第12翼 《SPCTRaS》7
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シブミは語る。
「二〇一五年、人類は《SPCT》との邂逅を果たした。沖縄の各所に現れた奴らは、たった三時間足らずで琉球の地を更地にしてみせ、応戦した当時の自衛隊をほぼ全滅させてしまった。陸海空の全ての軍事力が毛ほども役に立たない。これには米軍もお手上げだったのか、さっさと尾を巻いて撤退していったよ。この時、死者は二千以上にも上り、そのほとんどが陸自、次いで空自だった」
《SPCT》が地上の建築物を喰らう、というのはここから考えられている。でなければ海自の生存者の多さに納得できない。
「沖縄県民も相当数の死者を出し、およそ数千人が被害に。だが同時に新人類の誕生の日でもあったんだ。君たち《纏輪》覚醒者が歴史上はじめて現れた」
レイもTVでドキュメンタリーを見たことがある。沖縄という、かつて様々な悲劇が起きた島の話を。
「そして、当時陸上自衛隊に所属していた、《SPCTRaS》静岡支部現支部長、風吹龍一は世界初の《纏輪》覚醒者……とされている」
シブミの話す事実に、レイは目玉が落ちそうなほど開かれた。
「支部長が、初の《纏輪》覚醒者!?」
どうしてそんな大物が静岡なんて場所の支部長を……?
レイの疑問が発射直前の花火のように飛び出しそうになる。
「私も知った時は笑ってごまかそうかと思ったよ、片翅嶺。しかし、データ上そう記載されていては、反論もできなかったよ」
シブミは風吹龍一の《纏輪》も調べたと恍惚顔で口にする。
遠くない未来、レイの金色翼もあられもなく解析、分析されてしまう気がする。
それにしてもフブキが世界的に有名な人物とは。フタバたちも訊いたときは大層驚いたに違いない。
「風吹龍一支部長は、《SPCTRaS》の創設にも関わっていてな。最初こそ東京支部で活動していたが、三年もせずに静岡県に支部を設け、移籍したそうだ」
今でもフブキは東京都の本部と付き合いがあるらしい。
たまに《SPCTRaS》の幹部が顔を出しにやってくるというのだから恐ろしい。
「まあ、その風吹龍一も関わった《SPCTRaS》の設立なんだが。実のところ奴は《SPCTRaS》の『R』uin 『a』nd 『S』weeperの略が気に入らなかったらしい。おかげでいい愚痴相手として酒に付き合わされている」
そのまま話が脱線して、愚痴が入るかと思いきや、シブミの話は止まらない。
「これらが示すように《SPCTRaS》とは《SPCT》を殲滅し、綺麗に排除することが目的だった」
「だった?」
「ああ、今は新たに役目が追加されている。《SPCT》を神が遣わした化身として、活動する者達への対処さ。『W』ing 『IN』ternet 『G』eneration『s』、通称《WINGs》と呼ばれるテロ組織だ」
レイは不覚にもその名にときめいてしまった。
「その《WINGs》なんですけど。僕、ニュースとかで報道された事しか知りません」
「ほう、ちなみにニュースの内容は?」
シブミはからかいを含んだ眼でレイを見る。
《WINGs》。《SPCT》を天使と崇める酔狂なテロ組織。《纏輪》を使った犯罪行為も増加しており、《SPCTRaS》の活動の妨害すら目的の一つ。
「――これくらいです」
「思っていたより、よく社会のことを知っているじゃないか。この渋実涼花少しばかり感心したぞ」
小学生にはなまるをあげるが如く、シブミは満足して頷く。
「では物知りな片翅嶺に、一つ私から教えよう。君と同型、つまり《降臨型纏輪》を所持する彼女は、正式に《WINGs》の幹部であると断定された。コードネームはツバサとすることに決定したよ」
「ツバサ……」
とてもよく似合うコードネームだ。全ての障害を翼一つで越えて行く。レイのイメージに残るツバサなら必ずそうするはず。
「今日はこれまでにしよう。片翅嶺の頭がパンクしない内にやめておいた方が良さそうだ」
そう言いながら、シブミは腕時計に視線を移す。レイ云々かんぬんは口実で、時間が押しているために切り上げるのだ。後、話題的に好みの方向でなくなったからか。
「では後はよろしく頼むよ、鳳凰寺双羽隊の諸君」
シブミは柑橘類のようなフレッシュな笑顔を残して消えた。
「……で俺たちは」
「訓練用ルームへ向かいましょう」
「でぇす」
眠気たっぷりのホトリも、ふらふらしながら後に続く。
「なんだかすごく危なっかしいよ、ホトリちゃん」
レイが腕で支えようとして、ホトリはそれをえいと退ける。
「大丈夫です。今日のはもう済んでいるのです」
意味深な言葉でレイから離れるホトリ。
(今日……のは?)
