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石の記憶 過去編 朱雀と缶コーヒー


閉店した鉱物店で買った朱雀のペンダント。

それから数か月。

青木陽香は二十五歳になっていた。

社会人にも慣れた。

役職こそないが、中堅企業で毎日忙しく働いている。

胸元には時々、あの日買った朱雀をつけていた。

石に特別な力があるとは思っていない。

それでも身につけると、少しだけ懐かしい気持ちになる。

遠い街へ異動したお姉さん。

高校生だった頃の自分。

あの鉱物店。

そんな思い出が蘇るのだ。

ある朝。

いつもの駅。

陽香は少し急いでいた。

時計を見る。

あと数分で電車が来る。

階段を下りようとして――

足を踏み外した。

「あっ!」

身体が前へ傾く。

その瞬間。

誰かの腕を掴んでいた。

「危ない!」

低い声。

陽香は何とか体勢を立て直した。

振り返る。

そこにいたのは会社の後輩だった。

「酒井くん?」

「大丈夫ですか?」

酒井浩史。

二十三歳。

別部署だが顔は知っている。

いつも落ち着いた雰囲気の後輩だった。

「ご、ごめん!」

「いや、怪我なくて良かったです」

浩史はそう言うと何事もなかったように歩き出した。

陽香はしばらく呆然としていた。

それから数週間後。

また同じ駅。

また同じ階段。

そして――

また同じ失敗をした。

「あっ!」

今度は転びそうになった瞬間、

後ろから腕を支えられる。

「またですか」

聞き覚えのある声だった。

陽香は思わず顔を覆った。

「うわあ……」

「本当に気を付けてください」

浩史は苦笑している。

「二回目ですよ」

「分かってる……」

恥ずかしかった。

ものすごく恥ずかしかった。

その日の昼休み。

陽香は売店の前で立ち止まった。

冷蔵ケースを見つめる。

缶コーヒー。

ブラック。

微糖。

カフェオレ。

少し考えた後、

一本の缶を手に取った。

休憩スペース。

窓際の席に浩史がいた。

書類を眺めながらブラックコーヒーを飲んでいる。

陽香は近付いた。

「酒井くん」

「はい?」

振り返った浩史が目を丸くする。

陽香は缶コーヒーを差し出した。

「これ」

「え?」

「二回も助けてもらったお礼」

浩史は一瞬驚いた後、

缶を受け取った。

「ありがとうございます」

「ブラック派だったよね?」

「よく知ってましたね」

「前に見たことあるから」

浩史は缶を軽く掲げた。

「助けたのは偶然ですよ」

「それでも助かったのは事実だから」

陽香は笑う。

浩史も少し照れたように笑った。

窓の外では初夏の風が木々を揺らしている。

昼休みの穏やかな時間。

陽香はふと胸元へ視線を落とした。

今日の朱雀は服の下に隠れて見えない。

けれど確かにそこにある。

未来へ羽ばたく鳥。

そんな意味だっただろうか。

二度助けられたのも、

朱雀のおかげだとは思わない。

きっと偶然だ。

ただの偶然。

でも。

あの日あの店で買ったこと。

お姉さんとの別れ。

駅の階段。

缶コーヒー。

全部が一本の糸のように繋がっている気がした。

石に不思議な力があるのかは分からない。

けれど。

人との縁や思い出を繋ぐ力なら、

少しくらいあるのかもしれない。

「今度転びそうになったら三本目のコーヒーですね」

浩史が冗談めかして言う。

「それは困るなあ」

陽香は笑った。

「気を付けます」

「ぜひ」

二人は顔を見合わせる。

そして声を上げて笑った。

窓から差し込む柔らかな陽射し。

テーブルの上の缶コーヒー。

何気ない昼休み。

陽香は思う。

きっと今日のことも、

いつか思い出になるのだろうと。

胸元では見えない朱雀が、

静かに揺れていた。


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