第五話
「僕は月曜日も学校に行きますよ」
学校にいる間ずっと押し黙っていた縁川天晴は、放課後、お寺の近くにきてからようやく声を発した。
「なんで……今まで行ってなかったんだよね……?」
「だって休んだら、僕があんな低俗な奴らに、貴方を軽んじる奴らに屈したみたいじゃないですか。それに……」
彼は手のひらを握りしめながら前を見据える。並々ならぬ憎悪の声音に、息が詰まった。
「貴女を馬鹿にされた。僕のせいで」
そんなことない。私のせいだ。学校で私を推してたら、間違いなくいじめにつながる。
あれだけ私はネットで叩かれているのだ、「好きだった」というだけで酷いことを言われるのも、悲しいけど当然だ。
今こうしている間だって、縁川天晴だけじゃなく、ほかの人だって悪口を言われてるかもしれない。
「全部、私のせい……」
縁川天晴はこれから、私が自殺したことを絡めていじめられる。
現に彼の立場はいいものじゃない。私がきっかけで加速する。
現にそれまで無反応だった彼が、私の話題を出した時反応したのを見て、彼らは喜んでいた。
私が、責任を取らないと。私が何とかしないと。何か、この状況を変えるためのきっかけを──、
「……ねぇ、髪切ってみない?」
今日ずっと沈黙を貫いていた縁川天晴を見ていたけれど、顔立ちはきれいだ。
女子を味方につければ、少なくとも今の環境よりは良くなる。それに、彼をいじめていた男子生徒は三名ほど、他は無関心だった。縁川天晴が変わり、表立って味方をする人間が増えれば、彼を取り巻く環境はがらりと変わる可能性がある。
アイドルにはなれないかもしれないけど、人は磨けば必ず光る。誰だって。
「俺、今そんなに駄目ですか」
私を見て、自分の髪の毛が良くないと誤解した縁川天晴は、自分の髪の毛を両手で掴みながらこちらを見た。
私は別に、ファンの人がどんな髪型であろうと不快と思わない。駄目なのは彼自身じゃない。私を推して美容室代を節約したり、私を推していじめられる状況だ。
「駄目じゃないけど、あいつらに無理やり切られるくらいなら、自分の意思でちゃんとしたプロに切ってもらったほうがいいよ」
「それは、貴女のお願いですか」
「まぁ」
問いかけに含みを感じながらも、私は頷いた。
「なら、明日ちょうどお休みですし、髪の毛は明日中に何とかします!」
縁川天晴は高らかに宣言する。
「推しのお願いですしね!」
「……ん」
私のことなんて、さっさと忘れればいいのに。
別の人を応援したり、別のことに目を向けてほしい。
もう、推された分返すことはできない。私を推しても、デメリットしかない。
これからどうしようかと思っていたけど、なんとなく目指す方向みたいなものが決まった。
アイドルは辞めるとき、卒業すると言う。でもファンは違う。他界するというらしい。
死に損なった私が他界させるなんて変だけど、でも炎上の末に灰になった、偶像ですらないのだ、私を推していても、不幸を招くだけ。
この出会いに意味があるのなら、きっと私の役目は縁川天晴が、私を推すのを辞めさせることだ。
学校から帰ったあと、縁川天晴はパソコンであれこれ髪型を検索していた。特に悪くもなさそうな検索に安堵した翌朝、その凶行は実行された。
「何で自分で髪を切ろうとしていらっしゃる……?」
私はビニールシートをかぶり、鏡を机の上にセッティングする縁川天晴に声をかける。床には新聞紙が敷かれ、セルフカットの準備としか言えない様子だった。
「え……だって髪切るのお金かかるじゃないですか。CDもう一枚買える……」
「いやもうその長さはセルフケア出来るレベルじゃないって。美容院に行こう。プロになんとかしてもらおう。っていうか、お母さんとかお父さんは何も言わないの?」
「美容院代別に出すから美容院に行けって、他人事みたいに言いますよ」
困った様子で、縁川天晴は目を細めた。困っているのは彼の両親だ。
