロとフジミに笑顔で呼びかける。
後ろでは、フジミを除いた他三人が事後の処理に当たっていた。
「おめーは反則級だって話だ。いいから肩貸せよ、疲れたわ」
「え、ちょっと気になる。あと重い!」
後ろ首に腕を回したクロは、ずしりとレイに身体を任せた。
(頼り頼られ、まあいいんじゃねえの)
「あ、フタバ……それ!?」
「フタバ様、お身体は宜しいのですか!?」
ホトリに付き添われて、フタバがよろよろと足を運んでいた。まだ一時間は経っていないはずだが、動いてよいのだろうか。
美しい光沢があったピンク色の御櫛は、胸が締め付けられる程萎れて見える。
髪と瞳の虹彩は、日本人特有の黒髪と茶が混じったものに変わっていた。
「アレが俺たちの最も恐れる事態だ、分かるだろう?」
「迂闊に使えば、ああなる。体から力は抜けるし、《纏輪》使いとしての能力も極限まで低下する。よっぽど切羽詰んなきゃ使えねえんだ」
そうまでして市民を守る、人類を守る。
『あの翅無し人間たちに肩入れする必要がどこにある』
レイに突き刺さるのは、この一言だ。
(肩入れか。僕は、そんな他人を思いやる人間じゃない。人間でいたいから、人間を守る)
「レイ君、ご無事ですか?」
フタバは健気に笑っている。レイはそれを無言で受け流し、彼女の方を担う。
体に力を込められないフタバは、なされるがままにされた。
「へ、ええ!? あの、レイ君!?」
「元気出るまで、僕がフタバに肩を貸す。嘘吐いたって駄目だから。言ったでしょ、全部受け止めるって」
「それとこれとは……」
「同じ!」
遠慮合戦はレイの趣味ではない。
フタバが恥ずかしそうにしていようが、外野が熱い視線を送ろうが関係ない。
「僕たちは、人間を守る。でしょ、フタバ」
「……! はい!」
最後の会話だけは、周りに聞こえないようにお互いの耳元だけで囁き合った。
レイの決意は揺らがない。
天使は、すぐ側に一人いるだけで良い。
今日、七月二十三日をもって、《SPCT》と《WINGs》は真にレイの敵となった。
*
暮色翼。彼女は重い身体を引きずって、地下のアジトに戻っていた。
他の《WINGs》構成員は、気遣うことこそすれ、彼女に触れようとはしない。
『頑張ったようだね、ツバサ』
「マイロード……」
一人きりのモニタールームにこもる優しい言葉。ツバサは縋るようにフブキの声に傾聴する。
《天継》の力で擦り減った精神力は、そう簡単には回復しない。《纏輪解放》の後遺症は徐々に治るのにだ。
だからこそ、彼女はレイたちを襲わずに後退した。
『片翅嶺の答えは、どうだったかな?』
期待など最初からしていないように、そうやってツバサを落ち込ませない口きき方だった。それが、ツバサには辛い。どうしてもっと役に立てないのかと。
「申し訳ありません、彼は翅無し人間に組みすると」
『だろうね。一応、今回の件は最終確認のつもりだったわけだけど、やはり彼の決意を強める結果になった』
フブキは、モニター越しにため息を吐く。
「では、遂に決行しますか」
『ああ、一ヶ月後だ。それで全てが決まる。人か天使か、私はそれを見定める試練になる』
人類初、金色翼を広げた男は今、世に新風を起こそうとしていた。
三章はこれにて終幕。
少し不自然な場所をテコ入れしました。




