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第六話


 美容室で縁川天晴(えんがわあまはる)の髪を注文した私は、その場を離れることにした。隣にいても良かったけれど、彼は髪を切ってる最中、こちらに話しかけてくる可能性が高い。


 初めての美容室で緊張しているだろうけれど、だからこそより最悪の状況を生み出すのは避けたかった。


果崎(はてさき)あかりってさぁ」


 突然名前を口にされたことでドキッとする。振り返ると大学生っぽいグループがスマホを片手に話をしているところだった。


「お前好きって言ってたよな」


「匂わせするほうもするほうだけどさ、リークするとか萎えた。無理だわ」


「あ、確かにコメ欄も似たようなこと言ってるわ。好きだったけど心がクズなんてモニョる……だって。なにモニョるって。検索しよ」


 二人はスマホを片手に、私について話をしている。私に気付いたわけではなく、あくまで記事を見ているようだった。


「でもリークしてディスられて炎上ってすげえな。ソッコー天罰下ってんじゃん」


「結構世界ってちゃんと出来てるんだな?」


 彼らにとっては、他愛もない話をするのと同じだ。私がそばにいるから話をしているわけではないし、そこまで悪意もない。ただ感想を言ってるだけ。


 なのに息が詰まりそうになる。


「くだらない。バカみたい!」


 そっと今いる場所から離れようとしたとき、快活な声とともにバン! と鈍い音が響いた。私と大学生たちのグループの間には、真っ白なレトロワンピースを着ている女性が立っていて、どうやら女性が大学生の一人を突き飛ばしたようだった。


「コソコソ悪口言って、なんなの? 気持ち悪いんだけど!」


 女性は学生たちを睨む。学生たちはお互い顔を見合わせ、走り出していった。


 呆気にとられていると、女性はこちらを振り返り、ぱっと微笑む。


「大丈夫だった?」

「はい……あ、ありがとうございます」

「あはは。見ていたら、何かとても貴女が悲しそうな顔をしていたから、飛び出してきちゃった」


 柔らかく目じりを下げる女性は、作り物みたいに美しい顔立ちで、つい見入ってしまう。どことなく浮世離れした雰囲気を纏う彼女は、「誰かと待ち合わせ?」と、無邪気に訊ねてきた。


「いえ……私は、えっと、今知り合いがそこの美容室で髪を切っていて、それを待っていて……」


 この人は、私が見えている。


 縁川天晴も私がはじめ生きているか死んでいるか分かっていなかったし、そもそもアイドルの私を知らないようだ。


 縁川天晴は、なるべく私にテレビを見せないようにしていた。報道はされているだろうけど……。


「なら、少しそこのベンチで座っていましょう? 美容室の前で待ちぼうけなんてつまらないし、ああいう奴らがまた来るかもしれないし、なにより一人で待っているのは寂しいでしょう?」


 軽やかな提案に、躊躇いを覚えた。


 私と話をしていれば、彼女は一人で話をしている人だと思われてしまう。悩んでいると、「ほら」と彼女は手を引っ張っていく。


「今日はこんなに天気がいいのだから、木陰にいなきゃ駄目よ。熱中症で死んでしまうわ」


 彼女は私をそばのベンチに座らせ、自分も隣に座った。彼女は、「んー!」と伸びをする。純白のワンピースから伸びるほっそりとした白い足を見ていると、今にも太陽に焼かれてしまいそうで不安になった。


「学生?」


「えっと」


 真っ白な肌を見つめすぎたせいで反応が遅れてしまった。彼女は「学校に行けていないの?」と不安そうに眉を下げる。


「いえ、えっと、高校生です」


「そうなの? なら同じね」


 彼女のあっけらかんとした答えに、目を見開いた。


 てっきり、大学生くらいだと思っていた。彼女があまりに大人びた雰囲気を持っていたから、誤解をしてしまった。


「夏休み、どこかへ行った?」


 夏休みは、ずっと仕事をしていた。でも、流石に言いづらい。私は「宿題が大変で」と言葉を濁した。


「宿題! なんだか毎年増えてくる気がするのよねえ! 小学校のころ朝顔の観察も途中途中で抜けがあったりして……」


「懐かしいですね……読書感想文も、大変でした」


「読書感想文、私とても苦手なのよね……満足いくものが書けたって思えたこと、一度もないわ」


 彼女は、顔を歪める。読書感想文は、難しい。小学校のころから、夏休みの宿題の中で一番苦手だった。


「私ね、先生に読書感想文が苦手だって言ったときに、もらった言葉があるの。どういうところが良くて、何を感じているか、誰かが私の感想を読んでその本を手に取ってみたくなる感想文を書いてみてって」