「心配されてるよ。他人事じゃないじゃん」
「父と母は知らないんですよ。美容院が恐ろしいところだと……」
縁川天晴の髪型は、伸びっぱなしだった。もはやおかっぱに近い。今まで美容室へ行って怖い目にでもあったかと問えば、彼は複雑そうに呟いた。
「初めてですよ。近所の床屋さんが潰れて、散髪の場所は奪われました。美容院なんかに行けば、きったねえ田舎もんが来たなぁってぼったくられるにきまってます」
酷すぎる偏見にびっくりして言葉が出ない。
しかも完全に被害妄想だ。きったねえの部分に力が籠っているあたり、あたかも被害を受けたように聞こえたけど、ぼったくられそうだ。まだ被害にあってない。
「僕なんか裏でせせら笑われるんですよ。陽キャが陽キャの剪定する場なんですよ。あそこは」
「完全な偏見だから。髪切るのが仕事だし普通に考えてお客さん笑わないでしょ」
「迷惑になりませんかね。営業妨害! って、鋏持って追いかけられたらどうしよう。相手刃物持ちですよ、勝てませんよ」
「そんな事件、ニュースで見たことある?」
「ないですけど……えぇ……どうしようかな……推しのお願いでも……だってカット代貢いだほうがあかりちゃんの為になるし」
縁川天晴は自分の髪の毛をひっぱりながらぶつぶつ言っている。絶対切ったほうがいい。
「美容室で髪切りな。切ったほうがいいよ。そのほうが私は嬉しいよ。私もついていくから」
「ハイっ」
お願いすれば、さっきまでの嫌がりが嘘のように、彼はセルフカットのフィールドを撤去し始めた。先ほどまでの抵抗は一体何だったのか。彼はてきぱきと新聞紙を畳み、鋏を片付けて財布をポケットにしまい始める。
「その切り替えの早さはなに……?」
「推しのお願いならばヲタクはなんでも叶えて見せますよ。推しは絶対ですから。昨日も言ったでしょう? 一生を推しに捧げて、ヲタクは死んでいくんです」
推しは絶対。
妄信的な応援に、申し訳ない気持ちになる。全力で応援してもらっても、もう一生その気持ちに応えることなんて出来ないのに。
推し、変えてくれないかな。
どこかほかのアイドルに。
今まで応援してくれたファンが、別のアイドルを応援する。推し変と言われるそれは、名称がつくくらいポピュラーなことなんだと思う。
寂しいし、パフォーマンスが足りなかったのかと反省もする。強制できないし、応援はあくまで好意であって自由であるべきだけど……やっぱり悲しいものだった。
でも今は、推しを変えてほしい。それか私を推すのを辞めて、髪も服も整えて自分を犠牲にするのはやめてほしい。
「推しと美容院行けるなんて、チェキ何枚……いやCD何枚分だろう」
うっとりした眼差しに、私は視線を逸らす。
「CD換算しようとしないで。ほら、準備が終わったら外出て」
「ハイッ……なんか、ライブのレスみたいですね」
ライブの、コールアンドレスポンス。観客席の皆に向かってマイクを向ける。返事をしてもらえるか、最初はいつも不安だった。いつの日か、きっと返してくれるに変わって、絶対返してもらえると思うようになった。
ライブはいつだって後悔無いよう、全力を出してる。全力を出しすぎて最終日に声が出ないなんてことが無いように、喉を鍛えて普段は喉を傷めないよう加湿器をつけたり、冷房をつけたまま寝なかったり。多少寝苦しくても、じめじめしても我慢。
気を遣っていつだって張り詰めた気持ちでいたけど、ファンレターを読んだりライブをして、自分たちを応援してくれているファンの皆だけを前にしているときは唯一自由でいられた。
今が一番輝いていると、心から思った。
「はやく、行くよ」
私は、縁川天晴の腕をつかむ。もう何も掴めないけど、不思議と掴める腕は、少し汗ばんでいて熱っぽい。人間の体温ってこんな感じなんだと、気づかせてくれる。握手会が大好きだった。自分を応援してくれるファンの皆の声を生で聞けることは嬉しい。人気が出るにつれて、防犯上を理由に機会が少なくなってしまった。
