第14翼 動き出す天使たち1
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それは爽やかな朝の出来事だった。
レイたちは、いつものように一般職員に一歩引かれ、朝食を取っていた。
「今日は――」
と、慣習通りにフタバがスケジュールを言い渡そうとして、レイの視界の左でふっと何かが揺れる。たしか、隣にはホトリがいたはずだ。
多少の驚愕はあったものの、レイは普通に手を出した。
「ホトリちゃん、大丈夫!?」
「あれです? 今日は朝食にだいぶすると思ったのでぇすが……」
眠そうな垂れ目をこしこしと擦るホトリ。
「一体何が……レイさん、この手はどうしたのです?」
ホトリは不思議そうにレイの腕を掴んだ。
どうしたのですと言われても、身体が勝手に反応してしまったものだから、手が出てしまったからとしか。
(字に起こすととても犯罪臭いよ! よくお姉ちゃんが抱き着くから自然に動いちゃったよ……)
レイの姉、片翅諒はよく抱き着く。レイ限定で発動するそれは、十年前のとある国がしていた水爆実験よりも、ある意味恐ろしい。なにせところ構わずぎゅっと、熱烈に抱擁されるのだ。
それに適応した結果がこれだ。
「ホトリちゃんの意識が飛んだ直後に、レイ君がナイスキャッチしたんですよ」
フタバはやたら感心しているが、レイの理解は追いつかない。
そもそも、なぜホトリはよろめいたのか。そこから説明が欲しい。
「ほえー! そうなのです!?」
「ちょ、ちょっと待って。僕には何が何だか」
困ったときのクロ頼み。レイは応援を求めた。
「レイは初遭遇だよなー。ホトリちゃんな、寝起きから一時間以内にほんの一瞬だけ寝落ちすんの」
起きてすぐの時もあれば、今回のように少したって落ちることもあるらしい。むしろ今まで出くわさなかった方が凄いとフタバに言われた。
「それってさあ。昼寝の後とか危険じゃない?」
「六時間以上の睡眠だとなるです。かくっとイクです」
まだ不安を覚えるものの、本人が深く考えてないのが救いか。
今後、朝方のホトリには注意不可欠だと心に誓うレイだった。
そして朝食が過ぎ、しばらくのこと。
「うわ~です」
「おっと」
廊下で突然、ふらり。倒れ込むホトリ。
またレイの手がひとりでに行動。今度は抱え込むように受け止めていた。
その反動で、レイは彼女ごと仰向きに倒れてしまう。
「おお……すげえです」
「凄いのは分かったから、早くどいてぇ!」
レイは風呂覗きの一件から、ホトリの身体が危険だと認識している。正直、この悪ふざけでもドキドキする。
お昼ご飯をいただいているときも。
隣に居るホトリを怪しく思いつつ、お決まりとなった若鳥の唐揚げを摘まもうとし。
「ふうっです」
「はっ!?」
《纏輪》使いの凄まじい動体視力で、ぎりぎりカレーライスダイブを阻止。当のホトリは感激したようにレイを凝視していた。
「わざとやらなくていいから、ね?」
「ダメです?」
「ダメです」
フタバによると、ホトリの寝落ちは、どうも皆が油断しているときに発生すると言う。なので朝食時、顔面が味噌汁塗れになるとかが少なくないそうだ。
「今日のホトリちゃんは楽しそうですねえ」
「フタバ、僕はハラハラしてしょうがないんだけど?」
廊下はまだしも、食べ物に顔を突っ込むのは見過ごせない。そもそも見えてないだろうというツッコミは無しだ。
辟易としたレイは、士官服の裾を引っ張らっれるのを感じた。
瞳をキラキラとさせたホトリが興奮した様子で引っ張っている。
