第20翼 動き出す天使たち7
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《纏輪》から放たれる輪開光は、銃態の金色円環から出ている。そのリングと閃光が繋がっている間、当然レイたちは動くことはできない。
《纏輪》使いらには自明の理であり、それを補うためにクロが本命のアタッカーとして控えている。
明らかな致死から逃れようという気がないのか、《SPCT》は微動すらしない。
津々浦々を探せども、これほど無警戒な野生動物は存在すまい。
(決まってくれ……!)
「グル……」
色彩が縦に割れた金瞳を隠す瞼がぱちりと開いた。
開いて、ほしくはなかった。
「あたっちまえ、です!」
「グアッ!」
ホトリの威勢も虚しく終わる。
牙獣《SPCT》はその姿に恥じぬ、高峰の一角を支配する狩人だったのだ。
光より早くとばかりに四駆の脚で駆け出し、クロ目掛けてビル群を置き去りに走り抜けていく。
数瞬して穴蔵だった場所に光線が密集し、夏夜に瞬くホタルの大群を思わせて散った。
「おうおう、このクロ様が御しやすいってのかあ!嘗めんな!」
侮られることが大嫌いなクロである。退路にて討ち取るとはいえ、迷わず向かわれれば、それを侮辱と受け取っても仕方がないこと。
こいつが相手なら逃げられる、そう思われているのと同意なのだから。
そしてクロは、挑発に乗りやすい性分だった。
「セェイッ!」
剣道なら正胴による腹打ちにあたるかもしれない。そんな動きで《SPCT》の首下、最も致命傷になりやすくかつ無理なく狙える箇所を薙いだ。
「……!」
敵も能無しではなかった。クロの間合い、その一歩手前の領域を察知していた。
瞬きの単位で盛り上がりを見せていく、灰色の疑似筋肉。そのバネの力で、凡そ自身の体高の五倍は跳んだだろう。
「グルゥ!」
「跳ねやがったな、所詮飾りもんの翅のクセによお!」
猫のような指球でもあるのだろうか。ビルディングの壁に張り付きつつ、コンクリートを取り込む、牙持つ獣。
そこに、追い付いたフタバとホトリによる一斉掃射が始まる。
「クロ、サポートするよ! 僕の《纏輪》で奴まで飛ばすから!」
「オォウケイ、ダチ公! やってみな!」
(薄く伸ばす、グローブのように……)
流れるようなアシストに反応して、クロがレイの背中に突撃。
クロの前には、メキと音の聞こえそうな金色翼が平たい状態で用意されていた。
「「一、二の三!」」
手を付いて金色翼に着地したクロは、体が沈んだのを感じた。次に全身の血液が頭から足先へ下がっていくような負荷が掛かる。
レイは叫びなから《纏輪》に命令した。
「なぁげろぉぉぉぉ!」
棍棒の代わりにもなれば、手のようにも扱える《降臨型》。
その汎用性の高さに憧れを感じつつ、クロは一つの球となったつもりで茜空に飛び出す。そのまま突貫で斬りつける腹積もりだろう。
「ヒャアッハァー! オラオラ、速さでも負けねえぜぇ!?」
「グル……!」
輪開光を右に左に避ける《SPCT》が、低音で声を絞り出した。何となく、憤意を表したのだとレイは直感した。
「グルァ!」
「ゲェ、突っこん……クゥッ……!」
クロを襲ったのは、体の側面を使った、《SPCT》の体当たりだった。
たかが獣の突進とバカにすることなかれ。体高三メートル以上、全長にして八メートルはあろうかという巨体である。ちょっとした大型貨物自動車に追突されるようなものだ。
繰り返すが、大型貨物自動車である。もし人間が当たろうものなら、どうなるかは分かるはず。
――クロは、まるで仕込みがある芸者のように吹っ飛んだ。
「う、おお!?」
その先には、硬い地面と建築物。いくら《纏輪》使いが丈夫でも物事には程度がある。そう、何にでも。
(負傷なんてさせない、その為の……僕だ!)
