第10翼 《SPCTRaS》5
いつもお読みいただきありがとうございます!
「いぃぃやぁぁ!」
メディカルルームは絶叫で一杯だ。それというのも、医務室の主がレイを脱がそうとしたのが発端。
いっとき怪しんで上着を脱いだレイに、彼女はこう言ったのだ。
『《纏輪》の一部を切り取らせてもらう』
さあ、大事な金色翼のピンチ。レイは真っ青になって逃げ出した。
「落ち着きたまえ、片翅嶺」
とレイのフルネームを連呼しながら、チェーンソーを構えて迫る美人女医。
渋実と紹介された彼女は、とてもワルい笑顔をしている。メディカルチェックにかこつけて、レイの《纏輪》を調べるつもりらしい。
平日の朝っぱらから狭い室内を駆け回るなんて、レイに想像出来ようもない。
「痛くない、痛くない。むしろ気持ちいいぞ」
「嘘だ! ぜっーーたい、嘘だ!」
「あきらめろ、シブミさんには俺もヤられた……する必要はなかったんだけどな」
レイは怪しい女医に追われながら、目を剥く。
(なんだって、クロが!?)
もしかしてと思い、見守るフタバとホトリを窺った。
「なるようになりますよ」
「レイさん、ガンバです」
ああ、もっと参考になる意見がほしかった。主に、シブミを止められるだけのものが。
「ぐふふ、君は世にも珍しい《降臨型纏輪》の持ち主と聞いているからね。気合いも入るさ」
レイは《降臨型纏輪》が何なのか知らないが、シブミの電動ノコより怖いものではないはず。
変態だ。まごう事なき変人だ。指をくねくねと踊らせるなと叫びたい。
「《纏輪》を出したまえ!」
「無理です!」
「なぜだ!」
シブミが白衣を揺らして責め寄る。
特に変わった髪色や虹彩じゃない。彼女は特に異能力もないただの人間。《纏輪》に興味津々で、悪感情はないのが始末に終えない。レイやクロたちをただ《纏輪》を使える人間としか見ていない、純粋な人。
「ち、近いですし、そもそも……」
ドキドキしないとは言わないし、胸元が開いていて目に毒だ。
しかし、実なりには相当気を付けているらしく、短く切り揃えられた黒髪に乱れはない。ちぐはくな印象をあわせ持つ女性。
(好きなタイプの人だけど……苦手だ)
「僕、《纏輪》の出し方知りません」
「何? それは本当かい、鳳凰寺双羽」
そいつは計算外だとシブミは頭を抱える。彼女はそこそこの付き合いがあるフタバすらフルネームで呼んだ。
「じゃあ、仕方がない」
「でしょ」
シブミは仕方がないと言いつつ、ノコのエンジンを焚く。振りかぶるまで、動きにまるで淀みが無かった。
「ああ、仕方がない……から斬る!」
「ああー、あっ!?」
背中の金色輪が、意識から離れて動き出す。瞬時に翼状の盾となり、レイを守る。
チェーンソーと《纏輪》の衝突。
シブミは、フタバたちの《纏輪》を切った時と変わらないと思っていた。が、電動ノコの刃はきゅるきゅると頼りなく擦れる。
「なぜ切れない? 他の奴らだとこいつで一発なんだがな」
モーターの駆動音を唸らせ、回転刃とレイの《纏輪》を見比べる。シブミの予想では容易に済むことだったらしい。
「はぁ……死ぬかと思った」
「貴重な《降臨型纏輪》覚醒者をみすみす殺めるなどありえんよ。はっはっはっ」
それを先に伝えろ、とは言えないレイだった。
「さて、もう一回イクぞ」
「はい?」
シブミはもう一度チェーンソーを構える。どうしても《纏輪》のサンプルが欲しいと見た。
「心配するな。一度出せれば、未熟な片翅嶺にも多少は動かせるはずだぞ」
「へぇ……本当だ」
伸びろよ縮めよと思えば、その通りに変形する。
「うむ、では《纏輪》を伸ばしてくれ。切断しやすいようにな」
せっかくの翼を差し出したくないが致し方ない。レイは右側の背中から突き出る金色翼をなるべく細くして見せた。
だが――。
「なぜだ。今までのデータから、覚醒直後から半年の《纏輪》なら電動ノコギリで十分な硬度なはず……尾美烏黒、君なら斬れるか?」
突いても引いても傷付かない。さしものシブミも驚きを隠せず、クロに助けを求める。
「まあ、斬るのは得意だけどよう」
と言いつつ、クロは左上腕の《纏輪》を呼んだ。流麗な《纏輪》捌きで剣態に変態させる。
レイが感嘆のまなざしでその光景を眺めていると、クロは申し訳なさそうに断りを入れた。
「ちっと失礼!」
反応を示す間もなく剣態の一閃が走る。斬るのが得意と言うだけあり、所作に無駄が無い。
「痛つ……」
「斬れねえ。少し切れ込みができただけか!?」
