第十話
梅雨前の優しい空気に包まれるような感覚。
……温かい。しっとりとしていて、鬱々とした気分もほだされてしまう。
「――、――」
ぼんやりとした意識の中、知らない女性の声が聞こえた。
不思議と「誰?」とは思わなかった。
綾香の母親に両親のことをたずねられた時のような、冷め切った、割り切った気持ちにもならない。
ただ……懐かしい、と思った。
「おーいっ、搭乗手続き終わ――」
「しー。おきちゃうでしょ?」
「え、……あ、あぁ。ごめんごめん……。でもよく寝てるな」
「誰かさんが忙しなく飛び回ってるからよ……もう何回目かしら……」
そこには〝父親〟がいて、〝母親〟がいて……
「……うん……、おはよ? まま」
〝ボク〟が――いた。
「おはよ。……でもまだ寝てて大丈夫よ。困るのは――さんだから」
「……うん。……ぅん……」
そしてまた、ボクは〝まま〟に寄りかかる。
優しく頭を撫でられた。
甘くて、くすぐったくなくて、おでこにキスをされて――切なさが込み上げる。
もうどのくらい遠のいたかわからない。
わたしが始まる前の世界。
何の変哲も特徴もない、酷くありふれた――温かな幸せだけがあった。
***
意識が覚めると目がはれぼったくて、頬の辺りが濡れていた。
なるほどな。人間って弱い。
あんな曖昧な世界を夢見ただけで、涙もろくて仕方がない。
あんな――とってつけたような、幸せなんてありえないのに。
わたしは、前は人間すら恐怖に陥れる大ダコだった。
その前は、知能をいじられた、ずるがしこいサメだった。
その前は……もう忘れてしまったけれど、わたしはいつも何かを殺し、奪うものだった。
だから……
「ねえ! 井沼って良いとこの坊ちゃん?」
「執事とかメイドとか侍らしたりしてんの? 婚約者侍らして、諭吉の扇で煽って、諭吉の風呂に入って」
「ばーか、いぬっちは心臓が弱くて、入院漬けでベッドに拘束されて、重力に不慣れなの」
「んなことより、あやとどこまでいっての? キス? セッ○ス? 同棲ですか、焼けちゃうな」
「うわ、あや純情そうなのに~」
「あやちゃんを泣かしたら殺す! そして――」
「お前も死ぬ」
「当然――じゃない!? なにこの孔明の罠。俺死亡フラってる!!」
今の状況が理解できなかった。
目を開けたら、人間の男女に囲まれていた。ずっと質問されている。
記憶喪失なんだ。と嘘をつこうにも口を挟む隙がない。
だから、助け舟を出してしてくれそうな人を探した。確かさっきは綾香がいて、母親を呼びに行ったはずだ。
だけど綾香の母親どころか、綾香本人もいない。
……いや、いないからこそ彼らはこうもはしゃいでるのか。
〝俺〟はそう感じている。
正直どう言い返せばいいかわからない。どんな表情をすればいいかわからない。
だいたい、何で彼らはここにいるんだ?
何か失敗をしただろうか。わたしは〝人間〟として不自然な事をしただろうか。
途端に不安になる。
――わたしは、これからここでうまくやっていけるのかな。
は、となる。
何を考えた? なんで、もろくて弱い感情が生まれる。
わたしは転校生。だけどそれは元々、〝俺〟がいたかもしれない場所。
わたしにとっての居場所ではない。
わたしは、ただの侵略者なのだから。
酷く頭がくらくらした。
50メートルなんかをやって、体が動かなくなった時に感覚が似てる。
「……変わってくれよ」
夢を見ればコンタクトできるんじゃないのか。
完全に〝俺〟へやつあたりしながら、また目を閉じた。
遠くで、ストロベリーブロンドをなびかせる少女の声が聞こえた気がした。
……なんか変な追加設定が。
話、繋がってます?
まあいいか。後の人、うまく回収してください。(丸投げ)