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就活中の人には絶対に読ませたくない現代魔術ファンタジー7

「でも、いったいどうするんですか?」

 製造元の「TMS」でさえ、どうにもできないだろうとは、先ほど柏が説明したとおりである。それをこの人数でどうにかするなんて、それこそ「魔法」でも使わない限り無理な話ではないか。

 杏の不安をよそに、佐久間は何か自身に満ちたような顔で、造精炉を手の甲で叩いた。

「要はこのデカブツが動いて、明日の納品に間に合わせりゃいいってことなのよ」

 中から、ごうんと空洞の鈍い音が響く。杏には、まだその言葉の意味するところをつかめなかった。だが、それを詳しく説明することなく、次の瞬間にはいつものよく通る大きな声を上げた。

「四方木、さっき言った数値のチェックはやってくれた?」

「はいはい。精霊の基礎分布の数値は問題ないです。稼働率の計算もおそらく問題ないかと。詳しい数字はここに書いてます」

「じゃあ、柏の意見は?」

 四方木から受け取った紙に目を通しながら、そう呼びかけた。

「見たところヴァージョン3.12で、初代と造精術式はほとんど変わってないはずです。標準でフル稼働まで二十分、出力調整から臨界まで、そこからだいたい五分ってところですかね」

 柏は造精炉の周りをぐるりと回りながら、それを見上げるようにしてそう見解を述べた。

 それを聞きながら、佐久間は先ほどの紙に次々と数式を書き加えていく。そこから、導き出される複数の計算を同時に進行しながら、機敏な動きでそれらを書き加えていく。まるで佐久間の手が何かに操られているかのように、その動きは一瞬も止まることなく動き続けた。絶え間なく書きつづられる数式と術式。その魔術の洪水の中にあって、佐久間はその潮流に飲まれることなく、その流れを我がものとしていた。

 ひときわ高い音がその筆記具の先から響いたあと、佐久間の手が止まった。たった数分の出来事であるのに、その時間はまるで何倍にも濃縮されたような時間であった。魔術であっても時間を操ることはできない。しかし、そこにいる佐久間の時間の流れだけは、まるで杏のいるものとは、全く別の流れ方をしているようにさえ感じられた。

「よし」

 短く言葉を残すと、その紙を三つに裂いて、一枚を四方木へ、もう一枚を柏へ。

 そして、最後の一枚を杏の元へと差し出した。

 我に返った杏は差し出されたその紙を驚いて見つめた。

「ほら、これはあなたの分の仕事よ」

「え、でも……」

 まだちゃんとした仕事もしたことがない自分が、こんなところにいても足手まといにしかならないはずだ。

「早くしなさい。時間がないの。あなたの役割も入れて時間ぎりぎりなのよ」

 それでも、うつむいたままそこに手を伸ばせずにいた。

「あなたはうちの社員、そうでしょ?」

 いつかと同じ台詞に佐久間の顔をはっと見返す。そこには、強く揺らぐことのない決意があった。佐久間のその表情が、杏に見えない自信を湧きあがらせる。恐る恐るそれを手に取ると、佐久間の顔がわずかにほころんだ。


「用意はいいわね」

 佐久間の指示のもと、すぐに準備に取り掛かって、すべての状況が整ったときには、約束の時間まで残り三十分を切っていた。佐久間の合図に従って、柏が造精炉の火を入れると、鈍い音とともにむき出しとなった核それぞれが、ほのかに光を帯び始めた。その作動に合わせて、今度は杏が佐久間に支持された魔術陣の紙をその周りへと広げ、そこに最後の調整術式を書きこんで各所に固定していく。