急に話を逸らされた時のように、レイは首を傾げる。これがレイとホトリの関係を大きく変えるのも知らずに。
クロの呼ぶ声がした。
「はーやく来いよー」
その元気すぎる呼び声に釣られて、レイの脚は自然と動き始めた。
*
広い面積とがらんどうの空間が売りの訓練室。そこでレイは天井を見上げる。
《SPCTRaS》内部のエレベーターで三回ほど昇っても、まだ上の階があるらしい。
ここのビルの天辺は半円球のドームにすっぽり幼っているから、もしかすると空が見える場所に来たのではないかと期待したのだ。
「ここの耐久度はぴか一だから、いくら暴れてもいいんだぜ」
「だからって壊していいわけじゃないですからね。レイ君には節度ある行動を期待してますよ」
すかさず入ったフタバの注意。
過去何度かやらかしたのだろう。
クロは全く聞く耳を持っていないけれども。
「さ、レイの訓練を始めるぞー!」
クロの笑顔は何だろう、湯たんぽのようなじんわりとした温もりを持っているのだ。
まあ、今は梅雨だから少し鬱陶しいのかもしれない。
「訓練って《纏輪》を呼ぶんだよね。シブミ先生に呼び出された後から背中が痒いっていうか」
「むずむずする?」
「そうそれ」
背中に意識を向けた瞬間、タイミングよくフタバが答えをくれる。共感できるところがあると、どうしてもテンションの高ぶりが抑えられず反応してしまうのだろう。二人は、もはや常識のように笑い合う。
「ふふ、レイ君が《纏輪》を初めて召喚した時のことを思い出してください。それから強く願えばうまく呼び出せますよ」
そう言うことならと、レイはあの日あの時何を思ったのか振り返る。
ずくずくと熱く、内側で唸る《纏輪》に、レイは――。
(僕は生きたいと思った……でも、それよりも空を飛びたいと、そう願った)
目を閉じて物思いに集中するレイに声が浴びせられた。
「おいレイ! 少し出てるぞ!?」
「……十センチくらいの可愛いサイズの《纏輪》、です」
やいのやいのとクロとホトリが騒ぎ立てる。フタバも驚いているようで、口に手を当ててマヌケに見えぬようにしている。
「あとちょっとですよ、レイ君!」
などと言い、フタバまで応援を送る。
「うぅ、くう……」
レイが想像していた願うという行為よりもっと厳しいもの。それは神にささげる祈りに似ている。
「ま、まだ!?」
力一杯、いや精神力一杯込めて願っているが、レイには現状が分からない。感覚ではとっくに巨大な翼を出しても良いくらいなのだが。
「まだまだですぅ」
ホトリも間延びしたエールで励ますが、レイの《纏輪》は変化を見せない。
ここからはレイの気力が続きそうになかった。現に踏ん張りの効いた力んだ声は、既に枯れている。
「はぁう、もう駄目だぁ……!」
ついに十数分粘った辺り。レイはギブアップを宣言し、床にへたりと座ってしまった。
「レイさん凄い、です。私は五分も続かなかった、です」
たった一年前に経験したホトリが褒めるのだ。レイはガラにもなく得意げになってみる。
「そっか、でも一回チャレンジしただけでへとへと。今日はもう無理かも」
レイは背筋をふにゃりと曲げ、見られるのも構わず脱力する。
フタバたちがそれを非難することは無い。むしろ初練習としては重畳と考えていそうだ。
「でしょうね。仕方ないんです。普段使わない筋肉を激しく動かすとくたびれてしまう、これと同じで克服するには慣れるしかありません」
なるほどなと思うレイは、どっと出てきた疲労に耐えて脚に気力を送る。
同時にクロが「立てるか?」と言いたそうに手を貸す。
「そーだぞ、レイおじいちゃん。後は見学だ。俺が剣態、ホトリちゃんが銃態の実演と詳しい説明をするからよう」
「初めて先輩らしく振る舞えそう、です!」
「うわぁ……」
ホトリが不意打ち気味にはにかむ。ずっと無表情を貫いていたことも合いまって、レイはその笑顔にヤられた。
気だるげだった垂れ目の破壊力と来たら、子猫や赤子が健やかに寝ているときの姿に通ずる無垢さがある。
(ああ~、凄く、癒される……)
さしずめホトリは、微笑みの散弾銃である。レイのハートはもう穴ぼこだらけの蜂の巣状態。どうにでもしてくれという感じだ。
「早速ヤられていますね」
