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第八話


 死に損なった為か、まだ私の器官が生きているからか、嗅覚はあった。


 出汁や焼けた香りのする食卓を横目に、私は机を囲む家族へ目を向ける。縁川天晴(えんがわあまはる)の家に帰ってきた私は、見えるところにいてほしいと頼まれ、夕食の席に同伴することになった。


 今まで夕食時は縁川天晴の部屋にいたけど、女性や遠岸楽の存在が不安らしい。特に不安なこともないけれど、言うことを聞いてくれないなら死ぬと言われ、一階に降りている。


 そして縁川天晴は怒鳴られるなんて言っていたけれど、彼のイメージチェンジを彼の家族は受け入れた。


「お父さん、手が空いてるなら麦茶ついでおいて! 白いふたのポットのほう! 赤いポットにめんつゆがあるから! よろしくね!」


「どこ行くんだ?」


「電球切れちゃったって、おじいちゃん今トイレで真っ暗なのよ! 大変!」


 そう言って縁川天晴のお母さんはトイレットペーパーを持ち、廊下を抜けていく。縁川天晴のお父さんは法衣を身にまとったまま、グラスに注いでいる途中だった赤いふたのクールポットの取っ手をつかんだ。


 グラスは家族でお揃いらしい。めんつゆは自家製らしく、見え辛いけれど『昆布、しいたけだけ!』と、油性ペンで書かれている。ただ、縁川天晴のお父さんは眉間にしわを寄せた。


「つけ皿大きいな……小さめの深皿は、割れてたか。めんつゆどっちのポットだ……?」


 事故が起きそうになっている。私は机のほうで箸置きを並べる縁川天晴に声をかけた。


「水色のグラスが麦茶で、透明なのがめんつゆってお父さんに言って」


「え? どうしてですか」


 縁川天晴は、お父さんとお母さんのやり取りを聞いていなかったらしい。私が急かすと、彼は慌てて息を吸い込んだ。


「水色のグラスが麦茶で、透明なのがめんつゆだって!」


 彼が声を上げると、彼のお父さんの体がびくりとはねた。お父さんは「危ないところだった」と息を吐く。


 私も胸を撫で下ろして、きちんとめんつゆ、麦茶が混ざらずグラスに注がれていくのを見届けた。


 机の真ん中には、すり硝子の深い大皿が二つ並んでいた。水がはられた中に素麺が氷を纏うように盛り付けられ、青モミジが浮かんでいる。


「実はお父さんとは、週に一回しか一緒にご飯食べられないんです。いつもはお父さん、お寺のお弟子さんたちとご飯食べてて」


 そうめんの周りに所狭しと並ぶ料理を指しながら、縁川天晴は声を潜める。


 竹かごに山盛りにされた人参、茄子などの野菜の天ぷら。山菜の煮びたしに、胡瓜や大根の漬物。がんもどきに、胡麻豆腐。豆の煮しめに、味噌の焼きおにぎり。葡萄やりんごに西瓜と鮮やかな果物が並ぶ食卓。週に一度家族が全員そろうからという想いも込められているのだろう。


「精進料理って確か魚とか肉は無いって」


「はい。まぁ、俺は寿司とかも好きですけどね。揃えましたし」


 私は前に、お寿司チェーン店の一日店長を勤めたことがあった。その一環で、特定のセットを頼むと私の缶バッジが特典としてついた。そのことを言ってるのだろう。


「お刺身とか普通にあったけど……」 


「はい。父は俺が色んな栄養を取ることを望んでるんで」


 お寺の息子なのに、それでいいのだろうか。縁川天晴を見れば、「それより」と彼は話を変えてくる。


「本当にいらないんですか夕食、美味しいですよ?」


「お供えにしかならないから」


「でも栄養取らないと……」


「なんか言ったか?」


 やはり、一人で壁に向かって話をするにも限度がある。お父さんは、ひとりでに話す息子に声をかけた。


「何でもない」


「そうか……? 一人で話をしたり、突然髪を染めたり……何かあるなら言いなさい?」


「本当に大丈夫。一人で話なんてしてないし。お父さんの気のせいだよ。お父さんこそ大丈夫? さっきめんつゆと麦茶間違えたり……」


 縁川天晴は、心配した声音でごまかすから、彼のお父さんは自分の幻聴を疑ったらしい。思いつめた表情で自分の耳に触れている。


「やめなよ。お父さん悩んでるじゃん」


 注意をしてから、後悔が湧き出す。


 立ち入ってしまった。髪を切るのも、洋服についても、口を出した理由がある。でも今の言葉は反射によるものだ。不快にさせたかと縁川天晴の顔色を窺えば、たいして気に留めない様子で笑みを浮かべていた。