 誰かがその本を手に取ってみたくなる。


 そういう風に書いていけばいいのか。納得していると彼女は顔を暗くした。


「でも、私はその話を聞いて余計書けなくなったわ」


「えぇ……」


「だって、どきどきして好きとか、悲しい場面でガーンってなったとか、漫画みたいな表現で感想文を書いたら駄目でしょう? 語彙が少ないのよね。私。だから辞書を引いたりして書いてみると、これは果たし状? それとも脅迫状なの? ってくらい、支離滅裂な文章になっているの。まるで錯乱した恋文よ」


「恋文……」


 彼女は、「恋文って書いたこと、ある?」と問いかけてきた。


「一度もないです」


 手紙を書く機会は、ファンレターを返信するときだけだ。SNSにいいねを押してくれる人は何万といても、ファンレターを送ってくれる人はすごく少なくて、とても貴重な存在だった。


 だからそんな想いにこたえたくて全部手書きで返事をしていた。傷つく表現がないか、読み辛くないか一回鉛筆で下書きをして、ボールペンで清書する。大変だけど、レターセットを選ぶのも楽しかった。


「ええ、好きな人はいないの?」


「いません」


「そうなの……」


 悲しそうな眼差しに、私は戸惑った。アイドルという職業をしていた以上、ある程度厳しい言葉をかけられるのも、恋をしないのも日常だ。


 でも今の彼女は、私を男子たちにからかわれ、恋をしない一般人だと考えている。寂しさの究極体だととらえているのかもしれない。


「自由恋愛の時代ではあるし、恋をしないのも自由だけど、した方がいいわよ。とても素敵だから。苦しみも倍だけどね」


 私の話を聞かれるより、話題を彼女に移したほうがいいだろう。「好きな人がいるんですか?」と問いかければ、彼女は頬を染めながらはにかんだ。


「ええ。私より年上の人よ。先生なの。恋文を何通も書くんだけどね、全然上手くいかない。好きって伝えたいのに、言葉がぐちゃぐちゃになって難しい」


「言葉が、ぐちゃぐちゃ……」


「もし先生が嫌いだったら、楽なのになって思う時もあるわ。恋文って気持ちを伝えるもののはずなのに、その手紙を通してもっと好きになってもらいたいなって、喜んでもらいたいって期待するでしょう? 死んでしまいそうになるくらい好きだから、もう、何枚のレターセットが犠牲になったか分からないわ」


 儚げな声色や印象とは裏腹に、どうやら苛烈な恋心を持っているらしい。それも相手は年上で、先生。学校の先生と生徒の恋愛は厳しいだろうし、思いつめることもあるかもしれない。


「恋をすると、価値観がおしゃかになるのよ。先生にって買った可愛いレターセットは書き損じてぐちゃぐちゃに出来るのに、先生から貰った花丸の答案は額に入れてるの。捨てられないの。先生の花丸は四角くてね、かくかくしてるから余計特別に感じてしまって」


 捨てられない、花丸の答案。


 そんな風に誰か一人を想う恋は、どんな感じがするのだろう。


 アイドルは恋をしない。するのはファンの皆だけ。遠い世界のことだと思っていたし、それでいいと思っている。


 でも死に損なってから、恋について話をするなんて。


「あ」


 じっと美容室を見詰めていると、浮かれた様子の縁川天晴が出てきた。満面の笑みを浮かべ、見送りをする美容師さんと握手を交わし何度もお礼を言う。


「あかりちゃん!?」


 私の名前を絶叫した。このままでは、縁川天晴は完全に不審者になる。私は慌てて彼のもとへ向かおうとして、女性へ振り返った。


「すみません。あの、呼ばれてて」


「もう行ってしまうの? せっかく会えたのに勿体ないわ。もう少し二人でお話ししましょうよ」


「ごめんなさい。良ければまた」


 またなんてきっとないはずなのに、つい「また」なんて口にしてしまった。けれど彼女は嬉しそうに「じゃあ、またね」と、微笑む。


「ではすみません。今日はありがとうございました」


 お礼を言って、私は縁川天晴のもとへ向かっていく。彼は私を見つけて「あかりちゃん!」とまた絶叫した。


「探しましたよどこ行ってたんですか!」


「ちょっとそこで女の人と話をしてて」


「女のひと? いませんけど……もう行っちゃったんですかね」


 縁川天晴は、きょろきょろあたりを見回す。振り返ると、さっきまでいたはずの女性の姿が見えなくなっていた。立ち去るには早いような気がして、私も首をかしげる。 


「どこ行ったんだろう……」


「それより見てくださいよこれ! マッシュニュアンスパァーマァー!」


 縁川天晴はビブラートを利かせ、自分の左右の毛束を掴みながら奇妙なリズムで身体を左右に揺らした。私はあわてて彼を路地へと引っ張る。そして彼の黒髪から覗くその色に戦慄した。