「うむ。防御不可、守備貫通。ホトリちゃんの無敵スマイルだからな、しゃーないっしょ」
ボーっとホトリを眺めるレイに、後ろでぼそぼそと繰り広げられる会話は届かなかった。
剣態と銃態をそれぞれ使いこなすクロとホトリ。彼ら二人の演武で今日の訓練はお開きとなり、レイの怒涛の日中は過ぎていく。
そして、その夜のこと。レイの自室をノックする者がいた。
「よお」
声の主は予想に違わずクロだ。
「どうしたの? 今日ってまだやることあった?」
「やること? ……ん、そんなところだな」
クロは指をくいと曲げてレイを誘った。出かけようという合図だ。しかし、今は星も綺麗ないい時間である。夕食が済んで一服しようというときに、何をしよういうのか。
レイが不可解さを表に出してから十分ほど経たときだ。クロが一つの部屋の前で急停止した。
「ここは?」
予感でしかないが、レイは自分がとんでもなく太い虎の尾を踏みそうになっている気がした。
「フタバとホトリちゃんのシェアルーム」
「え」
それはひょっとしなくてもまずいのでは。
年頃のレディの部屋に男が、それも夜に二人で押しかけるなんて。レイは、どうしようもなく噴き出る嫌な汗を袖で拭う。
「今頃は風呂かな!」
隣でハハハとクロが笑う。その朗らかな笑みの内に、なぜデリカシーを持ち合わせなかったのか。こんなことなら、神が二物を与えたところで文句は出ない。レイは勝手ながらそう思う。
「それは覗きって言うんだよ、クロ」
「バカヤロウ、分かってら。だがな、男には女の子の風呂を覗く義務があるんだよっ!」
「な、なんだって……!?」
確かに、世の男子向け漫画主人公たちの多くは、女の子とのラッキースケベを行っている。レイが買うコミックスのシーンでも何回かあったのを覚えている。それが今か。
「僕も男だ。心を決めたよ、行こうクロ!」
「お前なら理解してくれると思ったぜ、マイフレンド……!」
おバカな男二人が結束を高めたところで、問題はこの部屋にどう入っていくかだ。まさか紳士たろうとするレイとクロが、ノックもせず侵入しようことは論外である。
「ここは堂々と入ろう」
「お前……死ぬ気か!?」
レイは、白く染まってしまった頭髪を抑え、決意を固める。戦友の神風にも似た特攻宣言に、クロは信じられんと抗議を申し立てた。
「考え直すんだ! エロスとは、一時の隆盛を求めるに非ずだぞ、レイ!」
「ふっ……」
肩に添えられたクロの掌をそっと払う。レイの耳には既にフタバたちの楽しげな談笑が届いている……。
「いざっ!」
二度のノックを丁寧に、自動ドアが開き切るのもしっかりと待ち、満を持しての入室。ふわっと女の子の柔らかい匂いがする。
「……レイっ」
「フタバ、ホトリちゃん。御免ッ!」
シャワーの音が止んだ方へ足を進め、ついに――。
「えっ……?」
「……でーす」
そこはパラダイスだった。
脱衣所には、湯上がりのうら若き淑女が二名、素肌にバスタオルを巻いて呆然としている。
「こ、これは……!」
フタバは、ある程度服の上から見定めたプロポーションと合致していて、イメージとの差が少ない。慎ましやかな双丘とくびれから足先にかけてしなやかなカーブを見せる筋肉の付き方。どれを取ってもファンタスティック。
(ビューティフゥ……)
だが、フタバに目を奪われていたレイを、更に魔境へと引きづり込む者現る。
(圧倒的……! これはエベレスト、フジヤーマ!?)
ホトリの脱衣籠の中には、サラシ用と思われる無地純白の布が。
そんなバカな。レイは己の目を疑った。今まで見たホトリのフラットなアレは偽装だったのだ。
完全に、してやられた。
(これが隠れ――!)
レイは、人生初の光景に呼吸も忘れて見惚れる。
動きを止めたレイに、フタバは……。
「覗き野郎、そこに直れぇぇ!」
「は、はひっ」
ソプラノがよく通る叫びは明らかにフタバな物だった。彼女はどすの効いた声で威嚇し、不審者を見下ろす。
「フタバ……さん?」
「ああ!? 人の名前間違えるたあいい度胸じゃねーか! 俺の名前は双葉だ、白髪モヤシ!」
なんだ、これは僕の幻想か。
混乱極まるレイの脳内は、そうやって自己保護に走るのだった。