「ひええ。あかりちゃんが腕を……」
一昨日は強引に腕を引っ張ってきたのに。
戸惑いを見せる縁川天晴の腕を引きながら、私は外へと出たのだった。
●●●
休みの日に街を出歩くことは、デビューしたての頃も今もあまりなかった。
ライブやその準備は、歌や踊りの練習のほかに衣装合わせや全体での打ち合わせもあるし、雑誌のインタビューに写真撮影、ブロマイドや缶バッジの撮影、ライブに関係ない、普段から行うダンスレッスンやボイストレーニング、喉や腰を傷めないようメンテナンスもしていたし、空いた時間があれば演技の練習をしていた。
後学のため先輩のライブやほかのアーティストのライブに行ったりDVDを見たり、時間が空いたとしても家で過ごすことが多かった。芸能人の趣味がゲームだったり、恋人が共演者になりがちなのは、そもそもあまりにも時間がないからというのもあると思う。
「いやぁ推しと街中を歩く日が来るなんて……夢のようです。どうしよう、記者とかいませんかね。隠れないと」
「多分その前に警察に捕まる可能性が高いと思う」
お店の看板に隠れようとする不審な縁川天晴を止めながら、ゆっくりと歩いていく。縁川天晴は、外に出ても普通に私と話をしようとする。だからなるべく裏通りを歩くことにした。
ただ、休日ということもあってか、フラペチーノやスイーツを食べ歩きしてるグループや、手をつなぐカップルと、人通りがないわけじゃない。
だというのに彼は平然と私に話しかけてくるし、奇行も目立つ。
「髪を切るって、どうすればいいんですかね。個人的に坊主ヘアは似合わないと思うので避けたいんですけど。いるんですようちのお寺に。すごい似合う美坊主が。真似してると思われそうで……」
「坊主にしてくださいって言わない限り美容師さんもそこまで切らないから」
「だってオシャレな美容師さんって普段何してるとかどこ住んでるとか聞いてくるんですよね? 寺生まれって知られたら、えーそうなんですかー? バリバリバリバリ〜ってされそうで怖くて」
縁川天晴は、わざわざ身振り手振りを交えて美容室への恐怖をあらわにしている。
「でも、どこまで切ればいいんでしょう。お任せにして坊主になったら泣いちゃいますよ」
「ならないよ」
美容室からどうしてすぐ坊主が連想されるんだろう。多分五分刈りとか言い出さない限り、バリカンすら出されれないと思う。
「私が言おうか。注文。それをそのまま真似して復唱すれば、坊主にはならないはずだから」
思わず提案すると、彼は大きく目を見開いた。
「え! いいんですか?」
「うん。なんていうか、その方がいいんじゃないかって……」
「ぜひ! ぜひともお願いします! うわぁ、推しに推し色に染められるぅ……」
「意味が分からない」
「ペンライトもこの心も勿論あかりちゃんのカラーですけど、身も推し色に染められるんですよ! 最高じゃないですか!」
縁川天晴は先ほどまでの美容室行きたくないオーラが嘘だったかのように、浮き足立った足取りで進んでいく。
「やめな。通報されるよ」
「俺は貴女しか見えてないのでおっけーです! って言いたいところですけど……俺のせいであかりちゃんが悪く言われるのは避けたいですからね……自粛します」
そう言われ、胸のあたりに痛みが走った。
「あかりちゃん?」
「なんでもない。美容室ここでしょ? 入ろ」
私は美容室のドアを開くように促す。彼は緊張した面持ちで扉を開いた。その背中を見て、形容しがたい感情に襲われる。
果崎あかりを推す。今の時世にその選択をすることは、リスクが付き纏う。なのに縁川天晴はどこまでも私にアイドルとしてのこれからがある前提でものを話すし行動するから、苦しい。
だってその期待に応えることなんて、一生できないのだから。




