第15翼 動き出す天使たち2
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『長野で《WINGs》の活動が激しくなっていてね。ちょっと遠征に行ってもらいたいんだ。そうそう、長野の支部長は結構緩い人だから、訓練漬けの日々はしばらくないかもね。あははは』
「あははじゃねーんだよ! あの老害支部長!」
フタバ……ではなくフタヨは、目尻を上げつつ、ワゴン車のシートで踏ん反り返る。
ストレスが一定値を超えても人格が切り替わるのか、フタバは妹に身体を明け渡していた。しかしまあ、こんなものでレイにフタヨの存在を隠そうとよく思えたものだ。
レイには、彼女がフタバに戻ったとき赤面顔をするのが目に見えていた。が、言っても無駄なような気がするので黙っておいた。
「そうは言っても、俺たちゃ所詮、一般上がりの戦闘員だからねえ。仕方がないじゃねえの」
怒り心頭の部隊長に対して、クロは気持ちを割りきって接する。というより、携帯ゲーム機を弄くりながら適当に反応を返しているだけだ。
一昔前に流行ったハンティングアクション系のロールプレイングゲームらしく、ハードはやたら分厚くて古臭い。このブラックボーイ曰く「それがいいんじゃないか」とのこと。レイがコミックを書籍で買うのと共通する理由があるのかもしれない。
「だからっつーか、気楽にいこうや」
「ケッ、クロ助め。湿気た海苔みてえな反応しやがって」
「へーへー、パリッと気の効いたことも言えんでごめんよ。あ、死んだ……」
『FAILED』。
でかでかと画面を多い尽くす赤い文字が、プレイヤーを煽っている。
「レイもやるかー?」
「操作方法わかんないけどやってみる」
「チャレンジャーだなー、まあ移動と攻撃が分かればなんとかなるか」
そう言って渡されたゲーム機の画面の端には『NOW LOADING』と映っている。
「これは?」
「高難度のクエスト、まあ頑張れ」
「えー」
「正に鬼の所業ですう」
ホトリが言葉を切った途端、ミッションは開始された。
長野支部に到着するまで数時間。レイは、何度もリトライして遊んだ。しかも、ハンティングする側だというのに敵モンスターから逃げ通し、クロを大いに笑わせた。
長野支部に着いたのは、丁度三時のおやつどきくらいだろうか。
フタヨは今から小一時間前に突然引っ込んだ。レイにベタベタと絡んでいるときだった。フタバは案の定赤面物のタイミングで意識が戻ったわけで、真っ赤になってそっぽを向いてしまった。
フタバとフタヨは記憶を共有していて、不可抗力なのが分かっているだけに悔しいらしい。
(フタヨがわざとやってるんじゃ……いやまさかね)
「着いた着いた! それにしても、二年前より規模がでかくなったよなぁ」
窮屈ではなかったが、多少小さめのワゴン車に詰め込まれてわけである。夏の灼熱とした空気が肺を活気づけ、気分転換を買って出ていた。
高さ、広さ、奥行きのそれぞれを観察し、クロはしみじみと呟く。その発言からして一度来たことがある物言いだ。
「静岡支部より大きいです」
「そうだね」
ホトリまでしげしげとその外観を眺めている。長野への遠征に関して、彼女は今回が初めてらしい。
後は――。
「……あ、あのフタバ、そろそろ機嫌を直してもらえると嬉しいなー?」
妙に乾燥しきった声は、果たしてこの暑さのせいなのだろうか。それともフタバに嫌われたくないから……?
(嫌われるとか。僕は何を)
自分でも良く分からなくなって、レイは一度考えを止めた。声を掛けたことでフタバが振り向いてくれたからだ。
「フタヨちゃんは……いえ、もう行きましょうか」
「うん。分かった」
寂しそうに片腕を抱えたただの女の子。少なくともレイにはそのようにしか見えなかった。
「大丈夫ですよ。気が動転しただけで、別に不快だったわけではないんです」
「そっ、か」
気を取り直して一行は、支部の回転扉を押す。中は冷房が効いていて、ひんやりとした空気がレイたちをささやかに出迎える。
エントランスに直通する廊下を抜け、一般職員の案内で受付を済ませた。
「支部って、どこも似たようなものなんだね」
病院で見られるような真っ白の内装は、質素な印象を持たせる。
ふと、レイは自分の白髪を思い出す。そして、影が薄くなってはいないかと要らぬ心配をしてみる。
「規格が同じだからな。よっしゃ、チェックも終わったし部屋行こうぜ」
クロは、最近になってシェアルームライフをするようになった相棒を誘う。男二人、一部屋で過ごすのも悪くないと思い始めるこの頃である。
エレベーターで運ばれた先からは、女性陣とは離れ離れになった。
レイとクロは予定通りのシェアルームで談に勤しんでいた。
「夜には支部長さんに挨拶して、ここの隊員さんとミーティングだっけ?」
「おう。気のいい奴らだから特に注意しておくことはねえな」
お調子者で気さくなクロの基準からして気の良い奴。そう考えれば確かに注意しておくことは少ないかもしれない。
「どっこいせ」とオヤジ臭く二段ベッドに這い上がっていく相棒。もしや夜まで仮眠する腹積もりなのだろうか。