「信じられん、通常の倍以上の硬度と耐久力を持っているのか」
やんわりとして見えて、実はとてつもない硬さを誇るレイの《纏輪》。あまたの金色輪を調査、研究してきたシブミでさえ、その堅牢ぶりには舌を巻く。
「どうすんのよシブミさん。これじゃあ切り取れないっつーか、見れないぜ。俺の《纏輪》でも少し切れ目を入れるのがやっとだ」
「みたいだな、尾美烏黒でも無理となると鳳凰寺双羽はもちろん島崎畔では傷一つ付かんな」
ああとシブミはうなだれる。今日はもう寝てしまおうとか言いだしそうだ。
「尾美烏黒の《纏輪》を開放させるわけにはいかんし、片翅嶺が己の力を制御できるようになるまで待つしかないか……」
「《纏輪開放》は戦闘以外じゃ許可要るしな」
結局、レイの《纏輪》をカットすることは叶わない、という結論に至る。ともあれ、執行猶予はあるようで安心だ。
「結果どういうことですか、シブミ先生」
あらすじでは満足いかなかったのか。それとも話から置いて行かれた不満からかフタバは説明を求める。当事者のレイがさっぱり理解していないからタイミング的には助かるのだが。
「つまり、《降臨型纏輪》は従来の《纏輪》よりも遥かに打たれ強いということさ」
「それは頼もしいです! クロ君とホトリちゃんは攻撃特化していますから。私はどっちつかずですし」
「ふふ、ロマンと言いたまえよ隊長」
「《SPCT》倒せればいい、です」
ロマンとは一体?
レイが素直な疑惑を考えていると、不意にシブミの視線を感じた。
「ではメディカルチェックを終わるとするか」
そう告げたシブミの表情は、やはり物足りなさそうで同情するべきか否か迷う。
「まだ大したことしてないですよ?」
「それはそうだ。身体検査とその他諸々だけだからな、本来。むしろ最後がメインであり、私の趣味さ!」
「アンタ最低だよ!?」
「ちなみに、次の《纏輪》講座も私が担当だ。嬉しいだろう?」
レイは、いいえと即答を返さなかった自分を褒めたい。
研究者というのは、有害無害に関わらず独自のスタイルを貫くもの。そうカテゴリして後は触れないのが賢明なのだ。
「何を言っても連れて行かれるんですね。そうなんですね」
「その通り! 休憩を十分間とってから、多目的ホールに移動しようか」
シブミの素敵な笑顔を無碍にはできまい。
されるがまま医務室から出る……前にレイは焦り始めた。
「あ、あの!? 僕の《纏輪》、どうやってしまえばいいんですか……?」
「おお、出し方が分からないのだから引っ込めないのは道理だった。しかし、私にそう言った感覚は理解できん。お前たちが手伝うと良い」
レイが言いださなければ、まるで見世物のように支部内を移動することになっただろう。今朝のことが思い起こされて、少しだけしょぼくれた。
「ここは先輩に任せろ! なあ、フタバ」
「任せるも何も、心を落ち着かせていれば数秒で鎮まるじゃないですか」
クロのノリに冷静に対応するフタバ。何だかんだ仲が良いのは、初期二人組を思わせる。
「心を……鎮める」
レイは一人、瞳を閉じる。同時に、うなじから腰上にかけて迸る熱。人肌チックなその温もりをゆっくりと、時間をかけて冷ますイメージで。
(……戻れ)
《纏輪》は応える。いや、粒子となって散る辺り、ケンカ別れに近い。
「いつ見ても《纏輪》の散り様は美しいな。ずっと見ていられないのが残念だよ」
シブミの金色輪の想い方は、信仰と呼べるものだろう。熱烈な視線を受け、レイの顔は赤くなった。
「では鳳凰寺双羽隊の諸君、多目的ホールへ向かおうか」
今からでも駆け出しそうなシブミの案内で、レイたちは退出する。
多目的ホールとは、少しばかり暇になるくらいの距離があった。
「イベント事にしか使われないからな、ホコリっぽいのは我慢してくれ」
とシブミが忠告した通り、ホール内の空気は気持ち吸いづらさがある。早く換気扇でも回したい。みんながそう思うのは当然の流れだった。
レイだけが講義を聞くわけではなく、各々が話を傾聴しやすい位置に座る。
プロジェクター付きの部隊には女医が立つ。彼女は壇上から、扇状に広がる室内を見渡す。
「ふむ。ここに立つのも一年くらい久しいな。諸君、これより《纏輪》及び《SPCT》、《SPCTRaS》の指針、反政府組織ついての講義を始める……筆記用具の用意は、できているかね?」
子供のように無邪気なシブミの問いかけに、レイ、フタバ、クロ、ホトリはいそいそとペンを出した。




