就活中の人には絶対に読ませたくない現代魔術ファンタジー1
プロローグ
テレビの画面に若い青年の姿が映り、その向かいにインタビュアーの男が座っている。青年は年齢に不釣り合いな高級ブランド仕立てのスーツを颯爽と着こなし、腕にはこれ見よがしにダイヤをきらめかせた時計が輝いていた。
彼はおもむろに、折り紙ほどの大きさの一枚の紙を取り出すと、それを彼の目の前に並べられた人形のようなものにかざしてみせる。その途端、その紙が一瞬で灰となり、同時にそこに集められた人形たちが、自らの意思を持つかのように動き始めた。
その様子を目にしたインタビュアーの男が驚いたように目を見張り、声を上げた。
青年はその男と、画面の向こうにいる人達に向かってその現象について説明を始めた。
『これは魔術の力をつかってゴーレムを動かしているんです。魔術というのは、自然に存在する精霊を術式によって制御することでさまざまなことができるんですよ』
『な、なるほど。この魔術によって多様なサービスを提供することが、社長の会社の仕事なんですね』
インタビュアーが心底感心したように熱を帯びた口調で声を上げた。
『そうです。これは何も特別なことではありません。いずれ、社会の至るところにこういった魔術を利用したサービスが増えるようになるでしょう。魔術師という職業は、今後の社会で最も必要とされる仕事になっていきますよ』
スポットライトを浴び、周りから賛辞を贈られる彼の姿は、きらきらと輝いていた。
小学生の八橋杏は画面の前に座り、その姿を一心に見つめていた。
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それから八年ばかりの時が流れた。
『八橋 杏 殿
先日は、弊社の採用試験にご来場いただき誠にありがとうございました。
慎重に協議いたしました結果、誠に残念ながら、今回は貴殿の採用を見送らせていただくことなりました。誠に申し訳ございませんが、何卒ご了承賜わりますよう――』
「はあ……、またか」
杏は途中まで読んだメールの文面から目を逸らすと、大きく声を上げて部屋の天井を仰いだ。これまでに、「お断り」された企業の数を頭の中に思い浮かべて、それが二桁どころで収まるはずもないことに気づき、数えるのをやめた。
世はまさに就職氷河期である。
氷精霊のほうがまだ温かみがあるのでは、とぼやきたくなるほど世間の風当たりは冷たいものであった。杏はおもむろに机の上にあった就職用のパンフレットへと手を伸ばし、それを物憂げに眺めた。
『魔術の力で社会の役に立ってみませんか』
そんなキャッチコピーが表紙に踊っている。ため息一つついて、それを元の場所にほうり投げるようにして、手を離した。
今、世の中には、「魔術」というテクノロジーは欠かせないものとなっている。ちょっと家の中を見渡してみても、そこいらに魔術の術式を応用したものであふれており、そのおかげで人々は存分に便利で、快適な暮らしを享受できていた。いま、杏の目の前で忌々しい内容のメールを宙空に映し出している画面もまた、その恩恵のたまものである。
杏が腹いせとばかりに、メールの画面を中指で弾くと、まるで見えない支柱が真ん中で支えているように、画面が勢いよくくるくるとその場で回転し、やがてはしずかにその動きを止めた。こんなやつあたりみたいなことで杏の気が晴れるわけもなく、椅子の背もたれに体を預けると、椅子がぎいと杏に憐みを向けるような声をあげた。
魔術が生活に幅広く浸透し始めたのは、今から十年にも満たないくらいの年月をさかのぼったころからである。実際にはもっと前から一部の専門家たちの間で研究が重ねられていたれっきとした学問であるのだが、それが一般人にも認知されるようになったのは、だいたいそのころである。その当時、杏はまだ中学生ほどであったが、TVで「魔術」という言葉を目にしない日はなかった。多くの若手社長たちが魔術というものを駆使したサービスを提供する会社を興し始め、それらが人々の生活に徐々に浸透し始めていったのが、ちょうどその時期である。
妖精を使役して人間の手伝いをさせたり、ゴーレムを命令通りに動かしたり、とそれまで一部の人間にしか扱えなかった魔術という「技術」を、一般人でも安全に安価で利用できるようにした。それが、魔術というものが大きく普及した理由である。その結果、それらは人々の生活に劇的な変化をもたらすことになった。