 黒一色だった髪は、その内側をサファイアブルーとアメジストブルーのグラデーションで染め上げられていた。


「あかりちゃんインナーカラー! です!」


「何でまた……」


 あまりの状況に、次の言葉が発せなかった。縁川天晴は喜びを隠さぬ瞳で、自分の毛を撫でている。


「髪全部やっちゃおうかなと思ったんですけど、父にぶっ殺されるどころか裏の井戸に沈められると思うんで……えへへ」


 せめて自分を整えてもらおうと、推し活から離れてもらおうと思っていたのに。


 より意思を強固なものにしてくるとは予想できていなかった。


 ただ、私を推すことをやめてくれたらと思っていたのに。これでは意味がない。


 視界に映る鮮やかな色に、どんどん私の心は重くなる。


「あれ? なんか今あっぱれくんの声がしたんだけど」


 まるで学校に向かった時を再現するかのように、背後から声がかかった。


 振り返ればこの間の男子生徒と、女子生徒たちが立っている。思えば「行事全部蹴って打ち上げ前日に学校に来るとかキモ」と言っていたから、なにかの打ち上げかもしれない。どうやらカラオケ店へ入るところだったようで、中途半端に店の入り口に立ちながらこちらを見ていた。


「もしかして、あっぱれくんじゃない?」


 口々にクラスメイト達は縁川天晴に注目していく。その目に嘲りや、軽蔑、無関心は一切含まれていなかった。純粋で強い羨望の眼差しだけを、縁川天晴は集めていた。


「かっこよくない?」


「え、アイドルみたい。嘘でしょ? どうしよう」


「全然違うじゃん。なに……?」


 女子生徒は、頬を染め近づくか躊躇っている。男子生徒たちは、ただただ茫然としていた。まるで本当にアイドルが立っているかのように、縁川天晴を見て、いい意味での近づきがたさを感じていた。何人か勇気がある子たちがそろそろ近づいてきているところが、よりそれらしさが出ている。


「えーかっこいい……月曜日楽しみすぎる」


 そんな好意を隠さぬ声が口々に発せられ、縁川天晴をいじめていた生徒は顔を見合わせ、居づらそうにうつむく。こんなに評価が簡単に覆るほど、縁川天晴のクラスの大半は、彼に悪い印象を持っていたわけじゃなかったのだ。


「えっと、僕は重大な用事があるので、これで」


 だというのに、縁川天晴はさっとその場を後にしてしまう。もう少しクラスの人たちの前にいて、目を惹きつけたほうがいいだろうに。


「待ってよ。いいの? クラスの子かっこいいって言っていたけど……昨日変なこと言ってきたりとかしなかった、普通のひとも……」


「はい。どうでもいいです! それよりこれであかりちゃんのことを悪く言う人間を黙らせることができて幸せです! 美容室も怖いところだと決めつけてましたけど、いいもんですね。今度は夢の推しカラーコーデも揃えちゃいましょうかねぇ!」


 まるで、クラスの人間なんてどうでもいいような声色だった。


 私にしか興味がない。


 はっきりとそう言われているみたいだ。


「あかりちゃん?」


 顔を覗き込まれ、私は思わずのけぞった。


「よ、洋服いつから買ってないの」


 私は取り繕うように訊く。彼は唸りながら考え込み、私を横目に見た。


「服代は全部推し活に投資して……えっと……雑誌とかグッズへ」


 グッズはライブに合わせてだったり、シーズンに合わせて販売することが多いけど、雑誌は毎月だ。


「じゃあ、今月以外ぜんぶってこと……?」


「もちろんです!」


 私が炎上したのが新刊の発売の少し後だったこともあり、代打が立てられ今月私が掲載される雑誌はゼロになった。


 売れないものを発売するよりも、ギリギリのスケジュールを切り詰めてでも、代打を用意するほうが傷が浅くて済む。雑誌に関わった人たちは、過酷なスケジュールを強いられるだろう。


 死ぬ前は思い浮かべることのなかった人たちの顔が浮かぶと同時に、どこまでも私を推すだけの生き方をしている縁川天晴に、どうしようもない気持ちになった。


「今日みたいに、私が選んでもいいし、ちゃんと外に出る服も買って」


「ぜひ! よろしくお願いします! 約束ですよ」


 フゥ! なんて声を上げて、彼はスキップで進んでいこうとする。


 かと思えば立ち止まり、こちらへ振り返った。靡いた黒髪の隙間から、かつて自分がメイン衣装として来ていた青と紫のグラデーションが見えて、胸が詰まる。


「今日、 最後にあかりちゃんと行きたいところあるんですけど、いいですか」


「別にいいけど……」


「やったあ! 絶対行きたかったんです!」


 絶対行きたいというわりに、行き先を明かそうとしないところに疑念が湧く。でもどうせ死んでいるのだ。危ないこともないかと、私は軽く承諾した。

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