第19翼 動き出す天使たち6
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空気が喉と肺を攻め、唾を飲み込むのに労力を要求される。なんて、些細なことを気にしている余裕は無かった。
ツバサの《纏輪》、その名も《天継》が猛威を振るおうとしている。
「普通の《纏輪解放》なんて目じゃねえな、こりゃすげえ」
無意識に自分の《纏輪》、つまりクロの場合は《天絶》と比べたのだろう。仰天と顔に書いてあるのが丸分かりだった。
「おバカクロ! それより、警戒を強めてください! この三十分を耐えきれば私たちの勝ちです!」
フタバの言には一理ある。あるが、その程度の対策も無しに、《纏輪》使い四人を相手取るのは不自然だ。それも最後の奥の手、秘奧でもある《纏輪解放》を使うなんて。
強者が強者足り得るのは、力と知恵があるからだ。それをツバサが蔑ろにするとは思えない。
人を見下す彼女だけれど、その根底には、根拠となる基盤があるはずなのだ。
「甘く見られては、我が片翼の名が廃る。私直々に手を下すまでもない」
時代劇の悪役をふと思い出すが、その言葉に応える人間は皆無。
――人間は。
「おいで下さい、愛しの天使様。私が扉を繋ぎましょう」
瞬間、レイは内蔵器官が締め上げを喰らったような痛みを味わった。
同時に平和だった街に警報が鳴り、木霊する。跳ね返って跳ね返って、それは圧倒的なスピードで、あっという間に広まる。
「この嫌な感じと警報は、」
一ヶ月と少々が経過して、まだ耳朶の記憶に残る忌まわしい音。
《SPCT》緊急警報が、街に混乱のサプライズプレゼントをばらまいた。
「《纏輪》の能力による《SPCT》の召喚!? 貴女は狂っているのですか!」
「《SPCT》などと呼ぶんじゃない、不敬であるぞ。あと私は狂っていない」
カルト思想の人間は、大抵そう抗言する。そして、発した言葉に責任を持たない。
「それよりも良いのか? 貴様らが大事に分別、管理、保全しているゴミ共。ピンチだよなあ? しかも今回応じてくださったのは、なんとお三方もの天使様だ。私はここで退くが、貴様らは御大層な使命とやらがあるのだっけか? クハハッ!」
「チクショウッ、待てってんだよ!」
クロは、同色のツバサに対して声を荒げる。良いようにあしらわれたのが気にくわないのだ。
ツバサが、周囲の背の高い建築物を跳躍の土台として扱う様は、現世を忍んで過ごす隠の者のようだった。
「仕方ないです。私たちは、私たちにできることをしましょう。あれを追わなければ泥沼になるだけで済みます。ですが、今あれを追えば、街は壊滅してしまう」
「「了解っ!」」
「です!」
「それからレイ君は通信をオンにしてください。指揮者から通達が来るはずですから」
「うひい」
(やば。この雰囲気は、後でお説教コースだ)
支部からの罰則は勿論あるだろうけれど、フタバの方がもっと恐ろしかった。だってほぼ毎日顔を合わせる仲で、さっきなど「喜んで、受けて立つよ」と大見え切ったのだから。
それも仕方がないと観念し、レイはインカムのスイッチを入れた。
『ようやくつながりましたか。もう少しでこちらから強制起動コールを送るところでしたよ。それでは鳳凰寺双羽隊は、方位WNW、約二キロメートル地点に現れた牙獣タイプの《SPCT》の駆除をしてください。なお、敵は速度に特化しており、固有能力は不明。十分に警戒するようお願いします』
長野支部の指揮者がさらりと肌の粟立つことを言う。レイが通信機のスイッチを切ったのは、どこもかしこにもばれていたということだ。
ともかく、優先なのは民衆を死守すること。それから任務だ。緊急警報も手伝って、ほぼ逃げて始めている国民を先導する必要がある。
が、今回は状況が状況なので、長野支部の非戦闘員がその役割を担っているそうだ。
「私たちは今回、速やかに《SPCT》を始末しなければなりません。いざとなったら、《纏輪解放》を使いますし、その時はレイ君とホトリちゃんに後を任せます」