レイの中では、この場面は既に何週間も前から描かれていたことだ。
彼がしでかしたのは、緩衝材の役割だった。《降臨型纏輪》とその覚醒者の絶対的な防御力。その基盤の上に構築される、不屈の盾としての概念。
「レイ!?」
「任せて!」
レイは右肩から回り込むように《纏輪》操作した。ちょうどキャッチャーとして捕球する気で。正に一人二役。
クロが、金の羽毛に包まれたのかと思うほど、金色翼は柔らかく受け止める。彼が感じるはずだった衝撃を全て殺し尽くす。
身代として、レイが壁とクロにプレスされたが。
「うぐっ!?」
覚悟して受けたのも幸いし、訓練の時のように失神することは無かった。鈍痛は、容赦なくレイの身体を責め立てるけども、支障はない。
背中でビルディングの壁をぶち破っていた。それ程の衝撃を、クロに何一つ感じさせずにやってのける。
閑散としたオフィス内で、クロは金色翼から離れ、立ち上がった。
「レイ、無茶すんじゃねえ! 怪我はないのか!?」
「いっつ……うん、問題ない」
喰らうまで半信半疑だったが、シブミの言った通り、《降臨型纏輪》の堅牢さは通常規格の外にあるようだ。
「たまげたぜ、怪我の一つもしたもんかと」
「僕の取り柄を忘れたの? 打たれ強さだけは、オリンピック級だって」
ほっとしたクロの顔には呆れも入ってただろう。守りきった後でなら、そんな顔を向けられても悪くない。
「誰一人、戦闘不能になんてさせない。僕も含めて全員で無事に勝つよ」
「新人が吹かしたな、上等だ。奴の面にパンチくれてやれ」
「了解!」
無謀だと嘲られぬだけの力は、いつしかレイの心を強く、真っ直ぐに育てていた。
「そうと決まったなら、隙でも何でも作ったやらあ!」
「頼もしいねっ!」
勝ち気にオフィスから飛び出した二人は、まず二手に分かれた。今度はクロが陽動を任せれた。
「ご無事ですか!」
「この通りなっ!」
「フタバ、今度は僕が叩く! 一撃が入れば勝ちだ!」
『こちらミヤマ。作戦了承。速やかな任務遂行のため、部隊長鳳凰寺双羽の《纏輪解放》を許可します。なお解放終了後、シマザキ隊員は部隊長のフォローに入ってください。第三勢力からの乱入に備えます』
的確なコマンドを打ち出すのが、指揮者スミレの責任を問われる部分であり、最も有能な才力である。
だからこそ、隊員は皆従おうとするし、レイたちも指揮者を信じることが出来る。
(……と、講義で習っただけだけど。実際信じるしかないんだよね)
新人隊員のレイでも従うを吉と見るのだから、他隊員からの信頼はもっと高いのだろう。
「クロ君、《纏輪解放》しますので、相手の撹乱に努めてください。失敗したら氷漬けと天日干しの刑ですよ」
「そりゃ断る……から頑張るぜ! こっちだケモノ野郎、ノロマ、カタツムリ!」
「ヴルルルルッ!」
「うほー、そうだ。ついてきな!」
クロが《SPCT》の誘導を開始した。百メートル四秒台を平然と記録する《纏輪》使いの脚力でも、牙獣タイプは振りきれない。だが今はそれでいい。
着かず離れず、それを何回も行う。
その速度に慣れた頃に、
「うらよっ!」
「……!?」
牙獣《SPCT》のお株を奪う、驚異的な跳躍でオフィスビルに飛び着くクロ。ざっと見て三階あたりだろうか。
目で追った《SPCT》に、隙が生じた。
「《纏輪解放》、《候空》」
フタバの双翼が桃色に染まる。
奏天を司る天使。その権能が彼女を中心に目を覚ましていく。
――パキ。
レイは、地表に張った薄氷を踏み割った。
(これが《候空》、天候の具現化……!)
いつの間にか大地には霜が降り、大気には桜吹雪のような淡い粉々があった。
この場を極寒の地に変貌させる気なのだ、フタバは。
「グゥアガッ!? ヴルルゥ……!」
牙獣は異変に気付いて飛び退こうとしたが、もうチェックは済んでいた。
何百何千もの大粒の氷結晶が、灰色の肢体にこびりついて放さない。その一つ一つが、死の静寂を届ける使者。
「お目覚め後に悪いですが、冬眠のお時間です」
フタバが一足踏み出す度、《SPCT》は体を拘束されていく。足元に桜色を灯す少女が歩くたび、《双纏輪》は吹雪に揺らぐ。
「おー、こわ。《天変地異》の本領だな」
「クロ、戻ってきたんだね」
突き抜けて神秘的な風景は、レイの興味を鷲掴みにしていた。
クロが呼び掛けなければ、ずっと惚けたまま魅了されていたことだろう。
というか、これはレイの助けなどいらない気がする。
もう敵は、コンテストに出しても良いような氷像と変わり果てていたのだから。
「レイ君、仕上げは任せます。思いっきり潰しちゃってください」
「う、うん」
下準備から完成までを傍観していたレイである。最後に手を下すだけというのは、少し負い目がある。
やることはどうせ変わりはしないが。
「巨翼鎚」
剣態とはまた別の、プレーンな金色翼が肥大化する。現状、最大火力を有するレイの打撃技だった。
「どうぞ安らかに、召されて下さい!」
降り下ろされる巨翼鎚。
レイは、手を合わせて祈ることもせず、置物となった《SPCT》を粉微塵にした。