同時に、このマジックベンチャー企業の社長をはじめ以下社員たちは、その魔術ビジネスの利益で手にした華やかで豪華な生活を惜しげもなく披露し、マスコミの間ではまさに時代の寵児としてもてはやされていた。
後に「マジックバブル」といわれる時代である。
そんなものを、多感な思春期の時期にまざまざと目にした杏が、魔術というものに惹かれたのも無理のない話かもしれない。いや、杏だけに限らない。杏と同年代の人間たちにとって、魔術はまさに自分を幸せにしてくれる「魔法」のようなものであると錯覚を引き起こしていたのだ。
彼女たちの年代の学生たちは、みなこぞって魔術学校を目指し、いつかはその社長たちのように、絢爛豪華できらびやかな毎日を送ってやろうと息巻いていた。杏も、そこまで大それたことなど考えてはいなかったにせよ、人々に感謝され、羨望のまなざしを受けるようなちょっとした成功者となる自分の姿を夢見て、魔術学校の門戸を叩いたのだ。
しかし、所詮バブルはバブル。いつかははじけるものだ。そして、そうなったのが、たまたま杏が就職活動を始めようかという時期の直前であったというだけである。不埒な考えを持った杏に対して、神が下した天罰か。それとも、気まぐれな悪魔のもたらした質の悪いいたずらか。
ただでさえ、魔術に関係する市場は成熟し、飽和状態に近づきつつあったというのに、そこにバブルがはじけたおかげで、一転して不景気の到来。どこの企業も軒並み採用自粛。おまけに、マジックベンチャー時代に魔術学校に入学した学生たちが大量にあぶれてしまっており、魔術関連の企業の狭き門に大量の人が押し寄せる格好となっている。
絵にかいたような見事な負のスパイラルの結果、いま杏の目の前には凍えるような「不採用ブリザード」が吹き荒れている。
もう卒業も目前にまで迫っているというのに、このままでは内定のもらえないまま、「魔術学校卒」という潰しの利かない肩書きを背負い、不況の波にもまれ、社会の海の藻屑と消えていくしか道はない。思えば、もっと早くに魔術という分野に見切りをつけて、いろんな企業に挑戦していくべきだった。昨年の夏ごろに、同級生たちは魔術企業には早々に見切りをつけ、もっと一般的で普通な仕事、金融業とか食品加工業とかそういったところに目標を切り替えていた。杏はそのときは、夢なかばに諦めていく彼ら、彼女らに対しどこか憐憫の情を向けていたのだが、その同級生たちも今や卒業すればきちんと受け入れてくれる企業があり、憐憫の情を向けられるのは杏の方となっていた。
遠い田舎から自分をこんな都会の私立の学校に通わせてくれる両親にも申し訳がたたない。魔術の発展と進歩などとは無縁の田園地帯にある実家と、そこにいる両親を思い浮かべ涙が浮かびそうになった。
しかし、既に過ぎ去ってしまった過去の過ちを嘆き、感傷に浸っている場合ではない。魔術であっても時間を巻き戻すことなどできないのだ。今やるべきは、すぐにでも就職情報を集め、魔術だけにこだわらず、手当たり次第に採用試験に応募することである。
そう言い聞かせて自らを奮い立たせてみたものの、杏の手は自然と魔術企業の採用情報の画面へと動いていた。既に不採用の通知をもらったその企業に、いまさら杏の入る余地もないことは百も承知である。
それでも、未練がましくそんなところをのぞいている自分のみじめさに嫌気がさしてくる。
『あなた宛ての新しいメッセージがあります』
ふいに軽やかな音色とともに画面上にそんな文字があらわれ、杏は驚いた拍子に椅子から転げ落ちそうになった。
それは、以前登録した就職情報サービス会社からの一通のメッセージだった。
どうせまた、どこかの会社説明会の案内か何かだろうと大した期待も持たずに開いたメッセージの一文に、杏は思わず手が震えた。
『〈株式会社ソーサリードロップ〉より、あなたに面接のお誘いがあります。もし、興味がおありでしたら、下記宛先までご連絡くださいますようお願いいたします』
そこに現れたメッセージを眺め、そういえば、と思い返す。初めてこの情報サービスに登録したときに、「あなたに相応しい企業があれば、企業からあなたにスカウトが来る場合があります」との一文のあと、杏は自分の志望情報や学校の情報などもろもろを入力した覚えがある。
その頃はまさか、こんなことになっているとは思いもよらなかったので、「魔術企業志望」とだけ書いたっきりである。ならば、この〈株式会社ソーサリードロップ〉とは、魔術関連の企業に他ならない。杏は迷うことなく、受話器をとってそこにある番号を押した。
