第十八話
空には積乱雲は立ちこめ、一場の雨を予想させていたが、実際に叩きつけるような勢いで雨が降り始めた。
崩れた廃墟の中、粉塵と巨大ザルの血液が混じり、辺りは泥沼と化しつつあった。
戦いで力を出し切り、ボロボロの姿となった少年と猫が転がっている。彼らの身体から生命の兆候が失われていくのが、綾香にも分かった。
だが、その傍ら、彼女は何もできずに、跪いていることしかできなかった。
あまりに非日常にして超自然的な事が起こりすぎていた。
何をすればいいのか、綾香には判別できなくなっていた。
ただ呆然と、雨に打たれていた。
ふと、傍らに誰かが立っていることに気付く。綾香はゆっくりとその人物を見上げた。
墨のように黒い髪の女性が、傘もささず、無言で少年と猫を見下ろしていた。
「あなたは?」
「私は……他個……汰故……田子?」
女性が答える。まるで、大気中で会話するのに慣れていないかのような、異常なかすれ声だった。
「いや……重要なのは私ではない。彼だ。彼らだ」
女性はかがみ込んで、意識のない少年の頬を撫でた。
「身にまとわりつく重力……汚染された大気……雲間からさす身を焼く日差し……全てが不快で吐き気を催す」
彼女の目の中で光が揺れた。
「……こんな世界でよく頑張った」
「尚志君は一体、何なの!?」
綾香は身震いして尋ねた。
「彼は真紅の身体から、ダイヤモンドの雫を散らす者。暗黒の深海で、それは唯一の光だった。彼は、我ら海の民の誇り……そして」
女性の声に、何か強烈な感情が宿る。言うなれば、無上の陶酔のような感情が。
そして、女性は首を巡らし綾香の目をのぞき込んだ。
「君のために、その命を賭した。君のためだ、内骨格をお持ちのお嬢さん」
親愛とも、憎悪ともとれない口調で言った。
女性はやがて綾香から目をそらし、空の一点を見つめる。
女性の視線から解放された綾香は、大きく息を吐いた。
「……邪な者の気配が近づいてくる。ここで、ふよふよしているわけにはいかない……」
女性はつぶやくと、両手を触手のように滑らかに伸ばした。少年と猫をそれぞれの手で抱き上げる。
「どこへ行くの?」
「全ての海の生物の主にして、あまねき海の統治者、海の神ポセイドンがお呼びだ……」
女性は歩き出す。
帳のような雨に、その身を霞ませながら、彼女は続けた。
「君も来るかい、竜宮城へ?」
舞台の転換など図ってみました。次の方、頑張ってくださいませ~