第18翼 動き出す天使たち5
「ツバサ……」
無線のインカムは切っておいた。発信スイッチを入れなければ問題ないが、念には念を入れてだ。これで、ここでの会話は支部の指揮者にも隊の皆にもにも伝わらない。
全てはツバサという少女を知ってみたいが故のワガママだった。
(《WINGs》について聞きたいこともある)
レイは話を切り出そうとツバサを見つめた。すると彼女は、存外驚いたような、怪訝そうな表情をしていた。
「ん? 私は名乗った覚えがないぞ。なぜ私の名を知っている」
「え、は?」
「とぼけるのか? まあ、私もカタバネの情報を秘密裏に入手しているからお互い様かな、フフフ」
個人情報が駄々漏れである。
そういえば、レイはツバサに名前を教えていなかった。そこは《WINGs》の情報網を褒めるべきなのだろう。納得はしていないが。
「いやコードネームなんだけど、僕らが勝手に呼んでるんだ」
「随分と粋なネーミングじゃないか……ああそうか。あの方か」
(……あの方?)
脳内で自己完結したのか、ツバサはもうその話題に触れはしなかった。
「それで? 私が誘惑したとはいえ、カタバネが付いてきたことに委細違いはないはずだ。早く用件を言ってみろ」
レイがツバサに興味を持っている。それがバレている、とは信じたくない。それ以外で考えるなら、もしくは、彼女の方から好奇心で近づいたか。
《降臨型》のよしみ、というところがいまのところ都合の良い最大の解釈だ。一度目では、レイなど視界にすら映さなかったというのに。現金で、傲慢な人柄なのだろう。
「じゃあ」
任務を放棄して、イケナイことに首を突っ込んでいる。その自覚はある。
レイは、幸か不幸か、その止まり方を知らなかっただけ。現実とは冷酷で、そこに一時停止の線など引いてくれてはいないのだ。
(いや、言い訳はやめよう。僕はツバサと話がしたかった。それで良いじゃないか)
罰なら後で受ければいい。ツバサと密会する価値は、レイの中でそれだけ高い位置にある。
――それで良い。
「どうして、《WINGs》は《SPCT》を天使と崇めているの?」
「はあ?」
ツバサは、訳が分からんと書かれた紙を張り付けたような、眉を潜めた面を見せた。
リンゴはなぜ赤いのかとか、記号の乗や商の原理はどうなっているのかみたいな、そういったことを質問されたのだ。「はあ?」と返したいのは、自然なことだった。
「それは、天使様が偉大な存在だからだろう」
「……ああ。そ、そうだね」
(う、ん。もう一回試しても、同じことの繰り返しになるかな)
「もう一つ、名前を教えてくれないかな」
これは、流石に出過ぎた行為だっただろうか。
緊張で汗が出ればまだ可愛いげがあるが、生憎この体は、そんな生理現象は起きない。
結論、レイの心配は杞憂に終わった。
「いいぞ。主様に戴いた私の大切な名前を尋ねるとは、貴様を見誤っていた。カタバネは図太いな!」
「う、うるさいなぁ! 分かってるよ!」
二度しか会っていないのに、見破られるのか。自分の振る舞いに、中学以来ぶりで頭の処理を割くレイだった。
今さら性格の路線変更なんてできそうもないが。
「名は翼、姓は暮色。暮色翼だ。夕暮れを彩る一枚の片翼と知るがよい!」
「暮色、翼」
やっと、遂に答えを聞けた。
威風堂々と路地の一部を占領する仁王立ちに、その背中に、巨大な片翼を幻視する。それは、レイの憧れが生み出した産物だった。
ツバサは、実際には《纏輪》を召喚していない。ただ風格のみが、その幻を作り出していた。
「その目。日々を怠惰に生きる塵芥から脱し、無闇やたらに生き延びるのをやめた、尊い眼差しだ。貴様の睨みは実に心地良い。はっきり言おう、好みだ」
「ありがとう、でいいのかな」
口の端を裂くような豪快な笑み。
何も知らずにいられれば、どんなに気分良く見られたのか。
そうは言っても、ラブコメディ染みたことは始まらないはずだけれど。
レイが、己の勢いに遅れをとっていることを察知したらしい。ツバサは上機嫌そうだった。
「良いぞ! 私が許す!」
よくもこの高慢ちきが外界で育ったものだ。常識外れも一周外れ通せば、ここまで清々しいということにビックリする。
(《纏輪》使いになる前は、違ったりしたのかも)
レイとて《纏輪》覚醒者。ちょっぴり勝ち気な、ともすると危なっかしい性格になったのは否定しない。
だからツバサも、前は粛々と生活していたと断じはしない。あくまでも可能性。
「今度は私の話を聞いてもらおうか」
これは予想の範疇。
《SPCTRaS》戦闘員のレイに接触したリスクを犯したのなら、当たり前の要求だろう。むしろ安いと言いたいくらいに。
「その気になれば、私は貴様を三秒で拘束できる。そのことを頭に留めて聞け」
「ああ、分かってる」
その程度の実力差は理解している。クロ相手に一本も取れない、レイのつたなさでは反応すらできるか怪しい。
「固くなるな、私の言いたいことは一つだけだ」
「……」
――《WINGs》に入れ。
「な、簡単だろう」
ツバサは、本人的にはごく当然の感覚でそう告げた。まるで悪の組織のボスが、世界征服の協力を勧めるように尊大。世界の半分でも分けてくれそうな言い方だった。
「今日一日、貴様ら二人を見ていた。そしたらどうだ、あのゴミ共。我ら有翼の新人類を、化け物と呼ぶ愚か者達。あれが地上を蝕んでいると思うと反吐が出るだろう? おかげで少し仕置きをしてしまった」
「手を出したのか!? まさか……」
「ふっ、殺してはいない。なに、ほんのちょっと私刑に処したのさ」
最悪の一歩手前といった所か。一線を踏み越えていないようで安心する一方、結局は暴に頼ったのかと残念に思う自分がいる。
テロ組織にそれを望むのが馬鹿らしいと、笑いたければ笑え。
「あの翅無し人間たちに肩入れする必要がどこにある。諦めて天の御使いを受け入れろ。我ら《WINGs》は、それを人類に促すことが目的だ」
この堅苦しい表現を要約すると「《SPCT》になされるがまま、地球を明け渡せ」だろう。これでは《SPCTRaS》と対立する……いや、妨害に出るのも仕方がない。
「さあ、選べ」
(ここが……別れ目なのか? 本当に?)
