1
憧憬を込めて見つめる彼らの笑顔とは、きっと交わることがないだろう。
沙羅はその事を切なくは思うが、諦めているというわけではない。積極的に関わりたいと思うには、彼らはあまりにも自分と違って見えていた。
そもそも交わることを期待していないのだ。見ているだけで沙羅は心地よさと憧憬に胸を弾ませる。それだけで楽しい気持ちを味わえた。
まるでガラスの向こうに区切られた世界を垣間見て、自分を重ねて楽しむような、そんな憧れだ。
彼らと交わりたいと思うのは、沙羅にとって掴むことの出来ない風を追いかけるような物なのだ。
沙羅はその日、溢れる人の数に押しつぶされながら溜息をついていた。
以前から気になっていたイベントが近くで行われているので、暇を持て余した日曜日に一人で足を運んだのだが、大人から幼児まで楽しめる展示物が盛りだくさんで、当然のように休日の昼間となると人が溢れかえっていたのだ。
メイン会場である建物と、敷地内に点在するそれぞれの展示、そして屋台などの一角もあったりと、思った以上に大きなイベントだった。
現在研究されている最新のテクノロジーが、子供にとって身近なアニメなどに存在する道具の実現を示して紹介されている。未来のテクノロジーをイメージしたそのイベントは、いろんな企業や大学が協賛しているらしく、思ったより大がかりな物だった。
展示によっては子供向けのそのアニメの道具を模した手軽に遊べる遊具や、体を使って遊ぶ大がかりな遊具が子供を惹きつけるアトラクションとして大活躍だ。もちろん大人も驚きを持って遊べる仕様の物もたくさんあり、あの父親、絶対子供をダシに楽しんでいるな……という姿も見受けられる。
しかし、どこを見るにしても人だかりと行列ばかりで、とてもではないがゆっくり見て回れる状況ではなかった。
沙羅が出来ることと言えば、人だかりの隙間からのぞき込んだり、スマホを弄りながら一時間かかる行列に並んだりがせいぜいだ。気合いを入れて楽しむ気力は全て削られた。
沙羅は、一人で来てしまった事を後悔し始めていた。
一人は別に嫌いじゃない。こういうところを見て回るのなら、下手に人と来るよりも、自分一人で興味のある物を自分のペースでゆっくりとまわる方が気楽で良いと思っている、ただし普段なら、だ。
この待ち時間を一人で過ごすのはさすがに退屈する。何より、この人だかりでは自分のペースなんて物ははじめからない。
一応、友人は誘ったのだ。けれど突然に誘ったところでちょうどあいている友達はいなかった。しかも最終日も近くなって、この日曜を逃すと見逃すと思ってやってきたのだが。
けれど、この人の数では、見のがした方が心身共に楽だったかもしれない。
少しだけうんざりしつつも、せっかくここまで出て来て、おこづかいをはたいて入場料も払ったのだ。一通り、気になるところはまわりたい。
沙羅は行列に並んで、一時間待ちという列の先をのぞき込みながら溜息をついた。
外の展示ともなると、建物内ほどの人の密度はない。
まだ気楽な物だと自分に言い聞かせ、目当ての展示物のために行列の中程まで進んだところで、沙羅は空を見上げて息をついた。
今日は風が強い。
まるであの海岸線のようだと沙羅は思う。そう思うと少しだけ気が晴れた。それに空の青さは同じだ。ただ、周りにあるのがデザイン性の高い建物と、綺麗に整備された敷地内の景観と言うだけで。
風の強さが心地よく、見るともなしに、辺りに植えられた緑や人の流れを見ていた。そうして視線を動かしているうちに、沙羅はふっと目を引かれて、動かしていた視線を止めた。
あれは。
沙羅が目を奪われたのは金色の髪だった。金髪の高校生ぐらいの青年がいた。
毎週見る、バイクの後ろに乗っている人。
見た瞬間、沙羅は彼がそうだと気付く。
顔なんてちゃんと見た事はない。沙羅が見るのはいつもヘルメットとゴーグルを付けている姿だからだ。
けれど、背格好の雰囲気があの人だと感覚が訴えてくる。ヘルメットからのぞく髪の長さも、襟足より少し長いぐらいで、同じだ。
Tシャツにジーパンというラフな出で立ちに、腰の辺りにじゃらじゃらと付いている。ヘルメットの下は思ったより短髪だ。といっても、色が薄いせいで軽く見えてるだけかもしれないが。制服ではないその姿は、やんちゃそうな彼のイメージにぴったりで、初めて見る彼の普段の一面に、沙羅はドキドキしながらその姿を目で追いかけた。
どうやら一人でまわっている様子だ。パンフレットを片手に、どこへ行こうか悩んでいるのだろう。辺りをきょろきょろしながら歩いている。周りを見ていないようでいて、結構器用に人や物を避けながらの動きをしている。
前から人が来ても、横を人が通り抜けようとしても、器用に避けている。
クスっと沙羅は笑った。
人のことなんて気にしてなさそうな雰囲気なのに、気配りとかするタイプなのかな。
そんな勝手な想像が楽しい。
その時、一人の子供が走ってきた。
就学前か、小学校低学年ぐらいの少年だ。半泣きに見えるその様子は迷子になっているのがわかる。辺りをきょろきょろしながら危なっかしく走っていた。
敷地内は、歩く分には平らだが、タイルや、所々に小石を敷き詰めている部分もあったりと、走るには足場が悪い。周りが見えてなさそうな少年の様子に、沙羅は転んでしまうのではないかと眉を顰めた。
「あっ」
沙羅は思わず小さな声を上げた。
案の定、その少年が転んだのだ。それも彼のすぐ脇で。
手を貸しに行くかどうしようか悩む。
けれど周りに人はたくさんいるし、行列も半ばまで進んでいる。抜け出すのが躊躇われた。
そうしているうちに、少年のすぐ側にいた彼が動いた。
ひざまずいて話しかけながら少年に手を出した。沙羅が見つめているその先で、元々半泣きだった少年は、そのまま大声で泣き出した。
ひざまずく彼と、その脇で泣き出した少年、そしてそれをちらちらと見ながらそのまま通りすぎていく人々。
それを見ながら、沙羅は不快感が込み上げてきた。
眉を顰めながら見つめていく人たちは、自分たちはなにもせずに通り過ぎるくせに、彼に批難の目を向けていく。
もしかして彼が転ばしたと勘違いしているのではないだろうか。
そう思うと、たまらなく悔しくなった。
けれど今のままでは沙羅も同じだ。もし彼が今の沙羅を見たのら、好奇心で見つめている心ない人間と同じにしか見えないのだから。
沙羅は緊張で動けなくなりそうな自分を奮い立たせ、列から離れた。
「大丈夫?」
彼に話しかける勇気はなかった。だから沙羅はしゃがみ込むと、少年にいたわりの声をかけた。
少年は泣いてばかりで応える余裕はないようだった。
沙羅は子供の頭を撫でながら、ようやく彼に目を向ける。
座り込んだままでいた彼は、居心地悪そうに目を反らした。
「俺が泣かせたわけじゃ……」
もごもごと言いかけて、けれどその言い訳も途中でやめてまた口ごもる。言い訳をするのもばつが悪いのだろう。
沙羅は出来るだけ普通に見えるように気をつけながら笑顔を作る。
「うん、見てた。誰も声をかけなかったのに、すぐにしゃがんでこの子に声をかけてたよね」
そう言いながら、沙羅の心臓は音に聞こえそうなほど、ドキドキしている。
何とか言い終わると、彼は驚いたように沙羅を見て、それからはにかんだように笑った。