「レイさん、是非、我が家のお婿さんにどうです? その能力を私の介護のために使ってくださいです」
「ぶっ! うえっへ、ゴホっ!」
レイの咳き込みが止まらない。慌てて水を飲んだが、虚しくも気管に入っていくだけだ。ホトリが背中をさすってくれるが、それすら動揺を誘う。
「レイ、良かったじゃん。彼女ができるぞ!」
「クロ!? あの時のこと、まだ根に持ってるの!?」
「何のことだね、んん?」
クロは耳をほじりながら、レイに湿度の高いジトっとした視線を送る。もう梅雨は過ぎたというのに。
食事中に汚いからやめなさい、そうフタバに平手打ちを喰らっているので目も当てられない。
「しかし、ホトリちゃんも軽率ですよ。女の子が簡単に、お婿さんになってください、なんて言っちゃいけません」
「フタバ先輩は良い子過ぎるですぅ」
レイはその真面目さに、通っていたはずの学校の委員長を思い出した。今頃、夏休み突入だろうか。《SPCTRaS》では訓練と講義でぎっしりなので、そこは羨ましくもある。
「で、レイさんはどうです? 漏れなく私の膝枕が付いてくるですよ」
「ひ、膝枕……」
ぽんっと自信ありげに太腿を叩くホトリ。彼女の脚の肉付きの良さが分かってしまう自分の目が憎い。
「はやく、食べなさい」
「あ、はい」
「はいです」
今にも棒手裏剣のように箸を繰り出しそうなフタバが怖い。
レイとホトリはすごすごとご飯を口に運んだ。
*
夏本番とばかりに燦燦と陽の降り注ぐ昼過ぎ。《SPCTRaS》静岡支部の訓練場は本日も賑わう。
レイの相手を務めるのは、今回もノリノリのクロである。
自由に召喚できるようになった巨大な金色翼が眩い粒子を振り撒いている。発現一ヶ月にサマな扱いができるようになったところだ。
それでも近接の鬼であるクロには、手も足も翼も出ないのだけれども。
「ていりゃァ!」
「おおおおっ!?」
側面に回り込んでクロの揺さぶりに付いて行けず、ただ避けるばかりのレイ。振り下される剣態モードの《纏輪》に遠慮はない。
《纏輪》使いは、栄養素の経口摂取で、身体の欠損すら回復する。これもまた、人外扱いされる一つの要素だ。大事故に繫がりにくいのだから、鍛錬の場は勿論、任務でも重宝されている能力だが……。
(人外、か……)
「レイ君、ボーっとしない!」
「はっはァ! 余所見は、」
フタバの檄が飛ぶが、クロはそれを哄笑で吹き飛ばす。
「イカンぜぇ!」
「かぁっ!」
左肩から顕現するクロの《纏輪刀》。
対して、レイの背の《纏輪》は剣態ですらない状態。だが、使っている内に色々と有用なことが分かるのだ。
《降臨型纏輪》の大きな長所、それはとにかく攻撃範囲が広い。
「あぶねー!」
体勢を崩したレイが、幅広の金色翼を横に薙ぎ払うだけで風圧が生まれるのだ。
もう一つ、金色輪の長大な円周から放たれる輪開光の手数は驚異的だ。クロが飛びのいた一瞬に飛ぶ、計三本の輪開三光。
まあ、手数が多いからと言ってホトリのような狙撃はまだできないが。
虹のようなアーチを描いて迫るそれらを、全て剣態で弾くクロ。とてもじゃないがレイやホトリには出来ないし、フタバですらまだ難しいらしい。
「上手くなったじゃねえか! つーか、《降臨型》ツエー!」
「強いとか言いながら、笑顔で来ないでえ!?」
またも大きく跳躍して逃亡を図ったレイだが、クロの追尾は止まらない。
「このっ!」
もう一度、金色翼を肥大させて叩き付ける。《SPCT》初撃破に使った、レイ命名の巨翼鎚だ。
(しまった……!? クロ相手にこれはマズい!)
