第17翼 動き出す天使たち4
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都市化が進んだ長野の街道で、一人の少年が唐突に開口した。
「フタバ」
「はい」
民衆の視線を集める、毛糸のニット帽と眉下まで覆うサングラスを装着した二人組。幼く見えてもしっかりとした公務員である。決して変質者ではない。
「もう、これ外そう」
「はい」
半ば諦念が混じった了承を経て、レイはまるで漂白剤で脱色したかのような白髪を片手で掻き上げる。
サングラスも必要ない。空いた手で黒光りするブツを取ると、一気に瞳が光を取り込んで眩しい。
「レイ君はまだ若白髪ぽくていいですよ。私なんてピンクです、ピンク」
フタバも嘆息を一つして、団子状に纏めていた桃色の御髪を下ろす。日光の差し込みを受けて煌めくのは、明るい鳶色の瞳である。
たとえ髪が変わった色をしていようとも、元の素材が素晴らしいのは変わらない。
人々は、ある種人間離れした、フタバの異質な美しさに目を奪われていた。
「すごーい、あれコスプレ?」
「よく見なよ。《SPCTRaS》だって、あれ」
「えー!? でも、まだ高校生くらいじゃん」
「でも、あいつら年食わないらしいよー。もしかしたら歳上かも?」
「ヤダー、怖いー、化け物じゃん! しかも化け物カップル」
などと暇をもて余した女子大学生同士が口汚くわめき散らしている。それは他の通行人も同じで、じろじろとマナーのなってない凝視が突き刺さる。
久方ぶりに外出するレイだが、やはり居心地のよいものではないと再確認するのだった。
「フタバ、こんなところ早く移動しよう」
「……うるせえ」
低い地鳴りを思わせる、著しく不機嫌な呟きだった。間違っても普段のフタバがするはずのない行為だ。
(フタヨか!? マズイ!)
レイは、人格の切り替わった彼女の腕に力を込める。
「ウゼェ、邪魔だ!」
「フタヨ!?」
すっかりフタヨが意識を支配しているのだろう。そして、常識や良識すらガラッと変わる。それは不安定な空模様を思わせた。
「おうテメエーら、こちとら見世物じゃねーんだよ! さっさと散れ、平日から歩き回る暇人共!」
「ひ、な、何この子!?」
「んだよ、可愛いのは見た目だけかよ」
不良も真っ青なフタヨの痛罵が向けられ、道行く幅広い年層の人々が不気味がって避けていく。
当然、レイは彼女の前に立って止めることに従事している。
「落ち着いて、フタヨ」
「あん!? 府抜けてんじゃねえぞ、シロ助! 俺たちゃナメられたら終わりなんだよ、《纏輪》使いにまともな人権があるわけねえだろ!」
「……! フタヨ!」
その決定的な一言に動きが一瞬だけ静止し、それでもレイは歯を食いしばってフタヨの名を呼んだ。
熱くなり過ぎて我を見失う気持ちは分かる。人間扱いされないのは、誰だって激怒する。しかし、それを人知の超えた力を持つ者がやってはいけない。それは、きっと誰からも認められなくなるだけだから。
普通よりも大きく深呼吸をしたフタヨは、レイの悲しげな顔を一睨みして退いた。
「チッ、悪かった。アネキにも迷惑かけた。後は、任せる」
「うん、ありがとう。任せてくれて」
ふっと垢抜けた表情に戻った彼女は、少し泣き笑いしていた。
結局、フタバとフタヨは繋がっているわけで、お互いに通じあっている。
フタバが言えない、やれないあらゆることをフタヨがする。そうやって、バランスを取ってきたのだろう。
しばらくレイはフタバを先導して、人気の少ないところを目指した。昼真っ盛り夏の歩道は、高温多湿のためか外出している人間が少ない。
ちょうど良かった。
――少し離れた壁際に二人して、背中を預ける。
「ありがとうございました、レイ君」
「僕はその感謝を受け取れないよ。それは、フタヨが貰うべきものだと思う」
彼女の不平不満を余すことなくぶちまける、もう一人の自分に対して。
だがフタバは首を横に振る。
「いいえ。これは、レイ君が受け取ってください。私がフタヨちゃんに言うべきなのは、ありがとうだけじゃなくて、ごめんなさいもだから。いつも心の中で伝えているんですけど」
でも、気にすんなって毎回返されるんです、と今度は困った風に、己を嘲笑した。
フタバは項垂れて自暴自棄の言葉を言う。
「私は駄目なお姉ちゃんです、妹に嫌な役目ばかりさせる」
もう我慢ならない。レイは、ちょっとだけ勝手なフタバにムカついて、でも何も出来ない自分が嫌で、知らぬ間に彼女の両肩を強めに掴んでいた。
壁から動けずにいるフタバを、灰色の瞳で一直線に見つめる。
(僕には何ができる? 頭も良くない、頑丈なだけの僕が、フタバにできること……!)