緊張した面持ちで、受話器に響く呼び出し音に耳を傾けた。四回目のコールの途中、ガチャリと受話器の上がる音がするなり、
「はぁい、ソーサリードロップです」
「え、あの、その私、八橋杏と言いまして、就職のことに関してお電話させていただいたのですけれど」
受話器の向こうから聞こえてきたどこかのんびりと間の抜けた口調に、杏はしどろもどろになりながらも、なんとか要件を伝えることには成功した。
「はあ」とあいまいな返事のあとに、「しゃちょ~」と呼びかける声が電話口の向こうから漏れ聞こえてくる。どうやら、保留などせずにそのまま手か何かで通話口を覆っているのだろう。
「はい、お電話変わりました。佐久間です」
ぼんやりとそんなことを考えていると、急にそれまでとはうってかわって、はきはきとした口調の女性が電話口に現れ、杏はその雰囲気に思わず背筋を正した。
「ええと、御社の採用に関してお電話させ――」
「ああ、学生さんね?」
杏の言葉を先回りするように、電話の女性が言葉を発した。その言葉に促されるように、はいと答えるとその女性は次に思いもよらないことを口走った。
「じゃあ、今から来てもらえる?」
「え?」
突然の申し出に杏は我が耳を疑った。普通こういうときは履歴書を送ってとか、試験を受けてとかそういう対応が普通ではないのだろうか。電話した途端に、「来てください」と言われるなんて聞いたこともない。戸惑っている杏に再度電話口から声が響いた。
「どうするの? 来れるの、来れないの?」
強く迫るような口調に杏はたじろいだ。そもそもこの企業がどんなところかもまったく知らない。しかし、これを逃せば本当にチャンスはなくなってしまうかもしれないのだ。杏には迷っている暇などなかった。意を決したように「行きます」とはっきりと答えた。
佐久間という女性が指定したのは、杏の家から魔導列車で三十分ほどの距離にある都心部の駅だった。ビジネスビルが多く建ち並び、スーツ姿のサラリーマンやOLたちが忙しなく行き交っている。その間を抜けて、待ち合わせ場所を目指した。いまの杏にはこうやって社会に出て立派に働いている人たちの姿がとてもまぶしく映った。
「もし今度の会社もだめだったら」と嫌な想像とともに心の中に暗雲が立ち込めてくる。杏はすぐさま、ぶんぶんと大きく首を振って、ネガティヴな思考を振り払うと、待ち合わせの場所とされたカフェのドアに手をかけた。
店内に入って、きょろきょろとあたりを見渡していると、奥に席をとっている女性が手を挙げて、杏のほうに合図を送って近付いてきた。
「さっきの学生さん?」
少し前に電話で話した時と同じようにはきはきとした口調であったが、そのときに受けた厳しそうな印象よりもいくらか優しそうにも見えた。それでも、パンツスーツにジャケットを着こなす姿は様になっており、細身で小柄な外見にもかかわらず、堂々した姿はその内面から溢れる彼女の自信をにじませているようだった。
「や、八橋杏といいます」
その姿に思わず見とれてしまっていた杏は、はっと我に返ると思い出したようにあわてて名前を名乗った。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。ひとまず、座りましょうか」
それからカウンターに向かって何かを告げた後、杏の前を歩きだした。その堂々とした立ち居振る舞いにひとしきり恐縮しながら、杏は彼女とともにテーブルに腰を下ろした。
「コーヒーでよかったわよね?」
声をかけられ、緊張した面持ちのまま、こくこくとうなずいて返した。
ほどなくして、妖精がふよふよと飛んできて、コーヒーカップをふたつテーブルの上にならべた。1mにも満たない人型のタイプであり、床から少しばかり浮いている。これくらいの単純な作業なら魔術を使って簡単にやらせることができる。杏だって、学校の実習のときに自らの魔術で妖精に物を運ばせるくらいのことだってやったことがある。といっても、それに使った術式そのものは優等生だった友人のものを丸写ししたものではあったが。
「ゴユックリドウゾ」
どこか片言な言葉を残すと、役目を終えた妖精はその場できらきらとした粒子状の精霊へと姿を変え、ついには見えなくなった。妖精は無数の精霊の集合体である。これらの精霊は店の奥の魔術陣の上で、再組成されてほかの客に同じようにサービスを施すのだろう。
そんなことを考えながら、その様子を眺めていた杏に向かって、佐久間が言葉を切り出した。
「じゃあ、改めまして。私が『ソーサリードロップ』の佐久間です」