「そういえば父さん、今日遺骨の受け入れしてたよね」


「納骨な」


「それってさ、この間までテレビに出てた事件の人の分もある?」


「強盗殺人のか」


 強盗殺人事件。


 二十一才の青年が、自分の勤める工場の社長と、その取引先の従業員三名を刺殺し、お金を持って立ち去った事件だ。


 特に工場の社長の遺体の損傷が激しく、強い怨恨を感じるものだったらしい。


 死刑囚は工場の社長から息子同然に可愛がられており、逮捕後も世間から激しいバッシングを受けていた。


「ああ。どうしてだ」


 すっと厳しい表情になるお父さんに、縁川天晴はとぼけた調子で返事をする。


「なんていうか、わりとテレビに出てたから、気になって」


 遠岸楽(とおぎしがく)死刑囚は、数ある強盗殺人の中でも、際立って狂暴だった。裁判所で暴れ、裁判が始まって早々弁護士に「俺を無罪にしなかったら殺してやる」と叫び、裁判がいったん中断するほどだった。


 彼の裁判が行われるたびに、ネットのトレンドではもう死刑でいいとの言葉があがり、担当弁護士には同情の声が集まった。彼の弁護から外すべきだと、署名運動も行われた気がする。


「どんなにテレビに出ようと、悪いことをしていようと、ほかの人と変えることなく弔うのが仕事だ。お前も、覚えておきなさい」


「うん」


 波紋のように緩やかな沈黙が広がる。縁川天晴は、静かに自分のいつもの場所であろう座布団の上に座った。すぐに慌ただしい足音が響き、彼のお母さんが「大変! 回覧板出すの忘れてた!」と、バインダー片手に入ってくる。すると、神妙だったお父さんの顔がさっと青くなった。


「いつから家にあった? かなり前に来てなかったか」


「もう、起きたことは仕方ない! 今度から気を付けます! 食べてから持って行きましょ。ごはん冷めちゃう」


 縁川天晴のお母さんはバインダーを棚の上にバンッと置いて、食卓を囲んでいた座布団の上に座った。やがておじいさんやおばあさんがゆったりとした足取りで食卓につく。お父さんも、「仕方ないか」と座った。


 いただきます、と誰かの号令に合わせるように、家族で手を合わせて食事を始めている。からんと軽い氷の音が響いて、まるでドラマのようなシーンだと見つめてしまった。


 家族で色の違う箸置きを使って、みんなで同じ食事を囲む。


 確かに、私も同じような団らんの中にいたことがある。もう思い出せないくらい、小さい頃だ。


 当たり前だった日常が、ドラマのように──非日常に見えていた。不鮮明な衝撃に戸惑いながら、私はただじっと家族の光景を眺めていた。



●●●



「じゃあ、俺はお風呂に入ってくるので、居間にいてください! お墓とか絶対行っちゃだめですよ!」


「うん。あと美容師さんにも言われただろうけど、今日染めたんだからシャンプー気を付けてね」


 縁川天晴(えんがわあまはる)は、お風呂に入っている間私をそばに寄せ付けない。


 高らかな宣言に相槌を打ちながら、タオルや着替えをもってお風呂場を目指す彼の背中を見送り、私は縁側にぺたりと座った。


 遠くに、墓地が見える。


 手前には枯山水や鹿威しが並ぶ雰囲気ある庭園で、湿った土や、瑞々しい緑の香りがする。


 私はふらふらと、何をするでもなく縁側で足をぶらつかせる。後ろの居間では、おじいさんとおばあさんがぼんやりテレビを眺めていた。二人とも耳が遠いらしく、大きめの音量で相撲番付が流れている。


 窓枠のふちには風鈴が飾られているけれど、無風だから音はしない。そばには蚊取り線香がくゆり、ただただ灰色の煙が夜空へとのびている。


 のどかだ。信じられないくらい。


「おい」


 ぼんやりとしていれば、後ろからおどろおどろしい声がした。振り返れば、居間でテレビを眺める老夫婦の前に、遠岸楽(とおぎしがく)が立っていた。息をのむ私へと、彼は乱雑な足取りで近づいてくる。


