第13翼 《SPCTRaS》8
いつもお読みいただきありがとうございます。
世の中には変わった体質の御仁がいる。それは困った性質の人とも言える。
ヒステリック等の後天的なものは除外して、今回は別のお話。
いわゆる二重人格という奴。
ここで留意してもらいたいのは、決して多重人格ではいということ。詳しくは、幾つもの種類が存在する、解離性障害の一つ。
『解離性同一性障害』などと分かりにくく長文で表されたソレは、自己の内でもう一人の自分を形成してしまうもの。
そんな有名な症状を持つ人間が、二人の男を正座させていた。フタバとホトリのシェアルームでだ。二人共寝間着姿になっていて、レイの乱入が無ければもうとっくに就寝の準備をしていたはずだった。
「よおクロ助。一週間ぶりじゃねえか。テメーがこの白髪モヤシを焚きつけたのは分かってんだ。大人しくゲロれ」
ドラマでやるような茶番警察芝居を披露し、クロより口の悪さが目立つ彼女の名はフタヨ。
容姿は二重人格ということでフタバと瓜二つ。まなじりが吊り上がり、目つきが悪人のそれに近づいた以外、変わったところはない。
しかし、ハンバーガーからトマトを引っこ抜いたような違和感があるというか。
壮絶なこれじゃない感と不気味な気分がレイの中で生まれていた。
「そっちの白髪モヤシィ……テメーは新入りだな。随分とアネキと楽しそうに話してたじゃねえか、ええ?」
フタヨの怒りがレイに向く。小動物程度なら即死させそうな眼力である。《纏輪》と得る前のレイだったら、ちびりそうな迫力だ。
(……アネキ?)
「もしかして、フタヨさんってフタバの妹なの?」
「あ?」
喉を震わせた脅しに、身体が本能的に縮こまり、ぶるりと震える。
「つーか、アネキ呼び捨てでなんで俺がさん付けなんだよ。変だろーが。えーと……レオ」
「レイなんだけど」
「うるせえ、お前は今度からシロ助だ」
男の扱いが雑だ。
クロ助はまだいい。名前がちゃんと入っている。しかしシロ助とは、まるで犬として見られているようだった。
レイは、クロに相談しようとするが……そうして返っていたのは意味深なアイコンタクト。
(あ、き、ら、め、ろ)
(そんな語尾に星マーク付きそうにされても……)
「そんで、シロ助はクロ助に焚きつけられたのか? どうなんだ?」
ぐいとレイに迫るフタヨ。クロは前科があるのか、どうにも独断の犯行とは思われていないらしい。
実際に連れてこられ、背中を押されているので、それは間違っていない。
だから、ため息をついてクロが喋り出そうとしたとき、レイはそこに横入りした。
「……俺が」
「僕が決めたんです!」
「お?」
レイは自白寸前だった戦友の申告を見事遮って見せる。
その潔さにフタヨですら意外そうな表情を隠しきれていない。
「ほぉう、だそうだぞクロ助」
我が意を得たりと勢いに乗るフタヨ。とうとう盛大に踏ん反り返ってのドヤ顔である。
顔はフタバそっくりだというのに、どうしてこうも殴りたくなる面なのか。レイはそれが不思議でしょうがなかった。
クロはひたすら悔しそうにしている。
「くぅ……ここで退いたら尾美烏黒様の名折れか」
「名はもう折れていると思うのです」
「あふう!?」
ホトリの責め句によるストレートパンチをもろに受け、クロは座りながらよろめくという器用な芸当を見せた。
「クロ助は前科二犯だからな……よしホトリ、ヒヨリに電話しておけ、クロ助への罰はそれで釣り銭が来る」
「うげ!? ヒヨリィ!?」
これまである程度余裕だったクロが焦る。
フタヨたちの反応や現在状況を考えると、クロの知り合いの女性かつ、それなりに立場が上の人間の話のようだ。しかし、それだけで取り乱すだろうか。
まさかと、レイは思ったことを口にしようとした。その言葉はフタヨに取られてしまったけれども。
「ヒヨリはクロ助の彼女で幼馴染、だっけか?」
「とっても可愛くて綺麗な方ですう」
フタヨとホトリがあっけらかんと言う。
未だに動揺するクロに、レイは凍て付いた声音で問うた。
「クロ」
「ん、なんだよ」
レイはわなわなと拳を震わせ、そのまま床に叩きつけて絶叫した。
「彼女がいるとは姑息なあああああ!」
「えぇぇぇぇぇぇ、なんでー!? 彼女がいると姑息なんて初耳だよ!?」
彼女がいながら覗きを手伝ったとか、この際そういうことは無視する。レイはクロのそういうところを指摘したかったのではない。
ただこの胸を突き抜ける、果てしない敗北感を吐き出したかっただけだ。
「クロ、君は親友だと思う。でも、君は僕の共犯にはなれない!」
「え……なんで、俺が振られたみたいになってんの?」
クロは呆然とレイの発狂を受け流すことしかできない。そもそも何が原因でこうなったのかすら把握できていない。
ノンストップとなったレイは、まだまだ熱弁を振るう。
「今度からは僕が一人で達成しぁぁぁぁ、ギブ、ギブ! フタヨ、ギブゥ!」
「さらっと再犯予告たあいい度胸だな、シロ助ェ!」
唐突に首元の感覚がおかしくなったと思うと、レイは尋常ではない圧迫感に捕らわれる。
それがフタヨの仕掛けたチョークスリーパーだと気付くのに数秒を要した。
太腿を下敷きにし、肘をついてレイの首を締め上げる。柔らかい二の腕に挟まれたとは思えない拘束だった。
(く、苦しい)
遺憾なく発揮される《纏輪》使いの身体能力が、レイの意識を飛ばそうとする。 この後に至っては、控えめな乳様を堪能しようだとか、そんなおバカな考えは浮かばなかった。
(あ……頭の先が冷たくなっていくような……)
目の前が白く、ちかちかと光の粉が舞う寸前、レイはフタヨから解放された。フタヨの腕の筋肉が弛緩したのだ。
「か、かふっ……な、なんで?」
色の付き始めた視界をふと見上げる。
フタヨはなぜか押し黙り、顔を赤らめていた。
「あ、あ……」
レイが疑問を浮かべる前に、彼女は叫んだ。
「いぃやぁぁぁぁ!」
(フタバだこれー!?)