「俺も使うかもしれんから、よろしく」
「わ、分かりましたです」
「無理なく倒したいところだけどね」
《纏輪》使いは不老であっても、不死ではない。
《纏輪解放》で弱ったところを突かれれば、ナイフの一突きでも死亡しかねないのである。慎重に物事を進めたい反面、レイたちは任務の遂行速度を求められたのだった。
*
『目標、牙獣タイプ《SPCT》が補足できましたか?』
「はい……ですが」
フタバは言いにくそうに言葉を濁している。
分からなくもない。
地表一メートルほどをくり貫いて作った穴蔵の中。物質吸収をオフにしているのか、チーターに翅を生やした珍生物が尻尾を巻いて、居眠りに耽っていた。体高はおおよそ成人男性二人分か。
「眠っています」
「だな」
「兎と亀です」
「僕たちは亀か」
灰色の体表に特有の丸斑点などはないものの、外見はまさしくチーターそのもの。
目標は、地球にバカンスでもしに来たのか、建築物などお構い無し。鼻付近にある髭が時たま、寝息で弦のように震えている。
「《SPCT》じゃなかったらペットにしたかったです」
「ホトリちゃん、君、居眠り仲間にシンパシーを感じただけだよね」
レイとしては、是非とも視線を合わせていただきたいところだった。
『鳳凰寺双羽隊に通達。各員は、それぞれNESWの方位に分かれて下さい』
レイ、フタバ、ホトリの三人による三方向銃態狙撃から、後退した《SPCT》をクロが討つ。
もしも、目標が想定外の行動を取った場合。つまり、クロ以外に襲い掛かったり、その他不明瞭な仕草を見せたときは、遊撃者以外の二人がカバーをすること。
以上の点を押さえた上、作戦開始だ。
『各自、襲撃の準備はよろしいですか?』
戦場のコンダクターこと指揮者の最後通告。あまり気にしてはいなかったが、名前は深山澄玲。名前の通りの聡明さを感じさせる、仙女のような女性である。
四方向に散ったレイたちは、各々好みの言い方で了承を返した。
『作戦開始! これより私、指揮者ミヤマが最大限のナビゲーションとバックアップをさせていただきます。|イカれた天使に人類の牙を突き立てよ《レッツ・キル・ジ・エンジェルス》』
「れ、れっつ……?」
『|イカれた天使に人類の牙を突き立てよ《レッツ・キル・ジ・エンジェルス》、です。初めての任務ですね? 少しは力を抜きなさい、カタバネ隊員』
『『『|イカれた天使に人類の牙を突き立てよ《レッツ・キル・ジ・エンジェルス》』』』
「れっつ、きる、じ、えんじぇるす」
一呼吸置いて発言しつつ、レイは誰よりも先に飛び出した。これは組織の都合上しょうがない掛け声。恥ずかしくない。絶対に恥ずかしくない。
レイがこのセリフに慣れるのに、意外と時間はかからないのは、今の彼は知らぬところだ。
『目標との距離、約百メートル。波状輪開光攻撃、どうぞ!』
オペレータールームでは、レイたちを示す光点が事細かに点滅していた。スミレの指示で、それらはほうき星のように尾を引いて動き出す。
スミレにとって声はタクト、システム盤上は楽譜、レイたちは演奏者。
そして、《SPCT》が客だ。
レイたちは、命令を違わずに進めるのみ。
走りながら《降臨型纏輪》を銃態に。レイの感覚的に銃態は、スーツケースに目一杯、自分の体を突っ込っこまれた感じなのだ。
どういう事かというと、つまり非常に動きにくい。筋肉が硬直して肩回りがうまく扱えなくなる。
チャンスと勝機をリスクの天秤にかけ、ようやく使用するかなと思える代物の水準に達する。
――その、件の銃態から、輪開光を解き放つ。
「輪開三光、発射!」
レイの反対側にはフタバが見える。見えはしないが、交差点左手にはホトリが待ち構えているだろう。
本命のクロは右手側の視界外か。
フタバの輪開光数はなんと十、輪開十光だ。部隊長の貫禄を示すに相応しい。更に、ここにホトリの光条八本が加わり、計二十一本の煌く雨が降った。
翅付きの牙獣は……まだ動かない。
ミヤマスミレという花があるそうですね。