レイはそこで、長野支部に着いた時に抱いたモヤモヤをこれ以上なく自覚した。
(救いなんて僕には出来ない。あの日も結局、僕は僕を危険にさらした。でもそうしかできないなら、やりようだってある)
フタバが、フタヨが弱気になっているのは嫌だ。二人にはもっと凛と、強気でいてほしいのだ。
そのための受け皿になら、レイは喜んでなる。
「じゃあ、今度からは全部僕にぶつけて。フタヨだけじゃなくて、フタバが僕に。無駄にデカい《纏輪》と図太さだけが自慢の僕だけど、だからこそ目と心は逸らさない。受け止める。絶対にフタバの言葉で折れたりしないから」
本心から放ったその言葉に、フタバがが有らん限り目を開いた。
少女の肩から力が抜ける。それでやっと、レイの指のこわばりも解れた。
「あ、ごめん」
「いえ――」
離れようとする彼の手に、フタバは上から掌を添える。優しくオブラートで包むような繊細さと仄かな体温。
「嬉しいです。そして、残酷なお願いです。私は、そんな残酷なことを今までフタヨちゃんにしてもらっていました」
絞り出したフタバの声に震えが出始めた。レイは、懺悔が混じった告白をありのまま受け入れる。
「最低なことを言うかもしれない。真面目な良い子になんて、間違ってもなれないです」
そんなことは無い、なんてレイは言わない。
「私は人間としても、小隊長としても未熟です。女の子としても今時の振る舞い方なんて知りません。それでも、私は貴方に全てをぶつけていいですか?」
「喜んで、受けて立つよ」
涙声のお願いだった。願望というより、祈祷のようで。図々しく感じさせるも、叶えてあげたいと思わせる。
だが、それに押されたわけじゃない。今しがたの返事は、レイが決意したことだ。問われて首を捻るような要素は、存在するはずがなかった。神に誓ったって良い。
《SPCT》という、不鮮明で、荒唐無稽なイグジストが罷り通っているのだ。多かれ少なかれ信じる価値はある。
「まだ新人さんなのに、全く生意気なレイ君です」
「わお、先輩風吹かすなんて、さすが部隊長」
「ちーがーいーまーすー。これは褒めてるんですよ」
「そんな! 素直に受けとることも許されないの!?」
違いがよくわからなかったが、それよりフタバの笑顔が眩し過ぎる。顔に熱さを感じたレイは、胸の動機を押さえつけるのに必死にだった。
ようやく、あの梅雨の日に見た天使の笑顔に近づけたのだから。
時間は過ぎ、日が暮れる前の茜色の空になる頃。
レイとフタバの二人は、休憩がてら何度目かのクールタイムとして、自動販売機で飲料水を購入していた。《SPCTRaS》専用の電子マネーの利便性は、中々否定できないほどに有能である、とだけ言っておく。
「怪しい人物なし」
「不審な物も見当たらない」
何事もなく終わって良かった、良かった。とはいってられないのが、このパトロールの厭らしい性質である。
「これはこれで怖いですよねー、見えない不気味さって言うのでしょうか」
「怪しい物って何? って感じだし。見本なんてあったら苦労はしないよね」
レイは、眠気覚ましのブラックコーヒーの缶を一息に煽る。残り半分ほどの量が喉を嚥下していく度に、任務が上手くいかない苦味を感じた気がした。
ふと、レイは路地に入っていく人影に目を移す。ソイツと視線が絡み合う。
「ともかく、今日はもうひと踏ん張りだ…………げほっ!?」
「大丈夫ですか、レイ君!? そんなに慌てて飲むから……」
「う、いや。御免、僕ちょっとそこらへんのコンビニで用を足してくる」
「へっ? あ、ああはい」
我ながら最低な立ち去り方だと、羞恥で赤面するフタバを見て思う。
相方に背を向け、レイはさっき捉えた路地を曲がる。
(見間違え……? そんなわけがない、だってあの子は)
ずっと気になっていた。あの時、あの雨の日、彼女は何をしたのか……彼女は何者なのか。
少し路地に入った直後、凛とアルトを効かせた声が、レイの脚を止める。
(いつの間に後ろに回られた!?)
「やあ。同士、片翅嶺。元気にしていたか?」
黒曜石のような瞳に、光の加減で宵闇色にも見える頭髪の彼女。どこか見下すような視線と二括りにしたツーテールは傲慢さを際立たせる。
シャツの上にはパーカーを羽織り、動きやすいホットパンツとタイツの組み合わせは、前と変わっていなかった。ただ仔細に変化はあったが。
暮ゆく空の下、もう一人の《降臨型》の少女は堂々と立つ。
「ツバサ……」
十年来の親友の如く接する女の子。
レイは、一ヶ月の期間を経て、己にとって運命そのものとも言える少女と対面を果たした。