 柏が核を制御し、杏の魔術陣によって、精霊の活動を抑制し臨界点への到達をぎりぎりまで遅らせる。それが二人に与えられた役割だった。

 ここで、自分が失敗したら……。

 碌な準備の時間もなく、いきなりの本番である。杏は震える手を慎重に動かしながら、魔術陣を床へと書き出していった。

「遅い、早くしろ! そんなに時間をかけるな!」

「は、はい」

 急かされるように杏は声を上げた。

 もしかすると、何か間違っているかもしれない。自分の中の嫌な予感をかき消しながら作業を続ける一方で、不思議と落ち着いている自分の存在に気付いた。それは、短い間ながら「ソーサリードロップ」で培った仕事のおかげであるかもしれない。あのあわただしい日々の業務の中で、杏は知らず打ちに格段に魔術の知識が身についていた。

 そのことに気がつくのと、杏がすべての術式を書き終えるのは、ほぼ同時だった。

「できました!」

 杏の声にうなずくと、柏は自らの手元の稼働式を書き換えた。すぐさま造精炉の核がよりいっそう光を増し、互いに共鳴するように明滅を繰り返し始める。それと同時に、その核のまわりには、オレンジ色の光の粒子となった精霊が漂い始めた。

 造精炉の連結稼働が開始され、その動きを見るや否や、四方木と佐久間が造精炉の中へと飛び込んだ。むしろ、そこからが本番といっても過言ではない。

 杏は、その様子にぐっと息を飲む。

 もし、この状態で臨界点に達してしまえば、二人は火傷どころではすまない。

「ぼさっとするな。術式への反応を見ながら、精霊の分布に注意しろ。それと並行してセーフティの確保も忘れるな」

 柏の声に慌てたように、再び手元へと視線を落とした。

 

 造精炉の内部に入った二人。佐久間は三つの核の中央に位置をとり、四方木が入り口そばに場所をとった。

「これ、本当に大丈夫ですかね。万一の時って労災とかおりますか?」

「ケガしなけりゃいいのよ」

「……ですよね」

 平然と言ってのける佐久間に、四方木は苦笑いを漏らした。

 臨界反応を起こす前に、四方木が三つの核の造精作用を制御したうえで、佐久間がそのうちの二つを強制停止させる。連結式をただの小型造精炉として機能させようというのが、佐久間の持ち出した案だった。

 理論上では可能な方法であるが、それを実践するというのは、現代魔術から言えば無謀とでも言える方法であった。だが、それでも佐久間は、その方法以外にないことも理解していた。

「さあ、やるわよ」

「あいさ」

 四方木は腕まくりをした片手に魔術陣の書かれた紙を握り、もう一方の手で並行して術式を書いていく。そこに現れる反応に対して、即座にそれに対応する別の術式を当てはめていく。

 魔術の術式における天賦の才ともいうべき判断力で、四方木はそこにある精霊の流れを掌握していった。徐々にそこに漂う精霊の粒子が規則的な流れを作りはじめ、三つの核を取り囲み、その中心に佐久間の姿が据えられた。

「臨界まで、あと約四十秒です」

 装置の外から、柏の叫びが聞こえてくる。

 装置の回りを取り囲む杏の術式のいくつかが、精霊と過反応を起こし、はじけ飛ぶように四散し、杏は短い悲鳴を上げた。

 佐久間の回りを取り囲んだ精霊の粒子は一つの大きな渦となり、彼女はその中心でじっとその精霊の動きを見つめた。じりじりと焦げ付くような熱量が彼女へと迫る。地獄の業火を思わせるエネルギーの集合体が、いまにも弾けんとばかりに彼女を取り囲んでいる。

 佐久間を守っているのは、足元の反応抑制術式のみである。その上に立ち、一枚の術式を記した紙を握りしめ、そこに起きる反応を見つめた。三つのうち、二つの核の造精反応のタイミングが一致する瞬間、核の強制停止術を発動させなければならない。全神経を研ぎ澄まし、床に描いた術式からの、その瞬間を知らせを待つ。