そういって一枚の名刺を杏に手渡した。そこには、彼女の名乗った通りの社名と「代表取締役 佐久間ルイ」と記してあった。杏はそこにある肩書と佐久間の姿を見比べるように目を動かした。年齢でいえば、杏とさほど離れているとは思えないのだが、そこには圧倒的な社会的な地位の差が深く広がっていた。
「あ、あ、アカツキ魔術学校。く、黒魔術学科の八橋杏です」
何十回と繰り返しあいさつしてきた名前であるのだが、いまだにすらすらと言えた試しがない。今回も、その例に漏れずにうまく言うことができなかった。大事なときに限ってこんな風になってしまうのだ。
だが、目の前の佐久間はそんなことなど微塵も気にしている様子もない。
「あなた、もうどこかに内定もらってる?」
その言葉に、杏はどこか後ろめたい気持ちとともに首を振った。まるで、自分がどこからも必要とされないような価値のない人間であるということを認めるような気分だった。
「働きたい?」
杏はその思わぬ問いかけに条件反射のように首を縦に振った。それが、今の杏の偽らざる本心であり、内定という言葉はのどから手が出るほど欲しい物であった。
「そう。なら、採用」
佐久間は何とでもないというようにそう言った。
あまりにも平然とした様子で佐久間がそういってのけるものだから、杏は思わずその言葉を聞き逃しそうになった。
「え、いま採用って……。だって、まだ面接すら……」
「面接なら今したところじゃない」
その顔は杏をからかっているという様子ではない。
状況をとらえかねる杏に、佐久間はうっすらと笑みを浮かべて、杏の瞳を見つめた。
「ビジネスをやる上で大事なものって何かわかる?」
いきなりの質問に戸惑いながら、杏はおずおずと頭に浮かんだものをそのまま口にした。
「技術とか…、知識とか…」
その言葉に佐久間は静かに首を振った。
「それはね。決断力と運」
「決断力と運?」
杏は佐久間の言葉をそのままオウム返しのように尋ねた。
「そう。私は今回、あなたに送ったメッセージと同じものをたくさんの学生に送ったのよ。その中から最初に電話をかけてきたのが、あなた。普通は、こんな無名の会社だし、どうしようって迷うわよね。でも、あなたはそれに迷わず返事をくれて、私のいきなりの呼び出しにも応じた。それが、あなたの決断力の証明よ。それに、あなたは他の学生たちよりも真っ先にそのメールを見ることもできた。たまたま運が良かったのかもしれないけれど、そういう運っていうのも実はビジネスにおいて大事な要素よ。そういうことは誰にでも身につけられることじゃないわ」
そう言ってのける佐久間の表情は真剣そのものだった。
「それからね。どこにも内定がないっていってたけど、それはつまりあなたは私の会社に入るためにここに現れたといっても過言じゃないかもしれないわね。ビジネスっていうのをやってるとそういった運命的な何かっていうものがあったりするのよ」
佐久間の言葉一つ一つが、杏の心を明るい光で照らしだしていくかのようであった。それまで、自分の欠点ばかりに目がいっていた杏にとって、そこに眠る希有な才能を見いだしてくれる佐久間は、まるで神様のようにさえ見えた。
「どう、納得した?」
そう言い終えた佐久間は杏に笑いかけ、書類の束をテーブルに置いた。
「これが雇用契約書ね。ここにサインすれば、めでたくあなたは私の会社の一員よ」
そういってテーブルの上に出された書類には、杏が目にしたこともないような難しい文言が、細かい字でびっしりと並んでいる。
「法律に則ってるだけだからややこしく見えるけど、特に気にしなくていいわよ」
出された契約書に向かってペンを持ったまま、杏の手が止まった。もっと慎重に考えてからサインしたほうがいいんじゃないのか。実家の両親と相談して……、そう考えているところに目の前の佐久間からの視線を感じた。
決断力。
途端に、さきほどの佐久間の言葉が脳裏によぎる。これももしかしたら、自分のその「決断力」とやらをためされているのかもしれない。どの道、自分には迷っている選択肢などないのだ。これは、あまりにも哀れな杏に対して、神様がせめてもの情けをかけてくれたチャンスかもしれない。
そう意思を固めると、書類に自らのサインを記した。
「はい、決定ね」
杏がサインを終えると、にんまりと笑顔を浮かべる佐久間、
「じゃあ、早速行きましょうか」
「行く?」
杏の疑問をよそにおもむろに立ち上がる佐久間に連れられて、杏は店を後にした。