致命的な弱点に気付きながら、ついかっとなって使ってしまった。
《降臨型》のこういった一撃は、隙が大きすぎるから対人には向かない。
「貰ったァ!」
「うぶっ……」
レイの一撃をひらりと避けたクロは、猛烈なダッシュで激突。
《纏輪》使いとして成熟には遠いレイの身体。あっけなく水平向きに飛ばされ、これには堪らず失神。
その様子を窺いに、フタバたちはレイの顔を覗いた。
「これは……完全に伸びてますね」
「クロ先輩容赦ないです。鬼です。鬼畜です。バカ餓鬼です」
「仕方ないだろ! レイの奴、ホント一日刻みで強くなってんだぞ?」
自分の正当性を強く訴えるクロだったが、ホトリは既にレイの側に付いている。
「クロ君は先輩ですし、つい本気になって厳しく当たっちゃった、なんてことはないですよねえ?」
「うっ……」
フタバにまで責めるような目をされたら、もうクロは黙るしかない。
そして、にっこりと笑顔の花束で応えるフタバ。
「そんなクロ君は、私と本気の組手をしましょうね」
「えー、フタバはえげつない攻め方するじゃんかー」
「自業、自得です」
クロは、ホトリの追撃にぐうの音も出なかった。
「でも、負けてしまったレイさんにもおしおきは必要でーす」
隊長に連行されるクロを見送りながら、ホトリは一人ほくそ笑んだ。
*
「んん……う、ん?」
いつぞやの医務室のベッドを思い出す柔らかさを後頭部に感じる。レイは考えもなしに、というより薄い意識でその温さを堪能する。
頭だけやけに心地がいいのは気になるが、まあいいやと軽く考えた。
レイはすっと細く瞼を開ける。
「おはようございますです」
「ホトリちゃん……おは、え?」
目が覚めたら可愛い女の子に膝枕されていた。
(……オーイエ―)
胸中でエセ外国人のような反応を取りながら、レイは天井を背景にするホトリを見返す。
ホトリもまた、陰ってコバルトブルーのように見える瞳にレイを映す。爽やかなブルーハワイ色よりも存在を感じられていいと思う。
「ボーッとしてどうしたのです?」
「ははは、ホトリちゃん。それはこっちのセリフかなー、なんて」
ゆっくりと起き上ろうとしたが、額と首元を押さえつけられて動けない。
「クロ先輩に負けた罰です。レイさんは二人の組手が終わるまでこのままでーす」
言われてみれば年下の女の子に太腿を貸されているのは恥ずかしい。しかし、それよりも役得の方が大きい気がするレイだった。
仕方がなく、レイは訓練場に目を向ける。
「はっ!」
「ぐィっ!?」
丁度、クロがフタバに蹴り上げられたところだ。しかも無防備な顎を直撃している。悲鳴が声になっていないところにゾッとする。。
レイは背筋に冷たいものを感じ、自分の顎をさするのだった。
「今日も派手にやられてるですぅ」
横向きに蹴り倒されたクロ。クリティカルヒット一撃で終わりと約束で決めてある。もう勝負は着いただろう。
フタバはクロに手を貸している。
「三回に一回くらいはクロ君も勝ってるじゃないですか」
「その度に三倍返し喰らってるけどな!」
「クロ、膝が笑ってるよ」
「バカヤロウ、これはあれだ。夏祭りに備えて、盆踊りの練習をし過ぎたせいだ」
一体いつしたんだという突っ込みしなかった。これ以上は、クロのプライドに響くだろうから。
「ふひひ。で、レイはいつまでその状態でいるつもりなんだよ」
クロの言う通りだった。もう二人の組手は終わったのだ。
レイへの罰は『二人の組手が終わるまで、ホトリの膝枕を受けること』のはず。ホトリの膝から離れるこれとないチャンス。
しかし、それを勝手に良しとするホトリではない。
「そうは、イカのさせませんです」
「それだいぶ違うよ!?」
ホトリは、まるで食虫植物のように上から覆い被さろうとする。レイもマグロになるわけにはいかず、一息に抜け出した。
「お遊びはそこまでです。ホトリちゃんもふざけない」
「私は至って真面目にレイさんを確保しようとしたです」
ぷうと頬を膨らませるホトリだったが、フタバを含め全員が綺麗にスルーした。
なぜならこの後、フブキから特別な指令があるから。待ちに待ったレイの初任務が言い渡される日だ。
どこから抜き取った情報か知らないが、クロが拾ってきた噂で少し聞いている。
それによるとレイたちの行き先は、《SPCTRaS》長野支部。なんと地図北側のお隣様だった。