 およその計算で、そのタイミングが訪れるのは二〇〇秒に一回、それも二秒にも満たない時間の間だけ。ただし、それはあくまでも計算上の確率であり、必ずそれが現れるとも限らない。何よりも、そのタイミングをつかめたとしても、その間に術式の発動を完遂できるかどうかもわからない。

 限界まできたら柏が装置の強制停止をかけることになっているが、そうなると、部品の納品はおろか、装置の再稼働もままならない可能性だってある。

 最悪の想像を振り払うように、目の前の反応へと神経を傾けた。

 これまで、反応が同時に起こった兆しは見られない。計算に何か狂いがあったのか、そう思いかけた時、ひときわ輝くような反応を視界の隅に捉えられたかと思うと、すぐさま手に持つ術式をそこに向かってさしのばす。

 紫電一閃。

 即座の急激な反応の後、炉内が一瞬の静寂に包まれ、やがて佐久間の後ろの核だけがほのかに光を帯び、わずかな造精反応を起こしはじめた。


「うまくいったんですか」

 造精炉から出てきたところに、杏が駆け寄ると、佐久間は自信に満ちた笑顔でウインクして見せた。

「もう大丈夫よ」

 その言葉に工場にいた従業員たちから一斉に歓声がわきあがる。

「さあ、すぐに起動して精霊の供給を初めてちょうだい。ぼさぼさしてる時間はないのよ。うまく動いたって納品が間に合わなかったら意味ないんだからね」

「まだ、こき使われるんすか」

 四方木ががっくりと肩を落とすと、佐久間がその背中をばしっと叩いた。

「ほら、若いんだからしゃっきりしなさい」

「へーい」

 それから、佐久間は従業員たちに向き直った。

「炉の活動が安定したら、すぐに部品の製造に取り掛かってください。出力は低いですが、数時間くらいなら安定稼働するはずです」

 佐久間の言葉に、従業員たちはたちまち自らの仕事に取り掛かり始めた。

「手が足りないなら、こいつも存分に使ってくれていいですから」

 そういって佐久間は柏の襟首をつかむとぐいと、工場の主の前に差し出した。

「ちょ、っと、佐久間さん?」

 慌てた柏の様子なぞお構いなしに、手近にあった作業着をぐいと押し付けた。


エピローグ

 外にはまん丸の大きな満月が出ていた。満点の星空のもと、工場の前には数台のトラックが並んでいる。

「これでなんとか間に合いそうですね」

 納品用の部品を乗せたトラックが走り去るのを見送ると、従業員の中からもほっと安堵の息が漏れた。工場の主の男も、一時は地獄でも見たような顔つきであったのが嘘のように柔らかい笑みを浮かべている。

「本当にありがとうございます。佐久間さんがいなければ本当に、どうなっていたことか」

 そういって何度も何度も深く頭を下げた。

「それにみなさんも、本当にありがとうございます」

 杏たちに向き直ると、改めて深々と頭を下げる。こんな年上の人から感謝され、深々と頭をさげられるなど、なんだか申し訳ないような気にさえなってくる。

「あなたも、お若いのにこんなに立派な仕事をなさっていらっしゃる。うちの若いものにもぜひ、見習わせたいところですよ」

 杏の前に立つと、男は優しそうな瞳で声をあげて笑った。杏はその言葉に、思わずほおを赤らめてうつむいた。人から褒められることに慣れていない彼女は、それへの対応に戸惑っていた。

「今回のは、あくまでも応急的な処置にすぎません。また、すぐに代わりの新しい造精炉を手配できるよう業者にもこちらから掛け合ってみますので」

 佐久間の言葉に、男は再度頭を下げた。

「あー、すいませーん。TMS保守サービスものですけどー」

 そのとき、入り口の付近から若い男の声がした。見ると、そこには、TMSのロゴの入った作業着を着た若い男が二人立っている。

「造精炉の障害が出たとかでお伺いしたんですけど」

 今の今まで、ここが戦場のように熾烈な時を刻んでいたとは想像すらできないのだろう。男のどこかやる気のない言葉が、不自然にそこに転がった。

 工場主の男が、すっと無言でその前へと進み出た。

「それについては、こちらのソーサリードロップの方に対処してもらったので、おたくらにはもう帰ってもらってもいいですよ」

 言葉づかいは丁寧なものの、そこには明らかな嫌悪感が現れていた。今頃、のこのことやってきてこの態度である。この騒動の原因の一端も、このTMSにあるといっても過言ではないのだ。