「驚くな。じいさんとばあさんが気付くだろ。ちょっと面かせよ」


 居間にいれば、安全じゃなかったのか。


 私はおそるおそる立ち上がった。


「こっちに来い。じいさんとばあさんに気付かれなきゃ、それでいいから」


 遠岸楽はしきりにおじいさんとおばあさんを気にしながら、今いる縁側から地続きのまま、少しだけ身を隠すような位置で立ち止まる。


 どうやら私が幽霊状態であることに気付いてないみたいだ。女の人は私について、「もうすぐこちら側に来る」と言っていた。


 私の位置づけは、曖昧なのかもしれない。


「な、何ですか……」


 遠岸楽は、助けてくれた……と思う。


 ネットニュースならまだしも全国放映された彼の裁判のニュースは、彼を警戒するには十分すぎる内容だった。


 暴れだして、弁護士を脅迫する。


 法廷画家と呼ばれる人の絵を見たけれど、踊り狂っているとしか思えないほどだった。


 鬼気迫る表情に、皆彼が出所することになれば、また犯罪をやると確信する目を向けていた。


「おまえ、俺のニュース見てたよな」


「確かに、見てましたけど……」


「なんてやってた? 被害者の奴らで知ってることあるなら、全部教えろ」


 そんなの、ニュースで見ていた私より自分の方がよっぽど知っているんじゃないか。


 少なくとも被害者と遠岸楽は関わりあっていたはずでは。


 わざわざ殺した人間について無関係の他人に問う猟奇性に、自然と後ずさる。


 もう死に損なっている。死ぬことなんて怖くない。


 けれど質問の意図が読めず、不気味で離れたい気持ちになった。


「どうして……そんなこと……」


「あ?」


 じりじりと後ずさると、ふいに遠岸楽が眉間にしわを寄せた。彼の視線を追えば、廊下の途中の棚に、私がめりこむ形で後ずさっていた。


「お前、死んでんの? 完全に生きてるもんだと思ってたけど……なんなんだよお前……は?」


 遠岸楽は不思議そうにしている。やはり、私が生きているように見えていたらしい。


「違います。私は死んで──」


「死んでないですよ。あかりちゃんは素晴らしいアイドルですが訳あって意識不明になってます。握手券もチケットも無い一般人がそれ以上近づかないでください」


 しゅっと、お風呂上がりのが縁川天晴が私の前に立った。タオルを武器にしようと構えている。遠岸楽はさらに目を丸くした。


「アイドルだぁ? じゃあお前も芸能人かなんかか?」


「貴方が納骨されたこの寺の息子です。今は生きています」


 遠岸楽は、疑うように私と縁川天晴を交互に見た。そして縁川天晴に狙いを定める。何かする気じゃないかと思わず庇おうとすれば、遠岸楽は私の予想に反してただ仁王立ちしただけだった。


「寺の息子なら、骨になって何日で俺は地獄に行くのか教えろ」


「はい?」


 突拍子もない質問に、私も縁川天晴も目を丸くした。遠岸楽だけがまじめに、当然だと言わんばかりに視線を鋭くする。 


「お前寺の息子なんだろ。死人に詳しいだろ」


「死人に詳しいのは解剖医の管轄では」


「じゃあお前解剖医に幽霊見えるかって聞くのかよ、ちげえだろ。勿体ぶってねえでさっさと教えろ、殺すぞ」


 さあ言えと、答えを欲しているのは明らかだった。縁川天晴の顔を見れば、やや疲れ気味に考え込んでいる。


「ふつうは、四十九日といいますが……もうそれを終えて」


「じゃあ、こうしてここにいるのが地獄ってことかよ」


「それはまた違うと思います。ここは現世ですし。もし教えが本当なら貴方は賽の河原を通るはずです。通りましたか?」


「通ってねえ。首つって気付いたらここにいた。水ものは畑しか見てねえ」


「じゃあ違うんじゃないですかね」


 あっけらかんと縁川天晴は切り捨てる。


「じゃあどうしろっていうんだろ。言え」


 遠岸楽は凄む。助けてもらったとはいえ、危険な人間だとただ判断することと同じくらい、彼を安全な人間と判断するには早い。


 でも、こうして死後の世界を寺の息子だからと年下の縁川天晴に問いかけたり、自分の望む答えが得られず困惑する様子は、裁判記録の凶暴性や邪悪さからは離れている。


「どうもなにも、まだ僕は生きてるんでわかりません」


「ハァ? つうかさっきから感じ悪いなお前」  


「貴方がアイドルに近づく不審な男だからですよ。どんな人間であろうと仕事でもないのにあかりちゃんを無粋に呼び出す輩は許せません」


「ハァ?」


「ハァハァ何なんですか、凄めば望むものが手に入ると思ったら大間違いですよ」


 縁川天晴はきっぱりと言い切ってしまう。やがて遠岸楽はばつが悪そうに縁側の奥へすっと消えていった。


「追い返した……?」


「でも、また来そうですよ、彼。そんな感じがします」


 私は遠岸楽が消えていった廊下を見つめる。すぅっと吸い込まれそうな暗闇が広がる。


 地獄に落ちるのはいつか。


 被害者についてのニュース。


 遠岸楽はしきりに気にしていた。被害者についてなんて、こうして死ぬ前から調べることもできたはずなのに。


 それとも、死んでから償いたい気持ちが芽生えた……?


 どうして、被害者のことをを知りたいんだろう。


「盛り塩しておきましょうか! 盛り塩! あとお札!」


 考えていると、縁川天晴は台所から袋いっぱいの塩を持ってきた。お寺についても仏教についても詳しくないけど、たぶん違うと思う。


「食用でもいいの?」


「分かりません! でも同じ塩化ナトリウムですし! こういうのはすぐ対処したほうがいいですから」


「いや、多分アリ避けにしかならないと思う」


 私は遠岸楽の質問の意図が掴めないまま、ひとまず塩を撒き散らそうとする縁川天晴を止めに入ったのだった。


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