これは一方的で、サディスティックな命令だ。従わなければ戦いは即発。一瞬で潰される。
ツバサは、既に一ヶ月レイを待ったのだから、答えを考える期間を設けるとは思えない。
「僕は……」
「僕は?」
何を悩むことがあるのだろう。自分本意で他人を汚す、そんな人間を守るか否か。
『レイは……どうしたいの? 《SPCTRaS》で……闘いたい?』
『レイは人の子で、私と母さんの子で、家族だ。お前の原点は消えないんだ』
(母さん、父さん)
違う。レイは、人間が好きだから人間を守るんじゃない。
『僕は、母さんと父さんの子で、お姉ちゃんの弟、だよね』
『当たり前だよっ!』
(お姉ちゃん)
人間でありたいから、人間を守るのだ。
『僕たちは、人間だ……』
(そうだった)
本当に、何に迷う必要があった?
『それでも、私は貴方に全てをぶつけていいですか?』
(フタバから、まだ、一つも受け取ってない僕が)
レイは奥歯を噛み締める。
(人間を辞めるわけにはいかない)
「僕は人間だっ! フタバァァァァァァッ!」
「そう言ってくれると信じていましたっ!」
持てる声量を使い果たすほどに、力一杯叫んだ。
そして嬉しいことに、応えてくれる人がいる。
両くるぶしに双翼を宿した少女。フタバは鬼の形相を浮かべて、路地を突っ切っていた。
「レイ君に変なこと吹き込まないでください!」
「クソッ、長いこと話しすぎたか。面倒なァッ!」
ツバサもアホではない。フタバに合わせ、金色翼を最小限に展開し、迎え撃つつもりだ。
「ヤッ!」
風切り羽のような鋭利なハイキックを無遠慮に放つ。
フタバの《纏輪》はほぼ足先にあるので、構造的に蹴り主体のスタイルになる。
それを迎撃するのが、クロが強いと評した《降臨型》でなければ、この一撃で決まっていた。
小さくしてなおフタバの金色翼を上回るそれで、鍔競り合っている。
「ほう、二枚翅の女か。ちょうどいい、貴様も捕らえてくれる」
「誰がそんなことをさせますか!」
「その通りだぜえっ!」
「ムッ……!」
頭上から降ってきた乱入者に、またもツバサの表情が歪む。
慌てずに退いた、元々ツバサがいた所にクロの剣態が突き立った。
「また会ったな、ツバサだっけか? 俺のダチ公を素行不良にしようとしてんじゃねえよ!」
「全く……コバエか、鬱陶しい羽虫めェッ!」
激情に呑まれたツバサが 肥大させた金色翼で押し潰しに掛かるが……そこに五柱の条光が降り注ぐ。
飛び退いた体勢で崩れた絶好のタイミングだったが、《降臨型》は伊達ではない。ベールのようにツバサを包み、攻撃を全て防ぎきる。
「今度はなんだ!」
最高潮にイラついた声で振り返る。微妙な距離を置いた場所に、ブルーハワイ色の髪の中学生程度の身長の少女が銃態を向けていた。
身体の年齢だけは部隊最年少で止まっている少女、ホトリがキツイ視線を送っている。
「レイさんは私に必要な方です。いないと本格的に朝が困るです」
「ハ、ハハ、ホトリちゃん」
どんな理由でも必要としてくれているのはありがたい。本音は別にあると信じたいところだ。
「お二人を呼び戻した甲斐ありました。近くにいてくれてよかったです」
「いきなりレイの無線が切れたってから、度肝抜かしたんだぜ」
推測するに、通信が切れた地点の座標を指揮者が送ったのだ。それから今の今まで、機会を、チャンスを探っていたのだ。まさかあの選択が幸と出るとは、自分だけの考えはいまいち当てにならない。
これぞ嬉しい誤算だ。
「俺たち四人が相手でも余裕ぶっこけるならこいてみろや」
クロがツバサに剣態を突き付けるのは二度目。一度目は忘れもしないあの日。
「ハッ、ほざくがいい。喚くがいい。我が《天継》の力に、慄け」
ツバサの周りを圧倒的なプレッシャーが渦巻いて、レイたちを一歩退かせる。止めなければいけないのに、動けなかった。
《降臨型》の真骨頂を覗きたい、欲が勝っていたのかもしれない。
「《纏輪解放》!」
ドス黒く、暮れる空に負けない勢いで、染まる《纏輪》。またも大気を打ち据えて、巨大な翼が威を示す。
夕闇に伸びる堕天の翼が、レイたちを見下ろした。