「そうですか。でも一応点検しとかないと、本社がうるさいんで」

 最後の方の言葉は、どこか自分に言い聞かせるような言葉であり、相手の都合など考えている様子にすらなかった。

 二人して工場の奥へとずかずかと入っていくと、わずかに稼働する装置を見て声を上げた。

「ああ、ちょっと困るんですよね。うちの製品に勝手に変な手を入れてもらっちゃ」

 一人がこれ見よがしに声をあげた。

「これは、ちょっとなおすのには別料金になりますけど、そちらで負担してもらうことになりますね」

 もう一人も、何やら紙にメモをとりながら装置の周りをうろついていく。

 そこに、佐久間が黙ってつかつかと歩いていった。

「おたくがそのソーサリーなんとかって人? ダメだよ、人の顧客の製品に勝手に――」

 佐久間は目の前の男の胸倉をぐいと掴みあげた。

「あんたらみたいに、会社に尻尾振ってのうのと仕事してる連中と違ってね。ここの人たちは、仕事に命をかけてるの! 人生をかけてるのよ! わかる? 一番つらいとき、大変な時にお客さんのそばにいなくて、それでお金だけもらおうなんて図々しいにもほどがあるのよ。いますぐ、ここから立ち去りなさい!」

 すさまじい剣幕でまくしたてる佐久間が手を離すと、男は驚き固まったままその場にへたり込んだ。もう一人の方へと、佐久間が鋭い視線を向けると、状況のまずさを察したのか、片割れを連れて逃げるようにして、その場から離れた。

 最後に申し訳程度に、工場主へと礼をすると、あとは一目散に工場から飛び出していった。


 杏は、その光景をずっと見守っていた。あれだけ、お客から何を言われても怒ることのなかった佐久間が、これほど激しい感情をあらわにしたことに驚いていた。

 しかし、なにが佐久間の感情をここまで揺さぶったのか。佐久間が何に対して怒りを向けたのか。今の杏にはなんとなくわかるような気がした。

 TMSという大きな会社を離れ、そこで彼女がしようとしていることがどういうものなのかが、その片鱗をこの一連の経験からわずかに垣間見たような気がする。

 そして、杏はふと頭に一つの答えがよぎった。

 自分も、その佐久間の思い描く未来を一緒に見てみたい、いや自分も力を振り絞り、実現してみたいと。

 鞄の中に、隠し持つ「契約書」の存在へと考えを巡らせた。

 杏のその考えを、樺柳という男はどう受け取るだろうか。

 親友のみかさは、きっとまた自分のことみたいに怒るのだろうか。

 ――なにより、自分はどうだろうか。

 きっと、どっちの道をたどっても、後悔するかもしれない。それなら、自分の信じた道で後悔したほうが幸せだと思う。


「さ、帰って仕事の続きよ!」

 佐久間が快活に声を張り上げると、四方木と柏から露骨な悲鳴が聞こえた。

「もう、最終列車はないんですから今日は泊りですね!」

「なんで、杏ちゃんはそんなに元気そうなわけ?」

「ものおぼえのわるいわりには、体力だけはあるんだな」

 二人が口々にぼやく。

 杏は、たたっと軽やかな足取りで三人の先頭に小走りで出ると、くるりと振り返って、満面の笑顔を見せた。

「――だって、もう『決断』しましたから」

 満月と空いっぱいの星のもと、杏のまわりにはわずかな精霊の群れが飛び交い、その姿をきらきらと輝かせていた。




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