フタヨの男勝りな語りとは打って変わり、フタバはとても女の子している。
「なんで不潔なスキンシップしてるんですか!? フタヨちゃんのおバカ! こういうことはやめって言ってるのにい!」
きー、とピンク色の御髪を掻き乱すフタバ。
どうやら自分の意思で任意に人格を切り替えることは出来ないらしい。そして、入れ替わっている間の記憶も大まかに残っているようだった。
それは……とても恥ずかしいだろう。
ルーム内がシンと静まる。
「レイ君」
フタバの威圧が襲い掛かる。レイはその恐ろしさに声も出ない。
「今のことを忘れてくれとは言いません。でもですねえ、もしかたら明日になったら忘れてしまうかもしれませんねえ」
レイは、笑顔の仮面がこれほど嘘っぱちに見えたことは無い。
指関節を鳴らしながら、フタバは終始にこやかだった。
パキ、パキ。
骨の音がカウントダウンのように響く。
「レイ、頑張れ」
「何を他人事のように言っているのですかクロ君。貴方は私の秘密を暴露した戦犯一号なんですから、それなりの覚悟はしておいてください」
「そうです。私も胸のことは隠し通しておこうと思っていたのです。クロ先輩は全てをぶっ壊してくれたデス」
女性陣の笑みの温度が最低値を記録した瞬間だった。局地的なあられが降り出しても、それはフタバの《候空》のせいだろう、きっと。
「さ、反省のお時間ですねえ」
「反省、反省でえす」
その夜、二人の男の悲鳴が《SPCTRaS》静岡支部居住区画に響いた。
*
《SPCTRaS》静岡支部の屋上。ガラス張りの部屋から通じる、最上階中の最上階。そこで男が一人、ベンチに腰掛けていた。
ゆったりとした仕草で星空を見上げる。そこには細かい飴細工が散りばめられたような、繊細な夜空が広がっていた。
月の光は、男の水晶色の髪に吸い込まれる。そこがあるべき居場所だったように。
「随分と、嬉しそうですね……マイロード」
「こら、その呼び方はやめなさい。この場では、|私(、)は風吹龍一だ。まあ、監視装置などの無粋な物は、ここにはないがね」
「失礼しました、フブキ様」
若い女に注意をする男――フブキは、夜空色に煌めく髪をじっと見つめた。
二括りにした、大人しいツーテール。ホットパンツがお気に入りなのか、それとも何着も持っているのか。この間見た物と同一だった。
「私が嬉しそう、か。だが、そっちも似たような物ではないのか、ん?」
「分かりますか」
「分かるとも」
フブキは大きく頷いて、また空を仰いだ。
「しかし、そうだな。呼び方か。僕は今後君をどう呼べばいいのだろうな」
「いかようにでも、元々の名前など捨てました故に」
少女は跪き、フブキの指示を待つ。絶対君主を前にした騎士のように、忠実に、堂々と。その存在感は、まるで彼女の直上にある眩い星のようだった。
「そうだね、ではいつも通りだ」
――ツバサ。
「はい」
ツバサは頭を垂れたまま、静かに応える。それから、フブキに促され、同じくベンチに座った。
「片翅嶺……君と同じ《降臨型》だ、興味深いだろう?」
フブキは夜風を頬で感じながら、レイの話を切り出す。これに対するツバサは、もちろんイエスで返した。
「是非もありません。彼が私と同じなら、それは繋がりを経て、いずれ交わりましょう」
「ツバサ、君はロマンチストになったね」
「それは師がフブキ様だからです。間違いないでしょう」
フブキは一本取られたと思いながらも、少し照れた。子供の頃から自分を見て育ったツバサだから、それも仕方がない。
「レイ君は、どちらを選ぶのだろうな」
「どちらとは?」
ツバサはきょとんと聞き返す。
「人か、天使か……さ」
その返答にツバサはやっと理解を示した。
「我ら《WINGs》、フブキ様の命とあらば人を捨てる覚悟など当にできております」
隣でフブキの格好を真似したツバサが、空を見上げる。
そこからは、ペルセウス座が悠々と彼らを見下ろしていた。
*
一週間後、レイは見事に《纏輪》の召喚を成功させる。一か月後には剣態と銃態すらそつなくこなして見せ、あっという間に初任務の時が近づいこうとしていた。
二章終わり。