「じゃあ、俺昼寝すっから。レイも今日はゆっくりしとけ……よ…………」
「あ、ああ」
それはもう昼寝ではない気がした。まあ本人が言い切った以上昼寝でいいのだろう。恐ろしいことに、もう当人は寝てしまったことだし。
寝つきの良さはホトリの瞬間寝落ちと同レベルなんじゃないかと思うレイだった。
それからレイはマコトに電話を掛けたりして、ゆったりと過ごした。思い出したようにクロを呼ぼうとしたら、目を覚ました彼が横にいるのに気付かぬほどに。
その表情から、まだ寝足りないと見える。
「あ、あー……よく寝たぜ」
「うん、クロ。ひとまず寝癖を直そうか」
「んー」
クロはシャワーを浴びに浴室に踏み入る。
しばらく待つこと十分少々。生き返ったような面をしたクロが姿を現した。
「おまたー、んじゃ行こうぜー」
「ちょ、髪を乾かしてからいかないと失礼だよ。ドライヤー持ってくるから待ってて」
「お前は俺のオカンかよ」
ぶつくさ文句を言いながらレイのお節介を受けるあたり、根の真っ直ぐさは折り紙付きだ。
この分ならば数分もあれば招集時間に間に合うように出発できるだろう。
レイは、クロの癖毛気味の黒髪をとかしながら、長野のメンバーへの想像を募らせる。
まずは支部長にお目通りだ。
フタバたちと合流してからは、トントン拍子で支部長室まで進んだ。
「フブキ支部長みたいのだったらどうしよ」
肝心の顔合わせは、やはり好印象で迎えたい。
フブキ以外の支部長に会うのは、レイにとって初のことだ。それなりに身だしなみに気を使うし、それに倣って相棒もきちんさせておく。
「そんな緊張しなくていいんだぜ? 変態染みたただの筋肉だし」
「それは、色々とどうなのさ……」
いくら諭されようとレイは支部長を肉眼で確認するまでは気を抜かないつもりだ。
「もうお喋りは禁止ですよ……失礼します、鳳凰寺双羽隊です。静岡支部から派遣されました」
「んー、入りたまえ!」
精悍さを思わせる低い声だ。
(うわあ……)
恐らく年齢は二十代なのだろうが、支部長は老け顔だった。いや、肌の張りつやは十代のだというのに、やけに毛深いのだ。
髭にモミアゲ、浅黒い肌。この分なら腕や脛も剛毛に侵食されているのではなかろうか。
《纏輪》覚醒後は髪の毛も髭も延びていないだろう。あの鉛色の髪は何年も前からそのままという可能性がある。
正直、三十越えたオッサンと言われても不自然じゃない。
そしてこれでもかと隆起した筋肉。
なにより板チョコレートのようなシックスパックを惜しみなく曝していた。そこには斜めに走る傷痕が一本ある。
「相変わらずだなー、ハガネ支部長は」
「おお、君はクロか!そっちはフタバだな! そこの二人は……初めましてだな! 私が長野支部を治める斥蔵鋼だ! 以後よろしく!」
パワフルアンドエネルギッシュ。体全てを使って、それらを現すハガネは、レイとホトリに分厚い掌を寄越す。
「は、初めまして。最近入隊しました、片翅嶺です」
「島崎畔です。入隊して一年ほど、です」
ホトリは目の前の筋肉に萎縮して、レイを盾にした。そんなふうに使われても縮こまっているのはお互い変わらないのに。
「オーッ! 私としたことが、部下から名刺を渡すだけにしろと言われていたのを忘れていたぞ!」
机の下で蠢く筋肉。名刺を差し出す筋肉。
いいんじゃないかな筋肉。なんだか筋肉したくなってきた筋肉。
「しっかりしろレイ。筋肉に乗っ取られるぞ」
「あ、ああ。うん」
何を? などと聞かなくても十分体感済みである。
あな恐ろしやハガネのマッスル。
「大方はフブキから伝えられているだろう、ガハハッ! しかし、君たちの仕事は長野市のパトロールくらいだから、いざというときに備えてくれていれば、私は満足だ!」
ハガネ支部長の話では、長野市以外の各所は警察機関が動いているそうだ。つまるところ、レイたちは重要拠点である《SPCTRaS》の関係各所を守ればそれでオーケーだという。
貴重な戦力である《纏輪》使いを分散させるというのは、よほど緊迫した事態だと考えていい。
「ここでの過ごし方だが、以前フタバとクロは経験しているだろうから、彼らに教えてもらうといいぞ!」
これが本日のハガネの最後の言葉だった。
フブキの言った通り、随分と規則の緩さに定評のある人柄だ。それは後からクロに聞く話でも頷ける。
長野支部では、訓練ではなく自主鍛錬を大事にし、「自分が強くなるんだ」という意思を育てたいらしい。そのため訓練は週に一回の定例日のみとし、講義は毎夜ごとに一時間だけ。
そんな、《SPCT》や《WINGs》の驚異が無ければ、一日足らずで堕落してしまいそうな環境だった。
「ねえ、クロ。あの支部長を見てたら、急に今日の会議が怖くなってきたんだけど」
「あれが一番の変態だから、力抜いてもいいと思う。着いた時も言ったけど気の良い奴らだよ」
「ふ、ふうん」
(一番、ね……)
暗に二番手の変態が存在すると言っている口ぶりに、レイは余計な心労を重ねた。
ハッスル。
ちょいと編集加えました。




